3章 14話 父と娘の闘い

「そんな馬鹿な!? 裏技だと? 玄武は……向こうにいるな。二体召喚なぞインチキではないのか?」



 モニターを一度確認しさすがに鼻白むジロウさん。

 いきなりのことに理解を拒みあたふたとする彼の様子を見て、私たちは口の端を吊り上げる。


 大和伝経験者であるばあるほどそのやばさが分かるはずだ。

 陰陽師の戦闘力は式神一体と合わせてレベル百相当になる。なのにもう一体増えるということはそれはレベル百オーバーを意味するからだ。

 私だって一対三では勝てないと諦める。そういうものだ。

 まぁ残念ながら玄武はこっちに呼び戻せないんだけどね。



『大和のみんなが握手するだけで泣いて嬉しがる朱雀ちゃんにそんな顔向けるなんて悪い子だ~。プンプンしちゃうぞ♪』



 朱雀が大げさな仕草で頬を膨らませる。

 なんだろ、テレビの向こう側にいるならいいけど直に見るとこういう子はちょっと引いてしまう。



「僕もインチキっぽいとは思っているけど、こうでもしないと勝てないんですよね。やり方はご想像にお任せしますが、こうまで追い詰めたのはそちらだというのをお忘れなく!」



 これが美歌ちゃんから教えてもらった『裏技』ってやつだった。

 当たり前だけど秘密をあえてバラすことは景保さんもしない。


 その内容は――『魔石の奉納』で得た力だった。

 装備品の耐久値回復で私は止まっているけど、驚いたことにもっと大量に奉納したらこういうチートくさい力が得られるようになったのだ。

 けれど一番驚いていたのは美歌ちゃんで、彼女はここまでハッキリとした強力な術は覚えられていない。

 せいぜいが回復強化などだそうだ。


 おそらく要因は美歌ちゃんが奉納したよりも純度の高く大量の魔石を奉納したこと。

 とりあえず一日で集められるだけ集めようと、ここら辺で一番強いとされているサンドサーペントの巣に向かい奉納ポイントが高い魔石を多く手に入れることに成功したのだ。

 ただし絶滅する勢いで狩ってできたのは景保さん一人分だけ。私の分までは到底集めきれなかった。

 それでもギリギリ規定数に達せられたのは運が良かったと言える。美歌ちゃんもポイント的にもう少しって感じみたいだけど。


 ちなみにロクに外に出なかった美歌ちゃんに「どうやってそんなに大量に集められたの?」って訊くと、男爵様がお金でカッシーラ中の魔石を買い漁ってくれたんだとか。

 金額的には私の全財産でも全然足りないほどの量をだ。おかげで一時的に街の魔石の在庫が底を着いたらしい。

 まぁ他にも命を救われた人の感謝の気持ちとして寄付とかカンパもあったみたいで、そこからの捻出が半分以上だそう。

 美歌ちゃんはあの事件が起こるまで、なんの見返りも無く奉仕していると思っていたようだけど、実は裏ではちゃんとそういうのもあったらしい。

 だからこそ景保さんが攫われたと連絡したときも重病人を治す方を優先しちゃったっぽい。


 マジでパトロンがいるっていいねぇ。私もクロリアのギルド長の襟元ひっ捕まえて揺さぶったらお金が出てこないかしら。



「爺さん、大丈夫か?」


「案ずるな。二体同時ならまだしも一体だけならただの陰陽師だ。それよりこちらの心配をしている場合か?」


「は? なにっ!?」



 ええいジロウさんいらないこと言ってくれちゃって。

 


「―【風遁】切り裂き燕―」

 


 自由曲線を描き風の燕が滑空する。

 即座にトップスピードに乗った風遁は速い。

 


「不意打ちかよ! ―【仏気術】日天金剛体―」



 だがブリッツは辛くも寸でのところで防御技を発動し終えていた。

 全身が光輝き防御力が大幅に増す術だ。

 体に当たったものの、私の燕は大してダメージを与えられないまま消えていく。



「こっちは時間が無いのよ!」



 それと同時に両手の忍刀をバツの字にロケットのように突っ込む。

 推進剤は私の焦りと勝利への渇望。


 実は景保さんの二体目召喚は時間制限があった。

 チートはチートでもそうそう全てが都合良くいく訳じゃないらしい。

 だから速攻で決めないと!



「うおおおお!!」



 押し出されたブリッツは地面を靴で削りながら後退する。

 数メートル下がった彼は腕を強引に振り上げ、今度は私が空へと飛ばされた。



「くない三連乱れ投げ!!」


「今更当たるかよ!」



 頭上から指に挟んだくない三本を何度も投げ付ける。

 降り注がれる幾つもの刃先はしかし全部手甲で弾かれた。

 空にいるとふいに可愛らしい掛け声が聞こえてきて覗くと、火の玉娘の朱雀がジロウさん相手に接近戦を挑んでいた。



『えんえんえんえんえん!!』



 紅に染まる衣装も相まって、手も足も小刻みに休むことなく燃え盛る炎のように一気呵成にジロウさんへアタックを続けている。

 彼女は格闘タイプらしい。

 はつらつとした元気をバネに決して距離を取らせまいと追い縋る。


 私たちよりもあっちは闘技場をフルに使っていた。

 見下される闘技スペース内だけでは収まらず、観客席にまで波及し高速の戦闘を繰り広げている。



「いくぞ! ―【天空符】流星疾走―。さらにもう一つ! ―【太陰符】鈍重失速―」



 景保さんが扇を振るい符術が二つ重なる。

 一つは仲間の敏捷を上げる術。もう一つは敵の敏捷を下げる術だ。

 これで朱雀とジロウさんの速度は五分か、むしろ朱雀が速いまであるかもしれない。



「対人戦はほとんどやったことがなかったが思ったよりも面倒臭いな!」



 苛立ち紛れに吐き捨てられるジロウさんの台詞。それは朗報だった。

 【猟師】は遠距離職だ。その力を十全に発揮するためにはやはり攻撃を一手に引き受けてくれる壁がいる。

 なのでもしタイマンをするならそれなりに対人の心得が必要なのだ。

 ジロウさんがそれを知らないとなると景保さんに分がある可能性は高い。


 放たれる矢を朱雀は持ち前のスピードと景保さんのサポートで回避し、少々遠回りしながらも最短で追い詰める。



『子供おじいちゃん、年寄りの冷水は頼んでないよ! ―【朱雀符】炎々裂波えんえんれっぱ―』



 朱雀が手を振るごとに全てを燃やし尽くす猛火の熱の波がジロウさんを襲う。

 彼は自身の体が普段よりも鈍いのを感じ苦々しく顔を歪めながら避けるために空へと跳ぶ。

 けれどそこへも炎は追い掛けた。



「ええいうっとうしい! ―【猟術】―空中闊歩くうちゅうかっぽ



 ジロウさんの足元に薄緑の波紋の足場が出来上がり、彼はそれを使って立体的に上空を掛け回りそれらを回避する。

 


『私を相手に空中戦がお好み? ―【朱雀符】鳳天翼― 地獄の釜まで案内してあげるわ!』

 


 それに対し朱雀は自身の背中に灼熱の双翼を生み出した。

 紅蓮に燃ゆる一対の翼は絵画として描かれそうなほど綺麗で神秘的だ。感動で震えるような感情を思い起こさせてくれる。

 羽がばたつきぐっと力強く膝を屈め勢いを溜め、一気に朱雀はそこから飛ぶ。

 服をはためかせ熱風を纏い逃すまいと追従した。

 

 二人は思いも寄らない空中戦に突入する。



「くっ! やりよるな!」



 空での斉射は高難易度だ。

 地対地での狙撃なら基本的に右か左かしか狙いに悩むところがない。

 けれど空中ではそこに斜めが入り、しかも足場の不安定さも加味され多次元的な難しさが求められる。

 だからジロウさんが空へと逃げたのは、むしろ朱雀にとって有利な展開となっていた。


 階段を駆け上るがごとく移動し雨粒のように撃たれる矢を、朱雀は腰が折れるんじゃないかというほど鋭角で攻撃的なインメルマンターン宙返りを駆使し迫る。

 炎のエフェクトが彼女の通った跡に紅い軌跡を描き、奇跡の空中ショーが実現されていた。



「こ、こっちの被害も考えるんだもん!!」



 完全に遊び半分でこの場にいたアジャフや仲間たちがとばっちりを受けて目一杯の抗議を始めた。

 護衛の兵士たちは持っていた盾などで防ごうとしているが、そんなものは瓦礫や衝撃を緩和するのが関の山で流れ矢に一本当たっただけで崩壊しかけている。

 そしてジロウさんにアジャフを慮る余裕など欠片も存在していない。

 


『お仕置きよ!』



 飛ぶ翔ぶ駆け巡る!

 まさに縦横無尽。精密で無数の発射される矢を朱雀は自由気ままに置き去りにしていく。


 いくら空中に足場を作ろうとも空で翼を持つ朱雀に敵うはずがなかった。

 足場はむしろ彼の動きを制限し先読みされるのに使われ、射撃難度を下げている。

 対人経験の浅さがこういうところに如実に現れていた。

 それに気付かれる前に朱雀は符術で彼我の差を埋めみなぎる四肢に万能感を溢れさせ、安々とジロウさんに肉薄し腹部に一撃を食らわせた。



「ぐはっ!」


『最近のアイドルは可愛いだけじゃなくてピリリと辛いところもあるのよっ!』



 華奢な腕に見えてやはりそのパンチは重く鋭い。

 それこそマシンガンのように凄まじい拳打を何度も空中で打ち込まれ、フィニッシュブローは振り下ろされるパンチでジロウさんが観客席に強烈に叩きつけられる。


 ドガァ、と石造りの床や椅子が粉々に砕かれ噴煙が舞いそこには隕石が落下したみたいにクレーターが形成された。

 痛烈な当たりだ。かなりモロに入ったと思う。



「畳みかけろっ朱雀!」


『OK! マネージャ~♪』



 無慈悲にも朱雀は大の字に倒れるジロウさんに追い打ちを掛けるべく炎粉を撒き散らし突貫した。

 愛らしい容姿と気軽な声とは裏腹にその攻めは炎を象徴すべく苛烈だ。

 防御行動すら取れない今、それが決まれば速攻退場はあり得る。

 そうなればありがたい。ぐっと勝利に近づくのだから。


 だが――



「きゃあ!」



 シュン! という短い風切り音がして、朱雀に全くの意識の埒外から矢が飛んできた。

 それは無残に彼女の左肩に刺さり頭から墜落する。

 斜め後方。闘技場の円形になっている縁だ。そんな場所に人などいない。

 なのになぜ?



「念の為に仕掛けておいて良かったな……痛てて……」


 

 お腹を抑えながら立ち上がるジロウさん。

 その視線の先には矢が飛んできた射線の元。

 よく目を凝らすとそこには壁と同じ色をした布を被せた小さなバリスタ兵器のようなものが鎮座してあった。

 


「やっぱりあったか。確認しておくべきだった。……いや、そういう時間をくれないように誘導されたのか」



 景保さんが苦々しそうに顔を歪め後悔を吐き捨てた。

 代わりにそれが正解だったのかほんの僅かだけジロウさんの口角が上がる。

 

 それは【猟師】の使う『罠術』の一つだ。

 【猟師】の戦闘力は単体では忍者や僧兵などには一歩劣る。

 それを補うのが罠術だった。

 落とし穴であったりこうして自動で矢を射出する機巧であったりと、直接攻撃や状態異常に掛けたり多種多様な罠がある。

 今のやつは私がくないを投げて壊しておいたが戦闘しながら潰していかないと、放っておくと非常に面倒くさい。

 対人戦の経験が薄いって話からも油断していた。



「まぁ、ここまで手ひどくやられることになるとは想像していなかったがな。さっき言ったことは取り消そう。理想を語る力はあるかもしれん。だがなそれを現実にできるかはまた別問題だ」


「なら現実にしてみせます! ―【六合符りくごうふ】治癒活性―」


『マネージャーパワーで元気出たー! 全大和のみんなが憧れる珠肌に傷付けちゃって許さないんだから!』



 回復した朱雀が可愛く復活をアピールする。一人だけ浮いている気がしないでもない。

 っていうかどんな性格設定なのよ。これ景保さんの願望とかだったら引いちゃうわー。


 一旦、その景保さんと合流する。



「なんとかなりそうですね?」


「うん。そしてなんとかしないとね」


『朱雀ちゃんにお任せですですー!』



 二人共意気軒昂、その意気や良し!

 向こうも近寄っていった。



「爺さん、ちょっと危なかったんじゃないのか?」


「抜かせ。エンターテイメント的な演出だ。そっちこそ手こずっているようだが?」


「肩慣らしってとこだな。こっからが本番だ」



 ブリッツが肩を文字通り回し、ジロウさんが太陽光を反射する銀の髪を撫で上げる。

 そしてマッチアップから2on2へと移行した。



□ ■ □



「はぁ……はぁ……全部片付いたか?」


「な、なんとかね……」


「わ、私、しばらく走れそうにないかも……」


 

 アレンとミーシャ、オリビアが肩で息をしながら顔を合わせ、互いの無事を確認し合っていた。

 合計五十人からなる兵士をたった三人で分断し総力を振り絞っての全力戦闘を終えたところだ。

 玉のような汗を服の袖で拭い取り一息吐く。



「やり遂げた感が半端ねぇよ」


「だよね。あたしら相当すごいことしたんじゃないの?」


「葵ちゃんたちの魔道具を借りているとは言ってもちゃんと成長しているんだよね、私たち」



 実際、まだ歳も若いアレンたちがこの人数で正規兵五十人を相手するというのはなかなかの快挙だった。

 その功績にどちらも顔が少しニヤけてしまう。

 


「とりあえず戻るぞ。もし次、同じ数で攻められたらさすがに無理だけどよ」


「そこは村の人と玄武さんを信じましょうよ」 


「そうだな――誰だっ!?」 

 


 話し終えてライラの元へ急ごうとした瞬間、アレンの耳に草擦れの音が入ってきた。

 タイミング的にただの動物とは思えず、最大限の警戒をアレンは飛ばす。


 間髪入れず、その声の幕を破って外套に身を包んだ人物が草むらから強引に飛び出してきた。

 それは素早かった。姿勢を低くし虚を突き、一直線にアレンに向かう。

 さながら野獣のようだというのが最初の印象。



「くっ! なんだ!?」



 体は大きい。なのに上半身をうんと前かがみに下げているせいでぱっと見はやや小さく見える。

 おかげで全貌が掴めない。

 その少ない情報の中、アレンが読み取ったのは強靭な下半身と背骨の強さ。生半可な鍛え方ではそのまま顔からダイブしてしまうからだ。

 自分がやれと言われたらそうなるのが目に見えていて、だからアレンは瞬時にそれの危険性を感じ取った。

 放たれるプレッシャーは兵士たちの比ではない。


 疲労もあって反応する前に衝突した。

 玄武に突き飛ばされた兵士を連想させる強烈さだ。



「ぐあっ!!」


「アレン!」



 後方に飛ばされたアレンが地面に不時着し体ごと転がる。

 止まった時にはもうそいつが迫っていた。



「まともにやれば負けはしなくても時間が掛かるだろう。疲れている隙を狙わせてもらった。戦士には無礼ではあると思うが許せ」



 外套の隙間から覗く顔は獣人の男だった。

 中年だがまだ油が乗っており精悍で実直そうな顔付き。

 しかしどこかで見たような顔だとアレンは瞬きするほどの刹那の間に思った。

 その答えが出る前に――



「て、テメェ……」



 アレンの腹部に深々と刃が二本刺さる。

 紛れもない致命傷だ。



「全く……町を出ると強ぇやつがゴロゴロしてやがるな……」



 それを捨て台詞にすぐに体が消えていった。

 男が手に持つのはジャマダハルと呼ばれる武器によく似ている。

 コの字型の柄に鋭角な三角形の両刃の刃先のものだ。それを両手に装備していた。



「よ、よくもアレンおおおぉぉぉぉ!!!」

  


 ミーシャが矢を二本番えるという曲技染みた構えをし、怒りの感情を乗せて放つ。

 複数同時射撃というのはやってやれないことはないだろうが、距離が遠くなればなるほど当てるのは至難の技だ。

 ただ今はそれなりに近い。彼女には命中する自信があった。

 そしてそんな無謀な技を使ったのは、相手への畏怖から。いくら唐突であったとしてもアレンが為すすべもなくやられたことから、まともなことをしては即座に斬り捨てられると彼女が判断したからでもある。

 使ったというより使わされたという方が正鵠だろうか。


 相当な高難度の技術であるにも関わらず淀みなく真っ直ぐにそれは発射され、正体不明の男の眉間を射止めようとした。

 


「悪いが俺はここで負けるわけにはいかないんだ」



 自身に一秒未満で届くその必殺の二本の矢を、武器を使わず男は再び先程の超前傾姿勢で駆け出し躱した。

 回避と攻撃が一体となった行動に最短距離で男はミーシャへと辿り着き、ついには彼女もアレンと同じ運命に見舞われる。

 そしておもむろに彼は一人残ったオリビアに獰猛な眼を向けた。



「シスターを手に掛けるというのは忍びないが……ご容赦願いたい」


「私は今は冒険者です。それに一人だけ生き残ろうなんて思っていません!」


「その覚悟は良し!」



 オリビアは自身の扇で横にそっくりな幻影を作り出し、その幻にピタっと重なり離れる。

 彼女と左右対称の動きで、それだけでもうどちらが本物か分からなくなった。


 オリビアはここにきてもまだ諦めてはいない。

 固く結んだ唇は普段の彼女からは考えられないほどの憤りを感じさせる。

 それも当たり前。目の前で十数年来の仲間がやられたのだ。どれだけ穏やかな人物でも気が気ではなくなるのに何ら不思議ではなかった。


 その異様な術に男は目を丸くする。が、動きが止まったのは瞬きするほどの間のみ。

 右手に持った武器を向かって右側にいるオリビアの柔らかそうな双丘の間に投げ付ける。

 


「あっ!?」



 それは幻影の方であった。

 けれどオリビアはあまりにもあっさりと見破られたことに驚愕の声をもらしてしまう。

普通、こんな奇怪なものを体験すればもっと戸惑っていいはずだ。

 彼女も一対一で倒せるとは思っていなかったが、時間稼ぎぐらいはしてみせるとやっきになっていたところに水を浴びせられた思いに駆られる。


 特にさっきまで兵士たちには上手に通用していたのだ。おかげで少々の自信があったのも事実。

 なのに彼女の目には男が欠片も通用している様が映し出されておらず、逆に動揺してしまう。



「昔、一度だけそういう魔道具使いと戦ったことがある。道具に溺れていたが。何のことはない、敵が二人になっただけと思って焦らず即座に対処すればいいだけだ」


「がっ!」



 シンプルな答えだった。

 彼は特にどちらが幻影かを見破ったわけではなく、単に攻撃しやすい方を選んだだけに過ぎないと言い放つ。

 一種の正解ではあるが、いくら似たようなものを経験したことがあると言えども実際にやってのけられるかどうかはまた別問題だ。

 男の卓越した戦闘勘に彼女は服の中に虫が入ったかのような衝撃を受ける。


 そしてもう一本の剣がオリビアの背中から突き出た。

 彼女は目を閉じ瞬時に範囲外へと転送される。


 僅かだけ男は消えた三人がいた跡に視線を移した後、両足に力を込め移動を再開しようとした瞬間

 ――木々の間に人影を発見した。


 

「よくもオリビアさんをっ!!」


 

 それはライラだった。

 彼女は剣戟の音が止み、現場の様子を確認しにやって来たところだった。

 そこでオリビアが絶命するタイミングで襲撃者と出くわしてしまう。


 毛を逆立てライラは睨む。

 明らかに強者の匂いがする男に対し、恐怖よりも友達をやられた激情が勝った。

  

 しかし男はそこで彼女を目に収め痙攣したように立ち止まってしまう。

 先程の幻影ですら足を止めなかった男がだ。

 その奇妙な様子にライラは表情を歪める。

 


「な、なんですかあなたは!?」



 狼狽するライラを見て男は外套を取る。

 その露わになった姿に、今度は彼女の方が目をこれでもかと大きく見開き、ビクンと体が跳ねた。


  

「お、お父さん!?」


「っ! ……獣人も参加しているとは耳に入っていたがお前までいるとは思いもしなかった」



 その男の正体はライラの父で元闘技場のチャンピオンである『タシム』と言う。

 そしてアジャフに椅子代わりとして辱めを受けていた際に葵に助けられた男でもある。

 彼はアレンたちを倒した時ですらしなかった苦渋の表情をし、頭を振ってそれを追い出した。



「お父さんなんでこんなところにいるの? 今、自分が何をしたのか分かっているの!?」


「分かっているさ。全部承知した上での行動だ」



 街から逃げる折に自分と弟を庇うために一人で囮になった父との再会。

 生きていると人前では信じている態度を貫いても、やはり死んでいるのではないかと脳裏を掠めることは何度もあった。その父が目の前にいる。

 本来、感動の場面であるはずなのにライラの頭の中は混乱で満たされていた。


 なぜ父がこの合戦に参加しているのか? なぜオリビアや彼女の仲間たちを倒したのか? なぜ今頃になって現れたのか?

 衝撃的な展開に嬉しい感情など雲の彼方へと吹っ飛んでしまっていた。

 

 ただ分かることは『参加』という言葉を使って攻撃してきたということは、彼がアジャフ側の者だという最悪の事態だけ。



「だったらなんで!? ここで負ければ私たちはきっと鉱山の強制労働に従事させられる奴隷になるわ! なのにアジャフの味方をするなんて!」


「大丈夫だ。そうはならない」


「なぜ? なんでそんなことが言えるのよ!?」



 もはや半狂乱。

 髪を振り乱し正常な思考がライラから零れ落ちていく。



「約束したからだ」


「アジャフが約束なんて守るはずないじゃない!!」


「違う! アジャフじゃない。俺はファング様と約定を交わした。あの方ならアジャフにも意見できるし信用できる。鉱脈を明け渡せばまずは村の獣人、そして戦争が終わったら恒久的な全国の獣人の庇護を求めそれを良しとしてくれた。お前も知っているだろう? 王国ではそうはないが、部族連合や北の帝国ではまだ獣人の立場が弱い。それを失くすための戦いだ」


「そんなの分からないよ!」


「よく考えるんだ。この戦いに仮に村側が勝ったとして脅威は無くなるのか? 一時的に手が出せないようにしても数年すれば手の平を返すんじゃないか? 戦争というのは確かに過酷な道のりだが見返りは大きい。全員が助かるんだ」



 タシムはあえて約束を取り付けることにより、自分たちを虐げるアジャフの手助けをすることを決意した。

 その力は一騎当千ではなくてもそこらの兵士数十人分の働きをする。

 さらにいざ戦争が始まれば獣人の村や奴隷たちから募って、人間よりも頑強に動ける部隊を作る構想まであった。

 活躍すれば地位向上が固くなると信じて。


 実際に自分を打倒したファングはまだその強さの底を見せず、彼並の人間があと四人もいると聞かされれば世界征服という馬鹿げた話も現実味を帯びてしまいタシムは参加を決めたのだった。



「全員じゃない! 戦争の犠牲になる人が入ってないよお父さん!! それに敵だったら獣人も殺すんでしょ!」



 タシムには戦争への絶対の自信がある。

 しかし今、娘から提起されたことだけは彼にとって痛いところを突かれた言葉だった。

 自分たちに迎合するのであれば問題はないが、抗った場合、たとえ獣人であってもそれは敵となる。

 理解している。ただそれを考えないように眼を曇らせていただけに過ぎない。

 それを指摘され瞳が揺らいだ。



「……視野を大きく持てライラ。未来を見据えたらどちらがいいか分かるはずだ」


「分からないよ。私は今生きることしか見えない。ねぇお父さん、シナンのことは聞かないの?」


「お前のことだ。大丈夫なんだろう」


「そうじゃない。家族でしょ? 他人の未来よりも家族の心配をしてよ!」



 二人の見ている先は決定的に違う。

 今日明日の周りを見ることで精一杯の娘と、それを置き去りにして獣人全体の未来を夢見る父。

 どちらも大切でどちらも間違ってないとも言える。

 だからこそ意見も思いも交わらない。



「お前たちのことも大事だが俺はアジャフの屋敷で痛めつけられている獣人たちを直に見てきている。俺自身もそうだ。あの悲惨な光景を繰り返したくないんだ。これはチャンスなんだ!」


「ずっと看病して、伝聞や書物を漁って最近は薬師の真似事も覚えたのよ? シナンのために森に入ってもっと良く効く素材を探して自分で食べて効能を確かめてさ。なのにお父さんは私たちのことを見てくれてすらいない」



 ライラが変なキノコを食べておかしくなったりするのは弟の病を改善しようとする一心からだった。

 村に薬に詳しい者はおらず、独学で勉強しそれを自分の体を使って実践する。

 無謀とも言えるその行為は家族のためにあった。そのせいで村人を騒がせたりしたのはご愛嬌だったが。

 言葉を重ねても父と娘のお互いがお互いの心に想いが届かない。とんでもなく不幸な出来事である。



「……もはや言葉は不要だ。お前が巻物とやらを持っているんだろう? それを力ずくでもらう。幸い怪我をしても終われば元通りになるそうだ」



 タシムが先に会話を切った。

 その瞳は父のものではなく、戦士へと変貌する。


 兵士たちも言っていた通り、ここで巻物を取れば功労者となり今後の立場が良くなるのは誰だって分かることだ。

 あまりモタモタとしていると他の者が来る可能性だってある。 

 だからこそ娘との会話よりも目的を優先したかった。



「なんでそんなことしなくちゃなんないのよ!」



 構えるタシムだが、ライラは動かない。

 そんなことをする気力が湧かないのだ。



「構えろライラ。戦士が構えず膝を突くなど恥だ」


「私はもう戦士じゃない」


「ならばそのまま立っていろ。木偶の坊としてそこにいろ。そのままお前に期待した者を裏切ればいい」


「!! それは嫌! ……私は戦士じゃない。でも姉としてあの子を守るのは私しかいない。だったら……だったらやるわ。あなたから教わった技で」



 ライラは腰からタシムと同じ武器を取り出し構える。

 どこまでもすれ違う親子は奇しくもここだけは鏡写しのようで同じだった。



「行くぞ!」



 タシムが仕掛ける。

 戦法はさっきと一緒。超前傾姿勢による超々攻撃的スタイル。

 ライラも同様のポーズになっているが両者を比べると明らかに拙いのが分かってしまう。



「きゃっ!」



 当然、結果はライラの当たり負け。

 衝突音と共に鋭角な武器同士がかち合いその瞬間にもう勝負は決した。

 それはまさしく大人と子供程度の差。技量も、体格も、経験も、どうあがいても勝てはしない深い溝が隔たっている。



「そんなものだライラ。鍛錬を怠ったお前の負けだ。俺はお前がシナンが病気になってからもう戦いたいくない、看病をしたいと言ってきた時に本人のやる気がないのならと思って無理強いしなかったが、それでは守れるものも守れない。手から零れ落ちていくだけだ」


「わ、渡さない。あなたがアジャフと同じように奪うというのなら私は絶対に渡さない!」


「っ! 俺も守るために戦っているんだ」



 立ち上がろうとしているライラに一瞬だけ苦悶の表情を浮かべ、タシムが武器を振り下ろす。

 それを辛うじて防いだもののライラはやはりまた地面の上を滑ってしまう。

 服や髪が土だらけになる。けれど構わず彼女は立ち上がった。



「ライラは分からず屋です。ひょっとしたらあなたの言っている方が正しいのかもしれません。……だとしても譲りたくありません」


「なら力を示せ。今のお前はただのダダっ子だ」


「参ります!」



 今度はライラからの先制。

 瞬発力は常人のそれを越えている。ギルドに行けば冒険者としてすぐにでもデビュー出来て、将来を期待される逸材だと言われるだろう。


 一気に駆け寄り詰める。

 が、そこでライラは右へ方向転換をした。

 その角度には誰もおらず、勢いが付き過ぎていてあらぬ方向へと向かうことが予想されタシムが眉の皺を一層深くする。

 


「ちぇい!」



 突然、ライラは自分の武器を地面に刺した。

 何をするのかと思えば、それを軸にして無理やり体を捻って勢い良く足払いを試みたのだ。

 いきなりのこと驚いたタシムは咄嗟に跳び上がるも靴の踵が当たってしまい空中でバランスを崩した。


 武器を持っているとこういう時に手を突けない。

 無様に頭から地面に激突するしかないのだが、



「はぁぁぁぁぁぁ!!」



 あろうことかタシムも刃先を地面に突き刺し強引に態勢を変えた。

 素早くそこから脱すると彼の闘気が膨れ上がる。


 娘ではなく、立ちはだかる敵と認識したのだ。

 獲物に食らいつこうとする獰猛な獣の顔をして。



「ライラアアアァァァァァァァ!!」



 獣が咆哮する。


 それは一体どういう感情なのだろうか。

 腑抜けていた娘が思ったよりも実力があったことへの嬉しさなのか、それとも歯ごたえのある敵が現れ邪魔をすることへの怒りなのか。

 どちらにせよ彼は言葉を交わすことなく、神経は研ぎ澄まされていった。


 足を摺り、絶好の間合いへと自身を導く。

 刻一刻と近付いてくる父の本気に、そこに居合わせているだけでライラは毛がビリビリと逆立つのを感じる。

 

 ファングという男が現れるまで長く闘技場の頂点を極めた人物だった。

 彼がまだそうして強さのてっぺんにいたからこそ、ギリギリのところでシャンカラの獣人への風当たりは和らいでいたのだ。

 しかし破れたせいで一気に物の見方が変わってしまった。

 負けたといってもタシムの強さは一欠片も損なわれてはいないというのに。

 聴衆はいつだって純粋な無慈悲であり続けた。


 そしてその瞬間は訪れる。



「はああああああぁぁぁぁぁぁ!!!」


「やああああああぁぁぁぁぁぁ!!!」



 鋼の硬質的な悲鳴が森に響き、二刀の両刃が火花を生んでは散らす。

 幾度となく生まれ消えていくそれは互いの命の灯火の欠片とも言える。

 闘志を燃やし信念を焚べ、輝き続ける剣舞は荒々しくも儚げだ。


 しかしながらいかんせん、やはりタシムに分があった。

 気持ちだけで上回るほど縮まる差ではない。


 人間など真っ二つにしそうな回転斬りをライラは刃で滑らし辛うじて避け、心臓が止まりそうなほど危なっかしく動き回る。

 それに一合打ち合わすごとに強烈な衝撃が響くせいで、腕が痺れすでにいつ武器を落としてもおかしくない状況に陥っていた。

 ずっとチャンピオンとして鍛錬を続けていたカシムと、長い間それを捨てたライラでは漫画のような奇跡は起こらない。



「私はあああ、私はあああぁぁ!!」



 足りない分を、友をやられた憤り、家族を捨てた父への恨み、ここで負ければ終わるという使命感、複雑に混ぜあい作り出した激情というドーピングで補うライラだが、それは一時的なもので長くは続かないのは明白だった。

 


「そうだ! 持てる全てで掛かって来い!」



 ライラの力の乗った斬撃を真正面からタシムは弾き返す。

 よろける体捌きを彼女は回転を加えることによって補強していたが、それでやっと同じ土俵に立てる程度が関の山。その上、体力は削られるばかり。


 常人よりも強く速いと言っても技量が違う。

 目の前にいるのは生死を懸けた闘技場で虚実混じった技を幾百と磨き浴びせられてきた最強の男なのだ。

 ブリッツにこそ完敗したが、積み重ねたものは赤目で本気になったバータルにも匹敵する。

 そして彼にとってライラの渾身の一振りは心地よさすら感じる実直なものでしかなかった。


 次第に衰えていく体力と気力を感じ、ライラの頭には絶望がかま首をもたげてくる。



「このおぉ!!」



 足元から振り上げられた縦の一文字をタシムは武器を使い滑らせ半身で避け、ついにはライラの腕を切り裂いた。



「ああっ!」



 真っ赤な鮮血が肌から溢れ出て、ライラの力が入らなくなった指からするりと武器が零れ落ちる。

 痛みにたたらを踏むライラの腕をだらりと伝い生々しい血液が滴った。



「は!? 血だと!?  な、なぜ?」



 ここにきて、タシムが最も表情を激変させ狼狽した。

 戦闘では動揺すれば負け。それが身に沁みている男でも目の前で起った事実に茫然自失してしまう。


 それもそのはず、『合戦に参加している者は血が出ない』のだ。

 今まで兵士やアレンたちが倒されてきたが、痛みはあれどそれはHPバーがいくらか肩代わりしてくれていた。

 腕や喉を突かれてもあまり大騒ぎしなかった理由がこれである。



「……私は合戦に参加していません。ただ巻物を持っていただけです」


「そ、そんなことが許されるのか!?」


「許すもなにもここにこうして出来ているんですから大丈夫なんでしょう。強引にこのまま奪いますか?」


「それは……」


 

 いくらなんでも我が子を殺害するという判断は下せない。

 無理矢理にでも取るしかないが、そうすれば激しい抵抗をして傷が広がる恐れがあった。

 さすがのタシムもこればかりは目が泳ぎ困ってしまう。


 そこに――



「な、なに!? この音……」



 二人の耳に聞いたことない、ゴオオオという音が入ってくる。

 辺りを見回すがそんな異常なものは見当たらない。

 


「う、上だ!!」



 タシムが先に気付き、指でそれを差した。


 鳥が飛ぶほどの上空に見たこともない物体が飛行していたのだ。

 全く正体が分からず二人は硬直する。


 しかもそれは羽が生えていて鳥類であると予測はされるも、なぜか羽毛ではなく金属。

 その奇妙な物が自分たちの方へと進路を変更し突撃しようとしているように見え戦慄した。 



「あっははははは!!! みんな死んじゃえ!!」



 そこから発せられる声は狂気じみた名無しのものだった。


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