2章 11話 ガルシア商会からの刺客

「ちょっと待ちなさいよ!」


「話すことはなんもねぇよ」



 逃げるように去ろうとするアレンをみんなで慌てて追い掛ける。

 あの場ではさすがにあれ以上揉めるわけにはいかず、外に出てから真意を問いただすつもりだった。せめて理由ぐらいは聞かないと納得ができないからね。

 なのにアレンは話すことがないとばかりに部屋を出てからつかつかと一人で歩を進める。

 すでに兵舎はとっくに抜け出て路地に入っていた。

 


「待ってよ!」


「離してくれ!」


「きゃっ!?」



 伸びては縮こまってを繰り返し、躊躇する手でようやく後ろからアレンの袖を掴んだミーシャが振り払われて地面に尻餅をつく。

 メインストリートこそ石畳だけどそれ以外はまだ埃のある土の道だ。アレンは自分のしたことにしまったという顔を浮かべ、小さく「ごめん」と呟く。

 怪我そのものは大したことがないのですぐにミーシャが砂を払って立ち上がるが、どちらも言葉を見失いバツが悪そうだった。

 アレンの青みがかった瞳が動揺に揺れ足が止まったので、その間隙を逃さずにすかさず問い詰める。



「なに意地っ張りになってんのよ。拗ねてるの? スネちゃま?」


「スネちゃまってのは知らねぇが、んなことはねぇ。ここしばらく思ってたことを口にしただけだ。丁度良い機会だから離れてみるのも悪くねぇだろ」


 

 いつもならちゃんと突っ込み返してくれるのに、無駄にくそ真面目な面持ちを崩さず真剣な視線を返してきた。

 本気で怒っているとも思えないんだけど、その重苦しい雰囲気に調子の良い文句が出せない。



「私が悪いの? 私がアレンの指示を仰がなかったから?」


「そうじゃねぇって。今言ったが、たまには別行動もいいだろって思っただけだ」



 悔いるオリビアさんにアレンは振り返り、苛立ちを吐き捨てるように言う。

 けれどその理由は納得できるものではない。

 みんな想いが空回りしてだんだんと語気が強くなってきていて、一触即発の危うい雰囲気も漂ってきた。



「ずっと一緒にやってきたじゃん! なんで今なのよ。あの日、子供のとき喧嘩した後に『気が済むまでずっと一緒にいてやる』って言ったじゃない!」


「子供の頃の話をいつまで引きずってんだよ」


「そんな……」



 ミーシャも悲しげに引きとめようとするがアレンの心には響かないようだった。それどころか、自分が大切に思っていた思い出が打ち砕かれ唇をわなわなと震わせる。

 アレンの顔を窺うが考えていることが読めない。まさか本当に怖気づいているとか逆ギレしたわけじゃないと思うんだけど。

 とにかく居心地が悪い。こんなのは嫌だ。このパーティーにこんな殺伐とした雰囲気は似合わない。

 でもその前にまずは言うことがある。



「アレン、ミーシャに謝って。今のはきっとミーシャにとって大切なことだよ」



 おそらく今二人が話しているのはこの間、アレンが語ったミーシャを孤独から救い立ち直らせたときのことなんだと思う。特にミーシャにとっては思い出深いエピソードのはずだ。それを否定するなんて許せない。

 なのにアレンは睨みつけるようにこちらを見据えてきた。



「……そういうとこだよ! また俺が悪者かよ!? 子供のときの話しなんて真に受けていつまで信じてるつもりなんだ? 俺は縛りつけられるんじゃなくて解放されていいって言ってんだよ。……大事にするもんはもっと他にあるだろ。しばらく俺に構うな」



 まるでその頃の子供に戻ったみたいにアレン自身が喚き、一方的に言いたいことをまくし立てる。

 むっときて言い返そうとしたのに勝手に踵を返して足早に去ろうとする。



「アレン!」



 名前を呼んでももう止まらない。

 私たちはその後姿を呆然と見つめているだけしかできなかった。

 

 アレンと宿屋で温泉に入るために別れてたった数時間だ。

 私たちがお風呂に入って盗難騒ぎがあって、アレンが捕まったことを知って留置場で再会するまでその程度の時間しか経ってない。

 なのにその間にありえないほど事態が変わってしまっていた。戸惑いや疑念が包み込んで離さない。

 残された二人を見やると俯いて後悔しているようだった。



「私が悪かったのかしら? 意地になってしまって。きっとアレンなら立ち直ってくれると信じたんだけど」


「そうじゃないと思う。本当に怖いだけなら意地でも依頼は受けなかったはず。分からないけど」 

 


 オリビアさんをフォローする私の声も少し自信を失っている。

 勝手に分かった気になっていたけど、そもそも出会ってからまだ二ヶ月も経っておらず、そうした事実がこびりついて離れないからだ。

 私は勝手にアレンや彼女たちのことを知った気になっていただけなんだろうか?



「ごめん、やっぱりあたしは行くわ。考えても仕方ない。アレンを追い掛けてもっと話を訊く。いい?」



 その性格からか、悩む私たちと違ってミーシャの出した結論は直接的で、竹を割ったようなものだった。

 さっきまでかなりショックを受けていたのにもう立ち直っているのはすごいね。

 ただオリビアさんの方はすぐにそういう気にはなれないようで、私が頷くとミーシャだけ先行してアレンを追う形となった。

 彼女の姿が見えなくなってオリビアさんと二人きりになってふと思う。



「そういえばこんなにバラバラになったことってあんまりなかったね」



 たいてい旅の間もみんな一緒に行動することが多い。

 自由時間みたいなのもあってそういう場合は一時的に一人になることはあったけど、今は気持ちも散り散りになっている感じだ。



「バラバラ……」


「あー! ごめんなさい。今のなし! バラバラじゃなくて、えーとガラガラ。そう! 全然人いないからさ! ここガラガラだよね」



 悲壮感のある顔でそこを拾われると失言してしまったことに気付いた。 

 今にも青ざめ倒れそうな彼女を前に咄嗟に否定をする。



「……そうね、確かにさっきから人が全然通らないね」


「うん、だよね~。……ん?」



 自分で言ったことだったけど、違和感があった。

 本当にそうだ。メインストリートってわけじゃないけど路地裏でもないのになぜこの道にさっきから人が通らない? アレンとのいざこざで今の今まで気が回らなかった。

 通りにある店を見るもまだ日も落ちてもないのに不自然に閉店している。

 記憶を辿るとさっき留置所に向う途中にこの道を通ったときは開いていたはずだ。

 大掛かりな手品でも食らったような奇妙な気分になった。


 そうしていると、そこら中から人相の悪い男たちがぞろぞろと蟻のように姿を現し始める。

 手には剣やら棒切れやらであまりにも異様な光景だった。そいつらは私たちを取り囲むように集まってきてあっという間に道が塞がれた。

 もしかしてここって今からヤンキーの果し合い会場だったりする? お馬鹿な疑問が過ぎる。

  

 ざっと数えて挟まれた人数は五十人以上ってところ。

 ほとんどがゴロツキあがりといった感じで、中には皮鎧などそれなりの装備をしているのも混じっていた。


 壁に背中を向けオリビアさんを守るように警戒すると、代表者が鷹揚に前に出てくる。

 年齢は二十代前半、今集まっている男たちの中では比較的若い感じ。

 身なりは執事服というやつでこれだけであからさまに浮いているのだけど、さらに異様なのはシックなその服装に似合わずギラつく相貌は野生味が溢れていることで、どちらかというと服は無理やり着させられているみたいなチグハグの印象を受けることだった。

 


「そのクソおかしな黒装束とシスター服、アレンとかいう冒険者の仲間で間違いねぇな?」


「あんた誰? デートのお誘いならお断りしたいんだけど」


 大勢で囲んだ上に出し抜けにそんな質問をされて、はいそうです、とまともに答える気になれないのではぐらかしてやった。

 服に着せられてるやつにおかしなとか言われるのは心外だわ。



「俺は『赤涙のツォン』。『ガルシア商会』の者だ。シクヨロォ!!」


「ガルシア?」



 名乗る声は無駄にでかくてウザい。胸を反らしてこちらを捉える双眸は自分に自信に満ち溢れているような印象だ。

 お前は昭和の不良か。なんだか、本当に暴走族の総長っぽく見えてきた。


 オリビアさんに目配せをしたが彼女も知らないようで首を横に振る。

 私たちのその様子に露骨にむっと不快感が現れ、ツォンと名乗る男の太い眉毛がひそまった。



「ガルシア商会を知らないだと!? このクソよそ者どもが! てめぇらはさっきのアレンとかいう冒険者を捕まえる人質になってもらうんだよ」


「人質?」


「そうだ、用があるのはあいつだけだ。てめぇらにはあいつが簡単に言うことを聞くよう拘束させてもらう。天恵持ちはクソ厄介だからな」


「いや、全然意味不明なんですけど?」



 まともに説明する気がないのか、さっぱり意図が読めない。アレン捕まえて何しようってんだか。

 てか、兵士宿舎からそんなに離れてないのにこいつら馬鹿じゃないの。

 こんなところでこれだけ大騒ぎしたらすぐに兵士たちが駆け付けてきそうなもんだろうよ。



「いちいち解説する必要はねぇってんだよっ! 大人しくしていればお前らは無傷で解放してやる。ただしあいつだけはすぐには返せないだろうがな」


「アレンに何をするつもり!?」



 後ろからオリビアさんが吠える。

 今はアレンと不和が生まれてしまっているが、別段嫌いになったとかそういうわけじゃない。心配して当然だった。



「俺らも別に無駄に痛めつけるつもりはねぇ。あいつが快く協力してくれるなら怪我をさせるつもりはねぇからよ、だからてめぇらも暴れんなよ」


「だから全然言ってることが分からないんだってば。アレン捕まえて何したいの?」


「ならクソ面倒くせぇけどこっちももう一度言うぜ。それを答える必要はねぇ。それよりこの人数を認識できてねぇのか? 教えてやるが、ただの喧嘩自慢だけでなくランク3の冒険者も連れてきている。ここのギルド長は金さえ払えば何でも許可してくれるからよ。従わないのなら手荒な真似をして連れて行くことになるだけだぞ。手間掛けさせんなよ」



 ツォンは居丈高に周りの仲間たちに視線を送った。

 一瞥すると彼の手下共が馬鹿みたいに立って凄んだりヘラヘラと笑ったりしている。

 

 数の暴力と言うが、これだけの人数から見られるだけで普通ならぞっとするようなプレッシャーものだろう。しかもそれが悪意や敵意のみであればなおさら。

 男たちは数の優勢を知って場の雰囲気に酔っているのか、一抹の罪悪感すら抱かないらしい。その目に映るのは虐げようとする者特有の下卑た光だ。


 でもね、私にはそんなの通用しない。

 急に現れて勝手に自分の都合を押し付けてくるようなそんな存在に抗う力が私にはあるんだ。だから男たちに対して正常な怒りしか湧かない。



「だからなに? 男一人捕まえるのに女人質にしないとできない‘ヘタレ’が百人いようが千人いようが問題ないわ。私たちをどうにかしたいなら鏡を見て来世に期待して出直してきなさい」


「てめぇっ! こちらが温情を掛けてやってるのに付け上がるなよ!! 弱ぇやつは頭下げて媚を売ればいいんだ、喧嘩売るなら踏み倒すぞ?」


「温情? はぁ? 何言ってんのアホなの? いきなり出てきて上から目線で女の子拉致しようとしてる人間がどの口でそんな言葉使ってんの? アレンも馬鹿だけど、それ未満がいたとは驚きだわ。何とか商会って相当頭の悪そうな商会なのね?」


「ここここ、この野郎……」



 私の軽い挑発にいたくプライドを傷つけられたのか、分かりやすく激高するのが見て取れた。

 これ以上、問答の必要はないと判断したのだろう、



「……もういい、やっちまえ!!」



 唾が飛ぶ号令の元、囲んでいた人の波が雄叫びと共に一気に押し寄せる。

 前方と後方から一斉にだ。閑静な場所に数十人規模の靴音と掛け声が暴力的なまでの騒音となって響き渡る。


 十数秒あれば足の踏み場もない大乱戦が予想できた。圧倒的なまでの数の劣勢。

 手数というのは厄介だ。仮に腕が立ち一対一であれば全員を倒せるほどの実力があっても、この人数を同時に処理するのはまず不可能と言えるだろう。それは私にも言えることで、自分一人ならなんとでもなるが、いくら私でも相手の命を奪わないよう手加減したままではオリビアさんまでを守りきることは困難だった。

 オリビアさんを巻き込む忍術は使えないし、この身一つでは四方八方迫る手から守りきれない。 

 かと言って、ここで惨殺劇を繰り広げるのも間違っている。だから適切な忍術を選択するしかない。

 

 ウィンドウに指を滑らせ素早くタップをさせる。他人から見たらそれは指で魔方陣でも描いているように見えたかもしれない。

 ほんの少しだけ警戒の色を見せるが、彼らの足が止まるほどではない。 

 もちろん悪漢たちが致命的な間合いに達するまでにこの動作は完了する。



「―【闇遁あんとん別身分身わけみぶんしんの術―」



 発動と同時に私の影が割かれたように四つに別れた。

 黒い影は私の周囲に散らばり、何も無かった地面から立体的な実像を持ってぬるりと当たり前のように実体化していった。

 シルエットは私そのもの。ただし、顔や服装は全て深遠なる漆黒ののっぺらぼう。


 これは私のレベルを人数で割って生まれた自動的に敵を判別して戦ってくれる分身だ。

 つまり一体召還のみならレベル百が生成され、四体召還ならレベル二十五ずつ分配される。

 一定ダメージか、三分という短い時間で消えてしまうのでボス戦では効率が悪く数が多い雑魚狩りにおいて使いやすい忍術だが、今がその雑魚狩りだ。何も遠慮することはない。

 一対五十では護衛は無理でも、五体五十なら余裕でなんとでもなる!


 いきなり召喚された表情の輪郭もないような黒塗りの物体に、さしもの男たちも一様に驚愕に目を見開き、底知れぬそれらに対して恐怖を感じ足を止めた。

 中には勢いがつきすぎて後ろから押されて転ぶまぬけもいる。

 対照的にオリビアさんも意表を突かれてはいたけど、どっちかって言うと「うわーまた変なの出てきたー」という感じで戸惑いの方が大きい。

 私が言うことじゃないけどだいぶ毒されてきてるね。



「て、てめぇ! なんなんだそれは!?」



 明らかに異質。この世界の魔術ではお目に掛かれないだろう忍術を目の前にして男たちは我を忘れて錯乱一歩手前に陥っていた。

 


「なに、ってあんたらを倒すために呼び出したの。覚悟しなさい、私こう見えて今けっこうストレス溜まってんのよ」


「ふざけんなっ! お前、何者だ!?」


「うるさいわね。やっちゃって!」



 その言葉を皮切りに四つの影が二方向に走る。顔のパーツすら無い黒の人形たちは虚ろではなく意思を持っているかのごとく有象無象の群れを強襲する。

 便宜上、A、B、C、Dということにするが、彼ら、いや彼女らは、AとBが私の前方に、そしてCとDが後方にという按配に別れた。

 基本的に攻撃は『お任せ』で自動にやってくれる。ただAIには簡単な『目標』『攻撃方法』『スタンス』などパターンのコマンド指示が出せた。私が設定したのは『スタンス』の『不殺』だけであとは『お任せ』。『不殺』は倒してはいけない敵用に使うものでおそらくここでもしっかりと機能してくれるだろう。


 オートでも彼女らの戦法は利に適っていた。

 一人が中央から派手に突破し大立ち回りで注意を向けさせ、そしてバディを組んだもう一人が意識が薄くなったところを狩り取っていくというものだ。

 

 分身たちは私と同じ形状の黒い短刀を左手に持ちそれは攻撃を捌くために使い、打撃だけで頭一~二つ分は大きい男たちを中身が入っていないのではないかと勘違いするほどに吹っ飛ばしていく。

 時には鈍重なタックルを宙返りで避け肩や顔を踏みつけ文字通り足蹴にしていた。

 どす汚い罵声や悲鳴が上がりぱっと見て地獄絵図だ。



「う、嘘だろこれ。めちゃくちゃ強ぇぞ……!」



 何十という肉壁があっても彼女たちは動きを止めない。

 不器用な人が小さな蚊や小動物に弄ばれるかのように、するりとその手や攻撃を避けて僅かな隙間へと身を翻していった。

 その隙間が無い場合は、上に逃げたり力づくで道をこじ開けたりと随分強引な動きもする。

 レベル二十五に設定されているので数人掛かりで押さえつけられたらまずいが、その代わり【忍者】の私の分身なのでスピードには大人と子供ぐらいの差があった。黒い疾風となり縦横無尽で暴れまくり一欠けらの不安もない。

 ほとんどのヘイトが分身たちに集まり、それでも加減のため多少の時間は掛かりそうだったが、次々と落伍者が続出し私は棒立ちで見ているだけでもそのうち決着しそうだった。


 ――乱入が無ければ。



「ちっ!」


 

 ツォンは大きく舌打ちをし、彼女らに向っていく。ちょうど一番近くで背中を向けていた分身Aに向って強烈に蹴り上げる。

 分身Aはそれを反射的に避け、続けて繰り出される拳を弾き、捌いて避ける。

 

 さすがに大勢を率いているだけあって他とは違い実力はそれなりにあるようだ。

 若干分身が押され気味にすら見える。

 しかしながら暴風のような拳を処理し、さらには横からの側頭部を刈り取るようなハイキックを受け止めると、分身Aはその隙にがら空きになった右側面から拳を殴りつけ反撃した。

 頬の肉と骨が陥没するようにヘコむ。そこら中に転がっている程度の人間ならこれでノックアウトだろう。

 だというのにツォンは倒れず、まだある意識で無理やり分身Aの腕を掴んで拘束しようとしてきた。


 作戦としては悪くない。スピードで敵わなくても力なら人数的に力を合わせて捕まえることは可能なのだから。


 ただそれは叶わない。

 分身Aは一度後ろに引き掴まれている腕を下に下ろされた。

 ツォンの腰が浮く中、できたスペースを左足を踏み出し一気に詰める。同時に両腕を上に引き上げ、すぐさま右足をツォンの太ももに当てそのまま背中から倒れ込んだ。

 ツォンはされるがままに頭から一回転し地面に背中から叩き付けられた。

 ――巴投げだ。


 

「やっるぅ!」



 そこまでの体術があるとは思っておらず、そしてあまりにも鮮やかに決まって見惚れてしまいそうだった。 



「ツォン!」


「お頭!」



 幾人かは彼の醜態に心配そうな声を掛けるが、よほどタフなのかツォンはふらふらになりながらも手で地面をついて立ち上がる。



「ぐっ、くそぉ」



 それで何をするかと思えば愚直にまた分身Aを抑えようとする。

 それに対して分身Aはまた巴投げを敢行した。

 さっきまでの焼きまわしだと思ったら、それは私の勘違いだったらしい。

 今度投げ飛ばされたはずのツォンは地面ではなく空中に浮いていた。



「え?」



 と目を丸くしている間に、分身Bが駆け抜けてきて空に投げ出されている彼に痛烈に飛び蹴りを決める。

 綺麗なツープラトン技に痛そうな呻き声が聞こえ、そしてすごい勢いでツォンが近くの民家へと激突した。

 壁が薄かったのか分身Bがやりすぎたのか鈍い音と共に壁が崩壊しツォンは仰向けに転がり動かない。

 

 分身だから仕方無いけどここまで掛け声とかもなしで淡々とよくやるよ。絵面が完全に悪役だわ。

 

 その分身たちは一瞥だけするとすぐさま殲滅作業を再開する。

 男たちの方はもうこの光景に固まっていた。

 そりゃそうだろう、人数でもやられ、リーダー格もこんなありさまなのだから。


 しかし完全に想定外だったのは、そのリーダーだった。



「うおおおおおおおおおぉぉぉぉぉ!! だらっしゃああ!!」



 てっきり気絶でもしていると思ったツォンは騒音レベルの吠え声を叫び立ち上がる。

 その声音には憤怒の色がありありと絡みついていた。


 いやそれはまぁいい、あからさまにおかしいのはその両目。瞳は赤く充血しまるで病気にでも患っているかのようだった。頭から打ったからその怪我が目に入った可能性もあるが、それにしても異様さが際立っている。



「こんのクソ野郎おおおおおおおっ!!!」



 埃を頭を振って強引に払いツォンは誰かが落とした足元の棍棒を拾うと、またもや敵を処理中の分身Aに脇目も振らず接敵する。

 何と言うか獣だ。訓練された猟犬ではなく、野生の底知れない凄みがあった。

 分身Aは短刀を手にその棍棒の一撃を正面から受け止めようとする。

 もちろんこの状況からそれは特段問題の無い行為だったはずだ。しかし、予想に反して彼女は数メートル以上をまるで意趣返しだと言わんばかりに軽々と宙を舞って飛ばされることになる。



『……!』



 風を巻くような強烈な攻撃に、野球のボールのように打たれて、続く先は反対側の民家の壁だった。

 それを空中で器用に回転し壁に足を付け三角飛びの要領で何事も無かったかのように膝を曲げて着地する。

 顔を上げると表情が無いのに彼女のツォンに対する敵対優先度が上がったのが何となく分かった。



「いやっほー!」「さすがお頭だぜ!」「あの女たちぶち殺しましょうぜ!!」「よしこっから反撃すっぞ!」



 それを見てここまで蹂躙されるだけだった男たちにやや喜色が戻る。

 ダメージがあった訳じゃないけど、それでもようやく初めてのヒットだ。何とかなると勘違いするのも無理はない。


 弾かれた矢のように速攻で分身Aは反撃を開始するため四つんばいの獣みたいに身を低くして駆け出す。



「待って!」



 それを止めたのは私だ。



「そいつは私がやるわ。雑魚をお願い」



 微かに頭が縦に動き、分身Aはまた集団へと攻撃を再開した。

 さっきまでの男たちの怒声や罵声が一転、悲壮な感情と声が木霊する。

 ツォンは逡巡したようだったが、親玉が私だと悟ったのか具合を確かめるように一回大きく棍棒を振り直した。



「あれが何なのかは分からねぇが、てめぇを倒せば済みそうだな?」


「かもね? それよりあんたそこそこやるわね」



 私の分身に攻撃を入れ、そして私と同じ程度の体重だとしても人間を軽々と放れるほどの力は普通ではない。



「あぁ。さっきてめぇらを大人しくさせるためにランク3がどうこう言ったが、俺からしたらランク3の冒険者なんてそこら辺のガキと大差ない。これでもここの裏界隈ではかなり有名なんだが?」


「知らないわ」


「そうだよ――な!!」



 彼が出し抜けにしたのは、手に持っていた棍棒をこちらに投げつけることだった。

 ひゅんひゅんと風を切って回転して近付くそれは私の分身を飛ばすほどの力で投擲されたものだ。一般人なら当たれば骨折どころか当たった衝撃だけで命を失しかねない速度と威力を秘めている。

 だけど私にかかれば予定調和でしかない。あえて取らずに横に一歩ズレて半身を引いて避ける。

 すぐに後ろから男のカエルが潰れたような声がしたが気にしない。

 ツォンがすでにこっちに肉薄していたからだ。


 彼の打撃は自分でも受けてみたがその一発一発が重く、明らかに人間の限界を越えている威力をしていた。

 格下であろうと油断はできない。実力を測るために愚直に拳打には拳打で受けた。

 狙いはかなり適当。見た感じそのままなのか、頭に血が昇っているせいなのか、技術などない粗野で乱暴なラッシュだ。ただ一般人なら一発だって耐え切れないだろう。私が渡り合えているのはもちろんこのアバターの力のおかげだ。

 その徒手空拳のやり取りの最中、私がぎょっとした瞬間に、彼は距離を取り後退する。


 私が狼狽した原因、それはツォンのまぶたからまるで血の涙のようなものが一筋垂れていたことだ。

 彼は無造作に服の袖で拭く。

 まさかゴミが目に入って充血したとかそんな間抜けな話じゃないよね。高そうな服なのに血が付いて台無しだよ。



「それがさっき言ってた赤涙ってやつ?」


「……そうだ。ちょっと異常体質でな、本気になると目が真っ赤になる。血の涙は一歩手前の合図みたいなもんだ。クソうぜぇじじいから赤目にはなるなと言われてんだがよ」


「ふーん、何を出し惜しみしているのか知らないけど、あんたにそんな余裕あるとは思えないんだけど?」



 顔を横に振って状況把握を促す。もうこれだけの間に軽く五十人以上いた男たちは半数以下にまで陥っていた。

 数十人規模の熱気に熱くなっていた空気も徐々に暗く湿りを帯び、喧騒も今や単発的に寂しいもので、軍隊なら全滅判定で即時撤退ものだろう。

 ツォンはそれに気付いて悔しそうにほぞを噛む。

 そして荒々しく感情を吐き捨てるように叫び、上目遣いで鋭くこちらを睨み付けた。



「クソがっ! もういい面倒くせぇ!! 俺の攻撃をまともに受けきれたのはすごかったけどよ、半端に実力があったことをクソ後悔しろよ」


 

 それが本気の合図だったらしい。

 微かに迷っていた気持ちも振り切ったらしく腹は決まったようだ。

 まだギリギリ充血と言い張れた瞳は人外を思わせるどこか美しく蟲惑的な真紅の色へと変貌していった。それにつれて雰囲気もどこか奇怪さが出てくる。

 そして私は見た。獰猛に口の端を上げる歯が鋭く尖っていることを。


 血のように深い瞳に、人間の柔肌ぐらい切り裂けそうな犬歯。

 これはもう――吸血鬼を連想する他なかった。


 問い詰めたいことは山ほど出て来た。

 だから、

 


「ぶっ潰して全部吐かせてやるわ!」



 激突が火蓋を切る。

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