3章 15話 玄冥

 ライラとタシムの元に名無しが闖入者として現れた時より時間は少し遡る。


 名無しによって玄武の首が切り落とされようとしたまさにその瞬間だった。

 


「鬼丸ぅぅ!! その素っ首を掻っ切れぇ!!!」



 下される無慈悲な命令に操られる鬼武者は言葉通りに従う。例えそれが自壊であろうともだ。

 けれど玄武たちならそんな命令は聞かない。むしろ殴り返す者すらいるだろう。

 意志が介在していない絡繰人形、それが彼女たちと鬼丸との違い。

 だからいつでも百パーセントの力が発揮できるが、しかしながら逆説的に百パーセントを超える力もまた望めない。

 その勝負は残念ながら絡繰りの方が勝っているというのが現状だった。


 彼に合わされて造られた大刀が怪しく光り、大上段から玄武の首に吸い込まれるように振り下ろされる刹那、影が走った。



「ぎゃあっ!」



 それは獣人の村人であった。

 ろくな装備もしていない、普段であれば畑仕事などに従事しているようなただの青年が、あろうことか玄武と鬼丸の間に身を投げて入ったのだ。

 急ごしらえで作った木の盾は割断され、彼も深手を負ってしまう。



『な……なにを!?』



 ここまで彼らを守ってきた玄武は自分が守られたことに目を丸くして驚く。



「あ、あんたには何度も仲間を助けてもらった。こ、今度はこっちの番だろ」


『せ、拙のことなど放っておいて……くれて構わないのだ……。それが……拙の仕事なのだから』


「そ、そんなこと言うなよ。俺たちのために美人がそんなに傷付いてるのを見過ごせないって……だ、だけさ。ぐぅっ!」


『拙は……』



 確かにこの合戦に参加している者は死にはしない。

 けれども痛みは感じる。

 刃の前に自分の身を曝け出すことがどれほどの恐怖に打ち勝つことか、いつも最前線に立つ玄武は身に沁みて知っている。

 だからこそ彼の言葉に心を打たれ胸が苦しくなった。


 しかし、それを邪魔をする者が一名。

 パチパチと手を叩き心の籠もっていない拍手をそいつはする。



「はっはぁ! お涙頂戴劇かい? そういうのが生で見れるとは思ってもみなかったよ。本当にあるんだねぇ。いやぁいいもの見せてもらった。うんうん」



 名無しは腕を組み軽薄そうに頭を縦に振る。

 どうしたって言葉通りに受け取れるものではない。

 彼からは侮蔑の意味合いしか伝わってこなかった。



『何を笑う! これがどれほど身を切るほどの恐怖に打ち勝った行為か分からないのか! お前は逆の立場なら同じことができるのか!』


「できるわけないじゃん! 大体、僕は後衛職だ。そんな誰かの盾になるような真似するはずがないね」


『そういうことを言っているのではない!』



 玄武の想いは伝わらない。

 わざとなのか、心を閉ざしているのか。

 どちらにせよ名無しは自分のやりたいようにするだけだった。



「なんだっていいさ。それよりお前を苦しめるのにもっと効果的なことが分かったよ玄武。つまり村人を皆殺しにすればいいんだね?」


『ふざけるなっ!! 戦いであれば傷付き倒れることも致し方のないことであるが、他者を虐げるためだけに踏みにじろうなどと下衆の考えだ!』


「いいねいいね。やっぱりそれが正解だったようだ。鬼丸!」



 名無しの言葉で鬼丸が反応する。

 瞬時に手に持つ刀を翻し、倒れている獣人の背中を串刺しにした。



「あああああああああぁぁぁ!!」



 獣人の男は血管を浮き立たせ激しい痛みによる絶叫を吠える。



『貴様ぁ!!』



 ちょうど状態異常が解けた玄武が憤怒の形相をして槍で斬り掛かる。 

 鬼丸はすかさず刀で切り結び、穂先を巻き上げ槍を飛ばした。

 あっさりと獲物を取り上げられた玄武は小さく呻く。


 普段の玄武ならそんな失態は犯さない。

 頭に血が昇って感情が制御できなかった彼女の痛恨のミス。

 それに正確無比な鬼丸の技量が卓越していたというのも起因しているだろう。


 そして丸腰になった玄武に鬼丸の小手による裏拳が炸裂する。



『ぶっ!!』



 顔面を強打され玄武はまたしても地面の上を滑ることになってしまう。

 端正な顔は腫れ、翡翠のように綺麗な薄緑の髪も土塗れだ。

 もはやまな板の上の鯉。HPはまだ少量残っており今も自動回復は行われていてもこのままでは勝てる見込みがほとんどなかった。



「げ、ぶ……。か……て」



 ほとんど聞き取れない。

 刺された獣人の肺から僅かな空気が送り込まれ喉の奥からようやく絞り出した言葉がそれだった。


 彼とは合戦開始前に挨拶を交わしただけに過ぎない間柄だ。

 けれど薄っぺらいからこそ、なおさら彼がしたことは尊く重い。


 おそらくは「玄武、勝て」そう彼女は受け取った。

 そしてその両目に獣人が消えていく姿が映る。



『うあああああああああああ!!』



 膨れ上がった激情が、視線で殺せそうなほどの殺気が玄武から発せられた。

 自分の不甲斐なさを発散するために地面を力任せに叩き付け、陥没する。



「ふん! うるさい女だな。自分の立場を弁えろっての。鬼丸抑えろ!」


『ぐぅぅぅ!』



 瞬きほどの間に鬼丸が玄武を羽交い締めにする。

 彼女は振りほどこうと必死になるが、こうなると純然たるステータスの差が出てしまいどれだけ四肢に力を入れようともビクともしない。



「ふんっ特等席だ。そこで見ていろ!」



 その様子を見て鼻で笑う名無しがウィンドウから取り出したのは焙烙玉だった。



「いくつかはオークションに出品したけどねまだまだ残っている。いちいち森の中を探し回るのも面倒だ。これで殲滅さ!」



 彼は火を付けそれをそこから見える位置で争っている村人たちや兵士のいる箇所に手当たり次第に投げ付ける。

 それらは放物線を描き着弾と同時に大爆発した。

 

 葵ですらヒヤっとした攻撃用アイテムだ。

 そこにいた者たちにとっては堪ったものじゃない。いきなり足元からの特大の爆破に敵も味方も一瞬で悲鳴を上げる暇も無く強制退場させられる。


 さらに爆発のせいで強烈な突風を伴った衝撃が森に発生し、木が倒れ葉が散り、近くにいた者の鼓膜が破れそうなほどの音も轟いた。

 その場にいた全員が未知のアイテムとその悪辣なまでの威力に動きを止めることとなる。


 ちなみにカッシーラのギルド長がオークションで買った焙烙玉は名無しの物だった。

 人の手に渡った後のことなどおくびにも考えず手放し、それは本来は手にしてはいけない人物へと行き着いた。

 ゴーレム戦で使われたのは非常に運が良かったと言える。

 そうでなければ最悪、威厳を見せつけるために悪者退治と称してガルシア商会に投げ込まれ、多くの死傷者が出ていたことだろう。

 


「な、名無しさ――!」



 言い終わる前に次々と兵士たちが爆散していく。

 もはや歩く爆発魔ボマー。敵味方お構いなしの狂った行動だ。

 味方であるはずの兵士の声すらも彼の耳には届かない。



「あっあはははは!! 弱い。弱いなぁまったく! これが熟練兵だっていうんだから笑っちゃうよ! こんなのが千人いようが万人いようがやっぱり僕らの敵じゃないね。おやおや玄武さん助けなくていいんですかー? 現在進行系でお仲間は減っていっていますよー? 汚くて薄っぺらい土壁でも出してあげたらどうですかー?」



 嘲笑する名無しに玄武はもはや反応を見せなかった。抵抗を止め静かになっていたが、その目はやられていく獣人たちを追って悲痛そうに頬が歪みほぞを噛んでいる。

 だから名無しはご機嫌だった。自分を無視する女の心が責められ壊れていくことに。

 その感情がたとえ憎しみであれ、彼女の心が今、自分に降り注がれているのが堪らなく痛快だったのだ。


 一通り音のする方などへ投げ込み辺りが静かになるともうそこは森ではなくなっていた。

 森の入口は木が根こそぎ倒壊し、地面がえぐられたかのようにボコボコになり、歪な焼け野原へと変貌を遂げさせられる。

 

 おおよそ――全滅。

 そう判断して名無しは口の端を満面に吊り上げて愉快そうに玄武に振り返る。

 さぁどういう反応をしてくれるのだと、彼のサディストな気質は胸を高らかに鳴らせた。


 鬼丸によって手を押さえつけられ十字架の貼り付け状態のようになっている彼女は、その期待通り顔を俯け体をふるふると震わせていた。



「どうした玄武? 感想を言ってくれよ? お前のためにしてあげたんだぜ?」



 玄武はゆっくりと面を上げる。

 その髪よりやや濃い翡翠の目には、糾弾する敵意がありありと映っていた。



『拙は玄武だ』


「知っているよ。それがなんなのさ? ……うん?」



 だが玄武が名乗るや否や、スゥーと今の今まで怒髪天突く勢いだった彼女の感情や見た目、それに声色もきれいさっぱりと色を失っていく。

 名無しは奇妙に思いきょとんとする。



『大和の北方を守護するもの也。又の名を玄冥げんめい。象徴するは生と死。冥界と現世を行き来する者。人に終わりを告げる者。世界に冬の到来を宣告すべし者』


「は?」



 名無しが呆けた。

 その理由は玄武の翡翠の髪や瞳が今度はどんどんと真っ黒になっていったからだ。

 それはただの黒ではない。全てを飲み込み太陽光の反射すら許さない漆黒だった。

 黒というカラーイメージは闇。それに死。故に連想させるのは凶兆の兆し。

 だから生え際から玄武を侵食していく光すらも通さぬ闇に言い知れぬ不安を名無しは感じ、彼女の紡ぐ話が耳に入ってこない。


 やがて髪も瞳も闇色に変貌すると、まるで玄武の印象が変わっていた。

 先程までの鈴の張ったような眼をした仲間想いの感情豊かな女性はここにはいない。

 いるのは冷徹にブラックホールのような双眸で名無しを見据える女だけ。



『――覚悟は良いか?』


「う……あ……」



 彼女を視認しているだけで、怖気が走り忌避感が湧いて思わず目を逸らしたくなった。

 彼女の声を耳にするだけで、呪詛のように脳が刺激され体が強張った。

 彼女の吐く息からは、生者のオーラが感じられず死に誘う負の匂いがした。


 だから名無しは後退った。

 手を拘束し完全に優位な立場にも関わらず、自分の生物としての危険を感じるセンサーに無意識のまま従って。



『汝は自身のみが優遇されていると思いこんでいるようだがそれは違う。拙らもこの世界に来て主が新たなる力を得て解放されたものがあるのだ』



 玄武がずっと自分を抑えつけている鬼丸の手を強引に外そうとする。

 さっきまでならそれはどうあがいても不可能だった。

 だというのに少しずつ鬼丸の腕は開かれていく。



「な、何だってんだよ!? 玄武にこんな力は無かったはずだろ!?」


『浅はか也。出来ればこの姿にはなりたくなかった。この姿になる条件は拙が守るべき人を全員死なせてしまったときだからだ。それは屈辱以外の何者でもない。しかし先程の獣人は命を賭して拙に勝てと言った。その想いに応えることこそが報いることになると知った。故にここに約定を果たす』


 

 ゲーム風に言えば、自身と喚び出した陰陽師以外のパーティーメンバーが全滅した場合のみに発動するスキルということになる。

 だから彼女は他の獣人たちが焙烙玉でやられてもそれを傍観した。

 ただしそれは仲間の前に立ち、どんな攻撃からも凌ぎ切るタンク職としては体を引き裂かれんばかりの辱めである。

 恥辱に塗れ汚泥をすすろうとも、託された期待に応えるべく彼女は勝負に勝つために信念を曲げて耐えることを選択した。


 だが予想外の出来事に混乱する名無しにはそんなことを考える余裕など一片もありはしなかった。

 とにかく玄武に近寄りたくもない。その畏怖から唾を吐いて命令する。



「や、やれ! 鬼丸! 潰してやるんだ!」


『お前も拙い主人に使われて難儀だな。拙が引導を渡してくれよう』



 言って玄武は手から新たな槍を出現させる。

 それは今までのとは違い柄も刃も全部が真っ黒な黒槍。さらには今にも敵を食いつこうと鎌首を上げる恐ろしげな蛇の意匠が巻き付いていた。

 

 瞬く間に抜刀される横からの斬撃を玄武は縦にした槍の柄で受ける。

 がちぃん、と今日一番の快音が鳴った。


 

「は、はぁ!?」



 名無しがすっとんきょうな光景を見て声をもらす。

 そこから力比べが始まるのかと思いきや、なんと柄に付いていた蛇が鬼丸の首に噛み付いたのだ。

 


『体内に入ればたった数秒でどんな者でも膝を突くほどの猛毒だ。絡繰には無意味だろうが。しかし――』



 あろうことか玄武は蛇に首を噛ませたまま強引に引っ張り上げる暴挙に出た。

 技とか駆け引きとかそういうものは一切なし。純粋なまでの腕力だけで鬼丸を宙に浮かせ、そして自分がされたように木に雑に叩き付ける。


 もちろん防御力特化の鬼丸にはそれ自体は大したダメージを負うものではなかった。

 けれどずっと優位に立っていると自負していた操る名無しへの精神的なショックは大きい。

 


『そういえばさっき亀の話をしていたな。知っているか? 亀は忍耐に優れているがその分、執念深い。そして食らいついたら離さない』



 玄武はくろい槍を振り回し、さながらそれが決められたポーズであるかのように空を七つ突く。

 それはまるで星座のように輝き穂先へと凝縮されていく。



「お、お前何をしてんだよ!?」



 あまりにもな展開に名無しの背筋には特大の不安が雷鳴のように流れる。

 自分の防御力特化の鬼丸がまさかただの非力な式神に負けるはずがない。

 そうは思っていても心はざわざわとして落ち着かず服の襟を強く掴んだ。


 これまで玄武は堅牢ではあったが、俊敏というイメージは無かった。

 それに盾で仲間を守る『生』を象徴していたが、このもう一つの姿では『死』の化身と化し速度も攻撃力も桁違いに上がっていた。



『斗宿、牛宿、女宿、虚宿、危宿、室宿、壁宿、拙を守護する七星の力を借りここに顕現させる。集え北方七宿! ―【槍術裏奥義】―七星繚乱!!』


 

 七つの星を込めたエネルギーを以てしての超打突。

 それが満を持して繰り出される。



「なっ!!?」



 光が見えたと思った刹那、すでに事は終わっていた。

 膨れ上がった奥義の威力は凄まじく、鬼丸を消し飛ばしそのまま数十メートルの木々までもを過剰なまでの奔流で一気に消滅させていた。

 跡にはただすさまじい何かで削られたとしか言えないクレーターが残るのみ。そして空には光る点が尾を引きまだ空間を暴虐していた。

 これでも玄武は被害を最小限に留めるために角度を上向きに調整したのだ。それですら余剰エネルギーで森に大きな爪痕を残す結果となった。

 もし真っ直ぐに放てばどうなっていたのか、想像するだけで震えがくる超絶技。


 確実に今の玄武はレベル百のプレイヤーか、それ以上の力を秘めているのが窺えるあり得ない強烈な技だった。

 名無しはその事実に腰を引きながらわなわなと唇を振るわせる。



「ば、ばかな……。そんな技知らない。チートだ。チート! 卑怯だぞ!!」


『散々いたぶってくれたその口でそれを言うのか』


「僕のは作ったパーツを単に組んだだけだろ! そっちこそ何で知らない技を作ってんだよ! 無茶苦茶だろうが! ……まさか魔石奉納か!? 僕が鬼丸を強化できたようにそっちも!?」


『今の技は別に今作ったものではない。封印されていただけだ』


「はぁ!? 勝手にそんな設定作るなよ。そんなに僕をイジメて楽しいか!?」


『……汝とは話が通じないようだな。ならばそこでじっとしておけ。すぐに終わらせてやる』



 玄武が槍を手にし、突きつけた。

 きっと次の瞬間には名無しは貫かれていることだろう。


 だが彼は動揺していた顔を薄ら笑いに変化させる。



「はっはぁ! あはははは! それで勝ったつもりかい? 確かに今のお前には驚いてはいるが、知らないわけじゃないだろうね? 絡繰は合体してこそ本領を発揮するんだ! しょせん今までのは遊びだよ」



 それは空元気とかやせ我慢とかそういった類ではない。

 名無しにはまだ勝算がある。

 当然だ。今も口にしたように絡繰はそれを着込んでようやく本領が発揮される。

 むしろ今まで遠隔操作オートパイロットだけでここまで蹂躙していたこと自体がおかしいのだ。



「出ろ! ―【絡繰術】しのびの操 装身―」



 喚び出される二体目の絡繰。

 今度のは鬼丸と同じように長身ではあるものの、やや細身で鉢巻で目を覆っている忍者服の絡繰だった。

 それがパーツごとに一瞬で分解し、名無しの全身を覆う甲冑となる。

 武器は龍素材の鉤爪で、木どころかなまくらであれば鉄すら両断する力があった。

 


「さぁ、ここからが本当の勝負だ。ただの絡繰師を超越した力で蹂躙してやるよ玄武!」


『よかろう、子供と獣は鼻っ柱を折られると言うことを聞くという。躾のなっていない親の代わりに拙が骨を折ってやろう』



 骨を折るという言葉が名無しのために苦労を買って出るという意味なのかそれとも物理的に折るのか定かではないが、玄武は相手の全力に応じる構えを見せた。



「僕の速さに仰天しろ!」



 名無しの重心が傾き移動し始めを知らせてきたと思ったら玄武の視界から姿が消える。

 そう錯覚するほどの疾風。

 直後に地面が爆ぜ、激風が巻いて砂礫が後ろに降り注ぐ。

 

 その速度はレベル百の【忍者】である葵の全力疾走をも凌駕するほどに異常なスピードを検知していた。

 おそらく一度でも瞬きすればもう捉えきれない。

 半径数十メートルの周囲は焙烙玉のせいで木々が無くなっていたが、それすらも窮屈だと言わんばかりに端から端へと弾丸のような猛スピードで駆け巡る。


 縦横無尽に動き回る名無しに対して玄武は微動だにせず腰溜めの姿勢を崩さない。



「どうした! もう諦めたか? 僕もいい加減お前の顔は飽きてきたところだ。一発で終わらせてやる!」



 音を置き去りにするほどの紛れもなく神速の領域。

 おそらくは葵が相手をしても敵わないだろう。

 いや、ジロウでもブリッツでも誰であろうとこの機敏さの前には誰も敵いはしない。

 どれほどゲームを極めようとも中身はしょせんはただの一般人に過ぎず、桁外れな能力の差にはただ潰されるのみだからだ。

  

 しかしながら、あまり知られていないが中国では玄武は武勇の神とまで崇め奉られ四神最強とすら謳われる存在である。

 その証左は彼女が土蜘蛛戦であり得ない活躍を見せていたことで証明されるだろう。

 ゲームではどれだけ支援したところで十分も保てばいい方だった。だというのに彼女は人数の少ない急造パーティーで約一時間もの間、あの苛烈な戦闘に耐えたのだ。

 それは技術によるところが非常に大きい。大和伝では一定の決められたAI行動しかできなかった彼女が存分に槍と盾を震えた結果があれだ。

 誰が欠けても勝利は得られなかったろうが、玄武こそが隠れた最大の功労者と言ってもいいだろう。 


 その生と死を司り武を研鑽する彼女には―― 



『そこだっ!』



 斜め後ろからの超速に玄武は反応した。

 振り向いてもいないのに彼女は槍を振り抜いたのだ。

 そして誰もいなかったはずの空間に名無しが突っ込んできて、横合いから柄で瞬烈に打ち付けられた。


 速度が速いということは当然食らう衝撃も激化する。

 必殺技でもなんでもないただの槍の一振りで名無しは豪快に吹っ飛んだ。



「ば、ばかな!?」



 盛大に地面に転がった彼は痛みよりも驚愕が勝ち、この事実が受け入れられない。

 実は彼はこの力を使い、戦争が終わった暁にはブリッツたちを力で排除するつもりがあった。

 いつも偉そうに上から目線で命令してくるのが気に食わない、そんな理由で特にそれ以降の展望があるわけでもない無意味な企て。

 だというのにただの式神にすら負けるこの体たらくにその自信にも野望にもヒビが入る。



『確かに直線の速力は卓越している。今も速すぎて目測を誤ったところだ。だがその足運び、目線、虚実の掛け方、全てが稚拙だ。これなら先程の絡繰武者のみの方が強い。汝が作る毒薬や絡繰は優れているが、汝自身は不出来であるな。ひょっとしたらまともな斬り合いなどしたことがないのではないか?』



 それは当たっていた。

 元々、大和伝で名無しが使っている鬼丸やこの忍の絡繰は近接用ではなく遠距離型だったのだ。

 距離を取って火薬を用いた火縄銃や砲撃カノンなどで一方的に攻撃するのが名無しのスタイル。

 それを慣れない現在の接近戦用にカスタムしたのはコスト制限が無くなって好き勝手に強いパーツだけを組み合わせた結果だからだった。

 無論、それでも能力スペックだけで誰と対峙しても有無を言わさず圧倒できる自負はあったし、事実そうなっていただろう。


 玄武以外であればだが。



「言ったなぁこのあばずれが! 追加パーツ発動!!」


 

 名無しがウィンドウを触るとその身に纏っている忍びの絡繰に腕が四本追加された。

 しかもその腕には刀や手斧、短槍などが握られていて、計六本腕の阿修羅のような様相が出来上がる。

 どれも大和伝では最高レアの一級品の装備だった。



『存分にやるがいい。真正面から完膚なきまでに潰すのみだ』


「単純計算三倍だぞ! 後で泣いても知らないからな!」



 勝利の前の太鼓の如く武器をかち合わせ喝采するかのように鳴らし、肩で風を撫で切り飛び込んでくる名無し。

 それを迎え撃つは湖面のように静かな玄武。集中力を研ぎ澄ますため無言になる。


 勝負は一瞬で決まった。


 竜巻のように六つの武器を振り回す名無しを、雑な攻撃には目もくれず玄武は最小限の一突きのみで対処したのだ。



「ぶっ!?」



 横っ腹を装甲ごとぶち抜かれ名無しが呻いた。

 


『また僅かに外したか。その速さだけは大したものだと言っておく。しかし拙には効かないのはこれで証明できただろう?』


「がはっ……。そ、そんな馬鹿なことあるか! いつも通りでレベル百。オーバースペックによって百十、いや百二十相当はいってるかもなんだぞ! なのになぜ勝てない!! ……くっ、なんだ力が……抜ける!?」



 今度は名無しが地面を叩く番だった。

 膝を突いて痛みに堪えながらも不可解な現状を嘆いて理解ができずに苦悩する。

 そして急に力が抜ける感覚が体を支配した。



『だから言ったろう。能力は拙をも凌駕している。しかし操者がこれでは宝の持ち腐れというものだ。そして言い忘れていたが蛇だけでなく刃にも毒の効果がある。汝はもう終わりだ。数分も保たないだろう』


「ふ、ふざけるなぁーッ!!」



 冷徹に見下される目線に触発され激昂した名無しは再び追加パーツを取り付ける。

 彼の持つ普段から使用していた強い絡繰は二体のみ。もはやここで抗わないと後が無かった。


 さらに生えたのは翼とジェットエンジン。

 およそ江戸をモチーフにした舞台では似つかわしくない装備だが、絡繰が付けるとなるとそれなりにマッチングしていた。


 これらは魔石奉納によって鬼丸らのコスト制限が撤廃されたのと同時に作れるようになったパーツだ。

 パーツ制作の枠もぐんと広がっていて、こちらの世界に来てから新しく制作したものだった。

 しかしいくらウィンドウに大量の荷物が入るとは言え、たいていの人間は無意味なアイテムは倉庫に預けるのが基本。

 手持ちの素材だけではこの二つを完成させるのが限界だった。

 

 名無しは陰陽師が外れ職業だと馬鹿にしていたが、ある意味では大和伝の素材が手に入らないこの世界では絡繰師こそが最も不遇であるとも言える。

 そしてこれが彼の最後の切り札。もし葵と遭遇してもこれで逃げられる手段があったからこそ一人で兵士たちと先行した。


 背中に見たこともない珍妙なものができたことに玄武がやや眉をひそめる。



『乾坤一擲の最後の勝負、受けて立とう!』



 それを玄武は手足が動かない代わりに無理やり動かすための補助パーツだと考え構える。

 ならば毒で絶命する辱めよりは、正々堂々と華々しく散らせるために引導を渡してやるのが自分の役目であると、一発で決めるために彼を見据えた。


 しかし名無しにはそんな玉砕覚悟のつもりは無かった。

 彼はエンジンを吹かし羽で空気を切り裂き、突如上空へと飛翔する。



「こ、こんなダメージで勝てるかよ! しかも毒まであるってのに! 大体、お前に勝つことが目的じゃない。巻物を取ることが目的なんだよ! お前はそこで指を咥えて見ていろ!!」



 あろうことか名無しは玄武との戦いを放棄した。

 この合戦では回復アイテムの使用が禁止されており、それは状態異常回復も使えないということになる。

 だから玄武の言葉を借りるなら生命が切れるまで残り数分を切っており、そこで本来の目的を遂行することを選んだ。

 もちろんそれは『合戦』の形としては正しい。

 玄武に拘り時間を費やす方がよっぽど無為で、今更ながら個人の勝ち負けや執着よりもチームの勝ちを優先すべきなのである。



『しまった。まさか逃げられるとは……』


 

 見事に空を飛んでどんどん遠ざかっていく名無しを見上げながら、黒からいつもの色に戻った玄武がどうしたものかと考え込む。

 今しがた大技を使ったばかりで彼女にはあれを止める術が無い。 


 属性が変わろうとも根が正直な性質はそのままで、彼女にはここでの遁走が読めず呆然とするしかなかった。

 


「くそ! なんだってんだ訳の分からないことばかりだ!! しかも本当にHPがどんどん削られていって思ったより時間が無い! 残り一、二分ってとこかよ、くそがっ! こうなったら巻物を持っているやつごと自爆して無理やり奪い取ってやる!! あっははは! 澄ましたあの顔が悔しがって歪むのを想像しただけで楽しいなぁ!」 



 巻物の場所はついさっき更新があったばかりでほとんど動いていないだろう。

 名無しは持ち主がピンポイントで見つからないなら、焙烙玉も一緒に投げて辺り一帯を焦土と化す自爆特攻する気でいた。

 十秒、名無しが所有するか、所有者がいなくなっても葵たちの負けは決まる。まだギリギリ間に合う時間。


 そして最悪なことに、ライラは上空から木々の隙間を通して彼に見つかってしまう。

 名無しは空から特段の悪い笑みを浮かべた。



「あっははははは!!! みんな死んじゃえ!!」

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