3章 8話 遭遇からの逃亡、そして

「嘘っ!?」


「葵さん逃げ――」



 景保さんが言い終わる前にすでに私は動いていた。

 超特急。足の意識をつま先に一点集中し強く踏み込み残像が出る速さで一直線にファングへと向かう。

 足袋型ブーツが地面と噛み合いしっかりと飛び出せた。



「はぁっ!!」



 狙うはファングのしたり顔をしている鼻面。

 そこに吠え声を吐き一気呵成に弾丸のような必殺の飛び蹴りを放つ。

 先手必勝だ。あっという間に数十メートル以上あった距離など霧散した。



「危ない危ない。話し合いの前にいきなりこれか」



 だが、虚を突いたと思った私のキックはその分厚い二の腕で防がれる。

 瞬時に飛び退き今度は通路の天井の隅に逆さまで張り付く。

 そこから再度飛びかかる――と見せかけ通路の端に移動。

 ダメ押しでもう一度。今度は構えたまま動かないファングのやや後ろの頭上へ。

 

 目にも止まらない立体的なフェイントだ。

 特にやや視界が悪いここでなら効果はアップするだろう。

 天井を蹴り上げきついのをお見舞いする。



「―【拳闘術】浄火焔じょうかえんの穿ち―!」


「―【仏気術】地天じてん脚絆きゃはん―!」



 自然界でも決して相容れない二つの属性――私の炎拳とファングの土甲が室内で激突した。

 痺れるような硬さと威力のぶつかりが拳の皮膚と骨を伝わってくる。 

 火は土を炭化させ、土は火を通さない。

 どちらも譲らない意地と意地のぶつかり合いの衝突。



「忍者ってやつはたいてい後ろか頭の上に行きたがるんだよなぁ!」


「うっさい!」



 短く吐き捨てる。

 しかし押し負けたのは私の方だった。

 廊下を飛ばされ入り口まで戻される。

 

 単純なステータスの筋力に差があり、さらに格闘戦の技は威力や消費に向こうに分があるからだ。

 せめて私が手甲を装備できたら変わってきたかもしれないが、今はこれが精一杯だったし、そうしたら向こうも取り出してくるだろう。


 とは言えこれは想定内。

 【忍者】と【僧兵】なら力負けしてもなんら不思議じゃないからね。


 即座に態勢を整え次の一手に移る。

 そして私の目にはすでに別の戦いが繰り広げられているのが映った。



『主は返してもらう!』



 玄武が槍で一文字に二回斬り裂き景保さんの入っている鉄格子を解いた。

 からんと切られた鉄の擦過音が鳴り響く。

 そこにジロウさんが突入していった。

 


「あーらら。まぁどっち道そんな檻なんて体をなしてないからいいけどさ、喚び出されただけのNPCにそんなに簡単に逃げられると思われているのが心外だなぁ。舐めてんでしょ? ねぇ?」


『元はと言えばそちらが主を攫ったことに起因している。子供と思って優しくすると思うなよ? 仕置が必要ならこの槍で相手を仕ろう』



 両者の距離はそんなに無い。

 なのに玄武に槍を突きつけられても怯えはなく、袴に付いているポケットに尚も手を入れ、眠たそうな目をぎょろりと下から睨め上げる。



「ちっ! 話になんないなぁ! だったら体で分からせてやるよ! ―【絡繰からくり術】武者の操―」



 男が術を使った。

 やはりプレイヤーで間違いはない。


 そして聞き覚えがある術名。これは【絡繰師】の技だ。

 絡繰師とは薬や戦闘用アイテムなどを作り出しそれを使う職業で、支援やサポート向けの後衛職になる。

 単体としては全職業で最も力が弱い部類だが、戦闘となればアイテムで状態異常などを引き起こしたり、陰陽師のように自分でパーツを作って設計した機械人形を喚び出しそれを着込んで戦うことができた。

 そうして喚び出した絡繰の鎧の中に自分が入って操作することによって限定的に他職業に並ぶ強さになるのだ。

 ただしそれにはエネルギーによる制限時間があり、一時的な強化外装というのがピッタリだろう。

 評するならばアイテムによって攻撃・補助・回復をこなせる器用貧乏といった感じの職業だ。

 

 絡繰師の力ある言葉に導かれ地面が発光し巨大な鬼面の鎧武者が牢屋内にせり出て来た。

 狭い室内に収まりきれないようなその長身。

 玄武もそこそこ身長はあるはずなのにそれを大きく上回り軽く二メートルは超えている。

 

 

「やれ、鬼丸!」



 絡繰師の命令に鎧武者が動いた。

 腰に差している刀を抜刀し瞬時に振り抜き、どれだけ運が悪いのか鉄格子はまた切られ、そして蹴り飛ばされる。

 強烈な飛び道具と化したその鉄柵が玄武に襲いかかった。



「ば、馬鹿な!? 絡繰は装備して戦うものであって単独行動なんて出来ないはず!?」


「遅れてるなぁ陰陽師さん。この世界では絡繰は自動行動が可能なんだぜ! 強さはそこの式神と同じだけどさ!」



 絡繰師はなじるように景保さんの疑問に答える。



『その程度!』



 玄武は自らの主を守るように大盾でそれを弾くが、しかしその合間を狙われ刀の素早い打突が顔の正面からやってきた。

 素早い踏み込みによりいつの間にか鎧武者は牢の外。

 通路で二人は相対した。

 


「玄武!」


『ちぃっ!』

 

 

 背後の景保さんの心配する声に反応し反射的に首を捻ってそれを躱し、今度は玄武がすでに短く持っていた槍を横から振るう。

 もはや超接近戦だ。スタート位置が芳しく無く槍の間合いではなかった。 

 

 快音が鳴る。

 唸る豪槍がガツンと大岩ですら砕かれそうな勢いでぶち当たり激しい一撃が鎧武者の頭に強打された。

 だというのにそいつは体を少し揺らしただけで耐えきった。



「はっはぁ!! そいつと強さが一緒っていうのは嘘さ。僕の鬼丸が陰陽師の下僕なんかに負けるかよ!! こっちに来てからパーツのコスト制限が無くなったんだ! おかげで装備が全て最上級になってレベル百相当はある! つもりどういうことか分かるかい? 防御力特化の鬼丸にそんなNPCじゃ勝てないんだよ!」


「そんな無茶苦茶な!?」



 突然、絡繰師の嘲るみたいな哄笑が響き渡る。

 その意味を咀嚼し度肝を抜かれたのは景保さん。


 笑い方も言ってることもそれが本当ならやばかった。

 絡繰り系は装備や回路などを発明し自分で組んでいくのだが、それにはコスト制限が掛かっている。

 なのでゲームでなら好き勝手にパーツを組むのは難しくなるのだが、もしそれが撤廃されたとなると基本能力がすでに玄武とはかけ離れたことになってしまう。

 大和伝ではレベルが十違うと腕の差が一段は上じゃないと勝つのが難しい。それが二十もあるとなると初級者と上級者程度の差が無いとほぼ勝つのは無理だ。

 


『ぐぅぅ!!』



 槍で打たれた痛みなどお構いなしに鎧武者は強引に玄武の首をその腕で引っ捕らえた。

 無機質な指が玄武の首に絡みつき、苦しそうにそのまま持ち上げられる。

 

 確かに圧倒的に力も防御力も上らしい。

 むかつく絡繰師が言っていることは本当なのかもしれない。



「玄武!」



 景保さんの叫び声が飛ぶ。



「ははっ! 虫みたいだ。標本にしてやれ鬼丸!」



 嗜虐的な笑みを浮かべ絡繰師が命令を出す。

 それに呼応して鎧武者が玄武をぞんざいに地面へ投げ捨て、お腹に重厚感のある足で乗り上げる。

 そしてその手に持つ刀を玄武の腕に刺し入れた。



『ぐああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!』



 肉を貫かれた絶叫が牢内の隅から隅まで木霊し、傷口から血がこれでもかと溢れ地面にぼたぼたと垂れていく。

 だというのに玄武はそれでも槍も盾も落とさない。武人の挟持というやつだろうか。



「その腕を離せぇ!」



 キレた景保さんが白虎の絵が描かれている扇を取り出した。

 畳まれた扇の先からは黄金の刃がエネルギーブレイドとして現出する。

 それを激情のまま鬼武者に叩き付けた。


 だが、ギィィィィィと金属が削り合う不快な音がして鎧に阻まれる。



「はっはぁ! 鬼丸が今装備している鎧は源氏八領が一つ『八龍』だ。そんな陰陽師の非力な攻撃力が通るかよ!」



 源氏に伝わるとされている八つの伝説の鎧の一つ。

 八大龍王信仰により造られた鎧で、全身に綺羅びやかな八つの竜が施されている。

 大和伝では最高級防具の一つでもあり、防御力は折り紙付きだ。



「うわっ!」



 ダメージをほとんど与えられないまま景保さんは大きく腕を払われ、鬼武者によって後退させられる。 

 これを指示した男は愉快そうに主従の劣勢を鎧武者の後ろで眺め唇を舌で舐めている。

 なんて胸糞が悪くなるやつだ。

 

 

「よそ見している暇はあるのかよ忍者風情が!」



 そっちに気を取られた一瞬でファングの拳がもう迫っていた。



「なっ! かはっ!」



 重い芯まで響くパンチ。

 それが私の腹部に激突し、くの字に折れ曲がりそのまま壁に叩き付けられる。

 脳が痺れ鈍痛に背骨か軋む。体の内側まで浸透し臓器まで響いた。

 おかげで一瞬、息ができず喉が詰まる。



「お前の相手は俺だろ? 他を見るなんてヤボなことするなよ」



 さらに追撃で足が来た。

 咄嗟に身を捻って回転して躱すと、背を預けていた石壁が粉々に粉砕される。

 そこから軸足を捻り烈風の後ろ回し蹴りがやってくる。

 歯を食いしばりながらこれも寸でくるくると回転して避けるとボロボロと壁がおかしのように壊れていく。



「邪魔しないで!」



 地面に落ちる途中の瓦礫の一つを下から蹴り上げファングの額に当てた。



「うおっ!?」



 ダメージは微々たるものだ。でも僅かな間が生まれる。

 瞬時に肩からショルダータックルを敢行し、ガタイの良いファングの体を押し出すように激突した。

 いかに職業差で基礎パワーで負けていようと不意を突けば軽く吹っ飛ばすことぐらいは可能なのだ。


 直後に反転し、両手が塞がっている鎧武者へ一気に駆け寄り刀を持つ腕を右足で蹴り上げる。

 その攻撃に乱暴に刀先が抜かれ鮮血が舞う。

 刀は天井に突き刺さり地に足腰をしっかりと踏み込んで肘打ちを叩き込むと絡繰はそれを操る絡繰師の元へとたらを踏んで後退した。



「お前なにすん――わわっ!」



 絡繰師は迫る絡繰の巨体と背中の壁に挟まれ動揺する。

 玄武は即座に立ち上がって臨戦態勢に戻した。


 腕が傷付こうが血が流れようが彼女の意志は折れず曲がらず、土蜘蛛姫戦で見せたあのままの気丈な姿だった。

 狭い室内で両陣営入り乱れる奇妙な構図が完成する。


 こっちは負傷者も出て不意打ちによってもうしっちゃかめっちゃかだ。

 ただ打開策はどうとでもなる。こっちはまだフリーで暴れられるジロウさんが残っていて人数差で押し勝てるんだから。

 でもこんな狭いところじゃやってらんないし、もう訳が分からない怒涛の展開で一度情報を整理したい。とにかく地上に出ないと。



「みんな逃げるよ!」


「すまんようやく溜めが終わった! 儂が活路を開く! ―【弓術】豪砲赤鳥ごうほうせきちょう―!」」



 弓を装備したジロウさんが天井に向かって構える。

 黄金でできたその弓から真っ赤なエネルギーが凝縮されていき、羽のようなエフェクトになるとどでかいのを一発、斜め上に放った!

 

 矢がフェニックスや極楽鳥とも言われる別の物に変化したそれは石の天井などものともせず、まるで貪り食らうように頭上を突き進む。

 鼓膜が震え破裂するんじゃないかという轟音と細かな石片や埃が上から降り注き、あっという間にそこに出来上がったのは直径二メートルほどのやや斜めになった縦穴。

 上から日が差し込まれ確かに逃げ道は開かれた。



「みんな行くよ! ―【土遁】土畳返つちだたみがえし―」


「こっちも! ―【玄武符】―土壁成山どへきせいざん―」


「ちっ! めんどうな!」


「あーらら、へぇ逃げる気なんだ?」



 通路と牢屋の入り口どちらにも土の壁が生まれ、敵二人を私たちから分断する。

 ここの連携は懐かしさすら感じる慣れたもの。



「出るよ!」



 全員でぽっかりと大口を開けた穴に跳躍し三角飛びの要領で地上へ出る。

 出た瞬間に数千の奇異の視線に晒された。

 まだファングの成した偉業に興奮冷めやらぬ観客たちの目だ。余韻を楽しんでいるところに突然真下から放出された不可思議なエネルギーに呆然としている。


 そうかここは――闘技場の真下だったんだ。だからこそジロウさんは人がいないここに穴を作ったのか。

 地下からはさっき二人で生成した壁が破壊される音が薄く耳朶に届いてくる。

 やはりあの程度じゃ数秒稼ぐのがやっとか。


 方角がいまいち分からない。

 いきなり過ぎてどっちへ行けばいいのやら。



「とにかくあっちへ!」



 適当な方向へ景保さんが指を向ける。

 そっちへ向かおうと一歩踏み出したとき、ヒヤリと悪寒が走り、慌てて足を止めた。

 直後、私の前の地面が消し飛ぶ。

 ジロウさんのさっきのに比類するほどの威力の塊が青い空へと駆け抜けていった。


 さらにパリンと何かが割れる乾いた音がする。

 同時にがくんと頭にノイズが入る感覚。


『『【ステート異常:幻覚】レジスト抵抗失敗』』


 く、これは! 絡繰師の使う毒草を調合した状態異常のアイテムだ。

 さっきの音は瓶が破裂した音か。


 視界が歪む。

 私の見ている景色がどんどんと色を失い白と黒の輪郭模様が織りなすモノクロ世界へと変貌していく。

 幻覚にも数種類効果があるが、白黒を引いたか。ともすれば味方や敵が見えなくなったり、変なものが見えるのもある。まだマシな方だ。


 すぐさま二つ目に開いた穴からファングたちが飛び出してきた。



「そう簡単に逃げられると思うなよ」


「積もる話もあるだろうからゆっくりしていきなよ」



 こんな人目の付くところでどんぱち始めてらんないわ。飛び火して観客たちに被害だってどれだけ出るか分かったもんじゃない。


 瞬時にウィンドウから煙玉を取り出し炸裂させる。

 辺りに白い煙が立ち込め、自分の周囲すら不可視にもうもうと覆われた。

 応戦するのか逃げるのか一瞬だけ逡巡したが、もちろん逃げの一択だ。



「ええい、こんな人目のあるところでは戦えん! バラバラに逃げるぞ! はぐれたら落ち合う場所は昨日、儂らと玄武が最初に会った場所だ!」


「了解!」



 ジロウさんが珍しく大声で叫び、

 


「散会!!」



 散り散りに思い思いに抜け出て行く。

 私は観客席の人垣を乗り越えひとっ飛びで闘技場から抜け出す。

 気配がして後ろを振り向くと付いてきているのはファングだった。


 よし、いい感じだ。

 私ならどうとでも撒ける。そしてあっちに一人行くだけなら二人がかりでなんとかしてくれるはず。



「よっとぉ!」



 闘技場前のまだ人が多く行き交う大通りの抜け目を見つけそこに上空から着地。

 跳んでいる間に状態異常回復の丸薬は飲んでおいた。



「わわ、なんだ?」


「人が降ってきたぞ!?」



 仰天して人々の波が止まる。

 地面に黒い影が生まれ、はっとして私が叫びながら飛び退く。



「みんな避けて!」



 ずどん、さながら落雷が落ちてきたかの如く重低音が広がり、私がさっきまでいた地面が破砕し薄い砂塵が上がる。

 みんな腰を抜かしてそこにいる男を凝視する――ファングだ。



「鬼ごっこか? いいだろう。お前がどれほど動けるかテストしてやる」


「テスト? 何言ってんのあんた? お生憎様! あんたみたいなやつに追い掛けられるなんて恐怖体験でしかないわよ!」



 正面切って戦ってなんてやるもんか。

 言ってすぐに跳躍し逃亡を選択した。

 石や土壁を固めてできた民家の天井を駆け抜ける。

 高さは均一じゃない代わりに三角屋根じゃなくて平面なのでとっても走りやすい。もはや隠密がどうとか言ってられないっての。

 


「まずは小手調べだ。―【仏気術】―風玉かざだまぁ!!」



 同じく建物の屋根の上にまで追いかけてきたファングが術を発動する。

 右の手の平には緑色の凝縮した玉が握られ、それを野球の投球フォームのように振りかぶって投げると豪速球で私に飛来する。


 ステップして避けると民家に着弾し上側半分が爆発した。

 こいつ、私だけじゃなく街もろとも破壊する気か!?


 思わず足を止め糾弾する。

 


「街中よ! あんたなにしてんのか分かってんの!?」


「知ってるに決まってる! 嫌なら逃げなければいい。それにこの街の人間なら人気者の俺に壊されてむしろ喜んでくれるぜ」


「ふざけんな!」



 逃げるのを中断して踵を返し、初っ端から最高速度のロケットのように加速して飛び膝蹴りを食らわす。

 だがそれはやっぱり向こうの腕で阻まれた。

 骨と骨が軋り合う奇妙な感触。


 ファングは強引に手を振り払いそれを反動に蹴って私は縦回転して屋根の上に着地。

 屋根の上で対峙し合う。

 どうでもいいけど見晴らしがいいねここ。



「おっと思わずガードしちまった。いいぜ今度はノーガードで食らってやる。どれほどの痛みか知っておきたい」


「マゾなの!?」



 くいくい、と挑発のポーズをされる。

 改めて観察するとこいつの体は女性と男性という違いもあるが、指も腕も私よりも一回り太く大きく、体格差ではすでに負けている。

 この状況を見ていたら百人いたら百人が私が負けると考えるだろう。それぐらい違う。

 でもゲームでは性別や体格なんてものは関係なかった。だからこっちでも存分にやれるはずだ!


 足をバネのようにして地面に押し込み瞬発し、神速の勢いで槍を連想させる真っ直ぐで苛烈な蹴りを叩き込む。

 車一台ぐらいなら軽く飛んでいきそうな本気のキックをそのどてっ腹に叩き込んだ。



「ぐあっ!!」



 どごぉ、と効果音が聞こえてきそうな衝突でファングは膝を曲げ力を入れて耐えようとする。

 けれども滑る屋根の上で堪えきれるものではなく、私の与えた衝撃に足を踏ん張り勢いを殺してあわや屋根から落ちかけるもあと数センチのところで止まった。



「痛ぇ。痛いが……まぁこんなもんか」



 ファングはほんの少しだけ苦痛に顔を歪めお腹に付いた泥を払うかのように擦る。

 

 その結果にぞわりと嫌な予感が私を包み込む。

 ファングの表情から鑑みるにかなりまともな一撃を入れたのにそんなに効いていないように見えたからだ。

 これは困った。どうしたものか。



「よくそんな馬鹿な真似するわね」


「プレイヤー同士が戦ったらどうなるかって一応考えてはいたんだよ。名無し――あぁさっきの絡繰師のことな。あいつは前衛向けじゃないしやる気が無いんであんま特訓にならなくてよ。だが大体これで把握した」


「悪夢ね。けっこうマジだったんだけどその程度なんて」


「そりゃお前だって……あん? ひょっとしてあれか? 俺を気遣って素手でやってくれてんのか? 忍者が刀をなかなか抜かないからおかしいなとは思ってたんだ。そうかそうか、そりゃお優しいこって」


「……別にあんたに配慮してるってことじゃないんだけどね」



 バレたか。私が今困っている理由が。

 もちろん捌き用として刀は使えるけど、それでHP全損まで追い込めるか、マジの殺し合いをするかどうかはまだ覚悟が定まっていないんだ。

 なので刀を抜かずに苦肉の策で素手で相手をしている。

 予感はしていたけど、その時がこんなに早まるなんて思いもしなかった。


 心の中で舌打ちをし、敵を睨めつける目に一層力が入る。


 

「まぁもののついでだ。目一杯体を動かさせてもらうぜ」


「こっちはそんな気ないのよね。十代の女の子追い掛けるなんてストーカーで捕まってくんない?」


「残念ながらそういう法律はこっちにはまだないんだよな!」



 言ってファングが仕掛けてきた。

 私に比べれば鈍重だがその分、地に足が付いていてしっかりとした足取り。もちろんそこら辺の人間からしたら残像が出るほどだが。


 右のスレトート。

 それを頭を振って避けるも、ボッと空気を撃ち抜く音が耳のすぐ傍を掠める。

 ジャブを織り交ぜ大砲のような連続攻撃を手で捌き足を小刻みに踏み付け体を左右に振って躱す。

 下手をすればこの一発一発がこっちの腰の入った攻撃ほどもあるので気は抜けない。


 しかし止まない雨は無い。

 降り注ぐ拳を掻い潜りこっちも握った右手で頬を殴り付けてやった。

 鉄板みたいな感触がして一瞬だけファングは呻いたが痛みに構わず――



「軽いなぁ!!」



 横からのフックが私の横っ面にヒットした。

 特大のダメージだ。もんどり打って倒れる。

 屋根の上をごろごろと転がり、そこからじんじんするほっぺを無視して猫のようにしなやかにジャンプして別の屋根に飛び移った。

 顔を見上げるとすでにファングが迫っている。



「にゃろう!」


「いいな、ノってきたぜ!」


 

 旋風回し蹴りだ。

 もはや凶器と呼べる骨太の脚を下からヘッドスライディングでやり過ごし猛烈な慣性の技が頭上スレスレをすれ違った。


 だがすぐに後ろ蹴りが来る。

 それを飛び退りダメージを軽減するが軽い体重のせいで大きく空に投げ出された。

 その勢いは屋根から外れ通りへと出てしまう。


 着地点は――まずい! 屋台だ!

 建物から落とされ空中では止まれず果物が山程積まれた屋台の木箱に突っ込んだ。

 どがぁん! とぶつかった衝撃で商売品が散乱する音がして屋台が半壊した。

 辺りには潰れた果実の甘そうでフルーティーな匂いが充満する。

 少しなら香り豊かと表現したいが、むせ返るこれはなかなかどうして嗅覚を強烈に刺激してきて毒になりそうだった。



「な、なんだってんだー!?」



 店主のおじさんは唖然とこちらを見て立ち尽くしていた。

 運良く怪我が無かったみたいだけど、迷惑掛けちゃった。

 近くにいる人たちも同じように呆気に取られて空から降ってきた私を不審な目で注視してくる。



「ごめん! 弁償はファングに付けといて!」


「俺か? まぁいいけどよ」


「このっ!」



 人の波を掻き分け悠然と我が物顔のファングがそこにいた。

 一般人にはひゅっと風を切る音だけを残して私は瞬時に加速する。

 飛び膝蹴りを入れるもまたもガードされ、そこから両手を握り拳を作りファングの頭のてっぺんからハンマーアタック。

 それも腕をズラされ防がれると肉と肉がぶつかり合い衝撃が骨を通して伝わってくる。

 すぐさま頭上を覆うファングの腕を掴み腹を蹴ってそれを支点に平行棒扱いして、一回転からの遠心力を利用した豪快な投げを決める。



「うおっ!?」


 

 ファングは驚きの声を残しながら宙に浮き、固い石の建物に背中から激突した。

 半壊した壁が崩れ薄い砂や埃が立ち込める。

 


「お、おい喧嘩か!?」


「あれってファングじゃないのか? 誰と戦ってるんだ?」



 人々が騒然とする中、雷撃の如く右の拳を振り上げ追撃を決行する――のを咄嗟につま先に力を込めて中断した。



「お、良い反応だ。当たっちまうもんな」


「子供を盾にするなんて卑怯よ!」



 ファングが掲げる右手には三歳児ぐらいの男の子が服の裾を掴まれて宙ぶらりんになっていた。

 その子は事態が分かっておらずきょとんと目を忙しなく動かし、一拍遅れて母親の悲鳴がする。

 

 こいつ、建物の中にいた子供をひったくったんだ!



「まぁ別にこんなことしなくても勝てるとは思うんだけどよ、そっちの性格を確かめたくてよ。止まってくれて良かったぜ。つっても普通は止まるよな」


「当たり前でしょ! すぐに解放しなさい」


「おう、そのお願い聞いてやるよ。ほらよ!」



 いきなりファングが物のように子供を空高くへと放り投げた。

 子供は分かっておらず大きく目を見開き放心状態。

 やばい! あの高さから落ちたら死んでしまう!


 救うために膝を曲げジャンプの前動作をする。

 今助けられるのは私しかいないんだ。


 しかしそこをファングが邪魔をする。



「それが大きな隙ってやつだ!」


「ぐあっ!」



 太い足が私を粉砕せしめんとやってきた。

 激しい痛み。それと同時に壁に頭から激突し、肋骨と頭ををひどく痛める良い一発をもらってしまう。

 

 ファングは私を排除した後に自分から跳んで子供を抱きかかえ着地する。



「瓦礫から守ってやったぜ。今度は失くすんじゃないぞ?」



 いけしゃあしゃあとそう言ってファングは母親に子供を渡す。

 彼女はとにかく錯乱していてそんな彼にお礼まで言い始め、ようやく何が起こったのか理解したのか母親の手に戻った子供はぎゃん泣きをし出す。

 市場はもう混乱の真っ只中だ。


 そもそもが煙に紛れて建物の中から攫ったのを私は見てるんだよ。

 とんでもない嘘を吐くやつだ。

 

 壁から這い出した私はさすがに頭に来て強く拳を握り締める。


 

「そんなことされると私も刀を抜かざるを得ないわよ?」


「いいぜ。それでようやく五分だ。元の世界でタイマンはやったことあるか? AI相手じゃなく人間相手の方が盛り上がる。本気でぶつかってこそお互いが分かるってもんだろ」



 脅しのつもりで言ったが何の効果も得られず、まだ躊躇してしまう。

 もし本当に刀を使ったら向こうも本気になって冗談で済まされないことになるだろう。そうなったらどちらかが倒れるまでやるしかない。

 なんであっちが悪いのにこっちが悩まないといけないんだ。

 もうあれだこっちもなりふり構わなかったらいいんだ。


 意地悪な妙案を一つ思い付いた。



「これ何か分かる?」



 思い切った私がウィンドウ操作で作り出したのは【火遁紅梅】を発動させる巻物。

 


「忍術発動のやつだろ? いくら押され気味だからって街中でそんなもん使ったらどうなるかは分かってんだろうな?」



 ふっふっふ、僅かにファングの口元が強張り狼狽する気配が見て取れ、思わぬ立場逆転にこっちの唇は緩む。

 口では強がっていてもやはり困るようだ。



「そっちがそれ言うんだ? へぇ、これどうしようっかな~?」


「言っとくが別に発動しても俺は気にしないぞ。市民が死のうが俺には関係がなくお前の汚名が増えるだけだ」


「あら、じゃあそうならないためにファング君には頑張ってもらわないと――ね!」



 振りかぶってあらぬ方向へ大暴投。

 と見せかけて実は――。



「お前っ!? ひっでぇことしやがるな! くそっ! この勝負はお預けだ!」



 大慌てで泡を食ってファングが走り出した。

 目的は私の投げた巻物だ。普通は投げた物なんてキャッチできるはずないんだけど、超人の私たちなら可能。

 そしてなぜあれに固執するのかそれはというと。



「だってあんな大きくて目立つ建物なんですもの。外からならどこからでも分かるわよ」



 私が火遁の巻物を投げた場所はこの街でも一際大きく、建物の屋根の上からならどこからでもその位置が把握できる宮殿だった。

 つまり、あそこはファングの警護対象である領主がふんぞり返っている場所。

 たとえこれがブラフであったとしてもあいつは行かざるを得ない。意外と職務に忠実なやつで助かったわ。

 もちろん誘いに乗らなければ発動させる気はなかったけどさ。

 


「とにかく今は合流しないと……おっとと、お騒がせしました! 壊れた物の代金とか訴えは全部ファング宛で!」



 ぽかんとする街の人の視線に気付いて捨て台詞を残す。

 それから跳んで振り切り空を駆け、ある程度違う方向へ距離を稼いだところで人混みに紛れる。

 けっこう大きい街だけあって闘技場の騒動はここまで伝わっていないようだった。

 ヤキモキする気持ちを抑えつつ早歩きで合流地点へと向かう。


 たぶん回り道したから三十分以上は経っているはずだ。

 通信はもしあっちが戦闘中だった場合、邪魔になるだろうしできない。

 一応、フレンドリストを確認したけどきちんと二人の名前は表示されていて大丈夫だった。


 そうしてあの路地裏に戻ってみると、



「葵さん!」


「お嬢ちゃん無事だったか!」


『拙はもちろん信じておりましたぞ』



 仲間たちが健在で出迎えてくれた。

 怪我はまぁ回復術で治ることもあって外見に乱れなどは見られない。



「そっちは大丈夫だったんですね」


「こっちは二人、いや三人掛かりだからね。元々あの子のやる気もあんまり無かったっぽいし不利を悟るとすぐに後退していったよ。そっちは?」


「ファングがしつこかったんですけどね。格闘戦で押されたから領主のいるところに火遁の巻物投げたら慌ててすっ飛んでちゃった」


「す、すごいことするね……」


「付き合ってらんないですよあんなの」



 景保さんは苦笑いで返してくる。

 画面越しでたまに会話しているおかげかあまり久し振りという感じはしない。

 たぶん面と向かってしゃべるのは一ヶ月以上振りだけど、いつもの彼だ。あんな場所に閉じ込められて憔悴しきっているのかとも思ったけどそれも問題ないらしい。


 代わりになぜかジロウさんは神妙な面持ちに変化した。

 何か変なこと言ったかな?

 


「あ、紹介します。こちらジロウさん。近くの村でばったり会って救出作戦に協力してくれたんです」


「簡単な自己紹介ならもう終わってるよ。おかげで助かったって話を今してたんだ」


「そですか」



 じゃあ中身がお爺さんっていうのは伝えなくてもいいのかな。



「はぁ。来ないでって言ったのに。やっぱり来ちゃったか」


「すみません、居ても立ってもいられなくて……」


「あいつら二人なのに追い詰め方が甘かったから僕を餌にフレンドのプレイヤーを集めようとしてるんじゃないかって気付いてね、それで来ないでって言ったんだ。通信したら仲間がいることがバレちゃうしそれも伝えられなくて、一番恐れていたパターンになっちゃってさっきはどうしようかと思ったよ」



 そういうことか。ならわざと私からのビデオチャットには出なかったんだねぇ。

 文句を言いつつも景保さんはすぐに頭を振った。



「いや助けに来てもらったのにこんなことを言うのはおこがましいよね。ごめん。そしてありがとう」


『主、よくぞご無事で』


「玄武もごめんね。急に何も知らされず召喚されて放り出されてしまったよね。君を選んだのは万が一、葵さんが来たときにストッパーになるんじゃないかと思って咄嗟にそうするしかなかったんだ」


『なんの、主の苦難に比べたら拙のことなどどうでもいい。とにかく無事で良かった』

 

 

 なぜか景保さんの言葉に玄武がうむうむと頷いていた。

 ちょっと安心しているようでにこやかで嬉しそうなのは分かる。

 


「しかしヒヤっとしたが終わってみると存外なんでもなかったな」



 ジロウさんは顎を掻きながらさっきの出来事を思い出しているようだ。

 その顔つきは全然懲りてない。



「いやもうそういうのいいですから。この後はとりあえず村に戻ります? そこで今後の相談ということで」


「まぁいいが。一応確認のために聞くがカッシーラに一人以外は仲間はもういないんだな? 多勢に無勢となればあいつらを大人しくさせる抑止力となるんだが」


「ええいません。思ったよりも出会わないもんなんですよね」


「そうかいないか……」



 何やら俯き思案顔になるジロウさん。


 残念なのは分かるけどそこまで考えなくてもいいんじゃないのかな?

 それともあの獣人の村が近いから報復に来るとか考えてるのかも。

 関係ない人にまで手を出したらもう私だって黙っていられなくなるんだけど。



「――ということだ! もういいぞ!!」



 さっきのように再びジロウさんが大きな声を上げる。



「なぁんだ期待して損したぜ」


「僕の言った通りだったでしょ。こっちだってそんなに面子いないんだからあんなやつらにいるはずがないって」



 私たちが落ち合う場所にファングと名無しが建物の上から突然現れた。

 そんな馬鹿な、ここはこいつらには知られていないはずだよ!?



「どうしてここを――」


『主!』



 玄武の悲痛な叫びが耳に入ってきて口を開くのを中断し首を回すと――そこには景保さんの頭に矢を番えたジロウさんがいた。


 その光景にがつんと頭を殴られたかのような衝撃が来て体が固まり、脳の動きがストップし胸糞が悪くなって全身の血流が引くのを感じる。

 臓器が腐るような下に引っ張られるような感覚だ。



「悪いなお嬢ちゃんたち。大人しくしてもらおう。じゃないとこの陰陽師の頭がどうなっても知らないぞ?」

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