3章 17話 一難去ってまた一難
「もう時間を伸ばしたからって有利になることはない。全開で行くぜ! ―【仏気術】
「それはこっちの台詞よ! ―【土遁】
鋼鉄を凌ぐとすらされたサンドサーペントをナマス切りにした風の刃を、土壁で防ごうと発動する。
しかし風が厚い壁を真っ二つに切り裂いた。
「しまった!」
出鼻をくじかれた。
大和伝では属性の強弱は中国の五行を設定として用いている。
風は木属性だ。
だから堅牢な防御術である土畳返しが、あっさりと向こうのかまいたちに負けた。
遮二無二頭を下げて殺人級の暴風が吹き抜けるのを見送る。
「そらよ! 踏み潰してやる!」
すでにブリッツは上だ。
一瞬で飛び退き体勢を整え、全速力で走る。
着地したブリッツに側面から仕掛けた。
浅い呼吸を繰り返し意地をぶつけ合い、躍動しながらお互いの牙でお互いの体を容赦なく噛み砕いていく。
首、手首、腹、ふともも、狙う箇所はいくらでもあるが、ここまではそれにダメージとして届かせるのが至難の業だった。
しかし今は防御を疎かにし、ブリッツも私の命を刈り取ろうと必死になっているおかげで攻撃が通りやすくなっている。
ジャブですら一撃一撃がぼっぼっと空気を撃ち抜き骨をも軋ませる威力の拳が私の頬を掠めていき、 それだけでもHPが削られている。
ここでいけないのが恐れること。恐怖は勇気を蝕み勝機を失わせる。それを防ぐため私が目の前の男に負けるはずがないと何度も頭の中で言い聞かせる。
細かく刻んだ隙の無い拳による結界をこじ開けるために私はわざと体を崩す。
もちろん誘いだ。
「ふっ!」
予想通りの大振りの豪腕の下を掻い潜り、逆手で持った半蔵の隠刀でブリッツの横っ腹を引き裂いた。
今のは手応えありだ。けっこう良いのが入った。
「んなろぅ!!」
痛みに呂律が回らないブリッツは歯を食いしばり強引に足を振り上げてきた。
自分から跳んで威力を殺す。それでも場外へまで飛ばされた。
続けざまに闘技場の観客席に足を付けた私に向かって繰り出されるのは、
「―【仏気術】
凝縮した水が形作るのはサンドサーペントに匹敵する巨大な水の竜。
太陽の光が反射で煌めき心が浄化されるような水明を全身に映し出している。
その巨体に似つかわしく速度は速い。そして大きいので当たりやすくダメージもでかいと【僧兵】にはお馴染みの極め技だ。
唸る水音。
睨まれただけで足が竦みそうになるその水竜は、術者のブリッツに従い私を丸ごと一呑みにせんと踊り掛かった。
「くっ、やばい! ――なんてね」
こういう時に【忍者】ってのはとっておきを持っているもんなのよ!
「―【木遁】変わり身の術―」
一日一回しか使えない忍者の緊急回避技。
刀の柄で腕を叩きそれを起点に発動した。
私がいた場所には代わりに丸太が置かれそこに膨大な水の竜が食らいつく。
何十トンもある重量がまさしくハイドロポンプとなって観客席を飲み込み咀嚼する。
それでも収まらずぽっかりと外に続く大穴を強引にこじ開け、そこまでしてようやく満足したのか消えていった。
そして私はというと、
「―【双刀術】―牙刺し」
「ぐあああああああああ!!!」
回避は攻撃に繋がる。
瞬時にブリッツの背後に回り二刀を獣の牙の如く両肩にめり込ませた。
さっきのダメージと【忍者】の背後からのクリティカル要素もある。
これでかなり致命傷に近いはず。もしくは一気に即死までいったか!?
「――なんてな。嘘だよ!」
私が与えたのは不意の大ダメージだ。
なのにブリッツは平気な顔をして裏拳を私にかましてきた。
眼球が飛び出すんじゃないかというほどの殴打。
弾き飛ばされ頬がひりつき骨がジンジンと痛みをこれでもかと訴えてくる。
砂の上を転がりながらも全部を我慢し手を突いてジャンプし体勢を維持した。
が、すでにブリッツが追撃に入っていた。
サッカーボールのように蹴飛ばされ一蹴りで闘技場一番上の席へと衝突する。
続いて全身を打ち据える痛み。衝撃で熱に浮かされたように腰や頭が熱くなり体が痺れたように動かない。
後衛職よりマシ程度の【忍者】の低防御力では攻撃を食らってしまうのがもうまずかった。
やってしまった。ダメージでほとんど力が入らない。
ブリッツは追い縋って大の字で寝転がる私の前で止まった。
「な、なんで?」
「なんでダメージ喰らってないかって? お前らだけが『魔石奉納』してると思ったかよ? 【僧兵】の一日一回限定術の自動復活する『―【仏気術】―焔摩天の輪廻転生』を今の俺は二回使える」
「に、二回!? 無茶苦茶じゃない! てか、あんたたちも!?」
「そりゃそうだ。こっちは大金を動かせる立場にいるんだからよ。寝てても便利スキルが手に入るなら金で買って試すだろ。絡繰の研究だと言えばどんどん研究資金は湧いてくる。それを俺と名無し分の直接魔石を買う資金に充てたってまでさ。まぁ街の皆さんには税金で多少のご負担は頂いてるけどな」
「どこまでも自分勝手な! あれ? でもジロウさんは二重召喚に驚いてなかった?」
「爺さんとはしょせん口約束の仲だからな。万が一裏切られたらと考えて黙ってた。名無しの絡繰が制限解除されたのもこれのおかげだ。ま、もうちょっと信頼関係が築けたら教えていたかもしれないけどな。実は俺の部屋に爺さんの分の魔石を少し確保してあったんだぜ? 無駄になってしまって残念だがよ」
表情の固まっているジロウさんを一瞥だけしてすぐにブリッツはこちらに視線を戻す。
「名無しの絡繰のコスト制限が無くなるなんておかしいと思ってたのよ。でもそれなら納得はするわ」
「ご理解頂けたようでなによりだ。そろそろとどめでいいか? その状態からの一発逆転はもう無いだろ」
「……一つだけいいかしら?」
「どうぞ」
これだけは言ってやらないと気が済まない。
「戦争だ、仲間集めだ、って言うけどさ。あんた人望無いよね? 名無しは言うこと聞かないし、ジロウさんとは利害関係だけ。しかも止むに止まれずって感じ。私たちには人質取ってこうして強制的に力を貸させようとする。あんたのやっていることは裸の王様よ。戦国武将なら石田三成ってところかしら? 知ってる? 最後には負けちゃうんだよ。そして歴史の教科書に載って小学生に落書きされちゃうの。そんなのが望みなの?」
「痛いところを突いてきやがる。俺だってな! ……いややめとくか。こんなこと言ってもどうしようもない」
ブリッツにはブリッツなりの言いたいことや考えがあるんだろうけど、彼はそれをぐっと飲み込んだ。
だからと言ってどんな事情があろうとも、私は今回彼がし出かそうとしていることは決して容認できやしないんだよ。
「でもさ、今からでも考え直すならフレンドになってあげるわよ? 訳分かんないことしないで普通にこの世界を冒険しなさいよ。きっと楽しいことがいっぱい待っているわ。私たちに良い顔したかったのかもしれないけど、あんたアジャフの椅子になってた獣人の人を助けてくれたじゃん。根っからの悪人でもないでしょ?」
「……葵、お前のそういうゲームと変わらないでいられるところは尊敬するよ」
「だったら!」
私の説得にブリッツは首を横に振る。
一体何が不満なんだろう。異世界を楽しんだらいいだけじゃん。
わざわざ戦争なんて馬鹿なことする必要なんてどこにもない。そこは私にとって何一つ理解できない部分だ。
「きっとお前にはこの世界は遊園地みたいに見えているんだろうよ。そんで疲れるまで遊んだら家に帰るつもりだろう? だがな、俺とお前が決定的に違うのは、俺にはもう帰る場所は無いんだよ。お前にはお前の事情があるように俺には俺の事情がある。たとえ他人を蹴落としてでもやり遂げるものがな」
「だったら相談しなさいよ。なんでそうしなきゃいけないのかをさ! これだけみんないるのよ? 私だって、景保さんだって、ジロウさんだっている。あんたこそが腹を割って話さないから信用されないのよ!」
「そうかもな。まったく……子供はたまに本質を突きやがる。だけど押し問答で止めるぐらいの覚悟でやってはいないんだよ。これ以上は体力回復のための遅延と受け取ることにするぞ」
ち、バレたか。
でもまぁ今言ったことは本音ではある。これで説得できるとは思ってはいなかったけどさ。
「分からず屋! こうなったら石に
ちょうど倒れているので手が地面に着いていて発動条件は満たしている。
ノーモーションで土壁が地面からせり出してきた。
ただしその起点は私の背中の裏。
「ぐわわ! 思ったより痛い!」
「何!?」
まぁ攻撃忍術じゃないとは言え、角張った壁だもの。
初級忍術の土遁ぐらいの威力はありそう。
でもそのおかげで意表は突けた。
HPも体力ももうあんまり残っちゃいない。
ここら辺でカタを付けないともう後がないんだ!
土壁に押し上げられた上からの強襲。
自由落下する私は空から真っ直ぐにブリッツへと二振りの忍刀をしっかり握り締め向かう。
「その捻じ曲がった性根を叩いて直してやる!」
「やれるもんならな!」
もう何度も見たねじり込まれるフック気味のストレート。
私を迎撃しようとするそれを逆手に持った右手の風魔小太郎の忍殺刀で衝突させる。
一瞬だけ膠着状態になり、すぐさま私が押し負ける。
だがそれは予定通り。わざと手を抜いたんだ。
本命は反動を付けた左手の半蔵の隠刀。
初見では百パーセント無理だけどこれだけ打ち合えば癖とタイミングの一つぐらい掴めるっての!
「何ぃッ!?」
「いけぇ!!」
後の先とでも言うべきか、思いっきり腕を伸ばしたブリッツの首を狙う。
こいつのパンチを利用して体をコマのように一回転した左からの熱の籠もった一閃。
一撃で決まれ! 思いの丈を刀の刃先に乗せる。
鋭い切っ先がブリッツの筋肉質な首筋に届かせ――られなかった。
私の刀は薄皮を削るもあとほんの数センチが足りない。あまりに強い豪拳に目測を誤ってしまった。
「けっこうびっくりしたが残念だったな!」
ブリッツは私の首をがっしりと掴む。
「ぐぐぐあああ……」
太く強烈に締め上げてくる指が私の肉と頸動脈をがっちりと拘束する。
すかさず両手の刀をその腕に突き入れようとするもブリッツはすでに指を離していた。
「本当にじゃじゃ馬だぜ。大人しくやられてろ!」
浮遊落下する私に正面からの手甲がヒットし、盛大にふっ飛ばされる。
数十メートルの空を飛び、再び体を打ち付け舞台へと舞い戻った。
ただしみっともない無様な格好でだ。
けっこうやばい。普通にやばい。激ヤバだ。
HPは残り僅か。SPの消耗も激しい。体はまだ動くけどだいぶ鈍くなっている感覚はある。
策を練れ。ここで私が負ければ全てが終わりだ。平穏無事に明日が続くと思っている人たちの日常が潰えてしまう。
「もうこうなったらありったけ!」
私はウィンドウからありったけの煙玉を出した。
元々これは十個しか持てないやつで個数制限がシビアなもの。
闘技場のそこかしこに投げ付けるともうもうと勢い良く白い噴煙が噴き出してくる。
そう時間掛からず辺り一帯が雲海に沈んだ山のように自分の手の先すらも見えなくなった。
アイテムの補充が効かないこの世界で全てを使い切るというのは非常に痛手だ。
でもそんなこと言ってらんない。負けたら奴隷のように唯々諾々と絶対服従し抗うことすら許されていないのだから。
今の内だ。逆転の一手を考えろ。身を潜めてあいつの隙き窺え!
「これは……。へぇ手が出せないな」
観客席からブリッツは腕を組んでもはや一面の白煙の世界となった眼下を見下ろす。
押しているのは自分でこっちには回復する術が無いのを知っているからだろう。その顔にはまだ余裕があった。
「ま、肉弾戦が無理ってだけで術で出鱈目に攻撃すりゃいいんだが無駄にSPを使うのもな……。いいぜ見せてやるよ。魔石奉納で得た二つ目の力をよ!」
その言葉は別に大声ではなかったけれど、高性能な私の耳にはしっかりと入ってきた。
意味を理解した途端にぞくりとする。
まさかこの本来の力を超えたチート級のスキルに二つ目もあるの!?
すぐに動くべきか逡巡する。
それがブラフの可能性もあるからだ。
せっかく煙玉を大盤振る舞いして作った体力回復の機会を捨ててまで特攻すべきか? 単なるこけおどしであればピンチになるのは私だ。
どうする?
行ったり来たりする優柔不断な思考に体が凝り固まっていく。
「―【仏気術】羅刹天の執着―」
ブリッツの術の発動と共に彼の後ろには般若の形相をした鬼女の人魂が浮かび上がる。
白煙の薄い切れ間から私はそれを見た。
『キィィィアアアアアアア!!!』
直径二メートルほどのそれは嘆き悲しみ、ガラスが摺れているような奇怪な鳴き声を辺り一帯に木霊する。
耳を塞ぎたくなる不快で不安にさせ脳が軋む声。
嫉妬、憐憫、哀れ、憎しみ、嘆き、色んな慟哭する負の感情が凝縮し混ざりあっていた。
さながら
「これも一日一回限定の技だが、先に教えておいてやるよ。こいつは地獄の果てまで対象を追い即死させる術で、仮に即死しなくても相応のダメージも与える。素早いやつには効果てきめんってやつだ。まぁ逃げ切れるもんなら逃げてみな」
初見の技。これが最も怖い。
大和伝の術や技は大なり小なりたいていは知っているから予測が立てられるが、初めて見るものにはどうしても及び腰になってしまう。
ブリッツは勝ちを確信しているおかげで効果をしゃべってくれたけど、そうじゃなかったら相当にやばかった。
いや実際、詰み一歩手前は変わってないっぽいけど。
鬼女の怨霊が私を狙って行動を起こした。
速度はやはり速い。しかも煙の中にいる限り探索スキルなどの効果が及ばないはずなのに、一直線だ。
「マジ!?」
さすがに度肝を抜かれる。
怖い顔した幽霊がルールを無視して私の命を奪おうとしてくるんだもの。
『キィィィィ!!』
金切り声を上げ突貫してくるそれに迎撃用としてくないを三本投げつける。
たいてい誘導ものっていうのは小石とかを当たれば勝手に爆発するものよね。
しかし私が放ったくないは怨霊がまるで本当の幽霊みたいに当たらず通り過ぎていっただけに終わる。
誘爆は効果なし。残酷な現実だ。今思いついた唯一の対処法が何の効果も上げられなかった。
「うっそ!?」
もうこれ以上の猶予は無い。すぐ傍まで迫っていた。
飛び退き煙に紛れる。夢の中と間違うような深く白い闇。
直後にさっき私がいた場所を何かぞっとするものが通過する気配がした。
地面がえぐれたとかそういうのではない。被害は何一つ出ていないというのに、本能的にヒヤっとするものがある。
あれはきっと本当に当たるとやばいものだ。意識していないのに小刻みに震え脂汗が出てくる体がそれを教えてくれている。
誘爆はさせられず、かと言ってこの視界不良の煙は私にとって一方的に不利になってしまった。
どうすれば止められる? いやむしろ刺し違え覚悟で強引にここから飛び出てブリッツに突撃するべきか?
いや、あいつはまだ自動復活の術を一回分残している。どうしたってこっちが不利だ。
追い詰められて思考がどんどんと無謀な賭け寄りになっていく。
そんな時だった。
――急に首を締められたのは。
□ ■ □
「さてこれで王手だな。ようやく準備は整う。あとは他の領主たちが足並みを揃えるのを待つだけだ。葵と景保、二人には長い付き合いになってもらうぜ」
腕を組みながらブリッツは自身の勝利を確信していた。
『―【仏気術】羅刹天の執着―』は大量の魔石を奉納して覚えられたスキルだ。
日本円に換算すると小市民には震えが来るほどの額を投入せねばならなかったが、その威力には確かに眼を見張るものがあった。
モンスター相手に何度か試してみると、羅刹天の執着は本当にどこまでも追っていく。
固い鱗も、ひとっ飛びで山を超える羽を持つ魔物もあれの前には何ら意味を為さない。
仲間を――というよりは名無しを信用していないブリッツは本当ならこれを隠し玉として持っていたかった。
絶対有利なはずの合戦。しかし蓋を開けてみると意外と粘られ五分にまでもつれ込まれてしまい、精神的に追い詰められていたのは実は彼の方だ。
万が一にもここで負ける訳にはいかない。そして今は煙玉すらもあれの障害にならないと知るとその自信は揺らがなかった。
ブリッツの眼下の白煙内では三度ほど怨霊の攻撃を避けたような気配があったが、それも時間の問題だろう。
あの中では煙玉の使用者すらも視界はおろかマップや探知スキル系は一切発動が阻害される。
それに対して鬼女の怨霊は正確に葵の居場所を判別しているのだから。
避ける手立ては音と勘ぐらいしかなく、そんなものがいつまでも続くはずがなかった。
「終わったら豪勢な飯でも出してやるか。最初はこんな形でも一緒に飯食って話せば分かり合えるってもんだ」
それは体育会系のノリというか理屈だった。
彼はそういう方法しか知らない。
それが多少強引な方法であると自覚しつつも、これから上手くやっていく自信はあった。
部活でも会社でも、そして大和伝でのギルドでも色んな人間を見てきたが、彼の人生哲学は最終的に人間は情で動くもの、というものだったから。
長くいれば今は反発していてもやがては迎合していくだろうという思惑があったので、この後のことはそれほど心配していなかった。
「さすがにそろそろだな。ほうらきた」
鼓膜を破る勢いのヒステリックなキンキン声が発せられ、紫色の光の柱が生じた。
見通しの悪い煙の中で怨霊が標的を仕留めた合図だ。
即死か、仮にレジストしたとしてもダメージがある。今の葵には到底耐え切ることができない威力でどちらにせよ死亡確定。
ブリッツの緊張はすでに解けていた。
――だから飛び出してきた黒い影に気付くのに遅れる!
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「何だと!? 死んだはずじゃ!?」
それはやはり葵だった。
分厚い白い煙を突き抜けブリッツへとまっしぐらに全力で飛ぶ。
ここが正念場だと死にもの狂いで防御を捨て攻撃のみに専念した。
その気迫が伝わったのかブリッツは両の腕を縦にガードして固く備える。
さっきの首を切りそこねた攻撃が脳裏を過ぎったからだ。それに驚きもあって単純な行動しか取れなくなっていた。
しかし葵の狙いはそこではなかった。
葵の弾道はブリッツの首を少し下に逸れている。
自分の顔を守る腕のせいで彼はやや視界が塞がれそれに気付けなかった。
激突するのはブリッツの首を守る手甲ではなく、彼の鳩尾だ。
「のりゃああああああああ!!」
「ぐぶっ!?」
葵はすでに刀を鞘に納めていた。
がら空きのお腹に力いっぱいのパンチが突き込まれブリッツは観客席を滑りながらむせる。
予想外の箇所に埒外の攻撃が来て身構えることができず、そのダメージは思ったよりは通るも、しょせんはただの素手。
訳が分からず防御姿勢を解いてブリッツは葵を探す。
いつの間に彼女は忽然とその場にはいなくなっていた。
「は!? ど、どこ行った!?」
敵の所在をいち早く確かめようと顔を左右に振るブリッツの双眸に映るのは、煙が晴れようとしている闘技場の中心部。
そこに葵が後退していくのが見えた。
ブリッツは眉間に大きな谷間を作って不審がる。
当然だ。
ここで一気に畳み掛けなければ彼女に勝機は無い。
もちろんブリッツとしては抵抗はするので結果がどうなるかは分からないが、絶好のチャンスを葵は失ったことになるのだ。
その謎の行動に合点がいかない。
だがそれはすぐに知れた。
葵の手にはさっきまで懐にあった巻物があったのだ。
「やられた!!」
彼女は攻撃でブリッツを倒すのではなく、巻物を掠め取る方法を選びそれを成し遂げた。
自動復活ができる『焔摩天の輪廻転生』があと一回残されている以上、これしか選べなかったというのが正確なところだろうか。
しかしあろうことか、彼女は巻物を指で器用にくるくると回してお手玉のように遊び始める。
さすがに焦ったブリッツはこれを挑発と受け取り、頭を沸騰させ取り返すべく跳躍した。
けれどそれこそが罠だった。
葵はブリッツが単純行動に出るのを待っていたのだ。
途中でそれに気付いた時にはもう遅い。
「歯ぁ食いしばれぇぇぇぇ!!!」
動揺して足場の無い空中へ身をさらけ出してしまったブリッツ。
いかな超人でも術が無ければ空を歩くこどは叶わない。
しかも誘導されたとなればどうしても分が悪かった。
葵による会心の踏み込み。
足でしっかりと地面を蹴り、腰を回し、連動する力が十全に伝わって彼女の細腕がカウンター気味にブリッツの鼻面に突き刺さる。
感触は固い。レンガだろうが木だろうがお構いなしに粉砕する拳はただの人間さえも砕けない。
だが相応のダメージは通っている。
鼻骨を砕き皮膚を捻じり、頭蓋を浸透し頭が痺れる痛みをブリッツは壁に叩き付けられるまでのコンマ数秒の間に受けた。
「ぐ、くそ! 時間が! って、おい冗談きついぜ!」
鼻血が垂れそれを拭くのすら億劫な焦燥が支配している。
急いで取り返そうと体を起こした瞬間、目の前に札の付いたくないがブリッツの元へ吸い込まれるように一本飛んできていた。
スロー再生のように彼はそのくないを見た。
「これがなけなしのSPの最後! ―【火遁】爆砕符―【解】!」
「があっ!?」
葵の
と言っても普通の人なら消し炭すら残らないレベルの爆発だ。
ブリッツは眼前で破裂する爆炎を腕をクロスして防御に成功しなんとかそれに耐える。
一応自身のHPを回復する術は使ってはいるが、ブリッツの体は倦怠感がひどく意識はやや朦朧としていた。
死ぬほどの傷を二度以上受けたのだ。HPは回復しても体力や魂の摩耗というものは避けられない。
その上、吸い込む息は灼けて乾いた劣悪な酸素で、肺がそれを拒絶しむせた。
手足が立ち上がるのを拒否し、継続する意志が弱まっていることを自覚する。
彼にとって痛みを伴う戦闘というのはこれが初めてだった。
もし葵や景保のように死線を一度でもくぐり抜けていたら、大急ぎで食らいついていたかもしれない。
けれど口や態度でいくら強がっていても元が単なる一般人ではすぐに慣れるというものではなかったし、ここまでの名無しやジロウの裏切りなどによる精神的な孤独を感じていたせいで、命を懸けてまでやり遂げる熱意が陰っていた。
――痛ぇ……。俺はなんでこんなことやってんだったっけ? なんでそうまでしなけりゃならないんだったっけか?
低酸素による軽い目眩がした。脳が緩慢になり一種の混乱を引き起こされる。
脳裏に浮かぶのはなぜか大和伝で一緒に遊んだメンバーたちの顔。
『次はどのクエストやります?』
『新しく実装されたボスを倒しましょうよ! 良いドロップ装備が出るまで今日はやり続けますよ?』
『さぁ行きましょう! 僕らのクランだって上位陣に負けてないってところを見せてやりましょうよ!』
懐かしい気持ちになれた。心地良い時間だった。彼らといるだけで楽しかった。
ちょっと背伸びして格好付けて、そんな自分でいられた居場所だった。
『その……俺たちの結婚式に来てくれませんか? 全部ブリッツさんのおかげなんです! 数あるゲーム、数あるクラン。その中であなたに出会えたからこそ今の俺たちがあるんです。仮に違うクランにいてもあなたがいなければ俺たちはここまでの仲にはなれなかった。実際に会って感謝の気持ちを改めて伝えたいんです!』
どっちも控えめで背中を押さないと話すらまともに出来ないようなクランメンバーの二人だった。
ただ何となくお互いが気に掛けているような気がして、面白半分にブリッツが世話を焼いただけに過ぎない。
最初は大和伝の話題からブリッツが話を振って会話させ、ゆっくりと時間を掛けてゲームだけでなく徐々に
住んでいるところが案外近く、気も合ったらしい。
途中からは構わなくても二人で頻繁にコミュニケーションを取るようになって、まさか結婚までとは思わなかったが、それを聞いた時は誇らしい気持ちにもなった。
――結婚式、行ってやれなくてごめんな。
彼の数少ない元の世界に残してきた後悔の一つだった。
断った理由はこんな自分を見られたくないから。
ゲームでは偉そうに先陣を切る男が、本当はベッドの上から動くこともできない情けないやつだったと知られたくない。そんな小汚い虚栄心だ。
――今の俺はあいつらに胸を張れる俺なんだろうか?
否だ。断じて否だ。
失望されるに決まっている。そんなことは考えるまでもなく理解できる。
ブリッツは彼らの顔を浮かべると急に恥ずかしくなってしまった。
こんな自分を彼らに見せられるのかと。
――俺はそもそもなんでこんなことを……。
もちろん自分のためだ。
あのベッドの上でただ横たわる人形の日々から解放されるために心の痛むことを見て見ぬ振りし、全てを利用しようと画策した。
ただ……。ただ根っこにあったのは二本の足でしっかり立って
決して叶うことのない夢と諦めていたのに、異世界という希望が見えてしまった。
後ろめたい気持ちと共に、脳の隅に追いやっていたそれをブリッツは思い出す。
視界に光が戻る。
記憶にあるぬるま湯に浸された世界。そこから脱却し再び動き出すまでに数秒の沈黙を要した。
「――って、こんなことしている場合じゃねぇ!」
これは致命的な間。ブリッツがはっとしてそれを悟るのは明らかに遅かった。
時は無情に誰にでも公平に流れる。
『プレイヤー葵による巻物の十秒奪取を確認しました。勝者は「くノ一と陰陽師と獣人のみなさんのおかげです」チームです』
まごまごしているうちに機械的なログがプレイヤー全員の視界に流れる。
そして大勢の人間が
□ ■ □
「いぇーい!!」
景保さんと美歌ちゃんとハイタッチで勝利を祝う。
手がちょっぴりヒリヒリして勝ったって実感がちょっとだけした。
「ふん、私たちのおかげがあったことも忘れないでよね。あ、ちょっ!」
ミーシャがまたツンデレを発動したので有無を言わさず抱き着いて黙らせた。
死んでフィールド外にワープさせられた人たちや私は勝利後に一旦、開始時の場所に強制的に戻らされた。
一度だけ合戦フィールド内にワープできる機能があったので、合流した景保さんと美歌ちゃん、それに顛末を見届けたいと願ったアレンたち三人とライラさんを引き連れてまたこの闘技場へとやって来てブリッツたちに見せつけてやったのが今だ。
アジャフ側は兵士約二百人と参加していたプレイヤーなど全員が揃っている。
もう隕石でも降ってきたんじゃないかってぐらい闘技場がボコボコの有様になっているけど、これの修理費用って向こう持ちだよね?
払えって言われたらそれこそエスケープするしか道はないわ。
「やってくれたね! 本当にありがとう! 棄権してもまだモニターは見れたから、ヒヤヒヤしながら観戦してたけどすごいよ葵さんは!」
「おめでとうさんやで葵姉ちゃん! うちはやってくれると思ってたよ」
二人に祝福されついつい顔が綻んじゃう。
色々と狡賢く立ち回ったおかげだよね。
何にも試さずただ行き当たりばったりで臨んでいたらきっとこの結果は得られなかったはずだ。
「はぁー? どういうことだよこれは! 圧倒的有利じゃなかったのかよ? 大の大人が何人も揃って何やってんだよ! こんなの参加するだけ無駄どころか意味不明な制約まで付いちゃったんだぞ、どうしてくれるんだよ?」
私たちの他は基本的にお通夜ムードなんだけど、一人だけやたら喚いてうるさいのはいる。
鬼の首を取ったかのようにブリッツたちに当たり散らすのは名無しだ。
「黙ってろ。お前だって式神相手に負けて逃げただろうがよ」
「はっはぁ! 僕のは戦略的撤退だし、負けてはいない。大体あんな変身を隠しているなんて聞いてないし、裏技みたいなのを使われなかったら勝ってたっての! そっちはほとんどガチンコで負けたんだろ?」
「だったらどうしろっていうんだよ。責任を取れとでもいいたいのか? 解除する方法なんて知らないし、どうしようもないぞ?」
「それは……」
特に何も考えておらず文句を言いたいだけだったのか名無しが言い淀む。
まさしく大人と子供ほどの年齢の差があるブリッツはそれ以上反撃する気はないようだったが一つだけ漏らした。
「俺だってな、爺さんの裏切りがなけりゃあ勝ってたよ」
悔しそうに目を逸らし恨めしそうにジロウさんを睨むブリッツ。
そう私たちの勝利にはジロウさんの手が貸されていたのだ。
□ ■ □
「ぐえっ!」
煙の中で急に首を締められ苦しみにえづいた。
まさかブリッツじゃないだろうし、今も私を追う羅刹の仕業でもないだろう。
とにかく私を縛ろうとする腕を掴もうとしたら空振った。
すでに拘束は解かれていたのだ。
「すまんすまん、肩を掴むつもりが首を掴んでしまった」
私を煙絞首刑にした犯人はジロウさんだった。
何にもしないとさっき誓ったばかりなのにいきなり攻撃してきてまた嘘吐かれた?
思わず握る刀に力が入る。
「あぁ待て待て嬢ちゃん。これは攻撃じゃない。話があるんだ。時間が無いから手短に聞け。――儂が代わりにあれを引き受けてやる。その代わり勝て。それだけだ」
反撃しようかと逡巡しているところに慌ててそうした一方的な提案をしてきた。
どういうことだ? さっきも思ったけど何にもしないんじゃなかったの?
「えっと、なぜ味方をしてくれるんです?」
信じるためには理由が必要だった。
納得がいかないようなら無視すべき。だって一度騙されているんだから。
「さっきの嬢ちゃんの啖呵にな、思ったより心を打たれたんだ」
「さっき?」
「みんないるのに相談しろってな。覚悟も据わっていない自分の孫と歳がそんなに変わらない嬢ちゃんたちに相談しても何も変わらないと勝手に思い込んでいた。しかし嬢ちゃんたちは知恵と努力で不利を覆しここまでやった。儂の方が恥ずかしくなってしまったよ。こんな歳なのに、いやだからこそ意固地になってたのかもな。もう一回信じてくれるか?」
あまり時間は無い。
だから即決で決断した。
「分かりました。任せます」
「あぁ、勝てよ」
□ ■ □
そんなやり取りが煙の中であったのだった。
「よくあの短時間で信じる気になったな?」
「ぶっちゃけそれぐらいしか勝機無かったですし、あそこで罠に掛ける意味も無いですからね。他に道がなかったからですかね」
「そうか」
ジロウさんの質問に率直に答えた。
ばつが悪いのか彼はそれだけ聞いて顔を俯かせたのでもうちょっとだけ追加する。
「一度は信じたんです。それにずっとジロウさんを信じたライラの顔が浮かんじゃったのもありますかね」
「そうか……」
一度だけライラさんの顔を見て、今度はちょっと気まずいのか後ろを向く。
その仕草に反応してライラさんが満面の笑顔でジロウさんに近付くと、一気に脇を後ろから持ち上げた。
「先生! 私は信じてましたよ! いざとなったら味方してくれるって!」
「お、おいやめろ。さすがに恥ずかしい」
さすが空気を読まない系女子だ。
ジロウさんの気持ちも、衆人環視の中での高い高いもお構いなし。大勢から痛い視線がぶっ刺さっても止める気配が無かった。
わだかまりなんてものはライラさんには無用のものらしい。
これでジロウさんとの仲も修復されるんであればそれでいいと思う。こういうところは本当に彼女の長所だ。
羨ま……しくはないなぁ。あの性格をもらうと失うものも大きそうだし。
「は! やってらんないね! 僕は抜けさせてもらう!」
「好きにしろ。どの道、俺たちにはもう悪事は出来ない。まぁ本気でそう思ってないのならやれないこともないだろうが、お前だって強がってるだけで本当は善行と悪行の違いぐらい分かってるだろ?」
「…………うるさいよ」
痛いところを突かれたというような感じで渋面を作る名無し。
こいつ本当に子供だな。これで美歌ちゃんより一つ上って信じられない。
今度は私たちを睨み付けてくる。
「こんな思い通りにならないところ、こっちから願い下げだってんだよ。お前ら覚えておけよ。この恨みは忘れないからな!」
何か格好悪い捨て台詞吐いて名無しはそのまま闘技場から出て行ってしまった。
ブリッツはしっしっと手で追い払う仕草をしてるし、やっぱり仲が悪かったんだね。
あいつ野放しにするのは躊躇いもあるけど、制約ってのが本当ならまぁ大丈夫かな。
ただ大丈夫じゃない人物が一名いた。
「ブ、ブリッツ! 結局、どうなってるんだもん? すごい戦いを見れたのは嬉しかったけど、これからどうなるんだもん?」
いまいち現状を理解していないアジャフはそれでも嫌な予感がしているのか顔を曇らせて尋ねる。
「悪いが戦争は止めだ。どうしてもやりたければそっちで勝手にやってくれ。俺はそうだな……説教されたみたいに旅に出てみようかな」
こちらを一瞥だけしてきた。
最初からそうすればいいんだっての。
「ま、待つんだもん! ブリッツがいなければかなり厳しいことになるんだもん!」
「と言われてもな。もう俺が悪いと思ったことは出来ないんだよ。他を当たってくれ。ま、奇跡的に他に二~三人プレイヤーを見つけたところでこいつらがまた邪魔するんだろうけどな」
「そうだね。きっとそうするだろうね」
今度は私が景保さんと美歌ちゃんに首を振ると二人共が頷いてくれた。
あからさまに人に迷惑を掛けるような行為を見逃すわけにはいかない。
もしまた世界征服なんて馬鹿なことを考える輩が現れるなら障害となろう。その時はきっとジロウさんも一緒だ。
そこにナギルが口を挟んでくる。
ぶすっとしたいつもの鉄面皮的な表情で、負けたくせにあまり悔しそうじゃないのが違和感があった。
「ではアジャフ様方を放って逃げるということですね?」
「あ? まぁそう取ってもらっても構わない。今回のことで自分の覚悟の無さが露呈してしまった。もうちょいやれると思ったんだがまだまだ情けない根性のままだった。俺は、いや俺たちは降りる」
その言葉を聞いてナギルは珍しく口角を上げ、そして宣言する。
「であれば――敵前逃亡の罪で貴方を処罰します!」
彼の大声に反応してわらわらと兵士たちが三階観客席から現れ始めた。
ガチャガチャと鎧や剣と鞘の擦れる音を響かせながら次々と雪崩込んできてその数は数百以上。
それらに包囲された。
アジャフや合戦に参加した兵士は知らされていないのか口を開けてその様子を唖然と見つめている。
私たちも嫌な予感がするものの出方を窺っていた。
「ナ、ナギルなんだもんこれは!?」
「アジャフ様ご心配なく。前々からファングに反骨の相があると思っておりこうして準備を進めておりました。疲弊している今ならここで打ち取ることができます! ついでにそこのものたちも後々障害になる可能性がありますので全員処刑といきましょう!」
その顔は狂気じみていてまるで親の仇のようにブリッツを指差す。
だがあまりにも滑稽だ。仮に疲れていたところでこんな普通の兵士たち何百人いようと敵ではないし、今こっちにプレイヤーが何人いると思ってんだか。
「疲弊って……、そういえば果し合いは終わったら始まる前のHPやSPに戻ること教えてなかったなぁ」
「あんたやっぱり人望無いわね。冒険の前に人とのコミュニケーション学んでから出発した方がいいんじゃないの? どこでもトラブル作るわよこのままじゃ」
「これに関しちゃ言い訳できないな」
私の嫌味にファングはぐうの音も出ないようだった。
これに懲りたらちゃんと信頼関係築くことから始めて欲しいわ。
「何を言っている? ふふふふふ、ようやくお前を刈り取ることができる! 最初から気に食わなかったんだ。アジャフ様の寵愛を受け、よそ者のくせに我が物顔で宮殿を闊歩し、兵士たちからも慕われるお前が!」
黙っていればそれなりに端正な顔立ちをしている彼は青筋を立て目が血走っている。
あぁ分かったこの怒りは嫉妬からくるものだ。
神経質な性格でお小言を言うポジションだからアジャフや兵士たちから煙たがられてて、そこに新参者のブリッツが人気を掻っ攫ってしまい恨んでいるとかそんなところじゃないだろうか。
「ちょ、寵愛って、男同士やで!?」
「誓ってお前が考えているような関係じゃねぇよ!!」
美歌ちゃんが口に手を当てドン引きしているところにブリッツが大きく否定する。
この子がいるとボケとツッコミが多発して和むなぁ。
まぁぶっちゃけ数百人どころか数千人揃えても、ここにプレイヤーが五人いる時点で向こうに勝ち目は無いのでこっちは緊張感もなく緩んでいる。
「仕方ない。OBとして辞める職場の掃除を手伝ってやる。立つ鳥跡を濁さずって言うしな」
「爺さんがそれ言える立場かよ! ったく、落ち込む暇も無くて泣きたくなってくるぜ」
なんだかブリッツが哀れになってきた。
意外と苦労人というか真面目なやつかもしれない。
「ふん、ごちゃごちゃと。あれだけの戦いをして疲れきったお前たちに勝機などありやしない!」
雰囲気はすでに新しい合戦が始まりそうな剣呑な匂いを漂わせていた。
数に頼って居丈高になるヒス男なんて願い下げだけどね。
「全軍、掛かれ――――」
ナギルが突撃の号令を発しようとしたその瞬間、その場にいた全員がぶるりと震え、彼も途中で中断してしまう。
「な、なんだもん!? 急に寒くなってきただもん」
アジャフの肥えたぷっくりとした口が小刻みに痙攣し、そこから白い息が漏れていた。
彼は寒そうに自分の露出した肌や服を擦る。
周りを見渡すと兵士も私たちの口からも同じように白い蒸気が現れていた。
戦い終わりの興奮冷めやらぬ体でこの変化に気付くのが遅れたらしい。
「お、おい、あれ見ろ! 雪だ! 雪が降ってきたぞ!?」
「あ、あれが雪なのか!?」
兵士の誰かが空に指を差す。
いつの間にかさっきまで快晴だった天気が鉛色のぶ厚い雲に覆われ、そこから無数の雪片が舞い落ちてきていた。
この乾燥した暑い地方に雪という怪現象を除いてもあり得ない突然の気候の変貌。
おそらくはここに住むほとんどの人が雪なんて経験したことがないんじゃないだろうか。
文字通りの青天の霹靂に、呆気に取られない者などここにはいなかった。
「おい、そこの。一応訊くがここはこんな雪が降るようなとこじゃないんだよな?」
「も、もちろんです! 私もこんなの初めてです」
ブリッツが自分を取り囲んでいる適当な兵士に問い掛けるが、答えは予想通りのものだ。
かなり驚天動地って感じで、今から戦おうっていうブリッツ相手にも敬語で返答しているし嘘を吐いているようにも見えない。
どうやら異常事態ってやつらしい。
しかし原因が分からない。まさか合戦が原因で自然現象にまで影響を与えることになったとかは考えづらいんだけど。
『ぁ…ぁ…ぁ…ぁ…ぁ…』
そんな時だった。
女性のすすり泣くような歌っているような、あやふやで悲しくなる声がするりと耳に飛び込んできたのは。
「な、なんだもん……薄気味が悪いんだもん」
ただならぬその自体にアジャフの顔色は蒼白になり耳を塞ぎ首を振るが、なぜかこの呪詛の如き声は耳に纏わり付いてくる。
そして次の瞬間だった、血まで氷付くような底冷えする声が響いたのは。
『―【八寒地獄】《
同時に頭上に薄いドームのような天蓋が出現し、急速にシャンカラの街全てを覆う。
脳が熱く刺激される。私は数ヶ月前にこれとほぼ同じ体験をした。その時のトラウマが蘇り心臓がドクンと大きく跳ねる、
まさかまさかまさか――
すっぽりと天井に蓋をされると、ただひらひらと落ちてくるだけの雪が強い風に巻かれ横殴りの吹雪に変わり、凍てつく冷気が私たちの肌を何度も切り裂くような勢いできつく撫で体温を奪っていく。
刺すように痛いとはこのことだ。
「あ、あそこ!」
景保さんがシャンカラの中空に浮くそれに指を向ける。
もはや視界が悪く遠くなど見れるはずもなかったが、なぜかその異質な存在だけはハッキリと網膜に映った。
最初に目に付くのは日本人なら死を連想する白装束。しかしそれはもはや着ているとは言い難く、生気の無いまさしく雪の如き白い肌をはだけさせほぼ半裸。
人など吹き飛ばされそうな激しい風雪に晒されているのにまるでそよ風に揺れるようにそよいでいた。
女だ。腰まで届く髪はブルートパーズのやや緑がかった薄い青。
美人ではあるがどこか狂気じみていてぞくりとくる。
そんなやつが空中に浮いていたのだが、私たちはきっとそこにいた誰よりも大口を開けていたに違いない。
あれは八大災厄が一人――
「「「「「
この場にいたプレイヤー全員の声がハモった。
――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます