3章 7話 新たな脅威

「玄武!」



 私が名を呼ぶ声に彼女は露骨に眉をしかめる。

 嫌悪感を抱いているというよりかは警戒しているといった感じだろうか。

 玄武にされたことのない目つきをされてちょっと怖い。

 入ってきた扉を完全に閉め、三メートルぐらいの位置まで詰め寄ってくる。



『なぜ拙の名を知っている? お前たちは……よく見たら昨日助けた子供ではないか。そこで昏睡している兵士といい、こんなところにいることといい、どうやら見た目通りのただの子供ではないようだが』



 有無を言わせず腕を振って槍と大盾を出現させるとその穂先をこっちに向けて威嚇してきた。

 武器を突きつけられるとは思いもよらず切っ先にたじろいでしまう。

 

 実質は一時間も一緒にいれなかったかもしれない。

 それでもあの死闘を共に戦かった仲間なら、こうしてちゃんと向かい合えばきっとあの時の玄武になって笑顔で迎えてくれると勝手に期待していた。

 ぴしりと亀裂が入った幻聴が聞こえたような気がするほどにショックを受け胸が痛む。



「ちょっと待って! 私を忘れたの!? 私よ私!」


『拙はお前のようなものは知らん。そうか、これが主が言っていた俺俺詐欺というやつか。なるほど興味深い』


「いやそれ違うから! あと私もそんなんじゃないから!」



 景保さん何を玄武に教えてんのよ!

 想いが伝わらないもどかしさに頭が混乱して沸騰してくる。



『問答無用! 口先でペラペラしゃべる者はあまり信用できない。子供に危害を加えるのは本位ではないが少し痛い目を見てからの方が正しいことを語ってくれるだろう?』


「本当のことしか言ってないんですけど!」



 しかし私の抗弁は頑なに聞いてもらえず、玄武が踏み込んでくる。

 昨日見たのと同じように、豪快に横からのスウィングで槍で壁に叩きつける気だ。


 それを腕立て伏せする態勢になって凌ぐ。頭のすぐ上を風が唸って通過した。

 ジロウさんはバックステップで後ろに跳んでいる。



『ぬぅ! 身長が低くて目測を誤ったか。しかしこれを躱すとは、やはりただ者ではないな』



 全力ではない。手加減はしてくれているらしい。

 ただそれは仲間だからとか知り合いだからとかではなく、ここで騒ぎを起こしたら自分も困るだろうからだろう。

 そう思うと良い気持ちにはならなかった。

 


「いいから話を聞いてよ!」


『問答無用と言ったはずだ! それにそっちの子供はやる気のようだが?』



 後ろを振り向くとすでにジロウさんが短刀を抜いていた。

 忍者の忍刀とほぼ共用の一尺30cmほどの取り回しがしやすい武器だ。狭い建物内なので弓ではなく、サブ装備を選んだらしい。

 彼ももガチ装備でない適当な数打ちの刀なところから本気ではない様子だけど、もう一触触発のムードが出来上がっている。 



「悪いが、攻撃されても無抵抗でいるほどお人好しじゃないんでな。そっちの言葉を返すならじゃじゃ馬こそ尻を叩いたら乗りこなせるって寸法だ」


『そう簡単に拙を従わせられるかな?』


「子供に躾をして言い聞かせるのは得意でな。少々の怪我は覚悟しろよ」


「勝手に盛り上がらないでよ!」



 私を挟んで二人がどんどん好戦的な空気を漂わせてくる。

 対話しろってんだよこのバトルジャンキー共。

 私にこんなこと言わせるなんてよっぽどだよ!



「しゃらくさい。先に仕掛けてきたのはあっちだ」


「だからって!」


『参る!』



 短く開戦の合図を口にし、槍をくるりと一回転させ柄の部分を前にして玄武が突っ込んできた。

 ここで私が応戦するわけにもいかず、横にステップして回避する。

 私とジロウさんのどちらを標的にするのか迷うのであればそれが隙になったんだけど、彼女はそのまま後ろにいたジロウさんに突撃を敢行した。

 最初からあっち狙いだったようだ。


 ジロウさんはその槍の石突きを左脇腹の横で踊るように一回転して避け蹴りを放つ。

 岩をも砕けそうなそのキックは、しかし彼女の体を覆うほどの大盾に反らされビクともしない。



「ほう。なら!」



 すかさず槍の柄を左手で掴み跳んで盾を持っていない玄武の右半身を攻撃するために位置を移動し、その際に再び後ろ蹴りを入れようとする。



『ふんっ!』


「うおっ!?」



 だが、玄武は力ずくでジロウさんごと槍を持ち上げた。

 パワーこそは見た目を逸脱する私たちだったが体重は見た目通りで軽々と天井付近まで掲げられ、頭を下に足は天井すれすれに届きそうになって地面と真っ逆さまの姿勢になる。

 地元のお祭イベントで見た梯子乗りの曲芸のようだ。

 ジロウさんもそれは予想外だったようで狼狽の声をもらす。


 もちろん手を離せば地面に降りられる。

 けれどその地面に足が着くまでの一秒ほどの間が無防備になってしまい、それは私たちぐらいの戦闘力があれば致命的な一打を打てるチャンスとなる。だからジロウさんも簡単に手放せない状況に陥っていた。


 

『受け取るがよい!』



 玄武はそのままの態勢で槍をぶん回し、こちらにジロウさんを投げ付けてきた。



「うわっ!?」


「ちょっ! もう!」


「ナ、ナイスキャッチだぜお嬢ちゃん……」



 一瞬、避けることも考えたけど、さすがに壁に叩きつけさせるわけにはおれずドッジボールの弾を捕るようにキャッチ。

 前衛職じゃないのに無茶するよこの子供お爺ちゃん。

 もちろんやってやれないことはないんだろうけど、相手の動きは一級品で、レベル差があろうとも【猟師】では近接勝負じゃ分が悪いはずだ。なんたって彼女はあの土蜘蛛姫との攻防をずっと前線で支えた立役者なのだから。


 無様な格好で強がるジロウさんを地面に立たせると、彼は有無を言わず短刀を消し弓を手に出現させる。



『む、その弓。まさか大和の【猟師】か!?』


「そうだ。侮っていたのは素直に謝ろう。こんな場所じゃロクな技も見せられないが、ここからは少々真面目だ」



 こんな通路じゃ圧倒的にジロウさんの方が不利だ。

 なにせここはそれなりに天井まで高いし広さもあり、槍をぶん回すのもそこそこ楽にできるのに対して、逃げ場も遮蔽物もない遠距離武器なんて劣勢でしかないだろう。

 一射ぐらいは撃てても、それを盾で防がれたらその続きがなく、あとは押し込まれるだけ。

 この人が私の援護を計算に入れているとも思えない。


 じゃなくってさ、この二人のペースに巻き込まれてはだめだ。主導権を握らないと。

 放っておいたらどっちかが参ったするまでやりかねないし、人だって来る。


 だから、



「いや、っていうかさ、私の話し聞いてくれないんですかね? どうしたらその耳に入りますかね? やっぱり日本語よりも肉体言語ですか? 私そっちも意外とペラペラですよ」


「ぐああああ、痛い痛い!! ギブだギブ!!」



 無防備なジロウさんの背中から近寄ってその細腰に腕を回して持ち上げ締め付けた。

 木のバットぐらい簡単にへし折れる威力でだ。

 浮いた足を苦しそうにバタつかせ、彼は空いている手で必死に私の腕をタップしてくる。



「本当に? 信じますよ? これで解いてまだ戦い続けるなら私も敵に回りますよ?」


「わ、分かったから! ぐええええ!」



 拘束を解き「ゴホゴホ。じゃじゃ馬がこっちにもいた……」と腰を抑え咳き込むジロウさんをとりあえず置いておいて玄武に目を合わす。

 こっちでコントやってもおくびにも油断しないようだ。

 姿勢は軽く脱力したままこちらを見据えている。



「これだけ確認させて。景保さんの玄武じゃないの? それだけせめて教えてくれない?」



 私が発した質問はあまりにも劇的なほどの効果を上げた。

 彼女はあからさまに眉を大きく歪めて、



「……なぜ主を知っている?」



 そう答えた。

 

 あれ? やっぱり合ってたんだ。

 なのに何で私のこと覚えてないの? なぜにホワイ?



「なぜって……この間、土蜘蛛姫を一緒に倒したでしょ? その時、景保さんとフレンド登録もしたしさ」


「むむむ……そなたはさては葵殿か?」


「まさかも何も葵ですけど?」



 眉間に大きく皺が寄る玄武の構えた槍の穂先が徐々に下がっていき、緊張感のあった空気がそれにつれて和らいでいった。


 この言い方、やっぱり記憶が無いようだ。

 なぜ? 疑念が脳裏を巡ろうとした矢先、一番近くの控室からドアが開いて男が出てきた。



「おい、さっきから何をドタバタしているんだよ?」



 胸や足だけを鉄で覆ったハーフプレートの男だ。おそらく出場選手。

 全身鎧だと動いているだけで体力を使うし、闘技場映えしないため、これが主流の装備スタイルらしい。

 


「黙ってて」


「黙ってろ」


『黙っていなさい』



 三人で同時に二の句も継げないような容赦のないプレッシャーを浴びせる。

 金魚のように口をパクパクとしてその男は絶句し固まった。



「な、ななななななんだよぉぉ」



 仮にも闘技場で戦う気骨あるはずの戦士が半泣きになってドアにしがみつき、嗚咽をもらす。

 もう半泣きだ。二人のどっちかに威圧系のスキルでもあるかもしれない。

 


「ええいうるさいやつだな。あ、待てよ……お前、ファングの控室がどこか知らないか?」


「ひっ!」


「こんな子供に怯えるやつがいるか! しっかりしろ、ほら!」



 自分でビビらせたくせに無茶苦茶を言う鬼畜な子供がそこにいた。

 ジロウさんはその男の背中をバシバシと乱暴に叩いて気付けをしているつもりらしい。

 ただけっこう無造作なので痛そうにえづいた。

 


「痛っ! ごほっ! ちょ、やめてくれ! 言う! 言うから!」


「最初からそうすればいいんだ。で?」


「い、一番奥だ! たいてい人気や実力順に部屋は用意されているから、きっと一番奥だ!」


「そういうふうになってるのか。しかしその順番だと一番手前の部屋にいたお前……いや悪い。今のは俺が悪かった」


「あぁそうだよ俺は万年負けっ放しだよ! クソ! もう才能が無いから友達員も母ちゃんにも止めろ止めろって言われてよ。でも俺だってさ、誰かに称賛されたいんだよ! 夢なんだよ!」



 さすがに申し訳ないと思ったのかジロウさんも失言を認めたのだが、男が腐ってしまった。

 ただし彼の悩み相談とか乗ってあげられる暇も義理もない。



「まぁなんだ。月並なことしか言えないが頑張れ」


 

 いつの間にか矢を握ったジロウさんがプスっとその矢尻を男の首元に突き刺す。

 すると目がトロンとしてそのまま意識を失って昏睡した。

 ジロウさんその動かなくなった男を控室の奥へとずるずると引きずって運んでいく。

 【猟師】の使う状態異常を付与する『睡眠矢』だね。

 私の吹き矢と違って傷が残るから潜入には不向きで、あくまで戦闘用の矢だ。


 控室は八畳ぐらいの部屋で、ちょっと埃っぽく、テーブルと椅子があるだけのえらく質素というか粗末な部屋だった。

 採光用の隙間が天井近くにあって、その下にも部屋の中から闘技場を覗けるようにブロック一つ分がくり抜かれている。

 そこからは未だに耳が痛いぐらいの割れんばかりのファングコールが入ってきていた。

 ファングもまだ手を振って観客に応えたり、職員たちと話をしたりしている。


 中にいてもけっこううるさいので、私たちが廊下でごちゃごちゃやってても一番手前にあったこの人ぐらいしか気にして出てこないわけだねこりゃ。

 

 

「なんか私たち強盗してるみたい」


「似たようなもんっちゃ似たようなもんだな。さて、んでそっちはどうする?」



 おっと忘れてた。そういや一応、玄武との戦闘は終わったんだっけ。

 色々聞きたいことはあるんだよね。



『貴殿が葵殿なら拙に敵対する意思はない。子供の容姿なのに実力が伴っていなかったから不審に感じただけだからな。主と同じ大和の民であるならば納得だ』



 玄武は槍と盾を消し、剣呑な雰囲気も全て霧散する。

 改めて見るとやはりあの時の玄武のはずだ。一体彼女に何があったのか。



「何で私のことを覚えていないの? あと景保さんはどこ?」



 私のド直球の問いだ。

 尋ねられた彼女の端正な顔付きはぐっと真剣な目つきになり私を見返してきて、



『それが……分からんのだ! 拙が教えて欲しいぐらいなのだ……』



 そんなことを言い出してきた。



「いやいやまたぁ~。そういう冗談いいって」


『これが冗談を言っているように見えるか!? 拙がこの町で召喚された時に主は近くにおらず、さらに周りに戦闘の跡はあり、不穏を感じ取ってそれからずっと捜しているのだが一向に見つからんのだ!』



 玄武のリアクションは想定外に健気で、それでいて不安定に困惑しており、全く冗談や悪戯、誤魔化しの部類ではないと主張してくる。

 それにこの生真面目なキャラが嘘を吐くとも思えない。


 えぇ……。玄武本人に聞けば分かると思ってたのにこんなことってある?



「じゃ、じゃあ私のことを覚えていないのは?」


『それは話として聞いている。一月半ほど前に喚び出された拙だがそれは初めての召喚ではなく、なぜかこの世界に来てからの記憶の一切を失っていたらしいと。主からは土蜘蛛姫と戦った折に依代を失ったせいだろうと聞き及んではいたので、葵殿のことは名前だけは存じてはいたのだ』



 一月半前ってクロリアで子供たちを特訓してた頃からカッシーラに到着するまでの間の時分かなぁ。

 あの時にすでに喚び出せるようになってたの? 景保さんからは何にも聞いてないんだけど。

 てか、式神が死ぬと記憶を失う? それがこの世界での仕様ルールなの?

 色々と情報があり過ぎて頭の中がぐちゃぐちゃだ。



「ちょっと待って整理させて。つまり、玄武は一月半以前の記憶が無くて、景保さんの今いる居所も分かってないってこと?」


『その通りだ』


「じゃあ何でここにいるの?」



 この口を付いた疑問は当然の帰結だ。

 街中で会った時とは違って、ここで遭遇するのにばったり偶然という理由はない。

 わざわざ闘技場にまで入ってきたのにはそれなりに意図があってとしか思えないのよね。



『喚び出された拙は当然、近くにいない主を捜し回っていたのだが、色んな所を回ってようやくここに薄っすらと主とのリンクを感じたのだ。観客席の方も見回ったがそこにはいなく、残るはこの一階部分だと思いやって来たら見張りが眠っていて何事かと扉を開けたら葵殿たちがいたという塩梅だ』


「ん? ちょっと待て。話の腰を折ってすまんがここに入るのには金がいるだろ。まさか受付をぶっ飛ばして侵入したのか?」


『失敬な。そんな乱暴なことを拙はしない!』



 悪人だったら見境なく気絶させる口で玄武は否定した。

 まぁそれは私も一緒か。



『ただぎっくり腰で立ち往生している老婦人を家まで運んだり、酒場で喧嘩をしている酔っぱらいを叩きのめしていやめたり、地上げに遭っている店主を助けたりしたらお礼にと幾ばくか渡された金銭があっただけだ』



 知らない間に色々やってるよこの人!

 性格からしてそういうのが目の前であったら見過ごせ無さそうだもんねぇ。

 そういや私たちが絡まれてるときにだって有無を言わさずに介入してきたし。

 


「なるほどなるほど。うーん……まだ整ってないけど何とか状況は把握したよ。つまりあれだ! 何にも進展してないってことが分かったよ!」

 

「威張ることじゃないが、そのようだ」



 私の親指をぐっと立てた仕草にジロウさんが突っ込んでくる。

 そりゃせっかく玄武と合流できたのに景保さんの身に何が起きたかも分からず、その居場所もやっぱり不明。

 ほとんど事態が進んでいなくてボケたくもなりますって。



「だけど唯一、景保さんがこの近くのどっかにいるってことが分かったのは収穫かな」


「まさか選手として選手控室のどこかにいるんじゃないだろうな? 全部開けるのは構わないが全員さっきの要領で眠らすのは手間だぞ。時間も無限にあるわけじゃないし、そもそもここにはファングの情報を集めにやって来たんだが」


「ファングにはいつでも近付けるし、優先度は景保さんが上ですって。ファングのことは一旦忘れましょう」


「……まぁそりゃそうか。OKだ」



 ジロウさんも頷き納得してくれた。



「その絆ってどれぐらいの精度なの? もっと近付けば分かる?」


『あまり期待されると困る程度でしかない。本当に何となくこの建物の前を通ったら感じただけで、ひょっとしたらこの闘技場の周りにある他の建物にいる可能性だってあるぐらいなのだ。申し訳ないが。ここにやって来たのは最も人がいそうだからという理由でしかない』



 むー、そっちの感覚はアテにならないのか。

 もう腕づくで片っ端からドア開けるしかない?

 あー、いや待てよ、あの技があったな。私が美歌ちゃんを見つけたやつだ。



「ジロウさん、フレンド登録を開いて下さい。それで分かるはずです。私はすでに登録しちゃってるんでできないんですが」


「ん? フレンド登録? あぁそういうことか。確かに部屋にいるなら扉越しでもこれぐらいの距離であればフレンド申請のリストに名前が並ぶな。お嬢ちゃん存外賢いじゃないか」


「存外は余計ですわよ。おほほほ。んじゃお願いします」


「了解した」



 話が早くて助かる。

 ジロウさんを先頭に少し進んではフレンド登録申請リストを開くのを繰り返すという作業を後ろから見守りながら付いていく。

 これなら端の部屋まで調べるのに一分ぐらいで済むからね。



『……葵殿』


「ん?」



 唐突に、玄武が私の耳元に顔を近付けこっそりと小さな声で密めく。

 暖かい彼女の息が耳にかかりちょっと変な気分だ。

 


『杞憂であればいいのですがあの弓使いにはお気を付けを。子供の皮を被っていますがどうにもその所作がそぐわない』


「え?」



 短くそれだけを耳打ちして玄武は何事も無かったかのように離れる。

 どや顔しながらこちらに目配せして訴えてくるのは可愛いんだけどちょっと困った。


 ジロウさんの中身が少年じゃなくてお爺さんってこと知らないからだよねこれ。

 説明が難しいな。今は時間も無いし保留にしとこうっと。面倒くさそうなことは後回しだ。


 そうして細々と確かめながら進んで行くとあっという間に奥にまで辿り着いてしまった。

 ジロウさんは手と足を止め、しかめっ面で振り返ってくる。



「おい、全部スカだぞ?」


『そんなはずは……いやあるかもしれないが』



 玄武も自分の感覚に自信が持てず言い淀んでいた。

 どこか不安気で、いつもしゃんとしている彼女のイメージとややそぐわないのは主がいなくて焦っているせいだろうか。



「ひょっとして反対側ってことない?」


「あっち側も登場用の出口はあったから無くはないか。しかし今からあっちにも向かうのはさすがに無理だぞ。そろそろ撤収するべきかもしれん。捜したいなら一度ここが閉館して客がいなくなった夜とかにするべきじゃないか」


「まぁそれが妥当なところか。玄武はそれでいい?」


『無論。拙自身、この闘技場内にいるかどうかの確信もなく手を煩わせているのだから』


「ならまた夜にでも――おぉっと!?」



 話がまとまろうとした最中、ジロウさんが壁にもたれかかったら、その箇所がいきなり動いた。

 連動するようにゴゴゴと壁が開いていく。

 


「まさかの隠し扉?」


「儂、激運じゃね? 今日ガチャ回したら良いレアが引けるかもしれん」


「回せるガチャが無いんですけどね」



 いやしかしここでこれ引いちゃうかぁ。

 運命感じるなぁ。まるで導かれてるみたいだ。



「どうする? 行くか?」


「ここまできたら毒食らわば皿までって感じです」


『先頭は拙が務めよう』



 壁の中は石でできた階段だ。

 玄武が前に立ち、一歩一歩、足の裏の感触を確かめながら降りていく。

 地下に繋がる空間は思ったよりは深くたぶん二階分ぐらいは降りただろうか。

 光源は光る石みたいなので薄暗く足元もやや覚束ない。



「これは……」



 左右に首を振る。

 他の二人も同じだ。


 辿り着いたそこは牢屋だった。

 ただしそのサイズは予想よりも大きいく高さは三メートルはあり、鉄格子も前にアレンが閉じ込められていたときよりも太い。

 中に人はいない。でも薄く糞尿の入り混じった鼻にくるきつい臭気がむわっと充満している。

 私たちの強化された五感にはここは堪えるところだ。

 


「獣くさいな……ひょっとしてここあれか? 闘技場に出すモンスターの待機場所じゃないのか?」



 言われてみるとそんな感じだ。とても人用とは思えない。

 汚物があるとかではないけど、長時間人がいていいところではないはずだ。



「闘技場はモンスターもたまに出るらしいし、モンスター用の控室ってことかしら?」


「かもしれんが、一応奥まで行ってみよう。それで何も無かったら即撤退だ」



 こんなところにいるとは思えないんだけどなぁ。

 さすがにそろそろ時間的にも戻らないとやばそうだ。とっとと終わらせないと。



『こんなところに主がいるとは思いたくないが怪しいのはここぐらいだ。ここ以外となると反対側しかないが……』



 玄武も同じことを思ったらしい。

 反対側はスタッフとかが出入りしているところで潜入はかなり難しい。

 最悪、夜に私だけならなんとかなるかもだけど玄武には無理で、悔しそうに唇を結ぶ。



「とりあえず見てみましょ。後でやっぱり見ておけば良かったなんて後悔したくないし」 



 小走りで中を見ていく。

 だけど空の牢があるばかりだ。

 やがて最も奥にたどり着くのにはそんなに時間は掛からなかった。



「げ、玄武!? それに葵さん!? なぜここに!?」



 だが予想外なことにそこには呑気に椅子に座って大口を開けている景保さんがいた。

 ぱっと見、怪我はしていないしやつれたりもしていない。

 こんな場所でなければ町中で偶然会って驚いたね、なんて話になってもおかしくない感じだ。



「か、景保さん!? むしろこっちがなんでこんなところになんでなんすけど!?」


『主、探しましたぞ!』



 運が良いと言えば良い。

 あてもなく街で人一人を探し出す難行がたった二日で目標達成したんだから。

 ただしなぜこんなところにいるのかは不可解だった。

 大体、こんな鉄格子ぐらい景保さんでも力ずくで突破できる。

 それがずっとこんな短時間でもいたくないところにいるなんておかしい。


 そう思ったのと景保さんの危険を知らせる声は同時だった。



「後ろだ!!」


「君たちちょっと油断し過ぎじゃない?」



 ぞっとする若い男の声。

 景保さんの牢とは向かいの方向、そこに黒ちりめんの長羽織を羽織い帯を締める町人風の男がいた。


 ただ元はおそらくそれなりに整った顔立ちをしているはずなのに、髪はボサボサで猫背なせいかどこか陰気な雰囲気を漂わせている。

 見た目は私と同じ高校生かそれよりちょっと若いぐらい。髪をがしがしと掻いてまるで最初からそこにいたと言わんばかり。

 そいつがいきなり現れた。



『馬鹿な! 確かさっきまでそこはからだったはず!?』


「おぉおぉいいねいいね、そういうリアクション! 馬鹿が馬鹿なりに必死なところ見るのって僕好きだよ! しかも良いモデリングしているじゃないか。へぇ、これはそそるねぇ!」


 

 間違いなく男が着ている服は大和伝の装備。

 ただしよくある共有装備でこれだけじゃ職業まで判別できない。

 ということは彼もプレイヤーだよね? でもなぜここにいる!?

 


「そう言うなよ。こんな場所にせっかくのお客様だ。たっぷりおもてなししないと罰が当たるってもんだろ」



 固まる私たちにさらに投げかけられる別の声。

 けどこっちはさっき聞いた覚えがある。


 ぞわぞわとしたものを感じながら私たちがやって来た通路を振り返ると、そこには腕を組みふんぞり返るファングがいた。


 囲まれた!!

 


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