3章 19話 異世界で初めての、そして最悪の――

「ごめん、ここお願い!」


「今のは俺も聞いてた。やばいことになっているらしいな。行ってやれ!」



 短くブリッツとやり取りして前衛を任せた。

 少しの間なら彼だけでも何とかなるだろう。それにジロウさんもいる。

 矢避けの盾のせいで矢が阻まれるが全て通らないわけじゃない。隙間を縫っての攻撃は可能だ。

 ジロウさんは今も家の屋根に乗り、上から射手として援護してくれている。


 すぐさま踵を返し少し離れた場所で呆然とする二人と合流した。

 どちらも悲壮感が漂っていて顔色は悪い。特に景保さんは血の巡りが悪くなっているせいか青白く元気さは無くなっている。



「葵姉ちゃん! なんでか解除出来ないねん!」



 美歌ちゃんは眉を曇らせ泣きそうな表情だ。

 きっと自分がヒーラーで、その仕事が全うできないことに責任も感じているからに違いない。


 とりあえず彼女よりも先に景保さんだ。

 


「状態異常のログは出たんですよね?」


「……出た。ただし『氷結』じゃなく『凍結』だった。ほとんど似たような言葉だけど違うのかもしれない。だから今までの術じゃ解除できないのかも……くっ……。継続ダメージも入ってる」



 痛みに景保さんが顔を歪める。

 ダメージとさらに片手が塞がり解除できないなんてかなり凶悪な状態異常だよこれ。

 というか新しいスキルをいきなり発動って! 五人なら楽勝とは言わないまでも負けないと思っていたのにその予想を修正しなければならないのか。



「ど、どないしよ……」


「大丈夫。ダメージに関しては回復すればいいだけだよ。それに痛みはそのうち慣れるから。命に関わるようなことではないから美歌ちゃんは心配しないでいいよ」



 努めて平静を装って美歌ちゃんを励まそうとする景保さんだが、明らかにそれが嘘なのは見て分かる。

 もし痛みを感じなくなるのであればそれは深刻な状況に陥っていることに他ならない。

 ただ彼の思いを踏みにじりたくないからここはあえて黙っておく。私もなんでもないふうを装わなきゃ。



「じゃあ景保さんは休んでいて下さい。私たちでなんとかしますから」


「そうしたいけど、そうも言ってられないでしょ。後ろから援護はするよ。―【天空符】招来―」



 景保さんの召喚に応じて出てきたのは……ってあれ? いない?

 召喚陣の上には外套がぽつんと落ちてあるだけだった。

 


「え? 失敗?」


「いやいるよ。天空はあんまり人前に出たがらなくてね。今から一緒に戦う仲間だ。姿を見せてくれ」

 

『――承知』



 短く小さな声が聞こえたかと思ったら、いきなり外套がすっと持ち上がりいつの間にか人がすっぽり入っていた。   

 さながら手品のようだ。

 声と上背がそんなにないことからおそらく女性。ただ覆われた外套により顔までは窺い知ることはできない。



「玄武と迷ったけどこういうやばい状態異常があるならタンクよりも掻き回す方が良いと思った。天空やってくれるね?」


『お頭の頼みならば』



 言って彼女はフードを取る。

 その顔は日に焼けていて褐色肌。代わりに片目が隠れている髪は白く濃淡のコントラストの美貌が魅力的な女性だった。

 ぼそっとした感じで口数が少ないキャラだというのも分かった。


 一応私が知っている一般的な『天空』という式神の能力は土属性のトリッキーなタイプだ。

 この子もそれを期待していいだろう。


 ボス戦はタンク役が一人はいるのが基本だが、若干安定感を欠くだけでやってやれないことはない。



「それとすまないけど二重召喚ダブルサモンはできない」


「え? 回復していないんですか?」


「どうやらそうみたい。こんなことになるとは思っていなかったから確認していなかったけど、これは果し合い後の回復の対象外らしい。メニュー欄も灰色のままだし僕自身が何となく無理だと感じている」


 

 残念なお知らせだ。

 あれがあれば数の暴力で一気に押し込めそうだと思ったのに。

 


「分かりました。じゃあ行きます。美歌ちゃんバフをお願い。まずは防御系でいこう!」


「分かったで! ―【降神術】天目一箇神あめのまひとつのかみ 鎧の加護―」



 眼帯をしたおじさんが美歌ちゃんの後ろに出現し、手に持った槌を振るう。

 鍛冶の神様による防御力アップの加護が私たちに授けられた。

 


「よし、じゃあひとっ飛びで行くよ!」



 もう足首にまで達する新雪は柔らかく足が沈むほど。そこに踏み入れ加速する。

 すでに一面は銀世界だった。いやもはやそんな生易しい言葉は似合わない。吹雪く雪は視界を遮り正しい呼吸を鈍くし、私たちは『蓄熱石』という消費アイテムの効果でこれでもまだ暖かいけど、ここの住人は現在進行系でこの極寒に身を震わせているのだから。

 あまりにも積もるスピードが速すぎる。超自然現象の吹雪に対して何の備えもしていないこの街では命取りの気候だ。ダラダラと時間を掛けて良いものではなかった。


 すぐさま戦線に戻るとブリッツが一進一退の攻防を繰り広げていた。



『男が俺に近寄るなぁ! 虫唾が走るんだよ!!』


「くっ! 俺だってお前みたいな気の強い女は願い下げだぜ!」



 見上げる巨体をコマのように回転し二刀を両拳や足を上手く用い弾き返していた。

 一挙手一投足が攻撃であり防御。すさまじい弾幕と運動量により彼らの周辺は雪が積もっていない。風圧で全てが吹っ飛んでいた。

 だがやはり相手は討伐級マルチボス。健闘するブリッツのさらに上を行く。



『洒落臭いっ!!』



 右からの二刀合わせた振り上げにブリッツは辛うじて手甲で反応したがそのまま後退を余儀なくされ、戻ってきた私に気付いた。

 


「強ぇ。さすがは、ってとこだな。そっちはもういいのか?」


「あの氷、状態異常で解除できないみたい」


「はぁ!? 無茶苦茶だなおい」


「その代わり天空は連れてきた」



 私の横にいる存在感が希薄な彼女に目線だけ送る。



「へぇ、あいつモデリング凝ってるなぁ。まさか十二人全員カスタマイズしてないだろうな」



 陰陽師は式神たちをある程度自分の好きなように衣装や顔、スタイルを弄れるが十二人全員をやるとなるとかなり一苦労になる。

 だからたいてい四、五人で飽きてそれ以降はデフォルトからちょっと変化させるだけの人が多く、それ以上となると根気と愛が必要になってくる、なんていうのは大和伝あるあるの冗談話の一つだ。



『――助力する』


「お、おう。おおう!?」



 すっと目を細めた天空は豪快に外套を脱ぎ捨てた。

 着ている服は胸と腰回りだけを覆った布。体の面積の八割が見えているなかなか過激な衣装だ。

 その肢体はスレンダーで無駄な肉付きがなく、健康的な小麦肌はこんな真っ白の世界じゃ浮いて見えるけど本来のこの街でなら溶け込んでいただろう。


 そしてブリッツが仰天しているのはさらにその後だ。

 外套を取った一瞬のみ姿が隠れただけなのに、その間に天空は四つに分裂していた。



『―【天空符】陽炎―』



 いわゆる分身だ。

 ただ私の分身術と違って質量を持たない。だから触れられれば霧散するし、ダメージだって与えられない。

 その代わり能力の減退は無いという代物。 


 彼女たちは雪を物ともせず、高速で駆け出した。

 


『小賢しい! 全部首を刎ねて雪達磨の頭にしてやるよ!』



 別れた天空たちは四方から霙太夫に一斉に牙を向く。

 手には私の忍刀よりもさらに短いナイフがあった。

 私と戦闘タイプが似ていると思ったんだけど忍者というよりかは暗殺者っぽい。 



『ふっ!』



 四つの――否、真なる牙は一つのみ。

 その一つは――しかし届かなかった。


 力技だ。霙太夫のただただ強引な薙ぎ払い。

 もちろん天空はタイミングや上下などズラしていた。だというのに絶妙な間で一呼吸の振り抜かれた刃は天空の分身ごと切り裂いた。



『なにっ!?』



 ただし四つの天空はどれもが揺らいで空気に消えていく。



『――背後だ』



 消えたはずの天空は霙太夫の真後ろにピタリと付いていた。

 四つのうちどれかが本物だと思っていた霙太夫は全てが偽物だということに驚愕する。


 シュッ、と短刀が彼女の背中を斜めに刻み血の代わりに雪が散った。

 災厄となった霙太夫は雪と氷の化身で、その体は絶対に溶けない万年氷で形成されていて、倒すにはその氷雪を削り切らないといけない。

 


『ちぃ、この根暗女がっ!! 千切るぞ!!』



 霙太夫がダメージを食らいながらも背後に剣を返し、天空がすぐさま距離を取った。



「―【弓術】岩石隆起―」



 すかさず建物の上からジロウさんの弓術がそこに入る。

 霙太夫の足元に刺さった三本の矢が地面と反応し尖った岩が槍のように飛び出てきた。

 それを身を捻って今度は霙太夫の方が後退する。



『お前ら……よくもよくもよくも、やってくれるなぁぁぁぁっ!! その身を氷像に変えて塵芥になるまですり潰してやる!!』



 剣で無茶苦茶に足元の雪を掻き回し始めた。

 沸点が低いというか荒々しいと言うべきか、性格が豹変した霙太夫は常に怒りっ放しだ。



「ヒステリックなやつだな。顔は良くても俺はこういう感情を抑えられない女は好きじゃないな」


「あんたそれモラハラにセクハラよ?」


「そういう細かいこと気にしてると三十過ぎても結婚できないお局様になるぞ」


「余計なお世話よ!」

  

  

 こうして戦闘中に軽口叩けるだけまだ私たちには余裕がある。

 性格はともかくここまではゲームと同じ展開。まだ序盤の動きだ。

 私たちにとって幸運なことは出現した八大災厄は新しい攻撃方法などはあるが、強さ自体はそうは変わらないこと。

 それに感覚だけどこの霙太夫はむしろ弱体化しているとまで言えるかもしれない。

 ひょっとしたらだけど、土蜘蛛姫は村人から魔力だか生命力だかを奪い取っていた。こっちの世界に来るとそういうのが枯渇気味になるのかもしれない。

 もしそうであれば出てきた今がチャンスということだ。



『―【八寒地獄】雪鬼生成せっきせいせい―』



 霙太夫が手を雪にかざすと突如、その周囲の雪が動き始め固まっていく。

 あれよあれよという間にそれは足が付き胴体が生まれ、顔が出来上がって身長四、五メートルほどの角の生えた巨人になってしまう。

 角があり筋骨隆々、その腕は電柱より太く、捕まった瞬間に人間など一捻りでねじ切られそう。

 それは雪から作られたというのに全身は毛むくじゃらの大猿だ。天然の毛皮は真っ白で雪と同化していて、雪原では獲物を狙うハンターとしてはすこぶる優秀になるだろう。

 西洋風に言うなら『サスカッチ雪男』。


 私たちはこれを知っている。こいつは霙太夫の使役するモンスターで、寂しさを紛らわすため、また彼女と領地を守るために生み出された屈強な守護獣。

 土蜘蛛姫の蜘蛛は蹴散らすことが可能だったが、一体だけになった分、こいつはそう簡単にはいかない。強さ的には決闘級シングル一歩手前の強さがあり、豪快に邪魔をしてくる。

 決して無視できない豪腕の雪鬼猿との美女と野獣のコンビがこいつらの本領。ここからが本番だ。

 さらに倒してもまた生み出されるという厄介なやつ。ただ復活にはインターバルがあり、その間に一気にHPを削れるはずだ。



『グガァァァァァァァァ!!』



 雪猿が胸を反らし唸り声を上げて威嚇してきた。


 歯は犬歯のように鋭く、響く声は対峙するものに絶望を与える獣特有の怖さがある。

 それは話し合いの通じる相手ではない問答無用に獲物を狙う動物の愚直さだ。

 戦いにおいて先が読めない相手というのはやりづらく、今にも突然襲撃してきそうな予感がある。



『思う存分、食い散らかしちまいな! いくら汚れても雪が綺麗にしてくれるだろうよ!』


『ガァァァァァァ!!』



 世界最大の陸上動物であるアフリカ象に匹敵する巨漢の雪猿が主の許可を得て動いた。

 雪が緩衝材になっているというのに走るだけでドスンドスンと地面が揺れるかのよう。

 大きさは武器であり驚異だ。カスっただけで人などひとたまりもなく吹っ飛び、その圧はこちらを萎縮させる。



「いくよ! ―【騰蛇符とうだふ迅速炎羽じんそくえんう―」



 後ろから景保さんの声が聞こえ、少しだけ後ろを振り返るとこちらに符術を使ってくれるのが見えた。

 炎の羽が生えたエフェクトが私に付き、体が幾分も軽くなる。ついでに温かみも増した気がした。

 

 打ち合わせ通りだ。

 もちろん雪猿が出て来るのはみんな知っていたのですでに相談は済んでいる。

 パーティー構成によってやり方は色々あるんだけど、雪猿の相手は私が、霙太夫はブリッツがメインで張って、景保さんと美歌ちゃんとジロウさんは随時後ろから援護という形を今回は取った。

 

 しかし何だろう、こうやって戦っていて何か違和感が……。一体なんだ?



『ガァ!!』



 ふいに意識が戻される。

 正面にいた雪猿がいなくなっていて魂消た。

 

 ――いや、上だ!!


 プレハブ小屋一軒分はあろうかという極大サイズの雪猿が二階建ての家ほどの高さを跳んでいた。

 さっと血の気が引く思いがして無理やり足に力を入れ回避する。


 直後、やってきたのは超弩級の衝撃落下技。

 地面に積もった雪が盛大に弾け飛ぶ。

 衝撃が地面からも空気からも伝わってきて、離れているのに風が顔を撫でてぶわっと髪の毛が逆巻き肌が粟立つ。


 こんなもの食らったら即死じゃない!



「くっ! 全部後回し! さっさと倒してケリを付ける!」



 考え事を放って瞬発する。

 速度上昇のバフを受けた大和伝全職業の中で最速の忍者である私の速度はそうそう捉えられるものではない。

 刹那の瞬間に刀を抜き放ち片手水平で雪猿の右脇腹を斬り抜いていた。

 こいつも傷口から血ではなく雪が散っていく。

 


『グガァ!?』



 雪猿は強引に私の頭でも捕まえようとしたんだろうけど、その獲物が目の前から消え傷を負ったことに驚愕していた。

 だが浅い。厚い体毛と筋肉に阻まれ体表の表面を切り裂いたに過ぎない。深くは刃が入らなかった。



「だったら何度でもやってやる!」



 ぶんぶんと振り回される巨腕を掻い潜り、息遣いが聞こえてくる僅か数十センチの間合いを維持し張り付く。

 一発でも当たったらやばい。が、今の私なら油断さえしなければクリーンヒットはそうそうないはずだ。

 翻弄し体中を切り刻む。



『グルルルル!!』



 避けたすぐ傍で私の頭ぐらい簡単に摘める大きな手が風を切り裂き唸りを上げる不快な音が発生する。

 体を反らしたのと一緒に斬り付け身をよじり、姿勢を低くしたまま前のめりに突撃した。

 すれ違いざまに刀を左手に持ち替え押し込み回転する。

 


『グルァッ!』



 手応えはあった。

 しかし雪猿の体格からすると私の刀なんてカッターナイフほどの刃でしかない。

 痛覚も鈍いのか我慢しているのか裏拳が私に向かってやってきた。

 それを避わそうとするが、予想以上に積もる雪のスピードに足を取られてしまう。


 雪上の戦いはずっと意識した足運びをしないと簡単に掬われる。

 想定はしていたんだけどポカミスだ。

 急速接近する拳を前に無防備を晒してしまった。

 


「しまっ――」


『取った』



 その瞬間、いきなり現れた天空が雪猿の首を掻き切った。

 両断とはいかない。けれど大量の氷の結晶が吹き出て大きく仰け反らすことに成功する。

 彼女のおかげで助かったと思った束の間、



『ガァァァ!!』


『なっ!?』



 痛みのまま雪猿は天空を捕まえそのまま有無を言わせず放り投げた。

 


「天空っ!」



 数十メートルの空中遊泳の後、通りの向こうにある建物に天空は背中から激突し、上から雪が覆いかぶさる。

 


「にゃろっ!」



 私は即座に報復行動に出た。

 迎撃されるパンチの上に地面を蹴って乗り上げ、顔面をトゥーキックで強烈に蹴り上げる。

 つま先が頬に食い込み巨体がぐらっと揺れ、降り際に上段から一気に刀を振り下ろした。

 やや斜めに雪猿の獣面に刀傷が走る。



『ガァァァァァ!!』



 これにはさすがに堪らなかったのか雪猿は顔を撫で付け数歩後退した。

 まだまだ追撃は続ける。


 私は前進し刀を一旦鞘に納め腰溜めに構えた。

 左足を後ろに下げ手首を捻り鞘を傾け、鯉口から僅かに刀身を出し――



「―【刀術】一文字斬り―」



 神速の居合抜きの抜刀術だ。

 ただ私と相手の身長差があり過ぎて膝しか狙えない。

 固く骨ばった感触がするが 厚い毛皮ごとたたっ斬る!

 

 システム的なアシスト効果によりただの斬撃よりも威力が上がっていた。

 本来なら抜刀後に隙が生まれる技だが、敵が怯んでいるのならば存分に使える。

 さらに返す刀で傷口の近くを削りなぞった。



『グァァァァッァッ!!!』



 特大の怒りに四肢を震わせ雪猿は怒号を上げる。

 そしてがむしゃらに腕を伸ばしてきた。一本一本が腕ぐらいありそうな指が掴もうとするのは私の胴だ。

 

 もし掴まれたら――

 

 考えるだけで背筋が寒くなる。

 だがそう安々と思い通りになるわけにはいかない。


 咄嗟に足元の雪を蹴り上げパッと礫のように顔に当てる。

 ただし、たじろいだのは顔を拭うほんの一瞬だけ。

 元々こういう雪深い土地のモンスターだ。こんな目潰しが大して役に立たないことは分かる。


 だから果敢に雪猿の股の下に挑んだ。

 四メートルもあればくぐり抜けるのは楽勝。

 雪にダイブして瞬間の冷たさを味わっいつつすぐ起き上がり、そのままの勢いでジャンプして私を見失っている雪猿の後頭部に、自画自賛の綺麗な半円を描き旋風回し蹴りを叩き込んだ。

 ドガッと、という感触はまるでサンドバックを蹴ったかのように固い。でも雪猿の大きな体はぐらりと揺らぎ倒れそうになる。


 けっこう良いのが入ったと思った。

 だというのに獣の意地か主への忠誠か、雪猿の耐久力はこれをも凌いだ。


 そして――



『グルアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――――――――――!!!』



 鼓膜が破れそうになる大音量。

 ここにコップがあった間違いなく割れている。

 近くの屋根に降り積もっていた雪もこの振動で端っこの方からドサドサと大量に落ちてきた。



「くっ!」


『【ステート異常:スタン】レジスト抵抗失敗』



 ログが流れる。

 これはただの声じゃない。『咆哮』という知っているスキルによるものだ。

 ただゲームの時より予兆のモーションが早くなっていてまともに食らってしまった。

 

 雪猿の周囲にビリビリとした結界のような音の圧が放出される。

 ダメージは大したことがない。けれど脳が揺さぶられ意識が吹っ飛びそうになって回復し、雪猿と目を合わせると蛇に睨まれた蛙の如く心臓を鷲掴みにされたように体が静止する。

 脂汗が浮き、膝を突く。どうしても体が指一本すら動かせない。これが状態異常の影響か。


 動け動け動け! ここで止まってどうする! 

 ぬっと私の前に影が差し獣の息遣いと雪を踏む音が克明に私の耳に届いてくる。しかし顔を上げることすら出来ずただ恐ろしい影が私ににじり寄ってくるのを予期する術しかなかった。

 急に寒空の下に裸一貫で放り出されたように心細くなった。


 このままではあの見上げんばかりの体躯の化け物の、掴まれただけで人など簡単に引き裂けそうな巨大な手で私は握り潰され圧殺される。

 鼓動がうるさく脈打ち、呼吸の仕方すらも忘れた。

 今すぐ楽になりたい気持ちと抗う意志が争い交差する。



「―【六合符りくごうふ沈静供出ちんせいきゅうしゅつ―」



 ふいに氷が溶けていくかのように符術の暖かな風が私を包んだ。

 即座にそこを後退すると、巨腕が通過した。

 危なかった。あと一秒遅ければ致命的なダメージを食らっていたところだ。



『グルァッ!!』



 雪猿は絶好のチャンスを逃したことに地団駄を踏んで雪を撒き散らし憤る。

 

 それを睨みながら最初に戻ってくる気持ちは悔恨。

 くそっ! 何をやっている! こんな不甲斐ない真似を晒している場合じゃないってのに!

 スキルの状態異常によるものだと頭で分かっていても、ここで戦闘放棄しようと少しでも考えてしまった自分が恥ずかしかった。



「ありがとうございますっ!」



 声を張り上げるが後ろは見ない。照れもあるけどもし同じことが起こっても景保さんがまたなんとかしてくれることを信頼してだ。

 あの人は今も継続ダメージで痛みを堪えながらも援護してくれている。

 なら感謝は行動で返すんだ。


 この空いたタイミングでメニューから装飾品を樹齢二千年以上の樹木から作られた『神樹のかんじき』に変える。

 すでに雪が足首が完全に埋まるほどの足場となっていて、これ以上はただの靴だけでは敏捷度が大幅に減衰されてしまうからだ。同じ失敗は繰り返さない。

 装備したかんじきは数センチだけ雪に沈むも、そこで止まった。

 よしこれなら動きやすい。


 その間に雪猿は巨大な手を活かして足元の雪を掬い固め始めていた。

 一瞬で私の体ぐらいはありそうな雪玉が完成し、それを振りかぶる。



「ちぃっ!」



 剛速球の到来。

 岩よりは柔らかいだろうが食らっていいものではないのは一目で分かる。

 でもかんじきにを装備したおかげでだいぶ躱しやすくなった。


 人には反応できない速度で超巨大な雪玉が飛んでくるのを私は横に移動して避けた。

 強風が私の髪をなびき、外れた玉は後ろの露天ごと建物をぶっ壊す惨事を引き起こす。



『ギャァッ! ギャァッ!』 



 両手を挙げ、それが有効な攻めだと知ったのか雪猿が声を上げ愉快そうに笑う。

 そうそうやらせるかっての!


 駆け出すのと同時に次弾が再びやってきた。

 避けるのはそう難しくはない。けれどそれでは被害が広がる一方だ。

 故に――



「―【火遁】爆砕符―【解】」



 いつもの爆発するくないだ。

 属性的には決して打ち勝つことはできないんだけど、SP消費も少なめで使い回しが良くお気に入り。

 相殺させると雪玉が粉雪となって散る。

 

 顔にその米粒みたいに細かく砕かれた残骸が当たりながらも気にせず詰めた。



「せいやぁっ!!」



 ギィン、と金属のかち合う音が雪上で発せられる。

 雪猿が自分の爪を伸ばして武器に変えたからだ。

 懐に入る前にそれで阻まれた。


 弾き反らし払う。

 獣の両手に備わった計十本の暴風のような斬撃をその場で刀を利用し体捌きを駆使して凌ぐ。

 この体格の差だ。超人的なステータスがあったとしてもまともに受けたらそれだけで私なんて吹っ飛びかねない。

 角度をズラし中心線を常に動かし猛攻を堅忍不抜の心得で辛抱し、リーチと脅威度が増した連続攻撃に真っ向から挑み転機を窺う。


 普通の人からしたらおよそ信じられない神代の戦いにでも見えるだろうか。

 人には到底及び付かない異形の化け物相手に堂々と矢面で交戦するなど勝機の沙汰ではない。

 しかし私は――いやここにいるメンバーはみんなそれをクリアしてきている。

 言うなれば魔物退治専門のスレイヤー討伐者だ。退く理由はどこにも無い。


 それはすぐにやってきた。

 ジレた雪猿の大振りの一撃。しょせんは獣か。

 跳び、さっき天空が傷付けた首筋とは反対側を刀でえぐった。



『ギァッ!!!』



 特盛の結晶が吹き出て雪猿が仰け反る。

 良い手応えに思わずニヤリと口が綻ぶのを抑えきれない。



「ぶっ倒れろ!!」



 着地と同時にさらに駆け出し雪猿の後ろからこいつの膝裏を蹴り抜くと、膝カックンの要領で泥酔したかのように怪物が背中からバランスを崩す。

 ズゥン、とでかい音がして雪猿が後頭部から倒れた。


 そこに――



「嬢ちゃん!」



 ジロウさんの声がして飛び退く。



「よくやってくれた! ―【猟術】巨岩落とし― これは痛いぞ?」



 屋根の上に陣取るジロウさんの横には巨大な投石機が配置されていて、悪戯小僧のような笑みを浮かべそのロープを彼が切った。

 てこの原理を応用され射出されるのは雪猿に匹敵する大きさの岩石。

 真っ直ぐに飛ばすことができない仕様なのと屋根の上にあるので角度的にほぼ真上に飛ばされた。

 威力は段違いにあるが動く相手にはほとんど当たらないし、乱戦では使えない【猟師】の大技の一つだ。

 

 攻城兵器として使われそうなそれが、ただの生物に向かって空から外すことなく寸分違わず落ちていく。

 普通のモンスター相手であればオーバーキル間違いなしの術で、唸りを上げてその大質量を仰向けになった雪猿の体に命中した。



『ゴアアアアアアアアッ!!!』



 断末魔みたいな特段の大きな絶叫が響き渡る。

 おそらくもうひと押しというところだろうか。こいつを倒したらブリッツと合流できる。そうなればあとは流れのまま押し切れるはずだ。

 刀を握る手に思わず力が入る。


 だが、死に際の最後の抵抗とばかりに雪猿は立ち上がり口から氷混じりの吹雪のブレスを吐いてきた。

 これも既知のパターンだ。

 横に駆け出すと私を追い掛けるように回り出す。

 マシンガンみたいにダダダダと私がいた場所に凍てつく風と尖った氷柱が地面に突き刺さっていった。

 

 ええい面倒くさい。

  


「―【火遁】爆砕符―【解】 え、何!?」


「―【弓術】土雹砲弾どひょうほうだん― ごめん! やってもうた!」



 走りながら爆発くないを投げ放ったんだけど、そこに後ろにいた美歌ちゃんの術技による援護射撃が重なってしまった。

 誘爆だ。敵に届く手前で、雪猿がしているブレスに似た先の鋭い土の弾丸に私のくないが阻まれる。

 乱戦になるとこういうことがあるからなかなか難しい。 

 

 まぁフルパーティーだとこういうことはままある。

 気を取り直そうとした時――


 

『ゴガァァァァァッ!?』



 それは予想外の化学反応を見せた。

 美歌ちゃんの放った土弾が突如赤熱し、雪猿の厚い胸板に深くえぐるように突き刺さったのだ。

 明らかに威力が上がっている!


 通常の『土雹砲弾』ではここまでの効果は得られなかったはず。赤く熱を帯びていることから私の火遁が原因というか何らかの影響を及ぼしたっぽいけど、なんだこれは?

 訳の分からないコラボ技みたいになったことに目を剥くしかなかった。

 こんな現象を私は知らない。美歌ちゃんに顔を向けたけど、私と同じように唖然としていた彼女は私の視線に気付いて顔を横に振って返してきた。

 おそらく他のみんなも初めてのことだと思う。


 ただこのハプニングは単純に良いことではある。

 現に今の痛撃でとどめが刺せたみたいで雪猿が消失していったし、あまり深く考える必要は無いだろう。

 それよりもこの間に一気に霙太夫のHPを削り切るチャンスだ!


 ようやくあっちの戦いに意識を向けると、そこそこ順調そうだった。


 

『鬱陶しい! いい加減、死ねよ手前ぇら!! ―【八寒地獄】逆さ氷柱つららの刑―』



 霙太夫が剣を地面に突き立たせる。

 直後にニ、三メートルはある氷の逆さ氷柱が道のように足元から突き上がっていきブリッツを襲う。

 澄んだ氷は向こう側まで見通せ水晶のようにキラキラと輝く。おそらく観光地などにあれば相当に目を惹いただろう。

 しかし実際は刃は鋭く勢いは猛烈。当たったら痛いだけじゃ済まないのは見たら誰でも分かる氷の葬列だ。



「これは――逃げる!」



 迎撃など考えずに即座にブリッツは横へ回避した。

 直後に今いた場所を氷の針地獄が通り抜けていく。


 そしてお返しとばかりに技の合間に出た隙を縫ってジロウさんの矢が霙太夫の肩に刺さった。



『邪魔をするなぁっ!!』



 霙太夫が腕を振ると氷の礫がジロウさんに向かって飛んだ。

 彼の撃つ矢に匹敵する電光石火の反撃に、彼も慌てて別の建物の上に避難したが思った以上の速度でヒヤっとしただろう。 


 それでどちらの側も一旦、攻撃のリズムが崩れそこに私が合流した。


 

「雪猿は倒したわ! そっちはどう?」


「控えめに言って一割。良ければ二割は削れてるはずだ。よっし、ならこのまま一気に行くぞ!」



 どっちも後ろにいるジロウさんたちに聞こえるように大きな声でのやり取りだ。

 私が雪猿を倒していた間に彼らも地味に仕事はしてくれていたようだ。

 しかしこれは霙太夫にも聞こえているはずだ。だというのにむしろ彼女は薄ら笑いすら浮かべていて、それが奇妙だった。



『ふんっ、それで勝ったつもりか? 笑わせてくれるぜ。どうれ、そろそろ頃合いだ。お前らそこの陰陽師を見てみな!』



 霙太夫は両肩をグリグリと回し、配下が倒されてもまるで今までのが前哨戦だと言わんばかりに堪えていなかった。

 そして剣で差すのは一番後ろにいる景保さん。


 全員が彼に振り向くと、景保さんの腕にあった氷が肥大化し上半身にまで侵食しようとしていた。



「か、景保さん!?」



 ちょっと待てちょっと待て、まさかこの状態異常って……。

 服の中で汗が流れ嫌な予感が過る。



『放っておいても氷像になるが、あー駄目駄目。待てねぇな。―【八寒地獄】氷棺の刑―』


「があああぁぁぁぁぁっ!!!」



 霙太夫が発した術と同時に体を蝕む氷の速度が速まった。

 目に見て分かるスピードだ。

 それに加えて痛みも増しているらしく、景保さんが苦痛に悶える。



「手前ぇ! 解除しろ!!」



 ブリッツが無理やり霙太夫に殴りかかった。

 ただ単純な猪突猛進はニ剣によって阻まれる。

 


『誰がするか! 人間なんて要らねぇんだよ! 特に男はな! お前もすぐに氷漬けにしてやるぜ!』



 振り払われブリッツが後退した。



「なんでや! なんで治らんのや!? こんなん私がいる意味あらへんやん!」


 

 美歌ちゃんは景保さんに近付き状態異常回復の術を無駄だと分かっていてもさらに掛けたが、やはり効果が無く半狂乱手前になるほど取り乱している。


 私だってどうしたらいいのか分からない。

 もしかしてこれでお別れ? こんなところで彼が脱落するの?

 呆気ない展開に体が動かなかった。


 彼は顔を歪ませながら何やら美歌ちゃんに話しかけ、そしてもう首筋まで迫った氷のせいでほとんど傾けられない顔の代わりに目だけこちらに向けてきた。



「…………」



 唇が鈍く動き口パクだけが目に焼き付く。

 声はこっちまで届かない。距離もあるし吹雪もある。

 なのに何かを託された。内容は正確には分からない。  

 ……でも……たぶん……『後は任せた』と言われたような気がした。


 ――やめてよ。そんな遺言みたいなの!


 そう言い返したかったが、もう彼の額にまで氷が張り付き――そして物言わぬ彫像と化した。

 雪が風に乗ってただ吹きすさぶ無情な音が強く私の耳に入ってくる。

 そのまま見つめ続けたけれど、やはり景保さんはそのまま動かない。


 霙太夫の術名の通り、確かにこれは棺だ。

 彼が死んだのか、それとも辛うじて仮死状態のようになっていて生きているのかは分からない。

 死んだら元の世界に還されるという文言を信じるなら、たぶんまだ死んでいないはずだ。

 でもこちらの術で解けない今、霙太夫を倒さないとどの道、彼は死亡者となるだろう。


 ――くそっ! だったらあいつを倒してやる! 倒して景保さんを救ってやるんだ!


 思いつく解除方法は術を仕掛けた本人を討伐することのみ。

 それに縋るしかない。



『くっくっく。無様だなぁ。そうだ、男はそうやって飾り物になるぐらいしか価値が無いんだよ!』


「こいつっ!」


『ところでよ、さっきまではよぁ、こんな訳が分からない世界に一方的に喚び出されたばかりでいくらか俺の力も損なわれてたんだ。だが今は回復している。いやそれどころか、普段よりも力が溢れている。その理由が分かるか?』


「は? 知らないわよそんなこと……」



 霙太夫は私の知らない、という言葉に反応し手品の種明かしをすることに優越感を覚える子供のように勝ち誇っていた。

 そして手をかざし目を細めて指に張り付く雪片を見る。

 


『この雪。ただの雪だと思うか? だったら間抜けだなぁ? 人間から力を吸い取る魔雪だ。おかげでたらふく腹も膨れたぜ』


「何だと!?」



 霙太夫がお腹を擦る動作をしこちらを挑発する。

 それを聞かされ私は感じるものがあってステータス欄を覗く。

 やっぱりだ。最初は違和感でしかなかったけどこれ、SP

 また新しい攻撃方法か!


 というかこれって街の人もやばいんじゃないの? 寒さだけじゃなく魔力まで奪われるとなると土蜘蛛姫の繭に閉じ込められていた村人たちみたいになっているのかも。



『田舎の山奥じゃ百年掛かっても食えねぇほどの量! さぁてそれを使ったらどうなるか分かるか?』


「分かるはずがないでしょ!」



 胸騒ぎがしつつも具体的なことは及びもつかない。

 ここからは未知の領域だからだ。



『答え合わせをしてやるよ。―【八寒地獄】雪鬼の軍勢―』



 霙太夫が長い髪を掻き分け手をかざすと、その力ある言葉に地面の雪がさっきと同じ雪猿へと成形されていく。

 しかし、しかし、しかし! 数が違った!!


 現れる巨猿たちは一匹だけではない。

 二匹、三匹、五匹、十匹、二十匹を超える! ……それに一般的なモンスターだけど他に額に角が生えた雪狼や雪鳥などもどんどんと混じり、総勢およそ百ほどに膨れ上がった軍勢レギオンとなった!!

 大通りはもはや肩を寄せ合うほどの満杯状態。理不尽で無慈悲なただの暴力。


 無茶苦茶が過ぎるっ!! ふざけんなっ!!



「……おいおい、これ勝ち目あるのか?」



 ブリッツが頬を引きつらせ呟く。


 気持ちは分かる。私も同じことを思ってしまった。

 こんなクソゲーあるかっての! チームでは無理だ。こんなの討伐級マルチボスではなく、最大五十人で戦う大討伐級レイドボスクラスの難敵じゃない!

 


『絶望したか? 心臓は冷えて固まりそうか? 安らかな死は与えてやらねぇ。さぁお前ら、蹂躙しろ! そいつらを一生解けない永久凍土の下に埋もれさせちまいな!』



 雪鬼の軍勢が私たちを飲み込もうと動き始めた。

 最初に飛び込んでくるのは真っ白な鳥だ。

 鉤爪を前に突き出しこちらを引っ掻こうと羽を広げトップスピードでやって来る。



「このっ!」



 すれ違いざまに刀を薙いでそれを一刀両断にすると、パッとパウダースノーになってそれは散っていく。


 お次は二匹の雪狼。

 左右から獰猛に牙を立て挟み込むように突撃してきた。

 

 右にはくないを放つ。大きく開けた口にするりと入り体の内側を傷付けた。

 左からの雪狼には顎の下を掬い上げ頭部を切断する。

 どちらも泡雪に変じ足元の雪と混じって消えていく。


 一般モンスターなんてこんなものだ。これぐらいなら増えたところでどうってことはない。


 すぐさま走る。

 目標は霙太夫だ。あいつさえ倒せばこいつらは瓦解し、景保さんはきっと治る。

 

 だけど数歩移動したその瞬間、足裏に気配を感じた。

 足元から体長ニメートルほどの鮫が現れ、横に裂けた凶悪な口とギザギザの歯で私を噛もうと飛び出してくる。

 雪の中を自由自在に泳ぎ獲物を食らう雪鮫だ。モンスターのレベルが鳥や狼よりも上。

 背中の外郭は極めて固く生半可な斬撃は受け付けない。

 

 咄嗟に跳ぶが、いきなり過ぎて避けきれなかった。

 左腕を噛まれる。



「ぐぅうああああ!!!」


 

 痛い。容赦のない噛み付きは肉に歯が食い込み骨をも砕こうとしているのが伝わってきて、血管がぶちぶちと破けるのが分かる。

 痛いけどアドレナリンが分泌して私の体は麻痺していた。

 燃え盛る烈火の激情が想いのまま体を突き動かす。


 こういうやつの弱点は当然、姿を現した時と相場は決まっているんだ。

 ある意味では噛まれたのは僥倖。



「邪魔すんな!!!」



 柔らかい腹に右手に持った刀で上から刺し下へ一気に振り下ろす。

 本当ならえぐいほどの鮮血がどばっと出てくるんだろうけど、代わりに粉雪の花が咲いた。

   

 着地し一段落したと思った矢先、さらに私の目の前を塞ぐのは巨大な雪猿たち。

 一匹でそこそこ手こずり時間が掛かったのに、たぶんニ十匹以上はいる。

 次から次へと愕然とする数だ。


 ――でもだからって止まっている暇なんてない!


 雪猿たちの隙間から覗く霙太夫は可笑しそうにこちらを見て笑っていた。

 まるで子供が水溜りに蟻を入れてもがくその姿を見て愉快そうにしているかのように。

 

 カっとなった。

 むかつく! むかつく! むかつく!!

 あの顔を殴ってやらないと気が済まない。

 待っていろ、今すぐ行ってやる!!


 自分の三倍以上はある雪猿たちの壁へと突撃する。

 でかく素早い手が私を掴もうと二つも三つもあらゆる方向からやってきた。

 それらを見極めギリギリで躱していく。


 ぬっとさらに三体の雪猿が前に立った。

 


「そこをどけぇ!!」



 真正面のやつだけにくないを投げ付け、それが額に刺さる。

 少しだけ仰け反ったそいつの肩へ跳び、足裏に湿った毛皮の感触がしてそこからさらにハイジャンプ。

 空にはさすがに遮る者はいない。このまま霙太夫まで一直線だ。



『おっとそこまでだ。あんまり調子に乗ってもらったら困るぜ』



 霙太夫は自分の二振りの剣の柄尻同士を合わせる。

 すると二本の剣が前が無い両剣の薙刀に変貌した。一言で言うならダブルセイバーだ。

 さらに刃先に氷の刃が付随していき、直径三メートルはある長大な刃へとなる。


 

『―【八寒地獄】氷ノ刃―』



 霙太夫が振る。

 まるで舞を踊るが如くクルクルと自身も回りそれを華麗に回転させていく。

 雪上の上での踊りはきっとこんな戦場でなければ目を奪われただろう。

 そしてそれがただの舞踏ではなく、遠心力を付けただけだと気付いた時には――私に投げ付けてきた。

 


「なぁっ!?」



 直径三メートルの刀なんてもはや重量級の武器だ。

 それがひゅんひゅんと唸りを上げて向かってくる。

 双頭の両刃故に柄を掴むなんて芸当ができない。いや。そもそも高速回転していてそんなこと不可能だった。

 

 ギィン、と音が鳴った。

 何とか刀を盾にして防いだから。でも無様に弾き飛ばされた。圧倒的に質量が違い当たり負けした。

 自由落下する先は雪猿たちの群れの中。

 

 連想するのは地獄の亡者の光景だ。

 下から太く汚らわしい何十という手が私を掴み引き裂こうと、手ぐすね引いて待っているのに悪寒が走った。

 あの中に落ちたら一瞬で私という存在は潰される。

 

 何かをしなければいけない。なのにもうその猶予も手段も残されていなかった。

 もう雪猿たちの醜悪な顔がすぐそこにあった。

 あわや捕まりそうになった時――



「―【猟術】眠り玉―」



 私より先に薄い水色の煙を吹き上げるメロン大の玉が投げ込まれる。

 それの反応は劇的だった。

 半分とはいかないまでも三分の一ぐらいの雪猿たちが瞼をトロンとさせて急に尻もちをついていく。

 特に運が良かったのは私の近くにいたやつにはたいてい効いたことだ。

 

 おかげで私は拿捕されることなく雪に背中をつけ不時着することができた。

 


「―【仏気術】地天じてん脚絆きゃはん―」



 まだ起きているやつにはブリッツが乱暴に蹴り飛ばしていった。

 彼は私の傍までやってきて見下ろしてくる。その表情はかなり怒っているように見えた。



「この馬鹿野郎が!! 勝手に突っ走って怪我までこさえやがって!! 逃げるぞ!」


「駄目よ、あいつを倒さないと!」


「んなこと言ってる場合かよ! この戦力差を見ろ! まともな勝負になんてなりやしないだろ!」


「だったら景保さんを見捨てろっていうの!?」



 私の激しい感情を含ませた台詞にブリッツは苦々しい顔をして言葉に詰まった。



「今は見捨てろ! ブリッツ、抱えてでも逃げろ!! 責任は儂が取ってやる!」


「ってことだ、ほらよ!」



 ジロウさんの大声と共に矢が飛来する。

 それはこうしている間にも私たちに近付こうとしていた雪猿たちに突き立っていった。



「わ、ちょっ!?」



 米俵を担ぐみたいにブリッツの筋肉質で広い肩に無理やり乗せられる。

 足をバタつかせてみるがそんなことじゃこの男は止まらない。自分で空けた包囲網を突破して抜け出て行く。


 自分で飛んだり跳ねたりしている分にはなんとも思わないけど、他人にこんなことされるとひどく不安になってしまう。

 そういや数日前にライラさんに私がしたんだったっけ。



『逃がすと思うか? 地獄の果てまで追って皆殺しにしろ!』



 霙太夫の号令に数十の雪の魔獣たちが動き出す。

 しかも担がれたおかげでしっかり網膜に焼き付けられたのは、私が倒した鳥や狼たちがまた新しく雪から生まれるところだった。

 無限湧きか! ふざけんな!


 とにかく数が多い。逃げ切れるかは五分五分といったところだろう。



「―【降神術】宇比地邇神うひぢにのかみ須比智邇神すひちにのかみ泥土でいど―」

 


 最も最後尾にいた美歌ちゃんが術を使う。

 二人の兄妹神をその背中に降ろし、働きかけるのは大地。

 途端に私たちを逃すまいと追いついてくる獣たちの足元が崩れた。

 

 この神様たちは砂と泥の化身だ。

 足元の土を簡単に抜け出すことができないぬかるむ泥に変え行動阻害する。

 雪が積もっていても、雪ごと沈めその効果は抜群だった。



「とにかく撤退だ!!」



 ジロウさんの一際大きな声が無情に私の耳に入ってくる。

 厳しい戦いは予想されていた。それでも五人揃えばなんとかなると思っていた。けれど結果は悔しいけど散々なもの。

 助けなければいけない氷の景保さんがどんどんと遠くなっていく。私はそれをブリッツの肩の上で眺めることしかできなかった。


 異世界で初めての、そして最悪の――『敗退』だ。


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