くノ一王子様と出会う

4章 1話 北の地

 葵がアレンたちと出会ったのが『ディス王国』の村。美歌と出逢ったカッシーラという温泉町もその領内である。

 その南にある『エル・ファティマ部族連合』では霙太夫と死闘を演じた。

 では北はどうなのだろうか。


 王国の北には『ノーリンガム帝国』と呼ばれる国がある。

 そこは大陸北部に位置し、領土としては真ん中の王国、南の部族連合を抑えて最も広い。

 ただしその土地の多くは山林であったり、寒冷な土地柄からか思ったより人の手は伸びておらず、畑は痩せ気味で食料自給率と人口は土地の広さに比例するほど多いとは言えない。

 特に山間部は腰ほどに雪が積もり格段と寒さが厳しくなった。 

 その代わり鉱山があるのが特色で、鉄だけでなく宝石などもよく採掘され、鉱石の加工技術は大陸随一と評されている。

 

 その国もつい数十年前までは戦争に明け暮れていた。

 長い戦いに人も物資も疲弊し、若い働き手を徴集され滅びた村も珍しい話ではない。

 少し前までは善良だった人間が背に腹は変えられぬと食うに困って店や旅人を襲うこともあったし、獲物を探そうと不用意に魔物のテリトリーに足を踏み込んでしまい返り討ちに遭うという事件も頻発した。


 手を加えられることのないまま、荒れるに任せてもはや廃墟となっているその跡も未だそこかしこで見つかる。

 その悲惨な過去も教会の仲立ちもあって、現在では戦争国家から交易国家へと舵取りを変え栄えていた。

 老人などからすれば、子供の時分は餓死者も多く、それに比べて富み豊かになったと満足気に語るものばかりだろう。

 

 そして土地柄的に敬虔な『リィム信徒』が多いのも特徴だ。

 帝国の北西部分に街と言えるサイズの『神都リィム』があり、その威光は王国や部族連合よりも届きやすく恩恵も受けやすい。

 それは帝国の内部、その中枢も例外ではなかった。

 

 たとえ王であってもリィム教を蔑ろにすることは不可能。そうまことしやかに囁かれることもあった。

 曰く、数十年前に停戦になった事柄も疲弊していたというのは体の良い言い訳で、リィム教からの命令に逆らえなかったのだとか。


 この国では女神の悪口を言った人物には神隠しがよく起きる。

 そんな酒場で酔っ払いが言いそうなヨタ話が暗黙の了解として人々の間にあった。

 ただし決してそれは眠らない子供を叱りつけるための怖い話ではないのだ。信仰が厚いこの国にどこにでもいる一般人にとっては、そうして実際に消えた者がいても悪者が神罰を受けたぐらいの感覚ですらある。

 

 そんな帝国内の南に位置するとある地方貴族が治める『ワーズワース』という町に、くたびれた馬と荷台に積んだ商品と共に 一人の行商人がやってきた。

 歳は二十代前半。ようやく駆け出しから抜け出せたかどうかという感じだろうか。

 ただ肌は日に焼けていて、こうして村から村へ、村から街へと渡り歩いている者の雰囲気が窺い知れる。

 

 彼は町の中の様子を御者台から眺めながら、一旦道端で馬を止めた。

 ここへ訪れたのは初めて、馬房がある宿の位置は入る時に警備兵からある程度聞いてはいたものの少し迷ってしまったからだ。

 ちょうど脇を歩く少女に声を掛ける。栗色の髪を肩ぐらいまでで揃えており、年の頃はまだ十代前半から半ばぐらいだろうか。



「ちょっとそこのお嬢さん、尋ねたいことがあるんだけどいいかい?」


「え? 私?」


「うんそうだよ。この辺りに『渡り鳥の憩い』という名前の宿屋を探しているんだけど知らないかな?」



 少女はいきなり馬車から尋ねられたことに驚いてはいたものの、その名前を聞いてニッコリと笑った。

 そばかすのあるどこにでもいそうな、取り立てるほどの顔立ちでもないでもないが、愛嬌があり年齢特有の可愛さがあった。



「ずごい偶然ですね。それうちの宿ですよ。今ちょっと買い出しの帰りでして。案内しましょうか?」



 よく見ると少女の手には食材らしき手荷物があったのに男は気付く。

 慣れていそうだが、口元辺りまでしっかりと覆っていて視界にも少々影響がありそうだし、女の子が持つには少々重そうに見えた。

 


「あぁそれなら一緒に乗ってくれ」


「いいんですか?」


「もちろん。だって馬車の速度に合わせて早歩きさせて、それを落とされたりしたら今夜の食事が寂しくなってしまいそうだしね」


「落としませんよ。ふふ。でもお言葉に甘えちゃおうっかな。私、馬のお世話はするけれど町の外に旅行とか行ったことがなくて乗る機会が無かったんですよね」


「お安い御用だ。ちょっと狭いが許してくれよ」



 強引でも適当な理由を付けてあげれば少女の気持ちが軽くなる。

 男は席を詰めて少女の手を取り、御者台へと上げてやった。

 少し狭いが手綱捌きにはそこまで影響はない。



「わぁ! やっぱり景色が違うんですね。この道は小さい時からずっと歩いているけど、私、こんな高さで見るの初めてです」


「喜んでもらえてなによりだ。それで道はこっちで合っているのかな?」


「あぁっと、すみません。えぇそうです。あそこの角を曲がってもらって、途中であと一回曲がれば着きます」



 後ろがつかえてもいなかったので、男はあえてゆっくりと進んでやった。

 彼にとってはガタガタと揺れてお世辞にも良いとは言えない居心地でもう見慣れた景色だったが、自身が初めて馬車に乗った時のことを少しだけ思い出させてくれた少女に感激する時間を増やしてあげたくてのプレゼントのようなものだ。



「あとでこいつにうんと水と餌をあげてやってくれ。もう歳でね。それでも食事だけは変わらず食べるんだよ」


「はい、分かりました! あ、そういえば名乗るのが遅くなりました。私『ノーラ』と言います。お客さんは?」


「あぁごめんごめん、俺も自己紹介をすっかり忘れていたよ。商人なのに情けないなぁ。『ターン』です。たぶん一週間ほどお世話になると思うから宜しくね」


「はい、こちらこそ」



 カラカラと車輪が回る小気味良い音が続く。

 冬はまだだがこの国はあっという間に雪深くなるので屋根は斜めに傾いている家が多い。

 角を曲がってからターンはこの町に入ってから気になったことを訊いてみることにした。



「ねぇ、俺の勘違いかもしれないんだけど、ちょっと町の様子がピリピリしてない? 出歩く人が少ないし、逆に兵士が住人を見張っているかのようにそこら中を歩いている。ここに来るまでに何人も見掛けたんだよね」


「あぁ~、分かっちゃいますかぁ」



 ノーラは気まずそうに視線を背け、そのリアクションが余計にターンの興味をそそった。

 ターンという青年は町で店を営むよりも、こうして旅をしていることから相応に好奇心は持っていることが推察できる。

 それに彼の仕事にもダイレクトに影響しそうで訳を訊かずにはいられなかった。

 無論、知らない方が平穏に暮らせることが世の中にもあることぐらいは弁えている。ただそれとは毛色が違うと思った。



「言える範囲でいいから教えて欲しいな」


「別に隠しているわけじゃないんですよ。ただいつもこんなんじゃなくて、今がちょっとおかしいだけなんです」


「うんうん、それで?」



 ノーラの言い訳じみた前置きよりもターンはその先が知りたくなって急かす。

 ちょっと子供っぽい仕草でそんなふうにされるとノーラは苦笑して、やや声を潜めながら言葉を紡いだ。



「実は今、第二王子様だった『カミール』様がいらしているんです」


「え?」



 ターンは耳を疑う。

 帝国の第二王子と言えば、つい最近までは気弱な青年というぐらいしか特徴が聞こえてこなかったぐらいの影の薄い人物。

 しかし数ヶ月前に起こしたとある騒動がキッカケで帝国中で知らぬ者はいないほどの有名になったばかりだった。



「第二王子様って……あの?」


「そうです。あの! です」



 約一年前、王子たちの父である皇帝が病死した。

 良くも悪くもかなり改革的な人物で現在の帝国の豊かさを築いた傑物だ。そのため多くの別れを惜しむ声があったという。

 不幸中の幸いだったのはまだ四十台半ばで早逝であるものの、四人の王子に恵まれ、さらに長男である第一王子が優秀だったために世継ぎには困らなかったことだ。

 しかし人々は不幸にはさらに下があることをすぐに知ることとなる。



「第一王子『アーティー』様が皇帝という重席に座られたのが前皇帝の崩御から二ヶ月後。それからたった八ヶ月。たった八ヶ月で今度は謎の賊により命を落とされ、しかも不幸なことに次のお世継ぎは生まれていなかった。そして白羽の矢を立てられたのが第二王子のカミール様。まぁこの場合は王弟殿下であってもう王子という呼称はおかしいんだろうけどね。そしてそこからがまたややこしい話になる」



 一年未満で二度皇帝が亡くなるという災難に帝国は見舞われていた。

 民の嘆きも大きかったが、それ以上に揺れたのは宮中。

 事務的な手続きから役人や貴族の力関係まで右往左往して、混乱の渦中からまだ立ち直っていない。

 そして皇帝暗殺という失態について、未だに躍起になって下手人を探していた。


 横に座る少女が聞き入ってくれたおかげでターンは気を良くし、一拍置いてから記憶をなぞるように語りを続ける。



「亡くなった新皇帝、つまり第一王子だったアーティー様にはお后様はいたけれど子供はまだいなかった。ここで問題となったのが、カミール様をいきなりさらに新しい皇帝に就けるか、王妃様のお子様を待ち、その王子が育つまでカミール様を後見人とした仮朝で維持し続けるのかということ。まぁこれは数ヶ月あれば懐妊しているかは分かることだ。しかしさらに問題をこじらせたのが――カミール様の逃亡だ」


「うんうん」


「大臣連中は読み間違えていたんだ。彼の臆病さをね。あくまでの噂だけど、もし自分が皇帝になったら兄と同じように殺されると怯えていたというのは仕えるメイドや兵士たちの間では語り草だったらしい。そしてお后様が懐妊しているかどうかを確かめるための保留期間である数ヶ月の間に彼は姿をくらました。忽然と消えた彼がまさかこんなところにいたとはね」


「すごい! よく知っているんですねぇ」 


「ま、まぁ、商売上、こういう情報は入りやすくてね。世間のことを知って需要と供給を考えないとやっていけないから」



 気分良く口から出てしまった口上。

 しかし少々乗せられてしまい言わなくてもいいことを言ってしまったと思いながらも、ターンは照れながら答える。



「実はですね、その上に少し前から変な事件が頻発しているんです」


「変な事件?」



 急に話が変わりそうになってターンはオウム返しに訊いた。



「壁に『俺は臆病者じゃない』と書かれた落書きがあって。昨日なんて教会が荒らされたりもしたんですよ。今、町はその話でもちきりです」


「臆病者じゃない、ってそれ……」



 連想するのは今ターン自身が口にした第二王子カミールのこと。

 もちろん他の可能性だってある。しかしこれだけ話題に上がっている悪い意味で時の人だ。誰だって彼のことを思い浮かべてしまう。

 そして兵士たちが殺気立っている理由も合点がいった。

 どういう経緯でこの町にカミールがやってきたのかは分からないが、賓客を侮辱されればコケにされているのと同義。

 領主が力を入れて犯人を探させようとした結果が息が詰まりそうなこの町の現状だった。



「そうなんです。兵士の人たちは性質たちの悪い愉快犯だろうって言っているそうですけど」

 


 犯人がどんな人物かは想像もつかない。ただこの話を聞いたほとんどの人は当然、本気でカミールがやったとまでは考えなくてもターンのようにカミールのことを一度は頭に過ぎらすだろう。

 つまりこれは挑発であり挑戦だ。この町の全兵士を敵に回した悪質で愚かな人物からの。



「そうか。早く捕まるといいね」


「そのせいですぐに町を出る人が多くて客足も減ってるんです。早く捕まってもらわないと困ります……。あ、そこです! すぐに馬房を開けますね」


「あぁ頼むよ」



 話しているもう宿の前まで着いていた。

 止まるとノーラが地面に降りてとてとてと駆けていき、質素な木で出来た馬房の扉を開けてくれた。

 


「私は一旦荷物を降ろしてきて、この子に水とか運んできますから!」



 短い距離でも駆け足で走る姿は働き者で可愛いという印象を受けつつ、ターンはそれを見送ってから虚空を見上げて一息吐く。

 そしてすぐ後ろに隠してあった剣を取る。



「さて、仕事を始めるか」



 その顔はとても商人とは思えないような目つきにギラついていた。

 この日を境にこの町は激動することとなる。そして帝国という国を揺るがす未曾有の事件の最初の一歩だった。




 次の日、ターンが少々遅めに起き、あくびをしながら一階の食堂に降りて来ると他の客が何やら噂話をしていることに気付いた。

 こそこそとしているあたりからキナ臭いものを感じながら食事を摂り終わると、彼は最も気安い相手を選んで声を掛ける。

 もちろんノーラだ。


 ターンが起きたのが遅かったため、食事が終わる頃には他の客は出て行って洗い物もほとんど終わっている状態だった。

 彼があえてそれを狙って食事もゆっくりとしたスピードで咀嚼していったせいもある。

 


「やぁ、忙しそうだね?」


「いえ、こんなのは全然。むしろいつもより少ないぐらいです」


「そうなんだ? それってやっぱり?」


「えぇまぁ、あの方の影響もあると思うんですが、また別の事件があったみたいで……」



 伏目がちで表情は暗い。

 やはり商売にダイレクトに影響してくるからだろうか。



「へぇ、今度はなに?」


「辻斬りです。宿にいれば大丈夫だとは思うんですが、お商売もし辛いとのことでターンさんみたいな商人さんや、観光の人は別の町に行かれました」



 ターンは少し噂が広まるのが早い気もしたが、兵士たちが神経質になっているのは昨日だけでも分かったし、刃傷沙汰など印象の悪い話題でしかない。

 上手くすれば次の皇帝になるかもしれない人が町に滞在しているのに、領主がそれを放っておくはずがないだろう。

 それから考えるに、おそらく兵士たちが犯人探しのために朝から戸口を叩いて回ったことは想像に難くない。ならば納得もいくものだった。


 そしてこの町は滞在するような観光名所があるわけでもなく、どちらかというと帝国と王国を繋ぐ玄関口として旅の途中に休める場所という意味合いが強い。

 となると旅立てる人は厄介事に巻き込まれる前にさっさと去りたくなるという気持ちも分かるというものだった。


 辻斬り、という言葉を聞いてそれまでは雑談程度に思っていたターンの表情が曇った。

 


「辻斬りか。殺された人は?」


「よく知らないんですが、町の人じゃないらしいです。しかも二人。誰でも分かるような道の通りに死体があって、しかもどちらにも血文字があったとかで」


「血文字?」


「壁にまた『俺は臆病者じゃない』と。犯行がエスカレートしているみたいでみんな怖がっています」


「それは怖いね」



 ただの落書きから殺人事件にまでグレードアップした。

 犯人の目的は不明でも、このまま野放しにはできない。おそらく領主は総力をあげて捜索するに違いない。



「もちろんカミール様が悪いわけじゃないんですけど、厄介者呼ばわりする人も出てきたみたいで衝突も起こっているって巡回に来る馴染みの兵士さんが言っていました」


「どうしても誰かのせいにしないとやってられない人っているからなぁ」



 カミールが町に来なければ起こらなかった事件だ。

 それは間違いない。

 しかし悪いのは犯人であって、その責任の所在を被害者とも言えるカミールに押し付けるのは間違っている。

 そう冷静に考えられない人が一定数いるのは仕方のないことでもあった。



「そう言えば、カミール様はなんで逃亡先にこの町を選んだんだろう?」


「分かりません。この町のご領主様と仲が良いとかじゃないんでしょうか?


「そんな話は聞いたことがないなぁ。大体、地方領主と王子が謁見する機会自体がほとんど無いと言ってもいい。国葬と就任式のどちらかには帝都に訪れていただろうけど」


「へぇ、そうなんですか」


「となるといよいよ犯人の考えが読めないね。カミール様を侮辱するようなことをしたら兵士が血眼になって追い掛けてきて困るのは自分の方だろうに」


「さぁ。そこは本人に訊かないと分からないんじゃないですか?」


「はは、そうだね」



 ゴシップ自体は好きみたいでも犯人探しの推理などにはあまり興味がなさそうにノーラが答えたので、ターンはそこでこの話題を打ち切った。



「それよりもターンさん売れ行きはどうなんですか? というか何のお商売をされているんでしたっけ?」


「え? あぁ日持ちのする粉末とかの薬関係と、あとは村々で作られた特産品だね。織物なんかはどこでも冬の間はやっているから出来が良い物を買い取っているんだ。この国は冬は本当に辛いから今の季節でも売れるしね。まぁでもちょっと苦戦気味かな」



 真冬になると動物たちですらその行動が静まるのに対し、魔物はその土地に適応している種が多くむしろ活発になりやすい。

 だから雪深くなるこの国では家に閉じ籠もって防寒具を作る家が多く、需要が高い反面、場所によって自分たちで供給できてしまうので売り場が難しかった。


 ちなみに魔物は動物はあまり襲わない。

 強固な個体になるほど肉などの食事を必要としておらず、むしろ同じ魔物同士で狩り合うことの方が多かった。

 だが何よりも優先するのは『人間』だ。

 あえて人里まで来る例は少なめなものの、テリトリーに人間が侵入した場合は残虐性を増し逃さない。

 今までに何人もの生物学者が自然にはそぐわないその習性に疑問符を抱いた。


 そもそも魔物が率先して人間を襲う理由はなんなのか? 生まれてくる魔力溜まりとは何なのか?

 おそらくは魔力が関係しているのだろうというあやふやな答えぐらいしか出ていない。


 中には『リィム様という女神が本当にいるのなら、人間の外敵となる魔物が存在しているのはおかしいではないか』と側面から女神リィムを批判し声高に唱えた学者もいたが、数日後には躯となって発見されたこともあった。



「織物かぁ。後で見せてもらってもいいですか?」


「ん? あぁいいよ。ただこっちでの取引を優先したいから、帰る時にならだけどね」


「それって……つまり売れ残りってことですよね?」


「はは……そうなる。ごめんね。その代わりその時に良いのがあったら少し割引してあげるから」



 期待した目から一転、ノーラがジト目で見てきたのでターンはすまなさそうに謝った。

 疑惑は払拭されたが、売れ残りしか売れないと言われたらミソっかすみたいな気分になるのも仕方ない。

 ノーラとしても自分の家が商売をやっているからそのあたりの複雑な事情は理解しており、本気で睨んでいる訳ではなかったが乙女心が少々傷付いたのも事実だった。

 

 

「やったー! じゃあ残ったのを楽しみにしていますね」


「売り残らせたくないんだけど、複雑な気持ちになっちゃったなぁ」




 さらに次の日の朝、客が激減していた。

 ターンは手持ち無沙汰になっていたノーラに話し掛ける。

 


「やぁおはよう。なんだかガラガラだね?」


「えぇ……」



 あまりにも沈んだ表情のノーラにターンは声を掛けるかどうかも迷うほどだった。

 


「まさかまた事件かい?」


「そうなんです。今度は倉庫に放火ですって。またいつもの落書きもあってもう町の人が領主様のお屋敷に押しかけてカミール様を出せって騒動にまで発展しているんですよ」


「それはまた……怖いもの知らずだね」



 放火自体は死者だって出るような重罪だ。

 しかし次期皇帝候補に直談判するほど興奮しているのはちょっと行き過ぎな気もした。



「それが燃やされたのは私たちが税で納めたものが入っていた倉だったんです。そのせいで領主様が追加の徴税を取り立てるなんて噂まで出てしまって。このままだとまたどこか燃やされたりするんじゃないかって、出来れば他の町に移動してもらいたいっていうのと徴税をやめてもらうように嘆願の意味も込めて詰め寄っているみたいです」



 この国の税金は金銭だけではなく、畑などで収穫した麦など日持ちのする農作物や羊毛などの特産品などで払うのも主流だった。

 飢饉の際には倉を開放して安価で売ったりもする義倉としても使う。

 それが無くなるということは、もし次の収穫で凶作に陥れば餓死者が出るということだ。それは容易に想像が付く。

 冬を越せるだけの蓄えが常にある町民が一体どれほどいるだろうか。しかも追加の税が必要となれば怒り心頭になるのは無理からぬことでもあった。



「ひどいね……」


「本当に。うちもこのままお客さんが途絶えちゃったらまずいことになりそうで困っています」


「そうか……」



 ターンはノーラと話しながらもどこか上の空というか考え事をしながらの会話だった。

 それからすぐに彼は部屋を出て領主館にまで足を運んだ。

 すると、大勢の人が確かに館を囲んでいて抗議していた。領主はまともに取り合おうとはせず、徐々にヒートアップしていき、怪我人が出るほどの大騒ぎになってしまうのをその目で目撃することになる。

 そこから戻るとしばらくターンは部屋から出て来なかった。


 やがて夜になると彼の部屋の扉が開いた。

 きょろきょろと辺りを見回して忍んでいるらしい。

 ゆっくりと足音を殺しながら階下に降りて宿を出ようとしたところに、



「きゃっ!」


「うわっ!?」



 ノーラとぶつかってしまった。

 お互いに尻もちを着いてしまう。

 


「あれ? ターンさんですか? 外に出られるんですか?」


「う、うんちょっと寝付きが悪くてね。散歩でもしようかと思って」



 ターンはノーラを立ち上がらせてやるとそんなふうに理由を付けた。

 


「危ないですよ? 辻斬りまで出たんですから夜に出歩くのはオススメしません」


「はは、大丈夫だよ。一応こうして護身用に剣もあるしね」


「使えるんですか?」


「うーん、人並みぐらいには?」


「ますます信用できないんですけど……」



 ぱっと見、ターンの体格は悪くはない。

 けれど一介の商人が剣術に自信があると言っても信用できるものではなかったのでノーラの眉間の皺が寄った。


 ただ、一人で行商をしているというのはそれなりに何か隠し玉を持っている可能性が高い。

 領主によって近隣の街道周辺は定期的に討伐隊を出すのが通例で、そのおかげで魔物ですら近付くのを恐れる。そうしないと町との交易が途絶えてしまうのだから当たり前だ。

 それでもやはり例外はいるもので旅というのは非常に危ないものである。

 だというのに護衛も無しに一人でいるからには何か対抗手段を持っていると考えるのが妥当だった。


 

「それよりノーラは何していたの?」


「私は馬房の方の見回りです。一応、寝る前に戸締まりの確認だけしておくのが決まりなので」


「そうか偉いね。じゃあ数十分で戻るから」


「もう! 言っても聞かないんですね! じゃあもう知りませんから。行ってらっしゃいませ」



 少しだけ拗ねたふうにノーラは彼を見送り、ターンの持つランプの光はやがて闇に溶け込んでいった。



 宵闇の中を歩くターンはしばらく歩くと、とある建物に辿り着く。

 そこは廃墟となった空き家だった。屋根も空いていてボロボロの佇まいをしていて、建物という体裁を保っているのがやっとというところだろうか。

 町が大きくなるにつれ廃棄された区画で近くに住んでいる者も少ない。

 落ち合う場所としては絶好である。


 ターンがそこに入ると彼より少しだけ年上の男性が二人いた。

 その二人はターンの顔を見るなりほっとした様子だった。

 


「トーレス! いや今はターンだったな。無事だったか」


「はい、隊長。そちらも。しかしこれだけですか? あとの二人は私みたいに遅れているのでしょうか?」


「いや、死んだ。残っているのは私たちだけだ」


「そんな!」



 驚愕する。

 数年、共に研鑽を磨いた仲間だった。それが戦場でもないただの町でこうもあっさり亡くなるとはターンには予想も付かなかった。

 


「一体何があったんですか?」


「二日前にあった辻斬りの事件は知っているか?」


「ええ、聞き伝え程度ですが」


「二人はそれの被害者だ」


「は? そんな馬鹿な!? あの落書きをするのは私たち以外あり得ないでしょう? 私はてっきり旅人に目撃されてやむなく殺してしまったのだとばかり……」


「俺もそう思ったが、どうにも胸騒ぎがするんで確かめた。間違いない」



 ターンが隊長と呼んだ人物の横にいた男も鷹揚に頷く。

 間違いではないらしい。


 ターンは胸が苦しくなって心臓の辺りを抑えた。

 そうでもしないとショックで倒れてしまいそうだったから。



「ちょ、ちょっと待って下さい。私たちの任務はこの町に滞在していると情報のあったカミール様の悪評を流し広めること。それによって次期皇帝候補であるカミール様の心象を悪くする狙いだった。落書きは予め決めていた住民を煽る方法の一つでしかなかったはずです。では放火は? 誰がやったんですか? さすがにあれはやり過ぎだと思いました。私たちはもう少し時間を掛けてゆっくりと追い込む手はずだったのでは?」



 ターンや目の前の男たちの所属は実は、であった。

 まだ懐妊しているかどうか分かっていないが、仮に子供が生まれたとしても後見人としてカミールが実権を持つのはかなりの確率である。

 しかし王妃は大のカミール嫌いであった。

 生理的に合わないらしい。見ているだけでイライラして王妃から一方的にではあるものの、嫌悪されていた。

 そんな彼女が後見人としてでも我が子をカミールに近寄らせたくないというのは分からないでもない。

 

 そして同時に王妃は気位が高いことでも有名だった。

 自分の夫が座っていた椅子に厭んでいるカミールが座ることも許せない。

 歪んだ女の嫉妬が招いたのが、近衛に命令して彼を失脚させる外堀を埋めさせることだった。

 なんだったら殺害も仄めかされたが、そこまで肝はまだ据わっていない。だからこそ落書きなんて姑息な真似ですらやらざるを得なくなってしまったのだが。

 

 元々が逃げ出すほど皇帝の座に就くのを自分自身で拒否した小心者である。

 事件を起こし、揺さぶり、外側からも相応しくないという風潮を煽れば継承の入れ替わりはありえた。


 ただいくらなんでも放火はやり過ぎだとターンは思っていた。

 しかも火付け元が義倉用の備蓄倉庫など、一体どれだけの住民の恨みを買ったことだろうか。

 古来から継承には血なまぐさい話がつきものであると言うが、栄えある近衛騎士である自分たちがそれに加担することになろうとは露ほどにも想像していなかった。

 

 こうして商人に変装して町で落ち合う計画もターンは旅に不慣れで色々と到着に遅れてしまっており、さらに仲間が死んだという話からも、どうにもにじり寄るような薄気味の悪さを感じ始めてきた。



「俺は放火などしていない。お前たちのどちらかじゃないのか?」


「私は違います」


「私だってそんなことやっていません!」



 奇妙な話だった。

 生き残った騎士三人の誰もが心当たりが無いと言う。

 しかも放火だけではない。全てが燃えきった跡にはまた例の落書きまであった。

 おかげでカミールへの風当たりは一気に強くなったが、では誰が? そんな度を越した嫌がらせをするのが自分たち以外にはいると思えず混乱しそうだった。


 そんな時、後ろから物音がした。

 ふいにターンが振り向くとそこにいたのは怯えた少女――ノーラだった。



「ノーラ!? い、今の話……まさか?」


「わ、私は何も聞いていません! そ、その、さっきぶつかった時にターンさんのお財布が落ちちゃって慌てて後を追い掛けてきただけです!」



 手には確かにターンの財布を持っていた。

 しかし不自然に焦っていて明らかに『何にも聞いていない』という部分は嘘を吐いてるのが分かる。

 ターンは何かに絡め取られているかのような錯覚を覚え、自身の不運がさらに強まっていることを感じた。



「ターン、誰だ?」


「私が……泊まっている宿の娘です」


「そうか。ならばお前の不始末だ。やれ!」



 やはりそうなるか、とターンの心に影が差した。

 隊長からの命令。縦社会である近衛ではそれは絶対だった。それがたとえ年端もいかぬ少女を殺すという無情なものであっても。

 それにこの話は知られてはいけないものだ。もし公になれば王妃の命運すら危うく、最悪、国が割れる。決して外部に漏らせない情報で、その事の重大さに比べたら自身の呵責や少女一人の命など塵芥ちりあくたに等しい。

 

 これまで感情を切り離して人を殺す技術を日々研鑽してきたのだ。もはや変えられない決定事項。

 ターンは苦渋の表情を浮かべつつも腰に提げた鞘から剣を抜き覚悟を決める。

 ただ自分の落ち度でこの子に死を与えてしまうことには申し訳無さを感じていた。

 


「や、やめて……言わないから……お、お願い……します……」



 ノーラは恐怖に支配され金縛りにあったかのように動けない。

 少女の細首など切り落とせる剣を持ってターンは無言で一歩一歩と近付いていく。

 それが余計に怖くて萎縮させる。



「すまない。せめて苦しまないよう一息にやるから」


「や、やだぁ……」



 ノーラの頬に涙が落ちた。

 いくら言い繕うが同情をしようが、殺される側からすれば堪ったものではないし、どんな言い訳も納得などできやしない。

 どこにでもいるありふれた少女は無残にも命を散らしてしまう。けれどそれもまたこの世界ではありふれた出来事でもあった。


 ターンは一度だけ目を瞑り短く黙祷を捧げると剣を振りかぶる。

 罪悪感からいつもより柄を握る手には無駄に力が籠もっているのを自覚していた。



「――か、かはっ……」


「ターン!?」



 だがなぜかターンの方に異変があった。

 後ろで見ていた隊長が声を上げる。


 建物の中は薄暗闇が支配し、照明は小さなカンテラの灯りと上から注ぐ些細な月光だけ。それでは把握しきれなかった。

 ただ次の瞬間、ターンが膝から崩れ落ちる。

 そして彼が倒れたおかげでその原因が分かった。

 

 ノーラがナイフでターンを刺していたのだ。

 短い刀身には血がべったりと付着していて、声にならない緊張が建物を支配した。



「き、貴様ぁ!」



 瞬時に濃密な殺意が立ち上り、口から唾を吐いて隊長の横にいた騎士が剣を片手に斬りかかろうとする。

 この反応速度はなかなかのものだった。

 まさか今の今まで震えていた少女がナイフで近衛を返り討ちにしたという事実に、普通なら呆然としてもおかしくはない。

 だが彼らは精兵であった。なぜ? を考える前にすでに体が動いていたのだ。



「あはっ!」



 ノーラが嘲笑う。

 雲間から差し込む月の光に照らされ怪しく。それはこの年齢の少女が見せる顔ではなかった。

 そしてその体捌きも。


 瞬発した彼女もまた速かった。

 斜めから振り下ろされる剣をノーラは見切って避け、くるりと回転しその刃先を男の背中に突き入れる。

 背中というのは背骨が密集している人体で最も固い場所の一つでもある。少しでも戦いを知っているものならばそこは極力狙わない。特に刃の短いナイフであれば致命傷を与えるのは相当に難しいはずだ。

 しかし彼女の使うナイフは骨を綺麗に避け、心臓に達していた。

 隙間を通すなど熟練の技と業物の武器が必要だというのに。


 瞬きするほどの合間に部下がまた一人倒れた。

 だが、少女が見た目通りであるならいくら才能があろうとも、自分たちとて王を守るために選ばれた選抜者たちであり、こうも安々と負けるはずがない。



「ば、馬鹿な……。なんだお前は……」



 だから隊長は呻いた。

 この少女が見た目にそぐわない化け物であることを粟立つ肌で感じて。

 ナイフはまだ服や体のどこかに隠しておけばいい。けれどもこの異様な技術や動きはありえないものだった。

 

 

「あらぁ? 戦意喪失かしらぁ? ダメよぉそんな簡単に心折れちゃあ」



 口調まで変わっていた。まるで別人だ。

 たった数秒程度の間に何が起こったというのだろうか。

 


「お、お前は一体……?」


「ふぅん、あなたたち怒りを買ったのよ。リィム信徒はいつでもどこにでもいて目を光らせている。怖いわよぉ?」


「ま、まさかお前は教会騎士ジルボワ!? いや、その暗部か!?」


「そうよぉ。『女神の使徒リィムズアポストル・序列第四位『人の横に潜むモノ』ハイディ」



 ノーラが答えている途中でその姿は大きくなっていき、妖艶な大人の女性へと変貌する。

 そして成熟した体のせいで苦しそうに服の生地が張り付いていた。

 短くなってふとももまで露わになったスカート、胸元が見えるブラウス。

 こんな状況でなかったら男なら誰もがそこに目を奪われてしまっていただろう。 

 異質な体験だった。けれどそういうおかしなものを近衛の隊長という職に就いている男は一つだけ知っている。



「天恵か……」


「えぇ、私はどんな人にも化けられる。男も女も年齢も種族も関係なく。だから人の横に潜むモノなの」


「だからと言ってさっきの少女に化けたところで家族などにはバレるだろうが!?」


「はぁ……」



 そこでハイディはこれみよがしにため息を吐いた。

 それを侮辱と受け取り男の顔は憎しみに歪む。



「貴様っ! 惚ける気か!」


「あなたたちねぇ、どうせこれまで陰謀などには無縁だったんでしょう。真正面から挑んで剣で切り合うしか能がない。そんなことだから宿屋のお嬢ちゃんにすら見破られるのよ」


「どういうことだ!」


「私に通報してきたのはあなたたちが泊まっていた宿屋の従業員や、ご近所の人たちよ。み~んな、あなたたちを怪しんでいたわよぉ」



 町中に自分たちを監視する目があったのだと今更ながらに気付くと、男の心臓は大きく鼓動した。

 リィム教徒はどこにでもいる。まさしく文字通り。

 普段、城勤めをしている人間には縁遠いが、教会のために働く人間は多い。

 まるで魔獣の巣に知らずに入ってしまったかのような悪寒が走るほどの脅威だった。



「ど、どうして分かった!?」


「例えば商人のくせに朝が遅いだとか、これだけ事件が起きているのに全く困った素振りもなく町を出ないとか、荷物が減ったり増えたりしていないとかバレバレなのよ。みんな見て見ぬ振りをしているだけでちゃ~んと見ているのよ? 私はこっそりと天恵を使って彼らと交代し確かめるだけ。そして夜に一人になったところをズブっとね。簡単なお仕事だったわ」


「お前か! お前がビィタとメノアを!」


「そうよぉ。あんな王子様を陥れるような下品な落書きをしたんだもの。罰を受けなければ。そうでしょう?」


「おのれぇ!」



 部下を殺した張本人が目の前にいる。

 もはや自分を律することができなくなった男は剣を抜き斬りかかった。


 相手が一部の間では悪名高いと知られている女神の使徒リィムズアポストルであっても、今手に持つのは頼りないナイフのみ。

 ただそのナイフは片刃で珍しい形をしていた。

 それでも長年研鑽してきた自分の剣術が遅れを取ることはないと確信する。


 剣とナイフが甲高い音を奏でかち合う。

 力で押せるはずだった。

 なのに――



「それが限界? だとしたら期待はずれだわぁ」


「ば、馬鹿な!?」



 男女の力の差、刀身の長さ、武器の質量、剣を振るった年数、どれを取っても男が負けるはずがなかった。

 なのにハイディは涼しい顔をして剣を受け止めていた。



「このナイフ、もらいもので『電気鯰でんきなまずの短刀』って言うらしいんだけどちょっとした魔道具みたいなものでねぇ。こういうこともできるのよ」



 言って鍔迫り合いを弾くハイディが短刀を振ると、そこから雷が発生し男を襲った。



「ぐがっがががあがああああ!!」



 絶叫が轟き、感電する。

 一瞬で全身が焼け焦げ肉の焦げる嫌な匂いが漂った。

 そして体の内外を強力な雷に灼かれ絶命した男は崩れ落ちてもう動かない。



「あら、ホント便利ねぇこれ。でも加減ができないのが難点かしらぁ?」



 人を殺しても顔色一つ変えない。

 もはやそのことに心が揺れることはないほど彼女は慣れきっていた。



「な、なぜ……だ……?」


「あらぁ、あなたまだ生きてたの? なぜって何が?」



 苦しそうな声の主は今電撃を食らった男ではなく、短刀で真っ先に刺されたターンのものだった。

 血溜まりができておりもはや時間の問題であったが、ハイディはあまりにあっさり過ぎたので話に付き合ってやることにした。



「な、なぜ……放火を……した?」


「あぁそのこと。実はね、カミール様ってのよ」


「は……馬鹿……な……」


「お城で薬を飲んでの自殺よ。本当に私たちは彼の臆病さを見誤っていたのよぉ。まぁさすがにそんなことを公表できるはずもなく、そこで私が呼ばれたってわけ。逃亡したと世間には嘘の情報を撒き散らしておいて、カミール様に成りすましてわざとこうして足跡を残すようにした後に王国方面に消えるようにねぇ。そうしたらもう亡命したと思って誰も探さないでしょ? あなたたちはもう死んだ人間の名を汚すことに必死だったの。笑えるわねぇ」



 三度目の皇族の死など外部に知られるわけにはいかない。

 混乱の極みにあった大臣たちは弱みを握られる悪魔の取引と知りながらもリィム教に相談をしてしまう。

 そのおかげで架空のストーリーがでっち上げられることになったのだ。



「そ、それと放火……が、どう……関係ある?」


「あなたたちの悪戯を見てね利用させてもらおうかと思ったのよぉ。あなたたちの亡骸とそのしでかした悪行をネタに王妃様を強請ゆするためのね。あぁ交渉と言った方がいいかしらぁ? あの王妃は亡くなったアーティー様と同様に私たちリィム教に否定的でしょ。お子がいようがいるまいが表舞台からは退場してもらいたいのよ。だから落書きじゃ弱いからもっとインパクトのあることをしてもらいたかったのよぉ。悪辣よねぇ守るべき民が汗水垂らして収穫した物を権力闘争のために燃やすなんて騎士の行いに反する外道だわぁ」


「罪を……でっち上げるだと……あ、悪魔め……」


「ふふ、安心して頂戴。生活に困窮する人が出てきたらリィム教が全て救うわぁ」


「む、無念……だ……アー……申し……ませ……」



 ある意味ではマッチポンプ。

 そうして恩を売り、また敬虔で熱心な信徒を増やす。

 帝国内ではもはや盤石と言っていいほど下々の間では信仰が根付いていた。

 おそらくこの町の人々もさらにリィム教への信頼を厚くすることになるだろう。


 そこまで聞くのが限界だったようでターンの意識が遠のいていく。

 緩慢になる痛みと思考の中、暗闇の中で最後の囁きを聞いた。



「アーティー様の死にも私たちが関わっているとしたらあなたは怒るかしら? そして次のターゲットは第三王子の……あらもう死んじゃった。つまらないわねぇ」



 しゃべっている途中でターンが死んだことに気付くと落胆の顔をした後で、ハイディは後ろを振り返る。

 そこには女が立っていた。服装は修道女を模したもので二十代半ばから三十の手前ぐらい。

 まるで気配を感じさせず他の者が見たら幽霊かと思ったかもしれない。



「ハイディ、そうペラペラと機密を漏らすものではありませんよ。誰がどこで聞いているかも分からないんですから」



 女が口を開くがその内容は思ったよりも砕けている。

 二人は知己だった。

 というより、



「あらぁ『セラ』いたのねぇ『女神の使徒リィムズアポストル・序列第五位『人を狂わせしモノ』。まさかこんなところに来ているとは思わなかったわぁ」



 同僚と言った方が正しいかもしれない。

 セラと呼ばれた女はため息を吐いた。



「そういうところですよ。幸いこの周辺には私たち以外いないのは確認していますが、小さな綻びで躓くわけにはいきません。あなたにはここしばらく働きっ放しで悪いとは思っているんですけどね」


「あらいいのよぉ、人々が幸せになるためですものぉ」



 言いながらセラは唇を真一文字に結ぶ。

 話しかけてきたくせにどこか上の空で、ハイディは彼女の様子がおかしくて首を傾げた。



「どうかしたのかしらぁ? あなたのそんな顔珍しいわねぇ。小じわが出来ちゃってるわよぉ?」



 本当にそう思って言えるわけではない。

 軽口で喉で止まっている言葉を引き出そうとした。



「実は……ヴァイスとジェリーが亡くなりました」


「はぁ!? 嘘でしょう?」



 ハイディが珍しく間の抜けた声を上げた。

 それもそのはず、その両名は女神の使徒の序列三位と六位だ。しかもハイディとは違って戦闘向きの天恵持ちだった。

 ヴァイスは剣の達人で一秒ほど自身を『超加速』させる天恵持ち。ジェリーは『鉄』を操る天恵だった。

 彼らと正面切って戦って殺せる者など世界にどれだけいることか。ハイディも槍捌きには自信があるが、彼らと乱戦や暗殺ならともかくまともに戦うのは避けたい相手だった。

 それが一度に二人も命を落とすなど信じられるはずがなかった。


 ちなみに序列は戦闘力の高さだけが基準ではなく、貢献度などからも鑑みられて決められる。

 それでも軒並みただの人間では敵わないような強さや能力を持っているので、そうそう序列が入れ替わることもなかった。



「本当です。二人で『抜け駆け』したみたいで、それが命を落とす原因になりました。あまり他の者には知られたく内容ですのでそれを直接伝えたくて私はここに赴きました」


「そう……」



 セラの表情は固く真剣なものだった。

 ハイディも仲間が二人も突然死んだことに思うところがあったらしく、目線を下に落としていた。

 しかし立ち直りは早い。



「まぁこんな仕事していたら命を落とす覚悟は誰でもしているわよねぇ」



 自身が暗殺紛いのことをして、逆に反撃を食らわないと驕るほどハイディは能天気ではなかった。

 そしてそれは他の同僚にも言えることだ。

 自分も他の者も死の覚悟をして臨んでいる。それを汚すような同情や哀れみは返って彼らに失礼だろうと考えた。



「そうです。ですので、万全の態勢を整えて次は挑みます。あなたにはまだ忙しくしてもらうことになります」


「分かったわぁ。ところでこの遺体を運んで欲しいのだけれどぉ?」


「無論、すでに呼んでいます」



 セラの背後、建物の外にはいつの間にか教会騎士ジルボワたちが整列していた。

 その場から誰も一歩も動かず微動だにしない。ただ夜の帳の中で息遣いだけが僅かに聞こえるのみ。

 昼間であればよく訓練されたと評されるかもしれないが、暗闇ではあまりにも不気味さが際立っていた。



「そう、なら後は任せたわぁ」


「明日の朝に迎えが来ます。空を飛んで輸送してくれるそうですよ」


「あぁ、あの異世界人ねぇ」



 突如現れた彼女たちの常識をひっくり返す強さと道具を持つ異世界からの訪問者――彼方。ハイディが持つ短刀も彼から差し渡されたものだ。

 そのあまりの強さに序列二位として迎えることになったのは最近のことだった。

 それらについてはハイディは良いとも悪いとも思っていない。

 ただ、停滞していたこの世界の錆びついた歯車が動き出すような予感だけは感じていたし、目的のためには必要な存在だった。

 彼方とそのお供によって人数制限があるものの、戦力や装備以外に移動についてはすでに多大な恩恵を受けている。

 だから受け入れることに拒否感は無かった。



「気に入りませんか?」


「いいえ。利用できるものは何でも使う。そうでしょう?」


「その通りです。世界を安寧に導くためにね」


「リィム様の加護がありますように」


「リィム様の加護がありますように」



 その返答を聞いてハイディはいつもの文句を口にし満足気に踵を返して廃屋から出て行った。

 これは葵たちがこの世界に現れまだそんなに時間が経っていない頃の話になる。

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