3章 18話 氷晶の霙太夫

 『氷晶ひょうしょう霙太夫みぞれだゆう』――それは東北地方のとある雪深い山奥を根城とする『八大災厄』の一人として数えられている。

 彼女の背景バックストーリーは凍てつくほどの'憤怒’だ。


 雪女として生まれた彼女はまだ子供のある日、雪深い山奥の里の近くで人間の男に見つかってしまう。

 元々、女系社会で女しか生まれない雪女という種族は旅人を攫い子孫を残すという閉鎖形態で、まだ子を産める体ではない女児の間に人間の男に見られると、力の大半を失い放逐されるという習わしと呪いがあった。

 そのため親も彼女を助けることができず、村に立ち寄ることすらも禁止され放逐される。

 本来なら村の存在を知る男は即座に氷漬けにされて殺されるところだったが、幼子が一人で生きていけるはずもなく、その子を育てるという条件の元、母の愛ゆえにこっそりと見逃された。


 涙に打ちひしがれる彼女を男は喜々として保護をする。

 親切心などではない。度し難いことに、いかにこの珍しい生き物で金を稼ぐかという下衆なビジョンが男に生まれたからだ。

 その男はすでに借金で首が回らなくなっており、この山里に入ったのは借金取りから逃げるためでもあったが、これで凌げるとほくそ笑む。


 雪女が最初にさせられたことは見世物だった。

 まだ僅かに残っている力を使い昼は大衆の奇異の目に晒されながら化け物だ、妖怪だと罵られ、飽きられると今度は夜鷹をさせられ最終的には女郎として売られる。

 毎日、辛くて悲しく故郷が恋しくて泣いた。

 けれど決まってそんな時に男が囁くのは「お前の仲間を捕まえて売るぞ? 黙って働けば五年で返してやる」というものだ。

 こう言われれば少女はピタリと泣き止むのを男は知っていた。


 やがてその微かな希望だけを信じ、母に会いたい一心で過酷な日々が五年過ぎる。 

 冷たく白い肌が珍しがられ『雪女郎』や、何年経っても新鮮味がありよく泣きその涙が氷の粒のように転がることから『霙太夫みぞれだゆう』と呼ばれからかうように揶揄されていた。人よりも成長の早い雪女の少女はすでに美しい大人の女へと変貌を遂げていた。

 ただ着物に隠された綺麗な肌には男や客たちに反応が面白いからと面白半分に蹴られ殴られ、煙草の灰を落とされた青痣や火傷が常に浮かんでいるような有様だった。

 女郎仲間からも助けるどころか気味悪がられ、陰口や嫌がらせなどは日常茶飯事。

 もう心も体もボロボロだった。

 


『や、約束の日になりんした 。五年、不香の花として耐え抜いたでありんす。わ、わっちを解放してくんなまし』



 すっかり流行りである遠い京の女郎言葉が板に付いた彼女の声は震えていた。

 当然だ。ここまで五年という月日を艱難辛苦に耐えたのはこのため。そしてもしこの約束が破られようものなら生きていく希望の糸が外れてしまう。

 多少の氷を操る力はあれど、それは他人をどうこうできるレベルのものでもない。この五年、逃げることすら不可能だった。

 言いたくはない。でも言わなければならない。期待と不安が入り混じり、今まで生きた中で一番心臓の鼓動が煩く鳴った。

 本当に解放されると純真に信じることはできないが、その言葉に縋るしか生きる術が無かったのだ。


 三指を突いて頭を下げる雪女に男は近付き応じる。

 断るかと思ったが、意外なことに男は「いいだろう」と二つ返事で雪女を生まれた里まで連れて行った。

 どんな人間にも一欠片の同情心はあるのだと彼女は涙ながらに帰路を目指すことになる。


 帰るまでには四日掛かった。

 少しずつ消えかけていた故郷の思い出や匂いが蘇っていき、お座敷でなまった体でも山道を歩く足取りは軽かった。

 道中、男がやけに優しかったことに奇妙な違和感を覚えつつも、そんなことはもうどうでも良かった。

 ただ母に会いたい。懐かしい土を踏みたい。そのことしか頭になかった。


 しかしようやく懐かしの故郷に戻ったのもつかの間、郷里への想いを募らせ感涙を流す暇も無く彼女の目に映ったのは、閑散として誰もいない荒れ果てた土地。

 思い焦がれた思い出の場所が無残な姿に変わっていたことに愕然とし、途方に暮れ呆然と力なく座り込む雪女の耳元に男が悪魔の如く囁いた。



「あいつらならもうとっくに死んだよ」



 あろうことか男は雪女たちが一年で最も弱る真夏に襲撃をし、彼女と同じように売り払おうという計画をすでに企て実行していたのだ。

 だが気位の高い雪女たちは囚われるのを良しとせず子供も含めて全員が集団自害してしまっていた。

 そして絶望し発狂する彼女の顔が見たいがためだけに、男はわざわざ遠く離れた山里にまで連れ立ってやってきたというのが真相。

 


『あああああああああああああああああああああああああああ!!!!』



 ――戦慄する。


 元来、雪女は男の精を使い自分の子を宿すのだが、彼女は女郎として数多くの男の精を取り込みその際に薬によって子供が生まれないようにされていた。

 つまり力が蓄積されて解消されていかなかったのだ。

 せめて普通の雪女であれば雪や氷を作って力を消費することもできただろうが、彼女の力はホースの口をほとんど締められたようなもので、ひどく体内に貯まっていた。


 本来の雪女としての種族ではあり得ない状況、そこに身が燃え尽くされるほどの憎悪がブレンドされ、ダメ押しは彼女たちが長年暮らし霊力純度が高く土壌の整った馴染みやすいフィールド。これがまずかった。

 彼女の体にはたちまち凝縮されたとんでもない力が渦巻き膨れ上がっていく。

 その余波で男は物言わぬ氷像と化し、村どころか影響は山一帯を巻き込み始める。


 男の、そして人間の底知れぬ悪意に彼女の心は溶け、そして最悪の奇跡が起き――『氷晶ひょうしょう霙太夫みぞれだゆう』という『災厄』が誕生したのだ。


 この出来事以来、その山は夏でも吹雪が止むことはなく、何の装備も持たないものは即座に氷像になると言われる極寒地獄となる。

 そして厄災と成り果てた哀れな女は今も戻ってくるはずのない仲間を待っているのだとか。


 これが八大災厄が一人、『氷晶の霙太夫』の設定だ。

 この話をホームページで読んだ時は胸糞が悪くなり悲しくなったのを覚えている。



「嘘だろ……マジかよ……」


「話には聞いてたけどホンマに来よるんや……」 



 初めてこの世界で見た災厄ボスに驚きを隠せず、ブリッツと美歌ちゃんがプレッシャーに圧され独り言を漏らす。

 未だ遠くで漂っているのを眺めているだけなのにやはり土蜘蛛姫並の嫌な予感を感じる。

 美歌ちゃんにはすでに伝えてある事実だが、やはり人に聞いただけでは半信半疑だったようだ。



「一体なぜだ? 原因が分からない! なにか特殊な環境が?」


「俺に言われても知らないって。ここは普通の街のはずだぜ? 隠れておかしな儀式をしているとかなら知らないが、そもそもそんなことであれが喚び出せるのか?」



 景保さんに話を振られるも、それに答える術がないとブリッツがお手上げだというふうに両手を挙げる。

 


「それは確かに……。土蜘蛛姫が出現した村でもおかしな点は見つからなかった。大体、召喚できる術があったとして八大災厄が喚び出される因果関係が無い。ならなぜ?」



 自問自答するように顎に手を当て思案をし始めた。

 まぁ悪魔召喚みたいな技術があったとしてもあまりにも唐突過ぎだし、大和伝という架空のゲームの敵が出てくる謂れがない。

 もし出てくるにしたってどっかの知らない悪魔とかモンスターだろう。

 あれらに縁があるのは私たちだけど、私たちが原因か? 全く分からない。



「お、おい、アオイ。あれってこの間のやつと同じ感じがするが、まさか?」


「ええ、その通り。あれと同レベルだと思って」


「マジかよ……」



 私の返答に顔がさっと青くなるアレンたち。それは決して気温のせいだけじゃない。

 彼らにとっても土蜘蛛姫はトラウマものの体験だったはずだ。再びあの悪夢が顕現したことに恐怖を覚えるのは無理からぬこと。



「しかしこの吹雪は大丈夫なのか? 儂らはなんとかなるが……」



 今度はジロウさんがメニューから『蓄熱石』を取り出し懐に入れてから、手を胸の前に挙げ雪を当て呟く。

 手の平に衝突した雪は熱によって溶けるが次々と風に運ばれ消えるよりも積もる方が早い。

 刺すほどに冷えた風は瞬時に体温を奪う。



「っ! このままだとやばいかもしれません! みんな状態異常にかかって凍死してしまう!」



 それを受け景保さんが目を大きく開けて注意を促した。

 

 私は北の方へはスキーで数回程度しか行ったことがないけど、現在テレビで見るような東北や北海道並の猛吹雪が街を襲っている。

 ここの住人たちは寒さには慣れておらず、防寒着なども持ってはいないはずだ。

 しかも結界により外に逃げることは叶わず、むしろ冷気が溜め込まれていっている。


 加えてこの雪はただの雪ではなく、災厄がもたらしたもの。

 ゲームでは蓄熱石などの防寒アイテムや装備が無ければ、『氷結』の状態異常になってしまっていた。


 おそらく保って数十分か。それほどまでにこの寒さは人体を蝕み生命力を奪う。

 まだ発動して間もないおかげで雪の積り具合は微々たるものだが、きっとすぐに腰まで埋まるだろう。そうなればもう生きている人間はいなくなるに違いない。


 そうはさせない。

 私はみんなを見回す。



「時間が無いってことですね。なら率直に聞きます。今からあの霙太夫を討伐します。みんな力を貸してくれますか?」


「もちろん」


「分かった」


「いいだろう」


「オッケーや」


 

 ブリッツも即答したことに私は面食らってしまう。

 それを見て彼は不満そうに唇を尖らした。



「なんだ? 俺が街を守るのは不満か?」


「いや不満とかじゃなくて……ちょっと驚いたの。一応さっきまで敵だったし」


「俺だってここにもう数ヶ月も住んでるんだぜ? 馴染みの店や慕ってくれるやつらもいる。それに……生まれてくる赤ん坊の名前を俺の名前にしたいなんていう馬鹿までいる。そんなやつら見殺しには出来ないだろ」


「そういう感情があるなら他の人たちにも向けてあげたら良かったのに」


「俺には俺の事情があるんだよ」


「後で教えなさいよ」


「気が向いたらな。とりあえずはあれを何とかするのが先だ」


 

 ブリッツは顎で霙太夫に向かってしゃくり上げる。


 協力してくれるなら助かる。これで五人のフルパーティーだ。それなら勝機は十二分にある。

 よしならこれで話は決まった。全員で急行するのみ。



「ちちち、ちょ、ちょっと待て! きき、貴様らあれが何なのか知っている口振りだが、まさか貴様らが関与しているのか?」



 と、水を差すように寒そうに腕を擦りながらナギルが私たちを呼び止める。

 こんなのに構ってる暇なんて無いんだけど。


 彼と一番関係性があるブリッツが注目を浴びるように進み出た。



「あれのことは知ってはいるが俺たちは無関係だ。ただあれは俺たちが倒してやる。それでいいだろ?」


「きき、貴様らは今包囲されていることを分かっているのか!? みすみす逃がすはずがなかろう。あれの相手は貴様らを捕縛した後に全軍で向かう!」



 頭が固いタイプだねこれは。

 私たち以外にあれを討伐できるはずがない。



「あー、薄々分かってたがこりゃ話が全く通じないタイプだな。ま、邪魔立てするってんなら――おらよ!」


「ぎゃっ!」


「な、ナギル!」



 面倒くさそうにブリッツが正面からナギルをぶん殴った。

 かなり手加減はしているようで鼻血が出て地面に倒れ失神しているも、それ以上の怪我は見当たらない。


 アジャフや兵士たちは動揺しているが、特に近寄って助けようという気にはならないらしい。

 というかこの異常事態にみんなあたふたと何をしていいのかも分からず右往左往している感じ。

 


「あーあ、やっちゃった。これであんたも正真正銘、お尋ね者ね」


「前からドラマみたいに気に入らない上司を殴るってのやってみたかったんだ。百倍返しだ! ってな。思った以上にスカっとするもんだ」



 ブリッツは続けて今度はアジャフに向かって口を開く。



「まぁなんだ。俺もあんたも決して良い上司と部下って間柄じゃなかったが、最後に一つだけ忠告する。どっか建物に部下と籠もって暖かくしてこの吹雪が過ぎるのを待ちな。そして日が昇ったら、過ぎた野望を捨てて本気で統治ってやつを考えてみるんだな。これが最後の奉公ってやつだ」


「ふぁ、ファングぅ……」



 信頼していた部下の裏切りに付いていけないアジャフは、怒りよりも悲しみの方が大きいようで上目遣いにただ眉を深く刻む。

 こいつがブリッツを慕っていた気持ちだけは本物だったようだ。だからと言って今までやってきたことをうやむやにはしてやらないけどね。


 ブリッツは私たちに振り返って無言で頷いた。

 ケジメは付けたってことなんだろう。



「アオイ、俺たちは何をすればいい? あいつの前では俺らなんて足手まといでしかないのは分かってるが、やれることがあるなら言ってくれ」


「うん、私たちがお手伝いできることはない?」



 ギリギリ恐怖に打ち勝とうとしているアレンたちを見やる。

 彼らを死なせるわけにはいかない。



「ここでライラさんとか街の人を守ってあげて。ひょっとしたら余波が飛んできたりするかもしれないから」


「分かった。気を付けろよな」


「死ぬんじゃないわよ!」


「アオイちゃん信じているわ」



 彼らからの励ましに頷いて肯定した。



「よしじゃあ行こう!」


 

□ ■ □


 霙太夫が猛威を発している現場に辿り着くにはそう時間は掛からなかった。

 けれどその間も体が氷付きそうな吹雪はこんこんと止むことがなくシャンカラの街を蹂躙していた。

 街の人々はとにかく建物に籠もって身を震わせ、吹き溜まり極寒の寒さから耐えることしか出来ないようで通りに人の姿はない。

 

 そんな雪が風を切る音しかしない街を五人で駆けつけた先はそこそこに開けた大通りだった。

 闘技場ほどじゃなくても遮蔽物が少なく戦いやすいのはありがたい。

 今はこちらに気付いていないので少しだけ外れた建物の影でみんなで固まっている。



「やっぱりあれは氷晶の霙太夫で間違いがない。装備の準備をしましょう」



 景保さんの言葉に全員がメニューを弄っていく。

 大和伝の属性は五行に基づいているので『土剋水』、土は水を濁しせき止めるという意味で『水・氷』には『土』が有効だ。


 私は『鬼土竜おにもぐらの短刀』を取り出す。

 角付き巨大土竜のその自慢の角から作られた綺麗な波紋の刀。

 土属性は火や風などと違ってエフェクトが地味というかほとんどなく、装飾などがやや黄土色のものってぐらいでステータス的にはやや攻撃力が低め。

 代わりに左腕に小さな小手が出来る。ちょっとだけ防御力がアップするっていう寸法だ。

 他のみんなも土属性に変更しているようだった。

 

 パーティー申請はここに来るまでにすでに済ませてあるし、簡単な打ち合わせもした。

 ただ土蜘蛛姫と同様にどこまであっちの知識が役に立つかは分からないので行き当たりばったりは否めない。



「め、めっちゃ怖そうやん……」



 錫杖を必要以上に力を入れて握る美歌ちゃんが強張った声音を漏らす。

 今回は人が多いから攻撃用の弓じゃなく回復量などがアップする杖系を選んでいるみたいで、その指をよく観察すると少し震えているようだ。

 ゲームでなら戦った経験はあるんだろうけどこっちでは初めてだから仕方ないよね。

 私や景保さんはこうした心の準備すら出来ないまま即座に戦闘に突入しちゃったけど普通ならびびって当然だ。テレビで見るライオンを間近で見るぐらい受ける印象が違うのだから。



「大丈夫。五人もいるんだもの、絶対前の時よりは楽勝よ。それに美歌ちゃんは慣れるまでは援護に徹してくれるだけでいいから」


「う、うん。分かった。頑張るわ」



 そう返してくれるけど、私の気休めの言葉ではまだ彼女の怯えは止まらなかった。


 リアルで目の当たりにする討伐級マルチボスのプレッシャーは半端ない。

 没入していけば忘れてしまうが、こうして多少離れていてもあれの存在感は土蜘蛛姫と同じでこちらを蝕むほどだ。

 ただ質は違う。

 土蜘蛛姫は心臓に爪を突き立てられているかのような圧倒的な絶望感だったが、こっちは思わずひれ伏したくなる精霊のような人とは完全に異質な存在感だ。

 本当なら中一の女の子に戦えというのが無茶なのは分かってる。でも予想される厳しい戦いを切り抜けるためには悔しいけどそうは言っていられない。



「ここに来るまでにも話しましたがまずは一応、対話を試みてみます。目的は二つ。可能であればこの吹雪を止めさせること。結界も解いて街から出せれば御の字です。それとこちらの世界に来た経緯を聞き出し情報を集めること。こんなことが続くようなら原因をハッキリとさせないとこの世界がおかしくなります」


「しかし対話など可能なのか? 会話らしきものは成立したとは聞いてはいるが、あれを見て儂は久しぶりに肝が冷える思いをしているところだぞ。まるで動物園の檻無しの肉食獣を相手しているかのようだ」



 景保さんの提案にジロウさんが口を挟んでくる。

 憮然としたイメージの彼も今回ばかりは頬がひきつっていて動揺しているのが分かった。

 今もあの悲しげなメロディーは風雪に乗って私たちの聴覚を支配している。



「やってみないことには分からないですね。ただ僕も期待はしていません。だから決裂したと思ったら即座に戦闘開始して下さい。判断がつかない場合は僕が式神を喚び出したら合図と思って下さって結構です」


「分かった。そうしよう」

 

「まぁ五人ちゃんと揃ってんだ。戦いになったとしても二十分も掛からず終わるだろ」 



 頷くジロウさんの横で今度はブリッツが気楽そうに言うが、景保さんが顔を横に振る。

 ブリッツには時間が短くて土蜘蛛姫戦の詳しい説明ができていないせいだ。

 ゲームではフルパーティーの慣れた人たちなら二十分もあれば確かに終わる。でもしょせんそれはゲームでの場合だ。



「ゲームと同じパターンが決められた敵と思わないで下さい。僕らは不意を突いた形で送り返したのがやっとでした。もしあのままジリジリと戦っていたら手が付けられなくなっていたはずです」


「送り返した? どういうことだ? 二人で倒したんじゃないのか?」


「いえ、それは……」



 首を傾げるブリッツの疑問に景保さんは言いづらそうにこちらに視線をやってきた。

 内緒にしていた訳ではないけど心配もさせることになるし、あえて話すつもりはなかったんだよね。

 だから私が代わりに答える。



「私のポーションを使って送り返したの。口の中に直接突っ込んでね」


「「「は!?」」」



 三人が豆鉄砲食らった鳩のように私を見て固まった。

 まぁそうなるか。貴重なものだもんね。まさか使っているなんて思いもしなかったろう。



「あ、葵姉ちゃん、ポーション使ってしまったん!? ど、どうすんのそれ!?」


「嬢ちゃんお前……」


「ぶっ飛んでるな。最近の女子高生すげぇぜ」



 心配されたり面白がられたり反応は色々だ。

 


「後悔はしてないわ。あのままだと確実にやられていたのはこっちだったし。それにこの世界に永住を決めた人がいたらその人からもらえるかもしれないから八方塞がりって訳じゃないわよ」



 ジロウさんと美歌ちゃんはそれが半分強がりと受け取ったのか沈黙し、景保さんも責任を感じているのか俯いている。

 ただブリッツだけは何かを思案しているようで上を向いて考え、まとまったのか話し始めた。



「あー、ならこれが終わったらよ。俺のポーションやるよ。迷惑掛けた詫びとして受け取ってくれ」


「え? え? なに急に? 頭の打ちどころ悪かった?」


「お前、仮にもやるって言ってる相手にそれはひどくないか? ……俺はこの世界で老衰まで生きて死ぬつもりだ。だから必要ないんだよ」


「え? 嘘? 本当?」


「本当だ。手元に無い方が返ってすっぱりと踏ん切りが付くだろうしな。必要としているやつが使うべきだろう」



 ブリッツの申し出にびっくりして思考が追いつかない。

 でもものすごいありがたいことを言われているのだけは分かる。

 まさかこんなに簡単に、しかもさっきまで敵だった人に救われることになるなんて。



「やったやん! 棚からぼたもちやな! 怖い顔してるのに心はイケメンやわ」


「中学生に褒められてもなぁ。まぁいいが」



 それでも照れくさそうにするあたりは男の人だね。



「ありがとうございます。じゃあ終わったら頂きます」


「いきなり敬語になって現金なやつだな」


「うっ……せっかく気を遣ったのに」


「今まで通りでいい。別に恩を売ろうってつもりじゃない。何だろうな、心のどっかではやっぱり戦争だとか統一だとか大それたことをするのに肩肘張ってた部分はあったんだ。今はそれが開放された。この世界に初めて来た数ヶ月前を思い出すほど清々しい気分なんだ。まぁ偉くなりたければ今度は拳一つで真正面からやってやるさ」



 語るブリッツはそれこそ等身大の彼に見えた。

 初めて世界の統一だとか言われた時は違和感しかなかったけど、これが本来の彼なんだろう。

 システムのおかげで悪いことは出来なくなっているはずだし、真面目になるなら今までのことは水に流して応援してあげたい。



「はっ! 若い女にチヤホヤされやがってこの若造が。それだったら儂だってポーション出すぞ」


「あん? 爺さん何言ってんだ?」



  突然意味不明なことを主張し出すジロウさんが意味ありげに景保さんに視線を飛ばす。

 彼はそれを受けて考えるがなんのことか分からない。

 それに助け舟を出したのが美歌ちゃんだった。



「いや、うちが出すって!」



 それを見てようやく景保さんが合点を得たらしくそれに乗る。



「あ、あぁ!! じゃ、じゃあ僕も出します!」


「お前ら何なんだ? いやだから俺が出すって言ってるだろ」



 訳が分からずブリッツが困惑するが、その台詞がキッカケで三人はいやらしい笑みを浮かべて、



「「「どうぞどうぞどうぞ」」」



 手の甲を下に向けて押し出してきた。

 なんかこういうネタあったね。


 ブリッツは口をあんぐりと開けて固まった後に、



「あっはっはっはっ! 腹痛ぇ! 何だよそのノリ! どこで打ち合わせしてやがった? 大体、いつのネタだよそれ! 中坊や大学生が知ってるネタじゃないだろそれ! くくくくく……こんなに腹の底から笑ったの久し振りだ」



 文字通り腹を抱えて大笑いし始めた。

 みんなもしてやったりという笑みを深くして笑い合い、シリアスモードだった緊張が一気に吹っ飛んだ。

 そういえば私はジロウさんやブリッツがこうして雑談で笑っているところなんて初めて見たかも。



「知らんの? 関西じゃ小学生でもノリツッコミの一つや二つ出来て当たり前やで?」


「関西人すげぇな……」



 ガチで感心するブリッツだが、私もちょっとびっくりだわその情報は。



「よし、気分も解れたところでやるぞお前ら!」 


「「「「了解!!」」」」



 ジロウさんの掛け声に全員で一斉に頷き肯定する。

 やっぱりわざと変なこと言ったんだね。

 美歌ちゃんなんかはかなり参ってたし、このおかげで沈鬱なムードが消えたのは助かった。



「じゃあまずは僕が行きます。後方待機でお願いします」


「やばくなったらすぐに駆け付けますから無理はしないで下さいね。危険を感じたらすぐに逃げて来て下さい」


「分かってるよ。じゃ!」



 景保さんは一人で降り積もる雪を踏みしめ小走りで災厄へと向かう。

 

 あれに近付くのはなかなかに肝が座っていないと難しい。

 彼だってそんなに度胸があるはずじゃないのにそれでも自分から買って出てくれたのは、他のメンバーがあれらとリアルに戦った経験が無いからだろう。

 そしてきっと私が年下で女だからだ。景保さんはそういう考えが出来る人だと思う。


 私たちや式神の護衛を付けていたら警戒心を与えてしまうから一人で行くと言い出したのも彼自らのことだった。

 もう少し近付いて現場まで百メートルぐらいの場所に移動し、後ろ姿を見守りながら何か不審な動きがあればすぐさま動く用意はしてあった。


 一分ほど掛けて彼は上空に浮いて悲壮な歌を街中に聞かせる霙太夫の下に着く。

 彼女の面持ちは病的なまでに白い肌と儚げな目線。その美貌も相まって薄幸の令嬢を連想させるようなたおやかで、少女から大人の女性へと遂げるその間の特殊な色気があった。

 景保さんはそこから上を向いて大声で話し掛けた。



「すみませーん、ちょっとお話を聞いてもらえませんかー?」



 手で輪っかを作り、駅前にいる勧誘の人みたいな言い方だ。

 ちょっとズッコケかけた。他に良い言葉がなかったのかと思わなくもないけど、まぁ私がやっても同じようなもんか。

 横を見たらみんなも苦笑いしていた。さっきので緊張が解れるどころか緊張感すらも失くなっちゃったなこれ。


 反応が無く、景保さんはもう一度大きく叫ぶ。



「すみませーん! お話させて下さーい! お願いしまーす!」



 それでようやく気付かれたのか霙太夫は足元に頭を振る。

 けれどその後の反応は予想の斜めを上をいっていた。

 お互いの目が合うと、




『ひゃ……』


「ひゃ?」


『ひゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!?』



 いきなり上空から落下してきて雪にその体を埋めた。



『お許しなんしお許しなんし。殴りんせんでくんなまし』



 は? なんだこの状況は? あれって八大災厄だよね?

 そこそこ距離があるここからでも威厳もへったくれもなく霙太夫が頭を手で庇うようにして震えているのが分かる。

 


「えぇ……」



 景保さんも困惑を隠しきれず助けを求めるみたいにこちらを窺ってきた。

 さすがにここから指示は出せない。てかこっち見たら私たちが隠れているのバレるからやめて!



『わっちは何にも悪いことはしていんせん お許しくんなまし。蹴るのは止めてくんなまし。乱暴するのは止めてくんなまし!』



 哀れを誘う霙太夫に私たちもどういう視線を向けたらいいのか分からない。これでは最大限の警戒を促していた私たちが恥ずかしくなってしまう。

 なんなのこの虫歯で歯が痛いのに歯医者行ったら急に痛く無くなったみたいな肩透かし感。

 ただいきなり敵対は無さそうなのでそこは安心するべきか。



「ちょ、あの、大丈夫ですから僕は何にもしませんから」


『いやぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』



 一方的な悲鳴。

 違う意味で会話が成立していない。

 これではまるで景保さんが彼女を虐める悪役だ。 


 思えば土蜘蛛姫も姫という設定のまま顕現していた。彼女もひょっとしたら女郎であった時のままの性格になるんだろうか。

そうだとするならそれは……なんて哀れなんだろう。

 八大災厄はたいてい悲運な人生を歩んだ人間や妖怪が転変し、大和という国に恨みを持つものが多い。

 しょせんゲームの設定ではあっても、自分が異質な存在に変貌するほどの身を焦がす憎悪や慟哭どいうものはいかほどのものだろうか。想像するだけで身震いがする。


 なおもコミュニケーションができない霙太夫に対し景保さんが無防備に近付いた瞬間、ぱっと綺麗なダイヤモンドダストの氷晶が散った。

 一拍遅れて、



「あがああああああああああああっ!!」



 景保さんの絶叫が空に轟く。

 しかしさらに勢いが増す風雪に溶け込みすぐにかき消え、私たちの背筋に慄然とした想いが走る。


 目を凝らして凝視すると彼の右腕が完全に凍っていた。

 ただ凍っただけと思うかもしれないが、素手で雪や氷を触った記憶や水風呂に入ったことを思い出すとその耐え難い痛切な冷刺激が理解できるだろう。

 冷凍庫で冷やしている一欠片の氷ですら十秒持つのですら細胞が悲鳴を上げどれだけの忍耐が必要か。それが腕一本となると大の男でも泣き叫ぶ痛みとなる。



「見るからに交渉は決裂だ。行くぞ! 爺さん援護は任せた」


「任せろ! ―【弓術】土飛つちとうお―」



 あれを攻撃と判断し、慌ててブリッツが指示を出す。

 それと同時に私はもう路地から飛び出していた。

 もうスニーカーなら埋まってそうなほど雪が積もっていて少し走りづらくなっているが、このぐらいの距離なら一息だ。


 ただ私より先にジロウさんの矢が届く。

 彼は霙太夫ではなく足元の地面に向けて放ったのだが、それがこの弓術の特徴。

 見えない土の中を潜り敵の足元から襲う奇襲度の強い技だ。


 これだけ距離があると命中率はかなり減衰し急所への狙いは難しいが、霙太夫の左肩に向かって勢い良く雪道から現れた。

 カッ! いつの間にか彼女の周りに出現していた小振りの氷晶に阻まれる。

 『矢避けの氷盾ひょうじゅん』――自動で遠距離攻撃を防ぐ【猟師】や【巫女】泣かせのスキルだ。

 鏃はそのまま氷に突き刺さって止まりダメージは与えられない。

 

 その代わりこの間に私はもう肉薄する距離に詰めている。

 刀を腰溜めに構え景保さんの横を通り過ぎ、真横から迷いなくまだ後ろを向いている霙太夫に振り切った。


 けれど背後を見ないまま無造作に振られた透明の氷剣と斬り結ぶ結果となる。

 その氷で作られたある種、芸術品のような氷剣は雪女の細腕には似合わず幅が広く、刀身部分はさながら青龍偃月刀だ。

 それを両手に一本ずつ握っていた。

 霊力だか妖力だかで固められた硬質的な氷は向こう側が透けて見え、鉄よりも切れ味が鋭そう。

 


『この糞餓鬼共がぁ! 小煩く羽ばたくんじゃねぇ!!』



 回転して立ち上がる霙太夫。その形相は一変していた。

 先程までは弱々しく儚げで決して目を合わそうとしない大人しいというイメージでしかなかった。

 だというのにギリギリと無垢な白歯を強く噛み合わせ、まるで親の仇の如くこちらを強烈に睨みつけてくる。

 それが感情を露わにむしろ真逆の変貌。



「なっ!?」



 さすがにこの変わりようには戸惑って言葉が詰まってしまった。口調までもが別人かのように変化している。

 霙太夫は強引に一閃し私を引き離す。

 ごう、と豪快に雪風を切り裂く刃が私の胸先を通過しヒヤっとしながら後退した。


 その直後、霙太夫に一直線に疾駆する大きい影が私の横を通過する。

 ブリッツだ。

 敵としてはなかなかに厄介なやつだったが、味方になるとこの巨体は頼もしい。

 さらに【僧兵】は【忍者】と同じく相手に近付いて攻撃するアタッカーなのでヘイト分散もやりやすく、気分的にもだいぶ楽だった。 



「俺も混ぜろよ! ―【仏気術】地天じてん脚絆きゃはん―!」


『うぜぇんだよ、筋肉達磨きんにくだるまが!』



 霙太夫の剣に飛び蹴りをしたブリッツの土のプロテクターが激突する。

 鍔迫り合いが起き、氷が削られるエフェクトが発生してブリッツは空中で空いた片足を突き出す。



「そらよ!」


『小賢しい!』



 その顔面を狙われた激しい蹴りを霙太夫は舞を踊るような回転するステップで避けた。

 腰まで届く髪に掠り、脆く砕け散って霧氷がキラキラと散っていく。


 二人がかりでほとんどダメージを与えられていない。

 土蜘蛛姫と違い暴虐な力は感じないが、その分、技術を感じさせる動きで守りが固い。


 ただ景保さんの下がる時間は十分に稼げただろう。

 今頃は治癒されているはずだ。



「あかん! なんでや!?」



 けれど後ろから届いてきたのは美歌ちゃんの焦った悲鳴だった。

 弾かれたように後ろを振り返るとまだ解氷されていない腕を抑える景保さんと、錫杖を両手で持ち慌てふためく美歌ちゃん。

 彼女は怖気づいて縮んでいるように見える。


 そして続く言葉は否定したくなる現実だった。



「状態異常が解除できひん!!」



 口から吸い込む息苦しいほどの雪混じりの空気が肺を冷たく刺激した。

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