2章 13話 鬼との激突②

 私は鈍器として数えて良いのか知らないが、部屋にあったソファーで殴られ壁に衝突し、さらにその衝撃に粉砕された壁を突き抜け外に投げ出された。

 僅かな浮遊感の途中に視界は回復し、星や月が輝く空を見ながらしなやかに着地する。

 壁がもっと頑丈であればダメージを食らったかもしれないが、軟弱な強度のおかげで軽くぶつける程度の微々たる痛みだ。

 

 てかあのお爺さんがちょっとやばい。もちろん身体能力の差はあるから負ける気はしないんだけど、確実に本職の人だ。躊躇が無さ過ぎてそういう意味で怖い。

 手荒な訪問の仕方はしたけど、こんばんは、のお返しの挨拶がいきなりのナイフだもの。びっくらこいたっての。対話のコミュニケーションは大事だよ。


 忍術で壁に穴を開けて乗り込んだまでは良かった。

 そこまでやれば小悪党なら震えて腰を抜かし、こちらの質問にはいはいと淀みなく答えてくれるものだと期待してたのに、即効の反撃は完全に想定外。

 隙を作ろうと曲芸までしてみせたのにあのお爺さんリカバリーが早過ぎだっての。



『とーう!』



 素早く私が投げ出された穴から豆太郎も離脱してきたので受け止めてあげる。

 三階から飛び降りても豆太郎自体が軽いのと私の力のおかげで衝撃はほとんどない。



『あーちゃんあーちゃんだいじょうぶー?』


「うん、平気平気」



 豆太郎をお留守番させるのはもったいなかったので、一旦オリビアさんを宿まで送って合流してから殴り込みを掛けることにしたのだ。

 この子のおかげで目が眩んでいてもソファで殴られることが分かって身構えられ、自分から後ろに跳び威力を殺せた。本当に豆太郎様さまだ。



「外に出ちゃったから豆太郎は周辺警戒をお願い。変なやつがきたら倒しちゃって。普通の人なら怪我させずに追い払って」


『あいさー!』



 相棒を地面に下ろし、私から離れるのを見届けてから顔を上げる。

 ツォンとお揃いの執事服を着たお爺さんが三階の部屋からこちらを見下ろしてきて、そこから迷うことなく飛び降りた。

 膝を曲げすんなり着地。私よりは音を立てているがその身のこなしは軽やかと言っていいだろう。

 彼はすっと立ち上がり、服に付いた皺のある箇所を伸ばし襟元を正してから用件を述べる。



「さてお客人、夜分の急な来訪、何用かお尋ねして宜しいでしょうか?」



 顔は笑っているのに声は笑っていなかった。

 物言いは丁寧だが、威圧感のある声色でどんな鈍感なやつでも向けられるこのピリピリとした殺意に彼が怒っていることは理解できるに違いない。

  


「さっき私のところに礼のなってないやつらが大量にうじゃうじゃときてね、問い質したらここに保護者がいるって言うもんだからツォンっていうリーダーっぽいのを連れてやってきたの」


「連れて?」


「さっき部屋に投げ返したわ」


「あぁ……」



 思い至ったのか、皺の刻まれた顔が歪む。


 私がさっき部屋に思いっきり投げたのは‘ツォン’だった。

 なかなかにタフで手加減が難しく、そのくせ向こうは本気が殴ってくるもんだから気絶させるのに少し手こずったのを思い出す。

 その上、あいつだけはどれだけ痛めつけても何も情報を話さないから、取り巻きを一人だけ無傷で残し問い詰めてここまでやってきたのだ。

 あんな差し金をよこしたやつをとっちめないと気が収まらない。



「私が聞きたいのは、アレンを狙う理由と、その紅い目についてなんだけど?」



 紅い目、と言った瞬間に圧迫感が増した。どうやらこっちの方が知られたくないらしい。

 でもそれを隠そうとしないということは……推して知るべしというやつだろうか。

 


「アレン殿を必要とする理由は話せますが、目についてはご遠慮させて頂きたい」


「ふーん、彼も全然口を割らなかったんだけどすごい秘密があるのかな? 例えば巷で噂の吸血鬼と関わりがあるとか?」


「……一つ確認です。ツォンと関わりがあるということはどこかが雇った暗殺者ではなく、あなたはアレンという冒険者の仲間の‘アオイ’で間違いないですか? 最速でランク4になった『魔犬ヘルハウンド】という二つ名の」



 話を逸らされた。さすがに直接的過ぎたかな。



「その名前恥ずかしいからやめて欲しいんだけど、それで合ってるわ。こちらからも質問あるんだけど」



 質問に答えると少しだけ腑に落ちたみたいだ。納得したようにほんのり顔が縦に動き「どうぞ。答えられるものであれば」と促される。



「ツォンとあなたの関係は? これなら教えてもらえるかな? どことなく似ているから見当は付いてはいるんだけど」


「……孫と祖父です。私の名前はバータル。愚孫が失礼をしたようで申し訳なく思います」


「彼のエスコートはなっちゃいなかったからね。ちゃんと躾けた方がいいわよ」


「肝に銘じましょう。さてどうでしょうか? 誤解があるなら今からでも話し合いで解決したいとこちらは望んでいますが」



 その提案に乗りそうになる。別にこっちも好戦的に出る必要は無いし、話が聞けるならそれに越したことはないからだ。

 ただケジメはつけないとね。



「いいけど条件が一つあるわ」


「なんでしょう?」


「そっちの親玉を一発殴らせて。か弱い女の子を数十人掛かりで襲わせといてごめんなさいだけじゃ済むはずないよね? 最低でもそれからじゃないと話はできないわ」



 「か弱い……?」とぽつりと呟き眉間に深く皺を寄せながら、こっちの条件に一度だけ目線を上にして考えている素振りを見せてくる。



「……それは出来かねます。私は主人を、ガルシア様を危険から守るのが努め。それを容認することは職務に反しますので。……ふぅ、残念ですな。血が流れない結末を用意したかったのですが」



 ガルシア、という名前が出たときに彼が三階に目を向けた。

 どうやらさっきいたちょっと太った男が親玉らしい。

 ため息を吐いていかにも惜しそうなリアクションだ。

 

 だが、



「何が残念よ。さっきからずっと殺気が消せてないわよ。この祖父にしてあの孫ね。似てるわ」


「ぬはっ!」



 お爺さんが嗤う。

 月夜に照らされ紅い目が動くと残滓のように軌跡が残る。

 ここにも獣がいた。ツォンが野獣なら彼は魔獣か。

 途端に剣呑な気配のプレッシャーが増す。



「夢に出てきそうな怖い笑顔だわ。夜にトイレに一人で行けなくなったらどうしてくれるのよ」


「最後に一つだけ。これだけ話していても外に配した部下が一向に集まって来ない。心当たりは?」


「外にいるそれっぽいやつらは私と豆太郎で全員倒して隅に置いといたわ」



 建物内にもまだ人はいるようで、穴の開いた三階からは混乱した話し声みたいな人の気配が薄く聞こえていた。

 外は五人だけだったし、中も数人ぐらいしかいなさそうだ。ただ五十人以上も暴漢を寄越した悪党にしては手勢が少ない気がして違和感がある。



「なるほど、ありがとうございます」


「ありがとうって、殺さなかったから?」


「それもありますが、腑抜けきったこの身に活を入れてもらいましたので。久々に血が滾るという感覚を味わっております」



 剣気というのか鬼気というのか、ともかく肌が粟立つような感覚がさらに膨れ上がった。

 私のような貰い物の体では成し得ない、一から叩き上げた者だけが持つ本当の濃密な気配。どれだけの修羅場を潜れば人はこんなオーラが身に着くのだろうか。たぶん女子高生のままなら恐怖で気絶していた。

 緊迫感が重みをもたらし口を開くのですら圧迫される支配感がする。ただの閑静な路上が彼の圧だけで戦場に早変わりした。

 バータルの少し白髪が混じったまつ毛のその下にある目は一層輝きを強める。



「どうやらその紅い目になるのはツォンとあんただけのようね」


「ガルシア商会ではそうです」


「あら、答えてくれるんだ?」


「最後の質問に正直に答えて頂けましたから。それに、敵対した人間で私をこの目にさせて生きている者はいません、意味はお分かりですよね?」


「あら、第一号にさせてくれるなんて光栄ね」


「くくっ。この続きはあなたの冥土の土産にでもお聞かせましょうか。――【尖爪のバータル】参る!」


「――くの一アオイいくわ!」



 名乗り突撃してくる。

 向こうが抜刀するのは柄に宝石が嵌っているが何の変哲も無いロングソードだ。長さは足先からお腹ほどで刀身だけで一メートルは軽く越えており幅もかなりある。

 そういえばさっきの部屋に鎧甲冑があった。きっとそれから持ち出したんだろう。


 弾丸のごとく踏み出したおかげで距離は瞬く間に消失し、渾身の踏み込みで剣がかち合う。こちらは忍刀を振るう。

 乾いた鉄が鳴り電光石化の邂逅を果たしたと思ったらすでに通りに抜けていた。風だけが後から私に追いついてくる。

 予想以上にあっちの速度も速く両方が両方共相手を見失ってしまったのだ。こんなの笑うしかない。

 私もあれだがあっちもよっぽど人外の域にいる。


 体勢を戻し間合いを詰め仕切り直す。

 まずは小手調べ、といきたかったが初手からの猛烈な剣戟の嵐が私を襲う。

 唐竹、袈裟切り、逆袈裟、胴、逆胴、左切り上げ、右切り上げ、逆風、刺突、ありとあらゆる角度からの重さを感じさせない神速の斬撃。宵闇を銀閃が切り裂く。技の冴えは一級品。

 素早いだけじゃなく、重い。だから片手ではなく両手で対応せざるを得なかった。

 この世界に来て相手をした人間の中では彼が一番強い。土蜘蛛姫以来の冷や汗が出るレベルだ。もちろん彼を殺してしまう恐れがあるからレベル百の本気が出せず制限をしているせいはある。それでもレベル五十の能力は今の私にはあるはずだ。それに遜色なく付いてきているんだ目の前のこの老人は!


 いや、と戟音を響かせ剣を弾き返しながら少し訂正する。

 身体能力はこちらが上だ。あちらは技術と経験でツォンですら倒した私に追いすがってきていた。


 

「しっ!」



 一度、仕切り直しをしたくて後方に跳ぶとすかさず着地点に投げナイフが洗礼される。

 足元を狙うそれを嫌がるように横に回避し、そのまま相手の周りをぐるぐると回るように移動した。


 さすがに漫画のように目に見えないスピードで分身ができるほどじゃないが狙いは絞りにくくなっているはず。

 けれどなぜか向こうはこちらを振り向かない。無防備な背中をわざわざ幾度も晒す。



「にゃろうっ!」



 それを余裕の表れと受け取って気合を入れ直す。

 そっちがその気ならこれでどうだ。


 ちょうど背後に重なった瞬間にこちらからくないを返礼した。

 あっちの投げナイフのように投げくないは私もけっこうよく使うから自信があったのだが、真っ直ぐに相手の元へ向かうも、まるで後ろに目があるかのように最小限の回避動作で躱され虚空を飛び去る。

 


「ほう、筋は良いですな。しかし投擲術というのは狙った箇所に飛ばせて二流。一流は相手の虚を突き、投げたことすら気付かせないものです。視線が動いたとき、息を吐いたとき、思考が過ぎったとき、ほら今のように」


 

 この会話の隙に忍術を使おうと指を動かした刹那の間に、呼び動作を感じさせない動きでまたナイフが飛んでくる。

 慌てて忍刀で弾くが操作や移動が中断され、その間にすでにバータルの両の指には合計八本のナイフが挟まれていた。息を吸い込み深呼吸でもするかのようなポーズで胸を反らし大きく両手を広げる。



「またそれ!?」



 文句が口から先に出た。彼の投擲技術は矢と同等以上のスピードで一度に複数箇所にナイフが飛んで来る。

 一本なら掴めたが複数になると避けるので精一杯だ。

 今のでけっこう面倒くさいというのがバレてしまったかもしれない。

 


「避けられたら拍手をお送りましょう。自慢の特技でこう言われています。【交差する投刃クロスエッジ】」


 

 速攻で敵弾がやってくる。

 恐るべき速さで手元は目にも止まらない。動いたと思ったらすでに振り切られている。だが、それは私の予想と違いさっきのニ段構えではなく、八本同時攻撃だった。

 斜めに私の左肩、心臓、右脇腹、右太もも、そして右肩、胸、左脇腹、左太ももへの同時射撃。ちょうどバツの字になる形だ。さっきよりも狙いが広く、その分捌きにくいし避けづらい。たぶんそこら辺は自由自在なんだろう。

 


「このっ!」



 曲げた膝を伸ばし筋肉を総動員して右にステップして避けた。すぐ横を刃が掠める。

 室内みたいに時間差でやられた方が厄介だった。自慢の、と言いながらもこの選択には拍子抜け感が漂う。

 これならまだギリギリ回避できる範囲内だ。それにいくら裏地に隠しているとはいえ、さすがにそろそろナイフは弾切れのはず。なら離れて忍術を使える。

 後方に逸れていくナイフに視線と意識を流すのを打ち切り敵を見据えた。



「まだ終わりませんよ?」


「なっ!?」



 今行った予想とは裏腹にまだ刃が私を目掛けて飛んできた。

 いや、これはナイフじゃない。ロングソードだ。

 手にしていた剣すらも放り投げてくるのはさすがに意外過ぎた。

 私の僅かな隙にまさしく弾丸と言って良い切っ先が私を捉え、すでにそれは手の届くところまで迫っている。数キロある鉄塊が牙を剥いてそこにいた。

 これが二の矢だったのか!?


 全神経を集中し忍刀の腹で受け止める。

 片手では支えきれないと判断して左手の手のひらの付け根の部分を刀身に合わせた。

 

 ギィィィィンと金属の擦り合う不快な音が発生し、私が押される。

 質量的にこれはナイフや矢とは比べ物にならない。どちらかと言えば砲弾に近いだろう。

 無理な体勢だったせいかロングソード自体は防げたがよろめき後ろにたたらを踏んでしまう。

 鬼はその虚をついてくる。



「拍手は後ほど」



 空中で回る剣を上手くキャッチし、間髪入れずまた攻勢に出てきた。双眸の赤光が漲る。

 非常にしつこい。まだ時間や距離があるなら忍術やレベル制限を解いて何とかする手段もあったのに、これではその隙すらままならない。おそらくここまで休む間も無い連続攻撃は、敵に奥の手を使わせないための意図的なものだろう。

 身体能力では勝っているはずの私が老獪さと気迫に押されていく。

 


「はぁぁぁぁぁぁ!!」



 ならば正面からその企みは砕けばいい。気合を入れ直して捌き攻撃する回転数を上げる。


 一刀の元に斜めから斬り伏せようとしてくる速剣を、瞬きする間にすり抜けて背後を取ろうとすると、追尾するかのごとく後頭部へ剣が迫った。

 それをエビ反りで避け伸び切った腕に斬りつけると執事服の切れ端だけが割かれる。


 白刃の応酬にさらに熱が篭った。

 間断なく鉄と鉄が打ちつけられる快音が閑静な周辺に奏でられ、火花が軋り月明かりと建物からもれ出る光しか届かない薄暗いこの場所を仄かに明るくする。

 そして初めての鍔迫り合いになり硬直した。あっちの紅い瞳に私の黒い瞳が映る。



「この状態の私に互角かそれ以上とは脱帽ものです」


「こっちもここまでやるとは思わなかったわ。正直、舐めてたかもしれない」



 手札がいくつもある分、まだこっちには余裕がある。それでもこんなに拮抗されるとは夢にも思わなかった。

 ギリギリと噛み合った部分の刃が耳障りな音を鳴らしていく。

 ただし幸運にもこの硬直は私に分があったらしい。


 目を向けるとこっちの忍刀がバータルのロングソードに食い込もうとしていた。

 たぶん質の差だ。こっちのは無銘とは言え大和伝印の良刀で、対するは手入れもされていない飾られていた全身鎧に付属していた剣。そこに私たちの力が加われば装飾用の刀身が耐え切れなくなるのは当然だった。

 緊張に乾いた唇を舐め取りながら押し切る。



「しゃっ!」



 先に力勝負を止めたのあっち。

 引いた剣を無理やり首を刈り取る横一文字に振り抜いていくる。その斬撃を膝と腰を曲げ躱し、顔の数センチ傍を通っていくのを見計らってからかち上げると、横からのハイキックが飛んできた。それを体を捻り回転して避けその勢いのまま後ろ回し蹴りを放ったら戻した剣の柄で止められる。

 本来なら骨が砕くほどの攻撃と防御が混ざった神業の迎撃方法に舌を巻く。残念ながら私の頑丈な体はそんなものでは折れないし砕けない。


 このまま拮抗状態が続くと刃が折れると見越してあっちがニメートルほど後ろに下がる。

 詰め寄るのは今度はこっちの番、とばかりに踏み込むとバータルが足元の何かを蹴る動作をしてきた。

 


「うっそ!?」



 最初はただの小石かと勝手に勘違いしてしまったが、よくよくそれを見るとバータルが投げ地面に突き刺さっていたナイフだった。

 彼はなんと自分の投げた武器の位置を把握し、それを手で投げるのではなく足で持ち手部分を蹴り上げ攻撃手段として活用してきたのだった。


 面食らう私は対処が遅れそれを避けるのに一瞬だけ全神経を総動員する。



「はぁぁぁぁそこだっ!」

 


 ――その隙を見逃さす裂帛の気合の元、つま先を突き出し前蹴りをされた。


 当たれば骨ごと砕け内臓も潰れそうなその一撃も半身でギリギリ避け、がっちりスーツのズボン越しに足首を掴んで残った立っている足に鋭く足払いを掛ける。

 支える足が無くなったバータルはすっ転ぶがこれは半分わざとだった。自分から同じ方向に回転することで私の手を滑らせ拘束を外してくる。仕立ての良いスーツ生地は滑らかでつるりと手を離れた。

 そして自分が側面から地面に当たるのもお構いなしにロングソードを振り抜いてくる。

 強引が過ぎるでしょ。

 

 私は咄嗟に跳躍して避けたものの、力加減を間違え数メートル垂直ジャンプしてしまう。超人レベルの力を内包するというのは、調整が本当に難しい。

 真下では肩と頭を強かに打つバータルの姿が見えた。

 彼は痛みよりも優先してすぐに立ち上がって口角が上がった顔でこちら見上げてきた。

 どうやらやられたらしい。空中では私も動きようが無い。仕方なく手札を一枚切らされる。



「―【木遁】変わり身の術―」


「なにっ!?」



 浮いていて身動きが取れない私を横薙ぎしようと弧を描く剣がやってくる前に、変わり身で瞬間移動した。出現場所は彼の真後ろだ。

 まさか切り札を使わされることになるとは思いもしなかった。

 だけど成果はある。私の突然の消失により代わりに丸太を弾き飛ばし動きが硬直した無防備な背中しかない。後頭部でも殴れば気絶してくれるはずだ。

 一歩踏み出した瞬間――バータルと目を合った。


 まさか気付かれるとは思わず、きょどってしまう。



「前にいなければ後ろでしょう?」


「ふざけっ!」



 とんでもない戦闘勘に辟易しつつ、急回転して放ってくる鋭い一閃を膝を曲げ屈んで避ける。

 そこからふとももがパンパンになるぐらい筋肉を膨張させ立ち上がりながら真っ直ぐボディブローを一発入れた。

 背後にいることに気付かれたとは言うものの、あちらも咄嗟の判断だったようで踏み込みも浅かったのがラッキーだった。



「うらぁっ!」


「ぬぅぅぅっ!?」



 ちゃんとした姿勢でないとは言え、かなりの威力を備えたパンチだ。バータルは踏ん張るも靴で地面を滑りながら数メートルを後退する。

 さすがだ、倒れない。今の攻撃を食らって彼は苦しそうにするも、ロングソードを杖代わりにして意識を保って二本の足で立っていた。

 しかしながらここが詰めだ。



「悪いけど、寝ててもらうよ」



 未だ痛みで背を曲げるバータルに接近する。もう一発殴れば気絶してくれるはず。

 けれど彼はまだ隠し玉を持っていた。


 尖った爪が空気をたち切る。

 熱い痛みと共にピッと私の頬の皮膚が薄く一筋切れたのが分かった。

 


「ナイフが二つ名の尖爪だと思いましたか? 騙されてくれてありがとうございます」



 十センチぐらいだろうか、バータルの両手の爪が異様に伸びていた。

 軽そうな台詞とは裏腹に彼の顔は苦渋に満ちている。皺は呼吸と共に大きく波打ち大粒の汗があえて隠そうとしている彼の憔悴仕切っている状況を如実にこちらに伝えてきた。

 

 尖爪と名乗ればナイフから連想し、無手になれば相手が油断する。名乗りの時点から思惑に乗せられていた老獪さに尊敬の念を禁じ得ない。

 それと一緒に爪が伸びたことについては、相手が吸血鬼なら無くは無いだろうと勝手に納得する。


 でもこれでチェックメイトだ。これはきっとイタチの最後っ屁みたいなものだろう。これで私を倒せなかったのが運の尽き。

 それでも警戒をしつつ右手を振りかぶる。



「待て!! 俺の命はやるからバータルを殺さないでくれ!」



 それを止めたのは三階からこちらを見下ろすガルシアだった。

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