2章 14話 ガルシア商会の事情
別に殴って気絶させるだけで殺すつもりなんて毛頭なかったんだけど、そう取られたのも無理からぬことでそこはあえて否定はせず、「何でもする」とは言っていないもののそれに近い意味と受け取ってガルシアの嘆願に拳を引いた。
それからすぐ案内されたのは建物一階の大きな応接間だ。
壷やら毛皮やらいかにもお高そうな感じがするその部屋に今いるのは、私と豆太郎、それとガルシアとバータルのみ。意外なことにその他にいた全ての部下には外に出ているようにとガルシア本人からのお達しがあったのだ。
それでも主人を守ろうと血気盛んに残ろうとする者には「じゃあお前はバータルに勝ったやつに勝てるのか?」と凄まれれば返す言葉を失い命令に従って悔しそうに出て行った。
『ふああぁぁ、あーちゃんふかふかだよぉぉぉ』
「うんうん、すごいよね」
高級ソファーの上で豆太郎がゴロンと転がりその弾力のある感触を体いっぱいに味わう。
この子が嬉しそうにしているのを見ていると私も楽しい。
さすがに正面に座るガルシアからは気に障ったような反応をされたが、ここで文句を言うのも愚策だと判断したのか堪えてようやく本題を話し始めた。
「それで確認したいんだが、アオイという名前だったか? お前さんはここに何をしに来たんだ? 俺の命ならやるが」
「旦那様!?」
いきなりの物騒な主人の言葉に、ガルシアが腰を降ろしているソファーの後ろで待機していたバータルが狼狽した声を上げる。
あれから十分ぐらいは経っているが、まだ彼は私に殴られたお腹を庇っていてさすがに全回復はしていないようだ。瞳の色は元に戻りやや黄色身掛かった
「別に命が欲しいわけじゃないよ、ただいきなり襲われたからね。理由も分からないままだし、お礼参りはしないといけないと思ったからやってきただけ。じゃないとまた襲われるかもしれないでしょ?」
「それは……そうだな。その理屈は正しい。ただ、相手がガルシア商会でなければ、だが」
「んなこと言われてもこうしてカチ込みは成功してるわけだし?」
「頭が痛いが、それも事実だな、俺が悪かった」
ガルシアは髪を強引に掻き上げ軽く頭を下げてきた。
このやり取りだけでもあれだけの激闘を館の前で繰り広げた私に対して恐怖しているところがないのが窺え、器の大きそうな雰囲気を受ける。
ノリは悪くないようだ。てか、商会とか言われたけど私この人がどんな人とかどんな商売してるとか全く知らないのよね。ぶっちゃけ最初は暴力団とかマフィアみたいなものだと思ってたし、途中から商会とか言われてまずったかもしれないと戦々恐々とする部分もあったぐらいだ。
謝罪を終えたガルシアが続けて紡ぐ。
「ちなみに聞きたいんだが、情報ではお前さんランク4だったよな? まさかバータルがタイマンで負けるなんて思わなかった。最近はそんなに冒険者ギルドの平均レベルって上がってるのか?」
「いやーどうだろう。私も他の町のことはよく知らないんだけど、例外と思ってくれていいよ。ただけっこう危うかった場面もあったけどね」
本気じゃなかったよ、なんてことは言う必要はない。そんな自己顕示しても何の得もないし。
それにレベルを制限してても楽に勝てると思っていたのにヒヤっとしたことは何度もあったのは真実だ。
「……恐縮です」
ソファーの奥からは短くそれだけ返ってきた。
声音からは少しだけ思うところがありそうだけど、わざわざ何か言ってひっくり返そうとすることはないようだ。大人だね。
「さて、そんなことよりもまず、私たちを襲った理由が聞きたいわ」
これは必須。ここを知らないと判断のしようがない。
まぁあんな連中使って、しかもやり方が強引だしあんまり真っ当な動機があるとは思えないんだけど。
「分かった。掻い摘んで話すが、今日、吸血鬼に襲われた女の子が二人いるよな?」
「えぇ」
「その片方が俺の娘。もう一人は幹部の娘だ。俺たちは報復のために犯人を追っている。今も総動員して町中に監視の目を光らせているが情報が全然無くてな、唯一の目撃者であるアレンって冒険者に話を訊きたかったんだ」
「――え?」
途中までは理解できた。
ここの警備が手薄だったのは私とオリビアさんへ人員を送ったせいと、吸血鬼の探索用に出払っているからなのは納得する。
しかし後半がもう話が繋がらない。
「うん? 何かおかしいことはあるか?」
「おかしいとこだらけでしょ! 話を訊くだけで何で私たちを攫おうとするのよ!」
別に普通に尋ねてきたら済む話だ。あんな徒党を組む必要も、私たちを連れていく理由も無い。無いよね?
「それはお前さんらがガルシア商会には協力しないって情報があったからだ」
「なにそれ?」
そんな発言した覚えは無い。もちろん私だけじゃなく、みんなも大体一緒にいたしそれは証明できる。
そもそもガルシア商会なんてあの時点では誰も知らなかったと思う。
「旦那様、これはまさか……」
「あぁ、忌々しいがダルフォールに一杯食わされたようだな」
苦々しく顔を合わせる二人。
なんか今知ってる名前が出たね。
「ダルフォールさんが関係してるの?」
「おそらく意図的にあいつがそういうガセネタを掴ませてきたんだろうよ。珍しく機密情報が盗れたかと思ったら手の内だったとは参るぜ」
「あの人ってかなり偉い人よね?」
「家は世襲のできる准男爵家で、代々このカッシーラの要職に就いている家系だな。現在の当主はあいつで、領主からカッシーラの治安を守ることを一任されている警備兵約五百人からなる警備隊隊長でもある。ついでに魔剣持ちだ」
「魔剣?」
また中二病チックなものが出てきた。まぁファンタジー世界だからあるっちゃありそう。
「魔剣『イルミナーデ』。刀身が凝縮した光で構成される剣でな、鉄の剣と打ち合うと鉄の方が溶けるっていう代物さ。岩でも鉄でも切り裂き、あいつの家で受け継がれこの町を守ってきた珠玉の宝剣だ」
「その人がなんでそんなことするの?」
ガルシアの太い眉毛がへの字に曲がる。
こいつ何言ってんだ? という困惑気味の顔だ。
「俺とダルフォールの犬猿の仲を知らんのか?」
「いや、そもそもガルシア商会って名前自体さっき初めて知ったし」
「はぁ!?」と大きく口を開けて豪快に驚いた間抜け面を晒してくる。
バータルも頬を引き攣らせ固まっている様子だった。
「お前さん、マジか? マジでガルシア商会知らなくて殴り込み掛けてきたのか!?」
「さっきからそう言ってるじゃん」
「うわ! マジだよこいつ」
天を仰ぎ見るようにして手で顔を覆い高そうなソファにもたれかかるガルシア。
五秒ほどそのまま硬直し蘇ってきた。
「あぁ……もう分かった。切り替える。商人なら希望的観測ではなく事実を事実として受け止めるのが大事だ。切り替えるぞ俺は!」
「自己啓発してるところ悪いんだけど、軽く教えてくれない?」
「それが良さそうだな……。簡単に言うと俺らはカッシーラの裏の顔ってやつだ。表ではちゃんと商売しているが、裏ではカッシーラに出回る非合法のモノを取り扱って管理している」
「悪党じゃん」
「半分な」
「半分?」
私の率直な突っ込みに恥じるどころかむしろぐっと身を乗り出してくる。
「管理していると言ったろう。俺らが裏で扱うのは物と暴力と女だけだ。もちろん利益は享受しているがそれらが‘出回り過ぎない’ようにやっているし、逸脱しないよう目を光らせている」
「十分に悪いやつにしか聞こえないんだけど」
「管理を徹底して必要以上に溢れないようにしているんだがな。裏の世界ってのは消そうとしても消えないし、綺麗事だけでは取り締まれることも難しい。それを裏の世界から押さえつけているんだ。もちろん女にだって強要するような真似はさせていねぇし、薬にも手を出していない。南方のシェラザードから持ち込まれる麻薬は一切カットしている。そういう町のためにならないモノは一切持ち込ませていない。これは俺らが牛耳るようになってようやくできたことだ。だからと言って正義だなんて言わねぇよ。だから半分。そうだな、悪党にも悪党なりのポリシーがあるとでも解釈してくれればそれでいい」
「ポリシーだか何だか知らないけどさ、あんたが悪党かどうかを決めるのはそこに暮らす人々だよ。自分で言うことじゃない」
「……それは理解している。だが俺らが台頭しなかった頃のカッシーラはもっとひどかったんだぜ?」
「法を遵守しろなんて子供みたいなことは言わないよ、私だって理不尽なことが行われたら法がどうとか関係なく抵抗するし、そんなものより大切なものがあることも知っているから。でも悪いけどまだここに来て日が浅くてその言葉をそのまま受け取るほど信用できてないのよね」
彼が話すことを鵜呑みになんてできやしない。私が今良いように騙されていることだってあり得るんだから。
ぶっちゃけ悪党の言い訳のようにしか聞こえないが、それでも彼には彼なりの矜持があるという言い分はまずは受け入れよう。そうじゃないと話が進まないしね。
「とりあえず立場は把握したわ。ダルフォールさんとあんたは警察とマフィアのボスみたいな関係ね。それであんたたちに協力しないって噂をあの人が流したのか」
「たぶんこっちに単純に協力させたくないっていうのと、小競り合いを狙ったんだろうさ。これを期に力を削ぐとかあいつはそういういけ好かねぇことを考えるやつだよ」
ガルシアはダルフォールさんの顔を思い出しているのか、苦々しくしかめっ面になる。
全部言っていることを盲信する気はないけど、兵士宿舎の割りと近くで五十人以上が乱闘騒ぎを起こしたのに全然兵士がやって来なかったのはおかしいとは感じていたんだよね。意外と早く事態が収束したから絶対とは言えないんだけど。
色々と思考を巡らせてみるが反応的にも状況的にもそれが事実であると示唆しているように思える。少なくても信憑性はあると判断しよう。
「あなた方との交渉はあくまで暴力は最終手段で、最初は金銭や物品で交渉しても良いと伝えたのですが、まさか最初から女性を誘拐するところから始めるとは至らぬ孫で申し訳ありません」
「まぁ、あれはお察しします」
バータルが本当にすまなさそうに腰を曲げてくる。
話題のツォンは今は彼らの息の掛かっている病院へ搬送されていた。
あれは端的に言うなら単細胞ってやつだ。昭和の不良がそのまま出てきたような感じで、仲間への情は厚くても、他人への迷惑は何にも考えないお馬鹿。
結局、口は割らなかったので顔面フルボッコにしてやったので多少の溜飲は下がってはいるけどさ。
「それでだが、犯人捜しの協力はしてくれないか? 当然、報酬は出す。被害者は魔力欠乏症に近い症状もあるとも聞いた。もしそれが本当なら娘の命も危ないんだ。頼む!」
机の上に手を付き、擦り付けるようにガルシアが頭を下げてきた。
ちょって待って、魔力欠乏症って確か一部の人間しか知らないはずよね。それがもれてるってことはやっぱり本当にダルフォールさんわざと情報流したのか。
そもそもこれってダブルブッキングになるけどどうなんだろう? 警備兵側が多少キナ臭いにしても協力しているのにこっちにも手を貸しても問題ないのだろうか? なんかダメな気はする。ここで勝手に依頼を受けて私の一存でオリビアさんたちに迷惑を掛けるわけにもいかない。
目の前できちんとお願いしてくるガルシアに協力はしてあげたいけれど……。
「アレンを手伝わせるかどうかについては諦めて欲しい。すでに依頼を受けている方と敵対する側にも手助けするなんて常識的に無理だろうから」
「そうか……」
明らかに肩を落とし落胆の色を隠そうとしない。
これで本当に裏社会のボスなの? 私にはちょっと
影武者とかに騙されてるんじゃないかとすら思えてくるよ。
「でもね、実は私は彼らとはパーティーを組んでないただの付き添いなのよね。だから情報は教えることはできるよ。私が知っている話、そしてこれから聞ける話なんかを横流しとかね。あと私が捕まえたときに兵士よりそっちが早く到着するなら先に受け渡してもいいよ」
これは私一人の勝手な行動だ。
アレンたちとパーティーを組んでいないのは事実。しかしながらそんなのはただの屁理屈でしかなくひょっとしたら彼らにも累が及ぶ可能性はある。
それでもやっぱりこの可哀想な父親に手を貸したくなってしまった。偽善でもわがままでも構わない。私がそうしたいからそうするんだ。
「本当か!?」
「ええ」
ぱぁっと顔が明るくなってガルシアは私の手を取ってくる。
こんなに顔色が分かりやすくて本当にこの人。商売人としてやっていけているのか心配になるレベルだ。
ガルシア商会に味方するんじゃなくて、今回だけは彼も被害者で、一人の娘を想う父個人に協力しようと思う。
「ただもしそっちが捕まえたとしても殺さないで欲しいの。色々とこっちとしても質問しないといけないことがあるから。そしてその場合、私にも教えること。それが条件。破ったら商会ごと相当ひどい目に遭うことは覚悟して」
「それは分かった。こっちでも訊くことはたっぷりあるから問題ない。絶対に殺さないことは誓う」
私の目を見て約束をしてきた。
ややこしくなるから本当は彼らとは関わらない方が良いんだろうけど、現状警備兵だけで姿かたちも目撃すらできないというのなら彼らの数や情報網はアテにしたい。
口約束だけど、反故にした場合は本気の私が飛んでくるので世界一怖い取立人だと思って欲しい。
「あとそいつはかなり強いみたい。たぶんそっちじゃ最低でもツォン、もしくはバータルさんクラスじゃないと敵わないと思って。ゴロツキが百人いても無駄に犠牲者が増えるだけ」
「そんなにか?」
「アレンが言うにはね」
「了解した。バータルにも動いてもらう。いいな?」
「畏まりました」
傍仕えのお手本のように華麗に腰を曲げバータルが了承する。
相手がプレイヤーでない限り、さすがにこの人であれば負けることはないはず。
おっと、そう言えばもう一つ今回の騒動でかなり気になる疑問点があるのを忘れていた。
「ごめん、あと一個だけ訊きたいことがあったわ。私、バータルさんと吸血鬼とは関係性があるんじゃないかと思っているんだけど外れてるかしら?」
「何の話だ?」
極めて平静を装う返事。
ガルシアの目が泳いだのが一瞬だけだったのはさすがだ。娘の話以外ではちゃんと闇の帝王やれてんじゃん。
予め注意していなければ見逃したかもしれないレベルのポーカーフェイス。もしそうしたらこっちが変なことを訊いたような気分になっていただろう。
でもね、
「悪いけどあれだけ異常な力とその紅くなる目を見せられちゃあ言い逃れできないよ?」
私の問いに押し黙るような沈黙が流れる。むしろ二人のこのノーリアクションで何かあるのは確信した。沈黙こそが肯定とはよく言ったもんだ。
ここはちょっと気になってるところだから、叶うならうやむやにはしたくない。
やがて意を決したようにバータルが頷いた。
それは了承の合図だったのだろう、ガルシアが難しい顔をしながら口を開く。
「バータルが構わないというのなら話すが、確かにバータルとツォンは『吸血鬼』だ」
「へぇ」
疑念は確信へと変わる。
やはり繋がりはあったんだ。
「待て! 違うそうじゃないんだ!」
目を細め私の少し下がった声のトーンに剣呑なものを感じ取ったのか、ガルシアがうろたえ手を前に突き出してきた。
「騒がせている吸血鬼とこいつらとは違うんだ」
「全然分からないんですけど」
「ここからは私が」とバータルがソファの後ろから出てきて、ちょうど私とガルシアの側面の位置から立ったまま話し始める。
「順を追って話しましょう。まず私とツォンの一族は通常の人間とは違う特徴があります。それは数ヶ月に一度人間の血を摂取しないとひどい渇きに襲われること。そして感情が高ぶり意識のスイッチで目が紅くなり身体能力が向上することです。私の場合は任意で爪を少しだけ伸ばして硬質化できるという能力もあります。私たちの種族は吸血鬼として恐れられたこともありますが、現在は人間と共存をしています」
「血を吸うのに共存できてるの?」
私の知識は漫画とかでしかないけど、吸血鬼っていうのは迫害されるか、もしくは人間を支配するかのどっちかのオチしか知らない。
聞いている限りだとそういうのと特徴的に大差が無さそうだから、同じ展開が往々にしてありそうなんだよね。
「もちろん表立って秘密を公表することはありませんでしたが、少なからずこんな私たちとでも協力して頂いたり、一緒に人生を歩むと決心して頂ける方はいるものです。私たちはそういう傍らに寄り添ってもらえる人間たちのおかげでひっそりと生き延びてきました」
それは共存とは違う気もするが、いちいち指摘はしない。
彼らが闇に隠れて生きなければならなかった苦悩は想像に難くないからだ。いつ誰かにバレるかもしれないという恐怖や、愛した人に拒絶されるかもしれないという怯えを抱え生き抜く生活は、私でも決して安穏としたものではなかったのは予想できる。
それでも確認はしたい。だからあえて私は突っ込んだことを尋ねる。
「疑問なんだけど、そんな影に隠れないで人間を襲って支配しようとは思わなかったの?」
これだけの強者ならあえて人間に紛れる必要も無いんじゃないかな。
いくらでもやりようはあるはずだ。
「一度も考えなかったというのは嘘になるでしょうね。ですが私たちの祖先はそもそもそうやって返り討ちに遭い逃げ延びて来た者たちです。結果が分かってる過ちを踏襲する必要はありません。それに私たちには弱点――いや呪いがあります」
「おいバータル!?」
ちょっとした爆弾発言に隣のガルシアが噛み付いた。
しかし当の本人は冷静なもので主に対して理詰めで抗弁をする。
「私たちは一度、こちらの手落ちで信頼を失って交渉が決裂しております。手の内をさらけ出さないと信用して頂けないでしょう?」
「それはそうかもしれんが……分かった。好きにしろ」
「ありがたく」
恭しくバータルは頭を下げ、話の続きを再開した。
「私たちは、招かれないと他人の家に入ることができません。だから暗躍など困難な道のりでしかないのです」
「ん? なにそれ? 自分ルール?」
「言葉通りの意味です。なぜか了承も無く侵入しようとするととてつもなく気分が悪くなります。無理に我慢しようとすれば倒れそうになるぐらいに」
「それが呪い?」
「こんなものそうとしか呼べないでしょう? 体質や奇病と言い換えても構いませんが、私だけでなく一族全員にこの症状があります。おかげでこの町の裏社会を管理下に置くまでにも無駄に時間が掛かりました」
呪いという単語がつい最近も出てきたことを思い出す。
吸血騒動の犯人がしゃべった『女神の呪い』ってやつだ。
安直に考えるなら、関連性があってもおかしくないはずだよね。そしてもしそれが本当ならその家に入れないというのは女神様がやったこと? でも敷地に入れなくなるからなんだというのか。
うーん、なんだかまだ情報が足りていない気がする。
「さらに言うなら種として弱ってきています。必要以上に繁栄を求める者はおらず、年々数も減り、そして人間以上の身体能力など発現できるものは極僅かとなりました。原因はおそらく人間と深く交わり血が薄くなったからでしょう。それでも血は必要なのは皮肉なものです。ただ昔に比べて必要量が減っているだけが救いでしょうか」
「だから人を襲う気はないってこと?」
「えぇそうです。今この町にいる私たちは生まれも育ちも全員がこの町です。この町で生き、この町を故郷として愛している。再び血で血を洗う語り継がれているような悲劇は起こしたくありません。私は数少ない先祖帰りとして最低限の現状維持のために協力者からの血を運んだり、奔走したのも懐かしい話です。この町で血を吸われるおとぎ話があるのをご存知ですか? あれは私たち一族のことです」
あぁそういやダルフォールさんがなんか酔っぱらいを諌めるための話だとかなんとか言ってたね。
ここまで話す内容は綺麗ごとのようにも聞こえるけれど、話すときの目は私には嘘を言っているようには思えなかった。
「もう二十年ぐらい前になるが、バータルが血を求めて苦心しているときに俺が偶然出会ったのが『クーリャ』だった。俺の娘『ミラ』の母親でバータルの姪にあたる。俺の一目惚れだ」
次はガルシアが昔話を始める。その瞳には懐かしむ過去の情景が映し出されているかのようだった。
特に彼が感傷に浸る姿はホントただのおっさんだ。
「最初は姪に近寄ってくる男を殴り付けて追っ払おうとしていました。でも何度痛めつけられても懲りずにやってくる。いつの間にか私が気付いた時にはどちらも真剣でもはや手の出しようがないほどの仲になっておりました。やがて殺害を覚悟して私たちの秘密を明かしたある日、旦那様――ガルシア様が契約を提案されました」
「――お前たちの力を貸せ。その代わり俺がお前たちに平穏な生活を与えてやる、とな。権力を持てば人間の血ぐらいなんとでもなるし、何か不都合なことが起きても揉み消すことも可能となる。言わば共犯関係を持ちかけた。悪党の血ばっかりなのは申し訳ないところだが、ま、味は変わらないっていうんだからこいつらの味オンチぶりには感謝してる」
後半はバータルへ向けての馴れ合いの冗談が入っていた。
まぁこの二人の状況は分かった。
「ということは、今回の犯人はそっちの仲間の誰かが暴走したとか?」
推理を口にしたがバータルは首を横に振る。
違うの? 流れ的にそんな展開かと思ったんだけど。
「私も最初そう考えました。しかしこの町にいる血族を確認しましたがそのような暴挙に出た者は一人としていませんでした。さらに言うなれば血を吸ったから魔力欠乏症になるなんて今までなかったことです。それに今の血族はほとんど人間と変わりません。警備兵の目を掻い潜って犯行に及ぶほどの手練は私とツォンぐらいのものでしょう。そして私たちでもない。……少なくても私たちがお嬢様に手を上げるということだけは絶対にありえません。それは断言できます」
口には出してないんだけど、最後のは目で悟られ先に言われてしまった。
ま、ツォンは馬鹿っぽいけど馬鹿のベクトルが違う。あれが人を騙して暗躍するような性格にも見えないし、ここまで言い切るなら信じるしかないね。
「なら例えば他で暮らしていたやつがこっちに移住してきたとかは?」
「可能性としてはゼロではありません。‘ペナンカラン’の一族とは私たちのことです。今では吸血鬼なんて俗っぽい名前を付けられていますが、古くから伝わる名称がそれです。だからそいつは少なくても私たちを知っている人物に間違いはないでしょう。ただし私たち以外の血族がいたとは聞いたことがありませんし、こんなに頻繁に血を吸う意味がないはずなんです。コルクの蓋を薄く切ったほどの量を数ヶ月に一度でいいんですから。だからあるいは別種の何かかもしれません」
そう言われるとさっそく暗礁に乗り上げたみたいな気分になってしまう。
とどのつまり、
「結局はそいつを捕まえて直接訊き出す以外に手はないってことね」
「そうです。ちなみにミラ様にはご自身がペランカランということをご存知ありません」
「なんで? 血を吸わないといけないんでしょ? 知らないなんてありえないでしょ」
「料理や飲み物に少しずつ仕込んでいた。あいつに伝えるにはもう少し時間が欲しかったんだ。知ればこの町から出られなくなる。お前は何にも縛られてないと夢を見させてやりたかったんだが、それがこの結果だ。理由を言えないまま口うるさくしたせいで反抗され、今やとんでもないじゃじゃ馬娘に育っちまった」
その気持ちは何となく分かる。自分が人間とは違う種族で他人の血を飲まないといけないという事実はきっと一人では肉体的にも精神的にもずっと隠し通せるものじゃない。だからみんな仲間を作り協力し合ってここを離れず居を構えているんだ。今カッシーラにいることが彼らにとっては最善であり安住の地でもある。
けれど自分の宿命を知ればそれは重く圧し掛かる。親としてそれを先送りにさせたいのも理解できなくはない。
「慣わしとして男子には父親が、女子には母親が物心付いたときに教えるものですが、ミラ様の母親、私にとっては姪にあたるクーリャは早くに亡くなってしまったものですから、キッカケも無くずるずるときてしまいました」
重い身内話を言えなかったのは分かるけど、あんな人の財布を盗るようなギャルに育ったのはこの人たちの甘やかしのせいだと思うけどね。
これだから男ばっかりってのはダメなんだ。叱るときは叱らないと。
「大体の現状は把握したわ。それで表立っての協力はできないけど、連絡はどうすればいいのかしら?」
「こちらまで来て頂いても構いませんが、町中に傘下の商店がいくつもあります。大きめのところをいくつかピックアップするのでそこの連絡員に言って頂ければすぐにこちらに情報が来るように手配致します。その黒ずくめで犬を連れているという風貌は間違えようもないですから店の者も人相を間違うこともないでしょう」
まぁそんなところか。通信機のようなものがあればいいんだけど、クロリアの町でアレンたちが失くしたやつってすごく貴重だからそうそう無さそうなんだよね。私のアイテムにもそれっぽいのは無いし困ったね。
「情報の横流しはそれでいいわ。それともう一個だけお願いしたいことがあるんだけど」
「なんだ?」
「そっちで警備中に犯人や襲われた被害者を発見した場合、こっちにもすぐに知らせて欲しいの。すぐに行けば鉢合わせすることもあるだろうし」
「それは構わんが、そっちがそのときにどこにいるかどうかも分からんぞ? うまく連絡がいったとしても現場に来る頃には相当な時間が経っているだろう?」
犯人を彼らが見つけた場合、こっちに使いを寄越してそれを私が受け取り土地勘が無い私がそこまで走って、ってなるとどれだけ楽観的に見積もっても数十分は掛かるだろう。それだけあれば着いた頃には影も形もない。ガルシアが指摘しているのはそういうことだ。
「それには一つアイディアがあるの――って感じなんだけど。そもそもそういうのってある?」
思いついた案を伝えてみた。
素人考えで恐縮だけどこれぐらいしか浮かばない。
どっちも顎に手を当てたり、腕を組んだりしてこの話に一考していた。
「俺は使ったことはないがあるはずだ。へぇ、案外悪くないかもしれない。バータルはどうだ?」
「試す価値はあるかもしれませんね。普通のなら相手にも気付かれる恐れがありますが、それなら問題ないでしょう。人員の手配もやや数が少ないですが戦闘員でなくても良いので行えます。多少改良させないといけない点もありそうですが、すぐに取り掛からさせます。ただそちら次第でもありますが……」
二人の目線が一斉に豆太郎に集まる。
いきなり目を向けられたことに対してきょとんとなる豆太郎はやっぱり可愛かった。
□ ■ □
ぎぃ、と錆びた蝶番の音がして扉が外から開かれる。
ろくに掃除もされていないので埃っぽい匂いが空気の流れに乗って夜の闇に拡散されていく。
そこはお世辞にも活気のある場所とは言えない寂れた一画にある建物だ。
近くでは下品で野蛮な男がたむろし、ゴミ箱には野良犬が残飯を漁っている風景が板に付く、そんな陰気な場所。
場末の酒場や倉庫などに使う者はいても、ここで真っ当な商売を始めようというものはいないだろう。
玄関から分かる部屋の構造はシンプルに一部屋のみのワンルーム。
真ん中にテーブルがあってその上にカンテラが一つだけ明かりを灯し空間を照らしていた。
部屋中いっぱいに満足に届かないようなか細い光でも、磨り減って歩くごとにぎぃぎぃとうるさい音を鳴らす床や、天井の四隅に陣を構えている蜘蛛の巣が見て取れる。
あまり自ら進んで滞在したいとは思えないその部屋に、一人の男がずっと椅子に座っていた。
その男――『ティーガル』はいわゆる何でも屋だ。
表向きの顔は冒険者として活動しているが、それほど腕が立つわけでもなく、生活のために金次第でベビーシッターから死体の処理まで請け負う裏の世界にも半分片足を突っ込んだような人物である。
使い捨てできる駒として雇い主からは認識されているが、彼自身はあまり他人からの評価に頓着していない。
ただ金になるか、楽しいか、それぐらいしか判断基準を持っておらず、今回の仕事は金にはなるがつまらない、その一言に尽きた。
ティーガルはようやく話し相手が外から戻ってきてたことに少しだけ声音を上げて、ランプの光に伸びた影に声を掛ける。
「よぉ、今日も大暴れか?」
「……」
だが投げた会話のボールは素っ気なく無視され、あえなく振り逃げされる。
その影はそのまま部屋の壁に背を預けて冷たい木の床に腰を降ろした。
「無口だねぇ。ここ最近毎日会っているのにそろそろまともな会話をしてくれてもいいんじゃねぇの? えぇ『吸血鬼』さんよ?」
「……」
吸血鬼と呼ばれた男は警戒心を解いていないのか外套も着たままで、フードから零れて見えるのは僅かな闇に同化するほどの濃い黒髪とピクリとも動かない口元のみ。
せめて『吸血鬼』というワードを出せば何かしらの反応があると思って期待したのに落胆に変わってしまいティーガルは鼻から息を抜いた。
「まぁ依頼主からはお前さんのサポートをしてやってくれとしか頼まれてないんで、別に話す必要はないけどな。こう退屈だと俺もどっかの酒場で酒飲んだ拍子に愚痴っちまうかもしれぇよ」
ティーガルが受けた依頼内容は簡単に言えば、いくつかあるこうした拠点施設に該当の人物を匿いサポートすること。
しかし支援と言っても肝心のその男はかなりの寡黙さで、運んできた食事にも手を付けない。ほとんどやっていることと言えば、兵士たちがガサ入れに来るのを察しては新しい建物に案内して帰りを待つぐらいなものだった。
なので暇つぶしにあの手この手で寡黙な男の口を開かせようと試みているのだが、ほぼ全敗中。
ここまで人間味の無い人物とは会ったことなかった。
だが、ここにきて滅多にない無駄口が呟やかれたのを耳にする。
「人は……弱いな」
「は? なんだそれ? 哲学か?」
「まがいものはもっと弱くなった……」
「何だそれは? 教えてくれたら相談に乗れることもあるぜ?」
たまに何か言ったかと思えばこうした訳の分からない言葉を発するのをティーガルはすでに経験していた。反応したところでまともな答えが返って来ないことも。
しばらく待ってみたがそれ以上の応答がないことに苛立ちながら「ちっ」と舌打ちをする。
結局、ティーガルが何をしゃべり掛けてもリアクションが返ってこず、舌打ちするまでが予定調和。ここしばらくずっと繰り返してきたパターンのようなものだった。
「お前がどこで何をしようが俺には関係のないことだ。勝手にしろ」
最後には開き直って逆ギレし、そんな台詞を吐いてティーガルが沈黙することを選ぶのも何度目だろうか。
そんな彼の耳に届かないほどの小さな声で吸血鬼と呼ばれた男は
「ママ……もうすぐだよ……」
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