2章 25話 ガルシア商会の意地

「過去に経験した中でもここまでの劣勢はそうはお目にかかれなかった気がするな」



 バータルはそこら中で稼働し始めたプチゴーレムたちを見やって、自嘲気味に呟きながら頭の中で対策を急速に講じていた。

 しかし相手は鉄の剣を弾き、魔術に耐える最硬の体を攻守両面に使ってくる上に、ようやく破壊したと思ったら自爆を試みる面倒な化物。さすがにこのような魔物と相対した経験は一度も無く、妙案はすぐに思い付かない。


 そこにその自爆で全身を打ち付けられた孫が軽口を挟んできた。

 かなりのダメージを受けたはずなのに、やせ我慢をして力の入りきらない体を震わせながら壁に手を突き立ち上がろうとしている。



「年寄りは……すぐに若い頃の話をしたがるからクソ困ったもんだぜ……」


「年寄りの自慢話を黙って聞くのが若者の務めだろう? 座ってていいんだぞ?」


「うるせーよ……こんなんで寝てたらどうせ近頃の若いもんは……とか言い出すだろーが……」


「ふはっ、違いない」



 ツォンの返答が気に入ったのか吹き出したように笑って無事を確かめると共に、今あの化物に一太刀浴びせられる実力者が自分と負傷した孫しかいないことを反芻はんすうする。

 他の仲間たちペランカランの応援はどうかとも逡巡するも、身体能力はさほど普通の人間と変わらない。それならまだ冒険者や兵士の方がマシであるが、ただ彼らでは対処できないのは火を見るよりも明らかだった。


 自分なら追い込むことは可能だが、問題はあの自爆をどう防ぐか。

 プチゴーレムが一匹だけならまだしも、十体以上はいる。一匹処理するごとにいちいち怪我を負っていてはとてもじゃないが駆除などできない。それに最大のものはは三メートル近く、それにはさすがに手を出せない。

 思考の袋小路に迷い込みまだバータルは足を踏みだせなかった。

 

 

「こ、こっち来んなぁー!」



 しかしながら戦場は刻一刻と無常にも流れていく。

 退くことを知らない無敵のゴーレムを前にして腰の抜けた兵士たちがそこらかしこで追い詰められていた。

 当たっても傷も付かない武器を子供のように振り回し牽制するだけの無様な姿。

 剣で殴ろうが怯まず、力でも押し負ける。ここまでの経験したことのない異常な事態に混乱した心では立て直すのは難しいことは見て取れた。



「恐怖に飲み込まれるな! ほとんどの敵は間合いも短く鈍重だ! もし私たちが逃げたら何の力もない町の人間を襲うぞ! 我らが稼ぐ一分一秒で必ず誰かが助かるんだ、それを思い出せ! 攻撃が当たらない位置で引き付けるだけでいい! そして手の余っている者は馬車から盾を運んで来てくれ」



 そこに大声で部下を鼓舞するのはダルフォールだった。

 彼は言い聞かせるようにハッキリと周りに伝えていく。

 ここで指揮官が取り乱したら総崩れとなる。なので毅然とした彼の行動は正しい。

 その呼びかけにたじろいでいた部下たちも少しだけ平静を取り戻したようだった。

 

 そんな彼が指揮を取る姿に複雑な感傷を抱きながらバータルが見つめる。

 バータルには自分たちが日陰者という自覚があった。両手に余る数の人を手にかけ葬り、暴力や脅しなどは日常茶飯事だ。決して表を歩く者にそれを誇ることは許されない。

 それでもこの町を裏から守ってきたという自負があった。だからバータルにとってダルフォールの存在というのは疎ましく同時に眩しい存在でもある。

 


「うわっ! ひぃぃぃ!」


「せいやぁ!!」



 そうこうしていると兵士が一人、プチゴーレムを引き付けながら後退している途中で瓦礫に足を取られ転んでしまう。

 そこにダルフォールが持つ光の魔剣『イルミナーデ』を抜いて割って入った。

 V字に魔剣を閃かせプチゴーレムの腕を楽に切り裂き、傷跡は灼き切れ地面に落ちる。

 

 だが、その瞬間、



『――!』



 プチゴーレムがまた爆発してしまった。

 四散した岩の破片が飛び散り辺りに被害を及ぼす。

 運良くダルフォールは爆発した時の衝撃で仰向けに倒れ難を逃れたが、しかし鼻先を岩が通り過ぎたことに冷や汗をかいた。



「腕だけでもダメなのか……」



 少なくてもバータルたちの怪力以外に魔剣が通用することは分かったのだが、こうすぐに自爆されては敵わなかった。

 その上、尻もちを付いて呆然とするダルフォールに黒い影が重なる。



「あ……」



 顔を上げそれを確認した。

 すでにプチゴーレムの中でも最大級の三メートル近い一体が振り上げた拳を落とすところだった。


 頭上からの重く強烈な攻撃は大熊の張り手以上の衝撃を生む。

 当たれば間違いなく骨ごと押し潰され即死。

 ダルフォールの脳裏には走馬灯が過った。



『――!』


「は!?」



 だがその一撃が途中で止まる。

 強張った顔でゆっくりと彼が首を動かすと、プチゴーレムの首に縄がぎゅっと食い込んで引っ掛けられており、その縄が辛くもダルフォールの命を救ったのだ。

 その先に視線を移すとそこにいたのはガルシアたち。他の手下と四人掛かりで綱引きの要領をして体格の差がある敵を何とか拘束していた。



「おいおい町の兵士長様ともあろうものが、まさか今ので諦めたんじゃねぇだろうな!」



 口調は軽口のようでも、大の大人が何人も集まって腰や手に全力で力を入れて引っ張っている余裕の一切ない様子だった。

 額や腕に血管が浮くほどの拮抗状態。

 アウトローに助けられたことに驚きを覚えつつもダルフォールはすぐに立ち上がり距離を取った。



「お前に助けられるとはな」


「はんっ! 俺だって助けたくて助けたんじゃねぇよ! ここでお前が死んだら町がめちゃくちゃになるだろうがよ!」


「一時休戦だ。受け入れるか?」


「こんな状態で争うつもりはねぇ。最初からそのつもりだ」



 町に住み二人の立場を知る者であればこのやり取りはあり得ないと断じただろう。

 片や町の平穏を守る番犬、片やその平穏を蝕む存在だ。

 しかし、共通の敵が現れた以上、損得を考えればここでいがみ合う必要がないことは誰の目にも分かる。


 ダルフォールが答えを聞いて頷き、魔剣を鞘に戻しロープを引く手勢として自分も加わった。

 これで五人となったがそれでもビクともしない三メートル級のプチゴーレムの重さと底力に舌を巻く。



「それで何か案はあるか?」


「ただ倒すだけならバータルに任せればいいが、自爆を防ぐ手段がねぇ。あの小生意気な嬢ちゃんがでかいの倒すまで粘るぐらいしかねぇんじゃねぇか?」


「粘れればいいが……うおっ!」



 ゴーレムの方もただ単純な綱引きの引っ張り合いをするだけで終わる気はないようで、左右へ強引にロープを振って彼らの束縛から逃れようと試みた。

 それに引っ張られそうになる彼らはさらに腰を入れて応対する。



「お前ら踏ん張れぇ! ここで俺らが倒れたらもう後ろにいねぇんだぞ!!」


「へ、へい!!」



 足腰を曲げ踵に重心を移動し踏ん張り部下たちも必死で抵抗に耐えていく。

 できれば地面に引きずり倒したかったが、そこまでは望めずガルシアは歯を食いしばった。

 


「あとお前、ミラは無事なんだろうな!?」


「こんなときに言うことがそれか? もちろん無事に決まっている。悪党の娘だからと言って私怨で手を出すほど落ちぶれてはいない。それにクーリャの一人娘でもあるんだからな」


「お前まだそんなことを……うわっ!?」



 五人掛かりでようやく辛うじてしゃべる余裕が生まれた綱引きだったが、ずっと力を入れっぱなしで人間の方に体力が保つはずもなく、少しずつ押され気味になっていく。

 やがて先に根負けしたのはガルシアたちではなく、ロープの方だった。

 そもそもプチゴーレムの首に引っ掛けたロープはそこら辺の商店に置いてあったのをガルシアが勝手に拝借したもので、最初から傷みもありこんな力任せの綱引きに耐えられるものではなかったのだ。

 些細なほつれから彼らの生命線は呆気なく千切れた。

 


「くっそ……痛ててて。くっそこのままじゃ時間を稼ぐことすら難しいな」



 いきなり切れたロープの反動でガルシアたちが背中から尻もちを着いて倒れる。

 さすがに戦闘中というだけあって全員がすぐに立ち上がったが、自由になったプチゴーレムがすでに自分たちに向けて歩を進めてきており、周りを見渡しても好転している者は兵士もガルシアの部下も誰一人もいない状況に戦慄は隠せない。それどころか怪我人はどんどんと増える一方だった。

 それに少し離れたところでは今も巨大なゴーレムが戦闘中なのは嫌でも目に入って、あっちがすぐに片付いて葵が救援に来てくれる気は全くしなかった。


 縄から解放されたプチゴーレムは見上げる高さから彼らに迫る。

 これほどの大きさとなると時間稼ぎすら相当な難題だ。 

 

 

「はぁ!!」



 横から凄まじい速度でバータルが大剣を振り抜き加勢する。

 彼の一振りは無防備なプチゴーレムの片足がちょうど踏み出すタイミングで襲撃し、その三メートルの自重を支える足がバランスが取れなくなって頭から転倒を誘った。

 

 鋼鉄に近い強度のボディプレスを食らって石畳が粉砕される。

 これで奇しくもこの体が地面に敷き詰められた石よりも固いことが証明された。

 無論、そんなものでは致命傷足り得ないが、僅かな相談の時間を生むことには成功する。


 プチゴーレムを倒れさすという快挙を成し遂げたバータルはすぐさま主人の元へと駆け寄った。

 そして提案を一つする。


 

「ガルシア様、こいつらを一網打尽にできる案がございます」


「何!?」



 そんな都合の良いアイディアがあるのかとガルシアが目を瞬いた。



「この通りを少し行ったところに私共の倉庫がございます。そこにこいつらを連れ込んで建物を壊して生き埋めにするのはいかがでしょうか。もし爆発したとしても被害は最小限に収められます。倉庫を一つ失うことにはなりますが」



 もちろんガルシアもその倉庫の存在は把握している。しかし二つ返事で頷くことができなかった。

 そこに収めている建材と建物全てを合わせると、爆発に巻き込まれた場合は金貨数百枚では利かないほどの損失だが。



「何を迷っている? 補填なら多少だが兵の猶予金から出せるが?」


「ちっ、そんなことじゃねぇんだよ、黙ってろ! ――バータル、お前んだな?」



 渋るガルシアにダルフォールが補償を切り出してくるが苛立たしげに舌打ちを返し、そして自身が十数年背中を預けた信頼する部下の紅い目を見つめた。



「無論です」


 

 バータルは即答する。

 含みのある二人のやり取りにダルフォールは疑問を感じたが、今それを問答している時間もなく流し結論を待つ。



「分かった。それでいこう。ダルフォール、お前もそれでいいか?」


「構わないが、誘導してちゃんと逃げ道はあるんだろうな?」



 普通倉庫と言えば出入り口は一つぐらいだ。おびき寄せたあとに逃げられないと一緒に生き埋めとなってしまう。それを懸念していた。

 


「いえ、ありません」


「おい!」


「話を最後まで聞きなさい。倉庫の奥の壁を破壊すればいい。人が通れるぐらいの大きさなら何とかなるでしょう。ツォン!」



 まだ痛みで辛そうなツォンではあるが、歩けるぐらいにはこの短時間でも回復しており剣を杖代わりに体を引きずってくる。



「痛ちち……なんだ爺さん?」


「聞いてたな? その壁に穴を開け脱出口を作る役目はお前がしろ」


「人使いが荒ぇよ。だがまぁこの体でも動かない壁相手ならニ、三分もあれば空けられるだろうよ」 


「一分でやれ。その間の囮は私がやる」


「けっ、本当にクソ鬼だな。分ーったよ」



 話はそれで終わった。倒したプチゴーレムが再びその巨体を立ち上がらせたからだ。



「よぉし、お前ら、この先の倉庫にこの岩屑どもを連れて行け! そこで生き埋めにしてやるぞ」


「「「おう!!」」」


「諸君! 話はまとまった。この奥にある建物にそいつらを誘導し、建物を崩して罠にかける。動ける者は全員そっちへ誘い出してくれ!」


「「「はっ!!」」」



 ガルシアは手下に、ダルフォールは部下に呼びかけ全員が指定の倉庫にプチゴーレムたちを誘導した。

 力は強くてもゴーレムたちの速度は幼い子供の駆け足ぐらいのもので遅く、逃げるだけならそう難しいものではない。

 それでも道中は冷や冷やとしたものだった。

 あまり距離を離し過ぎると他へ行くゴーレムも現れ、その都度、最も動けるバータルがちょっかいを掛けて釣り出すということを繰り返した。


 ツォンが肩を貸され先行し、倉庫の出入り口に掛けてあった錠前を剣で無理やり外し、三メートルのプチゴーレムでも入れる大きな扉を開かせる。


 

「ここだ! 全員すぐに入れ!」



 彼の指示で兵士や荒くれ者たちが次々と雪崩込んでいった。


 倉庫はかなり大きく三メートルのゴーレムも楽に入れるほど天井も高い。

 壁は全て煉瓦でできており、くすんだ赤茶から色落ちがして薄くなって色が剥げてきているのもあって味がある佇まいをしている。

 端には木材や石材などガルシア商会が表の仕事で使う家の建材が積まれており、肌に触れる空気は冷たい。

 本来なら外から運ばれてここに一端置き、家を建てる際に運ばれていく。

 ただタイミング良く今は繁忙期ではないのでかなりスペースが空いていて、かなりの人数が入ったがすぐに詰まるということはなかった。



「まさかここをこういう形で使うはめになるとは思いもよらなかったが、背に腹はかえられねぇ」



 持ち主としてはさすがに建物一つを潰すという作戦に感じるものがあったのか、ガルシアが少しだけ感想をもらした。

 


「補填は可能な限り出す」


「よせよ、俺らはそんな間柄じゃねぇだろ」



 そんなガルシアにダルフォールが生真面目そうにフォローをするも素気なく返され眉間に皺を寄せる。

 もちろん長年いがみ合ってきた仲ではあるが、だからこそさっきから続くガルシアの妙な雰囲気を感じ取ったからだ。

 

 そうしている間に殿を務めていたバータルと最後のゴーレムが倉庫に入場してきた。



「ツォン! 早くやれ!」


「分かってるよ! おりゃ!!」



 急かすバータルにツォンは全力で奥の壁壊しに取り掛かった。

 煉瓦と漆喰に塗り固められた壁は固く、普通なら破壊など不可能だったが、彼の怪力と持ってきた自分の身長に匹敵する大剣であれば不可能ではないという腹積もりでいる。

 事実、剣で叩きつけると乾いた金属音がするごとに煉瓦の壁にヒビが入り始めてきた。


 プチゴーレムたちは当然、倉庫の奥に固まる集団に群がろうとするが、そこにバータルが幽鬼のように剣舞を披露する。



「物言わぬ岩に何を言っても無駄だろうが、ここから先、通りたければ俺の屍の上を踏み付けていくことだな」



 足が止まることはない。常に動き続け間を縫って自身よりも大きい剣を苦もなく乱舞し振るう。

 しかも決して自爆を選択させないよう致命傷を与えず浅く斬り出すだけに留め、それでいて縦横無尽にプチゴレームたちからの敵意を一身に受け、取り囲もうとする圧迫を捌き切っていった。

 

 【尖爪のバータル】と言えばカッシーラの裏の世界で名を轟かせた豪傑だ。

 かつて完全武装した数十人規模の組織をほぼ一人で壊滅に追いやったことや、家ほどもある大きな魔物が周辺を荒らした時も討伐したことさえあった。

 生きた伝説と言ってもいいそれが目の前で常人ではない動きで孤軍奮闘していることに、誰もが畏怖を覚えながら生唾を呑んで瞠目をする。


 だがいかに彼が超人であろうとも、およそ三十体弱の一メートルから三メートルまでいるプチゴーレムたちが殺到してくるこの多勢に無勢な現状に、徐々に足場すらも無くなっていくことになった。

  


「バータル!」



 主人からの心配する掛け声に彼は薄く笑い跳んだ。

 そして不安定な最も小さい一メートル級のプチゴーレムの頭の上を足場とした。



「ふん、まったくお前らときたら同じ石でもそこら辺に置いてある石材の方がまだ使える分マシだ。お前らは路傍の石以下だよ」

 

『――!』



 これまで兵士たちが複数人でも苦労した存在の頭の上に足を付き、トントンと黒光りする革靴で足先で挑発にも似た侮蔑を贈る。

 

 その言葉を理解して屈辱と感じているかどうかは不明だが、当然、乗られた瞬間にプチゴーレムは暴れて地面としては機能しなくなった。

 なので即座に他の頭に飛び移り難を凌いでいく。それを繰り返した。

 一歩間違えれば死に繋がるアスレチックを愉しんでいるかのようだ


 そうこうしているうちにようやくツォンが力ずくで建物に脱出路を開けられた。

 バラバラと崩れ屈めば大人でも通れそうな穴だ。



「よし、壊せたぜ!」


「おい野郎共、撤収だ。この穴から外に出ろ!」


「諸君、ここから撤退する。急げ!」



 二人の指導者によって続々と兵士や荒くれものたちが脱出していった。

 しかしその間にバータルがあの三メートル級のプチゴーレムに捕まってしまい、抵抗も虚しく大きな手で上半身はすっぽりと覆われる。



「がああああああああああああ!!!!」


「おい爺さん!」



 万力のような力で締め付けられる祖父に向かってツォンが叫んだ。

 相手は大人五人掛かりでようやく押さえつけられる代物だ。さすがのバータルと言えども力で敵うはずもなく、口から血を吐くような絶叫をあげる。



「待ってろ、今助けに……おいガルシアの旦那、その手は何だ?」



 すぐさま救援に向かおうとするツォンの前をガルシアが手で塞いだ。

 ギロリと主人を睨み付けるが彼が動じる様子はない。



「行かせる訳にはいかねぇ」


「何言ってんだあんた!? 今ならまだ間に合う。あのクソでかぶつの腕をぶった斬ればいいだけだろうが!」



 バータルほどの頑なな忠誠心というほどではないが、ツォンもガルシアを慕っているし主と仰いでいる。

 だから多少の無理難題や気に食わない命令だって今まで聞いてきた。しかし祖父を助けるのを邪魔する意味が分からず、初めて真正面から反発する。  



「無理だ。お前、見た目よりもかなり怪我がひどいだろ? 壁を壊せたのも残った体力を振り絞ってやっとだ。違うか? バータルの手前、みすみす死なせるわけにはいかねぇんだよ!」


「んなの関係ねぇ、あんたこそ助けたいと思わないのかよ!?」


「――元からバータルは死ぬ気だ」


「は!?」



 その主人の言葉はツォンには到底受け入れられるものではなく「一体何言ってんだこいつ」と眉をひそめた。

 

 物心付いたときからいる祖父は厳しかった。自分にペランカランの能力が正しく継承されていると分かると、子供相手でも想像を絶するようなひどい特訓ばかりで恨んだこともある。

 優しい言葉などほとんど掛けられたことはない。

 それでも彼にとってはバータルは憧れの象徴でもあった。いつか越えるべき背中をずっと見せてくれた一番近くて遠い壁。

 それがここで潰えるなどというのは理解できない。意味を咀嚼するのを拒んだ。



「木造ならまだしも、煉瓦造りの倉庫で一気に建物ごとを崩壊させて生き埋めにすることなんて不可能だろうが! あいつがここを自分から提案したということは最後に残ってあのでかいのを爆発させる気だ。あのサイズが破裂すれば他も連鎖的に爆発してこんな倉庫ぐらい一瞬で崩れるんだよ」



 お互いに交わした言葉は少なかったけれど、さすがに数十年肩を並べて戦った戦友とも呼べる男の考えはガルシアには言われなくてもあのときにすでに勘付いていた。



「じゃああのクソ爺を見殺しにするっていうのかよ!」



 どう説得されようがそんなこと認められない。

 カっとなった頭で精一杯の反論をぶつけたが、



「――そうだ。見殺しにする。恨むなら俺を恨んでくれて構わん」



 突き放すように出された台詞はツォンの期待とは大幅にズレたものだった。



「ツォォォォォォォン!!!」



 失望を隠し切れず僅かに残った力でガルシアを殴ろうと力を込めたとき、バータルので叫びが倉庫内に轟き、その動きを止める。

 顔を向けると今もなお自分の身長を軽く上回るプチゴーレムの手で締め付けられており、苦痛に顔を歪ませていた。

 


「爺さん!」


「行けぇぇぇぇぇぇ!! 今日からお前が一族を率いろぉぉ!!」



 それは今際の際の遺言にも等しい。 

 勝手に自己犠牲を買って出て、勝手に一族を託してくる、そんな祖父が堪らなく嫌いでツォンは腹が立った。 

 


「ふ、ふざけんなよ! どこまで自分勝手なんだよ!」



 武闘派として祖父を越えることをこれまで目標にしてきた。こんなピンチでもあの鬼のように強いバータルなら切り抜けられると一方的に思っていた。それが突然に失われてしまう予感。

 悲しいはずなのに涙は出ない。でも声が上手く出せず喉から絞り出し、まるで子供のようにだだをこねる。



「もう一刻の猶予もない。さっさと出るぞ」



 ガルシアがツォンの肩を掴む。

 バータルが捕まったからだろうか、手の空いているプチゴーレムたちが今度はガルシアたちに狙いを変えようとし始めていた。



「い、嫌だ。そんな認められ――ぐっ」



 なおも抵抗するツォンにガルシアが有無を言わせず腹部に拳を入れ、ほぼ気力だけで立っていた状態の彼はそれだけで崩れ落ちる。

 それを側にいてある程度察していたダルフォールが小脇に抱えた。すでに彼ら以外の人間は脱出に成功している。



「いいんだな?」


「あぁ、そいつを連れて先に行ってくれ」


「分かった」



 ガルシアとバータルの間に単なる主従の関係だけでない、男にだけしか分からないような繋がりを感じ取ったダルフォールは塩を送るため、気絶するツォンを連れて壁から出て行く。 


 ガルシアは最後に一度だけ長年の頼りになる部下であり信頼する友を目に収めた。

 引きつりながらもこんなときでも心配させないよう笑っているように見え、彼は深々と頭を下げる。



「すまない。そして今までありがとう。先にクーリャの元へ行ってくれ。俺もそのうちすぐに向かう」


 

 二人はガルシアが若かりし頃に恋をした女性――クーリャの叔父がバータルで、彼女にガルシアが下心を持って近付く度に殴られボコボコニされる立場から始まった関係だった。

 喧嘩に自信があった彼でもバータルとの実力差は決して埋められるものではないことを理解し、だからこそ心は負けじと真摯に何度も挑んだ。

 そのうち怪我を負ったガルシアをクーリャが介抱することが増え、むしろ二人の仲を近付けさせてしまい、なまなかなことでは二人を別れさせることができないことに気付いたバータルが、悩んだ末にガルシアを殺す覚悟を持って一族の秘密をもらし、それから上司と部下という繋がりを持つことになる。


 契約と信頼で結ばれ部下と上司としてずっと上下関係をずっと付けてきたが、その身を繋ぐ絆はもっと深く複雑だ。

 バータルからすればガルシアは、今は亡き姪の夫で、一族の命運を懸ける大商会のトップ。

 ガルシアからすればバータルは、愛した女性の叔父で、特殊な血族である娘のミラと同族であり、公私共に頼れる部下。


 主従、盟友、戦友、相棒、同士、親族、協力者、共犯関係、そのどの言葉も当てはまりそれだけでは収まりきらない。


 ガルシアは一族に血と安全を提供し、バータルはガルシアに武力を提供した。

 いわゆる持ちつ持たれつ、それでいて支え合う共存共栄の間柄で、そこに親族関係も入ってくるややこしい立ち位置だ。


 二人して鉄火場に身を晒したことも何度もあった。

 商売が拡大し上手くいって酔い潰れるまで酒を飲み交わしたこともあった。

 

 その時分のことを網膜に映しながらこれまでの万感の想いを込めて感謝を口にした。

 そしてもう振り返らず自分も穴から去っていった。  

 


「ふはっ、ガルシア様とダルフォールが組むとはな。有り得ないと笑ってしまったが、昔クーリャの言った通りになった。俺はそれが見れただけで満足だ」


『ねぇ、叔父さん。性格も合わないしいがみ合ってるけど、いつかきっとお互いに必要とするときが来ると思うの。それでね、二人が手を取り合ったらどんな困難も乗り切れると思うわ』


 

 記憶の片隅に追いやっていたが、かつてガルシアとダルフォールの二人を知る姪のクーリャが生きていた頃に、そのようなことをうそぶいていたことをバータルは追想する。


 昔から体が弱くて、ミラを生んでほどなく亡くなってしまった彼女はいつも笑顔を絶やさなかった心の強い女の子だった。

 この事実を知っているものはもう少ないが、そもそも最初にクーリャに懸想したのはダルフォールが先だったのだ。

 あちらは家柄や性格的なこともあって消極的なモーションの掛け方で、いつの間にか後から現れたガルシアの方が距離を縮めてしまい、以来二人の間柄はかなり険悪なものとなりそれが今日こんにちまで続いている。

 そしてそれが決定的となったのはクーリャの死だ。


 まだ商会がそれほど大きくもなくまだガルシアが日の当たる商売だけでやっていたある日、バックに裏の組織と繋がりがあったライバル商会が見せしめとして赤ん坊のミラを攫おうとして、その場にいたクーリャが抵抗をし、弾みで殺されてしまう事件が発生した。

 犯人は分かっているのに証拠がないというだけで兵士は動かない。もちろんそれは法の下の道理ではあるが、肉親を殺された二人にはもはやそこに信頼も正義も預けられなくなってしまう。

 もっと何かしてやれたのではないか、なぜあの時一緒にいてやれなかったのかと、ガルシアとバータルの絶望と悔恨はあまりにも深く憤りが晴れる術を持たなかった。

 それ以来、ガルシアとバータルは自分たちが裏世界を支配することを決意した。

 兵士などという法に縛られた日和見の機関に任すことを良しとせず、自分たちで裏の世界からカッシーラを取り締まることを良しとし、敵対組織を全て壊滅に追いやっていくことになる。


 クーリャの死はダルフォールにも影響を与えていた。

 それまでの彼はどちらかと言うと覇気は無く、お人好しの優男というイメージが強かった。しかし自身と所属する組織の無力を知ると人が変わったかのように仕事に打ち込み始める。

 先祖代々カッシーラの要職に付いてきた家系に何の理想も責任感も持っていなかった彼は覚悟を決め、四十という若さで防衛としての最高責任者にまで上り詰めた。


 たった一人の女性の死が、男たちの運命を狂わせたのだった。


 

『――!!』



 三メートル級のプチゴーレムは先程から圧殺しようとしているのにまだ潰れないバータルにさらに力を込める。

 ぶちぶちと肉が捻じれ血管が切れ、骨が割れる音が岩の手の中からもれていく。

 耐え難いほどの身を切るダメージが彼を襲う。しかしながら痛みをまったく感じていないがごとくバータルは哄笑した。

 その瞳はこれまでで一番紅く輝いている。



「ふははははっ! この無粋な岩屑が俺の墓標か。相応しいかもしれんな! ――だがな、今生の別れの余韻ぐらい楽しませろ!!」



 顔に血管が大きく浮かび膨れ上がる。

 バータルが最後の力を振り絞ったのだ。

 


『――!!』



 感情など無さそうなプチゴーレムでも自分の指が徐々に開いていく姿に動揺しているかのように見える。

 開いた隙間に身をよじりバータルはそのまま真下に拘束からの血路を開いて抜け出た。


 地面に降りた姿は、もはや服はボロボロで肘はおかしな方向に曲がっており、鼻からは赤黒い血が垂れている。

 腕はほとんど上がらず、これでゴーレムの硬度を上回る一撃が放てるとはどうしても思えないほどの重症だった。

 それでも彼は大剣を離さず、だらりと構える。


 ガルシアたちを追おうとしていた他のプチゴーレムたちも、バータルの生存に足を止めきびすを返してきた。

 もはや羽のもがれた蜂と、それに群がる蟻のような構図だ。

 冷酷無比な集団は獲物の状態などおもんばかることはない。

 ガチャガチャと無機質な十数の足音が倉庫内を木霊する。


 骨を砕かれもうこの包囲網を脱する術はないだろう絶体絶命の中、それにも関わらず彼は諦めているようには決して見えなかった。

 それどころかその様相は雄弁に勝ちを確信しているかのようですらあった。

 


「自爆すればお前らの負け。自爆しなければ俺が全てをたたっ斬って殲滅。どちらに転んでもこちらの勝利だ。簡単な話だろう?」



 暴論だがそれを本気で信じている風だった。

 彼は歯で服の袖を噛んで無理やり腕を持ち上げ、肩に大剣を担ぎあとは振り下ろすだけの状態にさせる。

 それならば今の自分の状態でも硬質なゴーレムの体を砕けるというのだ。

 カッシーラで名を轟かせた剛の男は、腕すら自由にならない満身創痍の苦境にあっても果敢に敵に挑むことを選択した。



『――!!』


「さぁ仕上げだ。俺の墓石になってもらうぞウスノロども!!」



 その僅か後に倉庫が大音響と共に爆発し、盛大に崩れ落ちるのをガルシアたちは少し離れた場所で確認した。

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