2章 5話 爆発は突然に
『ちかいよー』
車輪の忙しない音と風を切るうるさい音、それに大地震が起きているんじゃないかというほどの振動にも負けず、器用に私の頭に乗っかる豆太郎が注意を促してくれる。
顔を向けるとすぐに馬車が立ち往生しているのと、その道の脇に座っている小太りの司祭らしい男が目に入った。
繋がっているはずの馬は助けを求めてきたおっさんが村まで乗ってきたのでいない。
おっさんの服の袖には斬られたみたいなかぎ裂きの跡があり、血で赤く染まっているのが目に付く。
彼はこっちに気が付くと重い腰を上げるように立ち上がった。
「アレン、止めて!」
「分かってる!」
手綱を握っているアレンに後ろから大きく声を掛けた。
かなり急がせた馬は手綱を通して彼のストップして欲しいとう意志が伝わり、嘶きながらゆっくりと速度を落としながら止まる。
それからすっと地面に着地した私は、後ろの荷台で敗残兵のようにぐったりとしている仲間たちにやれやれと顔を振って嘆息を吐いた。
「はぁ……だらしない」
「あ、あんただけ何でそんなに元気なのよ……。こ、腰が、頭がががががが」
「私もけっこう……きついわぁ……うぷ……」
急遽、聖女さんを助けるために編成された私たち&ハイディお姉さん一行は、荷馬車を借りての強行軍となってここまで来たのだ。
私たちが使う馬車では幌付きであまり速度が出ないので、農家で使う荷馬車を一セット借りた。人を乗せることを目的としていない造りだったので揺れが半端なく、三十分ぐらい駆けてきたけど普通の人なら内臓も脳みそもやられるレベルだ。
良かれと思って土蜘蛛姫戦で実績のある丸薬を馬に食べさせたのが原因だろう。ちょっぴり予想外なほどに休むことなく爆走してここまで相当なスピードで来れたのだ。
敏捷を上げるのと迷ったけど、私たちを運ばないといけないから力が上がる方にした。結果、速度も上がったし間違えてはなかったんじゃないかな。
吐きそうなのは分かるけど、ゲロインはやめてね。
ちなみにお付きのひょろいおじさんは、村を出てかなり最初の段階で振り落とされたので放っておいた。
あいつは置いてきた。この戦いには付いて来れないと思ったからな!
「あまり気持ちいいものではなかったわね……」
ハイディさん的にもここで恩を売っておきたいらしく同行を願い出てきたのだが、こんなひどいものになるとは思っていなかったらしい。
ミーシャたちよりはマシだけど顔色は悪かった。
今彼女は自分の身長よりも圧倒的に長い、ニメートル半ぐらいの飾り気の無い
「お前たちが――いや、あなた方が援軍ですか?」
待ちわびた援軍が私たちだと知って驚きを隠せないのか、司祭だと名乗っていた彼は失言っぽいことをもらす。でもすぐに気付いたのか、動揺しながら取り繕った。
このおっさん、素になってなかった? 今はいちいち突っ込まないけど覚えておくよ、こういうの。
「ええ、そうです。何か不都合でも?」
「いえ、その、ややお若く見えたので」
「一見若く見えるかもしれませんけど……その通り、フレッシュな平均十代です」
ハイディさんの年齢は知らないけどいっても二十代半ばぐらいだろうし、細かいことはどうでもいい。
それよりも私の嫌味に露骨にしかめっ面をするおっさん。
心情的に余裕が無いのか、昨日とは打って変わって化けの皮が薄くなってきてるようだ。
「けれど実力は期待してくださって結構ですよぉ? 私と彼らはランク3ですし、彼女に至ってはランク4だそうですからぁ。この軽口も彼女らにとっては朝飯前だからと受け取ってくださいな」
ハイディさんの補足が入る。さすが大人だ、良いフォローをしてくれる。
彼女の言葉とランクという一定の信頼がある情報に一応の納得はしたのかおっさんは頷いた。
「……分かりました。あなた方を信じましょう。聖女様を助けて頂けますようお願いします」
「確か、いきなり襲われて聖女様がさらわれたと聞き及んでいますがぁ?」
「ええ、ここまでやってきたときに突然音の鳴る矢のようなものを射かけられまして、暴れる馬を抑えている内に聖女様を拉致されました。私は抵抗したときに剣で斬られて動けなかったので、世話係りに村まで助けを呼びに行かせましたが。そういえば彼は?」
「ええっと、消耗しきっていたので村で休ませてありますわぁ」
まさか途中で落っことしたとは言えず、ハイディさんは目を泳がせた。
にしても、音が鳴る矢ねぇ……。
「それで、その誘拐犯の人数は? 目的は身代金? ただの山賊?」
「お恥ずかしいことながら、人数は一人。目的は分かりません。特にこちらに要求することはありませんでした」
てっきり聖女だと知っての誘拐だと思い込んでたけど、要求が無いのはこれは誰でも良かった系? でも反抗が一人だけっていうのも少し不自然だ。旅人を襲うような盗賊は複数人で徒党を組むっていう固定概念が崩れた。
連れて行くぐらいだから直ちに命の危険は無いと思いたいけど、なにやらすっきりしない。
「犯人の見た目は?」
「覆面をしていたのでハッキリとはしませんが、中年以上の男だと思います。嫌がる聖女様を刃物で脅して森に入っていきました」
指差す方向は木々に阻まれ奥までは見れない。いくら人を連れているとはいえ、すでに小一時間は経っていてここから探すとなると厄介だ。ただ一つ気付いたことがあった。
ここって昨日の朝までいた野営地の割とすぐ近くじゃない? ということ。
続く道を眺めると特徴的な地形だったので何となく覚えている。
「とりあえず行くしかないね」
「ええ、もちろん!」
会話をしている内に息を整えたオリビアさんたちを見渡す。
彼女たちも一様に頷いてくれた。
じゃ、山狩り捜索やりますか。
「そうだ、何か聖女さんの持ち物ありませんか? 手で持てるぐらいのがいいんですが」
と言っても闇雲にこんな山の中を歩き回る気はない。
私の突然の振りにおっさんは目を丸くしながら答える。
「それならハンカチがありますが、一体何に使うんです?」
そりゃもちろん、
『まかせてー』
私の相棒は頼りになるんですよ。
□ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■
聖女のハンカチを元に匂いを追う豆太郎を先頭に、私たちは山道を練り歩く。
この世界、森と山ばっかりな気がする。ただそもそも私が転移した場所が東の山脈地帯の近くらしい。それに温泉は活火山のふもとっていうイメージがあるので仕方ないのかもしれない。
「そういや非常事態で報酬決めてなかったけどいいのかな? 最悪タダ働きになるかも」
あまり時間が無くゆっくりとそのあたりについて話をすることができなかった。
もし後から「いや報酬なんて決めてませんから」とか言われたらどうしようもない。っていうかあのおっさんなら言いそう。
だからそのことについて疑問を投げかける。
「別にいいんじゃね? あんま金持ってるように見えなかったし、教会関係にそこまで期待してねぇよ」
「お姉さんも縁繋ぎだと思ってるし、そこまで要求するつもりはないわぁ」
どっちもお人好しだわ。嫌いじゃないけど。
ハイディさんは槍が長過ぎて枝に引っ掛かるので、斜めにして穂先を器用に振って歩いていた。
「あれ? あの人らって教会関係なの?」
「宿で初めて会ったときに司祭って言ってたでしょ?」
飛び出た枝を押し退けながら、後ろの自前の弓を担いだミーシャが声を掛けてくる。
「あぁそういえば司祭ペルローニ? とか言ってたっけ」
「教会っていうのは女神リィム様を信奉する『リィム教』のことね。その教えは万民を救済するもの。だからお金があったら炊き出しや孤児院を作るのに使うのでそんなに裕福な団体ではないわ」
今度はオリビアさんだ。確か彼女も村の教会で魔術を習ったとかいう経歴だったはずで、この中で一番教会に詳しい。
「へぇ、けっこう本のお話の中だと、教会って不正を働いてるっていう印象が強いんだけど」
「一体どこのかしら?」
さすがに本の話とはいえ
すみません、ライトノベルです! 私が読んでた本ではお布施いっぱい横取りして私腹を肥やす人が多いんです!
私が惚けるように首を傾げると彼女は咳払いを一つしてから説明を続ける。
「それはともかく、リィム教はどこにでもあるわ。人々に慎ましく生きることと、助け合うことを教え、怪我や病気をしたときに魔術や薬草で助ける。さすがに村一つ一つにあるほどじゃないけど、人々の信頼は厚くてその影響力は絶大ね」
「ふぅん、その司祭が連れているということは、もう聖女ってリィム教公認になったってことかな?」
大和伝プレイヤーなら正直あまり目立って欲しくはない。
そりゃその人の勝手だろうけど、その結果こっちにまで影響して注目されるのは困るし。
「どうかしらねぇ。公認ならもっと話題になってもおかしくないはずだし、ひょっとしたら公認にするために神都に連れて行く途中かもしれないわね」
それならありえる……か? わざわざ快適そうな温泉街から離れたのは、情報の集まりそうな神都とやらに行ってそこで私みたいに他のプレイヤーの噂を集める目的があったと考えれば辻褄は合うかな?
「まぁ教会だって良い噂ばっかりじゃないけどな」
「何かあるの?」
「ほとんどゴシップに近いが、裏では暗殺もやってるなんてのもある」
「だからそれはやっかみよ。教会がそんなことするはずないじゃない。確かに
配慮が無いアレンの言い方にオリビアさんがすかさず否定した。
自分がお世話になったところが暗殺組織だってほのめかされたら怒ってもやむをえない。
だからこの反応は分かる。
「ま、まぁ教会のことはもういいわ。今は犯人のことよね」
ただあまりこれ以上話を広げると、オリビアさんの温度が熱くなりそうだったので話題を変えた。
そういえばさっきからハイディ姉さんがしゃべってないな。
「何?」
「いえ、ずっと黙ってるなっておかしいな思って」
「うーん、お姉さんは人質を取り戻しに行くのに雑談している方がおかしい気がするわねぇ」
じっと見つめたらそんな答えが返ってきた。
ごもっとも過ぎてぐうの音も出ない。アレンたちももう豆太郎センサーを信頼しきってるから緩んでるんだよねぇ。
「まぁもし人が近くにいたら豆太郎が察知してくれますから」
「へぇ? 以心伝心なのね?」
興味深そうな視線を向けられドキっとしてしまった。
しまった、要らないこと言ってしまったかな。普通は動物をそこまで信頼しないよね。
これは誤魔化すしかないな。
「えぇ可愛くて便りになる相棒なんです」
「確かに小さくて可愛いわね。犬にも色々種類あるけれど、こんな子、見たことなかったわぁ」
そりゃそうだ。たぶんこの世界にはいない犬種だもの。
尻尾をふりふりする豆太郎に視線を移すと、歩きながら首をこっちに向ける。
『あーちゃん、もうすぐだよ~』
そろそろらしい。
やがてすぐに板張りの猟師小屋が見えた。
ところが、その直前で豆太郎の足が止まる。
「どうしたの?」
『あーちゃん、これ』
豆太郎が前足で指し示すのは私のすね辺りにピンと張った緑色のやや太い糸だった。
ちょうど草に隠れてかなり分かりづらくなるように細工が施されている。
あれ、これってまさか……。
「何やってんだ、あそこに人質がいるんだろう?」
「あ、バカ――」
「え?」
無警戒のアレンがその糸を踏んでしまう。
途端、何かが作動した音がした。
すぐさま忍刀を抜き、集中して目を皿のように周囲を見渡す。
予想通り、それに連動して木々の間から矢が放たれた。
それも左右から同時にニ本だ。
「どいて!」
「ぐぇっ!」
むんずとアレンの襟首を掴んで無理やり後ろに下がらせる。
ニ本の矢の高さはちょうど糸が張ってあった膝下の高さと同じぐらい。
アレンを移動させたことで危険が無くなったんだけど、矢が交差する瞬間を狙って刀を振り下ろす。
絶妙のタイミングで上から斬られた矢は、小気味良い音を立ててニ本とも真っ二つに折れて散らばった。
正直、気付くのが遅かったらニ方向から来るのが読めず、片方を止めるだけしかできなかったろう。
「やるわね。……これは罠かしら? 誘拐犯人が設置した?」
ハイディさんが折れた矢を摘んで持ち上げ見分する。
その矢には見覚えがあり思わず私は息を呑んだ。
それは和弓に使われる独特の矢で、本体自体は矢竹と呼ばれる竹を用いられ、その矢尻には回転し殺傷力を高めるために三枚羽があしらわれている。
ぞっとした。
間違いでなければ、大和伝の職業の一つ【猟師】が使う矢だからだ。
猟師はいわゆる弓矢を使用するアーチャー的な役割と、罠を仕掛けるレンジャー的な要素がある遠距離物理職で、的確にモンスターの弱点を射抜くことができる。
ここにこの罠があるってことは、聖女をさらったのはひょっとして別の大和伝プレイヤーってこと? でも誘拐する理由が分からない。それこそ普通に話し合えばいいだけのはず。
最悪、本当に最悪のパターンの話だけど、猟師のプレイヤーが悪者だった場合――
まさかの出来事に頭が混乱してきて痛くなってきた。
「かなり低い位置に設置してるんで狩猟用か、もしくは足だけを狙ってこれ以上来るなという警告かも。どっちにしろ聖女を誘拐したやつがこの罠に掛かっていないってことは、設置したのはそいつだろうね」
リアル猟師経験のあるミーシャが屈んで藪に隠された罠の痕跡を見ながら推測する。
それは簡易のボウガンのようなものだった。紐を引っ張ると引き金が引かれる単純な仕組み。そっちは見たことが無い。
「それはそうとしてアレン、あんた明日からの稽古はもっとキツくいくからね。その緩んだ性根を叩いて上げるわ」
「な、なんでだよ!?」
「あんたこの間から強くなったせいで浮かれてんのよ。今もノー警戒で罠を踏むとか舐めてんの? ねぇ、舐めてんでしょ? このまま行くとサボテンみたいになるわよ。そんで冒険者引退して、ルーキーたちに『昔は俺も冒険者だったが、膝に矢を受けてしまってな』とか言って説教するおじさんになるのよ」
「わ、分かったから落ち着け。意味が分からんから。これは俺が悪かったから」
言ってから思ったけど、アレンたちにはさっきの豆太郎のやり取りは聞こえてないんだよね。
まぁそれでも何かあるって感じで止まってんだから注意してもらわないと。
「ぶっちゃけ、私の最悪の想定が当たった場合、マジで死人が出るからね」
猟師の『罠』は、忍者の『忍術』に相当する。これだけでやばさが分かるはずだ。
どっちかっていうと状態異常寄りの支援に近いので直接的な派手さや攻撃力は忍術に劣るが、相手の行動を読んでの設置がハマればかなり恐ろしいことになる。
一応、どういう経緯があったのか正してからになるけど、もしプレイヤーと相手することになるならこれは気合を入れないといけない。
「お、おう」
私の神妙な雰囲気を感じてか、アレンも目を見張って唾を飲み込み頷いてくる。
ふいに、山小屋の扉が油の差していなさそうな軋む音と共に開かれた。
「「「「「――!!」」」」」
蜘蛛の子散らしたように一斉に木や茂みに隠れる私たち。
私とハイディさんとオリビアさんはうまく木の裏に辿り着けたけど、ミーシャとアレンは寝転がって変なポーズで固まっていた。
ギリギリ茂みで見えない位置だけどちょっと面白いなこれ。
全員がだるまさんが転んだ状態で、心臓がばっくんばっくんと鳴るのと笑いを堪えるのにどっちも忙しい。今にも二人のまぬけな姿に噴き出してしまいそうだ。
けれど私たちの行動は筒抜けだったらしく、
「出て来い、いるのは分かっている!」
男性の苛立った声が届いた。
私たちはストップモーションのままゆっくりと顔だけ向けあって視線で相談する。
誰か何とかしろよ、と目だけで責任を擦り付け合う。
「出て来ないなら矢を撃つ。それでも構わないならその場にいろ」
ここまで言われちゃしょうがない。
私が矢面に出ようじゃないか。
「(私だけが出るわ。隠れておいて。豆太郎もお願いね)」
あっちに聞こえないよう小さくささやく。それなりに距離があるからこれは聞こえはしないだろう。
ただあっちがプレイヤーなら潜んでいるのは容易くバレる。そうだったらもうアドリブだ。
「出るわ、撃たないで!」
軽く手を挙げながら幹から姿を現す。相手を視界に捉えるとさすがに驚いた。
そこから見えた男は、なんとニ日前に野営中に出会ったおじいさんだったからだ。
プレイヤーではない? だったらあの矢は? 色々と考えることが多過ぎて今は頭を振って邪魔な思考を追い出す。集中しろ私。
「お前は……」
向こうも見覚えがあるのを思い出したようで、こっちを見てわずかに反応があった。
弓を構え矢を携える手が一瞬落ちかけたが、すぐに戻りこちらにけん制するよう狙いを付け直す。
背筋はピンとしていて今でも現役を彷彿とさせており、眼光は鋭く人を射ることに躊躇はない人物だと直感した。
「私は……怪しいけど、怪しいものじゃないわ」
「そんな怪しい言い分を信じろと?」
ジョークを交えた最初の掴みは失敗したか。
小さく唇を噛む。
「この間、伝えた通り旅の途中なだけです」
「わざわざ道を引き返してきてこんなところにいるのにか?」
確かにそう言われたら怪しい。潔白を証明するのはなかなかに難問だわ。
「本当のことしか言ってないですよ。悪人ならまだしも、もし善良で無抵抗の人間を撃ったとしたらどうなるんでしょうね? この通り、目の前に出て来たんだから、せめて話ぐらい聞いてもらえませんか?」
「……続けろ」
「どうも。あれから無事に村にまで辿り着いたんですけどね、朝に聖女様がさらわれたって騒動があってそれで捜索に来ただけなんです。おじいさん知りません?」
「知らん」
返ってくる言葉はなかなかにそっけない。
でもね、私は豆太郎と昨日今日会った他人となら、豆太郎を信じるの。
それに弓を使ってここまで過敏になって何かを隠そうとしているその態度を見逃すほど甘くもないのよ。
「嘘ですね。その小屋にいるんじゃないですか? いないっていうなら中を見せてもらえませんか?」
「いないものはいない。帰れ」
矢を引く動作に力がこもり
よっぽど中を見られたくないようだ。
ここまでされたらこっちも低姿勢になる必要はない。
「悪いけど子供の使いじゃないのよ。その小屋に手掛かりがあるって判明しててね、力ずくでも中を見せてもらうわ」
「これが最後の警告だ。そのまま帰れ。命の保証ができなくなる」
「やなこった!」
舌を出してやった。
それが引き金となり、無言で矢が放たれる。
それはやや軌道がズレていた。普通なら当てやすい胴体の真ん中、もしくは心臓を狙う。けれど風を切りやってくる拒絶の意思は私の腕へのコースを飛ぶ。あくまで命は取らないというところに最低限の優しさは感じられた。
だけど私のこの体は常人の域を超えている。
飛来する矢を浮遊する葉でも掴むかのように指でキャッチした。
「なっ!?」
向かってくる矢を取るなんて達人技だ。それを年端もいかない女の子にされ、大きく口を開けさすがにショックが隠しきれていないらしい。
手にした矢を確認したがこれはさっきの違い普通の矢だ。もしかしたらと思ったけど、それなら必要はない。爪楊枝を割るみたいにバキバキと折って粉砕してやった。
「少し眠ってもらうからね」
前傾姿勢から地を蹴り即座に距離を詰める。
当たり前だが、たとえ弓の名手であっても弓は一度射った後に次の矢を番えるまで時間が空く。それが致命的な隙だ。
そして私なら本気を出せばその間に百メートル先にだって足が届く。もちろんやり過ぎてしまうので今のような対人戦はレベル四十に制限しているけど。
百だとリンゴのような固い果物を、摘んだ指で潰すのに要する力は卵の殻を壊すのと同程度。だからたぶん対人戦で出せる力加減はおおよそレベル五十が限界で、それ以上になると取り返しのつかないことが起こる危険性がある。ランク3の一般冒険者が辿り着く最高峰がレベル二十程度だと考えると四十でも十分だろう。
腹パンで気絶させようと拳を握ると、おじいさんが後ろの腰で背負っている矢筒に付いているポケットから何かを取り出して地面に投げつけた。
一応、用心のためにたたらを踏みながら足を止める。
「煙玉!?」
見たことがあった。それもそのはず、私もたまに使うかく乱用の大和伝の便利アイテムだ。形状も効果もまったく同じで、最近ではリズの村でのゴブリン退治に使ったのは記憶にも新しい。
だがなぜそれを持っている? 疑問に思い戸惑う。
すると、思考を遮り地面からもわもわと白い煙が噴出し始めた。
「くっそ、やられた」
呆気に取られているとすぐに白煙が私を食らい腹の内に収める。自分の手や足の先すら見えない白闇。
まさかプレイヤーでもないのに大和伝のアイテムを使用してくるとは。
この中ではマップも阻害される。役立つのは自分の五感だけだ。特に聴覚、次いで嗅覚か。豆太郎を置いてきたのが仇となったかもしれない。
胸のざわめきを覚えつつ、ぴたりと動くのを止め、平静に周囲の音を集中して探る。
さてどうするか。大きく動くと音を拾われて射られるかもしれない。
強引に煙から飛び出すのもアリだけど、確率は低くとも、おじいさんの正面に出たら最悪だ。おそらく向こうはすでに移動しているだろうし。
忍術は必要以上に怪我させてしまいそうだし、そもそもハイディさんがいるから自重したい。
頭を捻ってみてもすぐに上手い手が浮かばなかった。やれることは平静を保ち吐息すらも抑えながら周囲を警戒することぐらい。
唐突に、横から音がする。
矢を飛ばされたと思い、またさっきのように掴もうとした。視界が悪くても来る方向が分かっているなら私ならやれる。
しかしながら、それは叶わなかった。
煙を貫いて飛んできた矢から、あまりにも奇怪で大音量の音が発生していたからだ。
――これは
またも大和伝産のアイテムだ。
いきなり過ぎて言葉を発する暇もない。
それは先端が穴の空いた筒になっている矢だ。殺傷用ではなく、現実では戦いの合図とか神事に使われるもの。
そして大和伝では【猟師】が用いる状態異常を引き起こす矢だ。
ただレベル差があるから私には効かない。
『【ステート異常:混乱】
耳を塞ぎたくなるような甲高い音が鼓膜を揺さぶり、当たり前のようにウィンドウにシステムログが流れた。
これであっちの居る方向は知れた。知れたけど……。
「くぁっ!」
ログ上では状態異常への抵抗に成功しても、実際の音までは防いでくれない。
鼓膜に残響する音が纏わりついて離れず、反射的に手で耳を抑え呻きが口からもれた。そして矢は私と少し離れた場所をすり抜けどこかへ飛んでいく。
それはいい。だけどどうしてあのおじいさんは、こうまで【猟師】の、大和伝の道具を持っている?
話した感じや身のこなしからプレイヤーではないとほぼ確信している。なのになぜ?
頭の中で疑問が渦巻く。
考える間も無く、また聴覚に反応があった。
何かがバチバチと鳴りながらこっちに近づいてくる音だ。
すぐに煙に小さな玉のようなシルエットが浮かぶ。足元まで転がってきたそれは導火線に火が点いた丸くて黒い陶器で、全身の毛が総毛立った。
三度、大和伝の道具が私を襲う。
それは『
しまった。そんなに大きな悲鳴じゃなかったはずだけど今ので位置がバレてしまったんだ!
刹那の思考。気付いたときにはもう遅い。
それが反省に変わる前に――全てが吹き飛んだ。
意識を一時的に麻痺させる爆音が大気を震わせ、余波が辺りの葉を揺らし一斉に木々がざわめく。
ワンテンポ遅れて近くの鳥たちが狂ったように羽ばたき散っていき、獣が我先にと藪の枝に全身を引っ掛けながらも逃げ出し周囲は一時、騒然となる。
サッカーボールより一回り小さいそれが爆ぜたのだ。その爆発は地面をえぐり取り、覆っていた白い煙も吹き飛ばし、さらに火薬を包んでいた陶器自身が散弾となって周囲に飛散する。
小規模ながらその威力は人を殺すのにじゅうぶんな威力を秘めていた。
いやむしろ明らかにオーバースペックと評するべきだろう。人を殺傷するならナイフ一本、矢一本あれば足りる。なのにこれはそれ以上の被害を及ぼした。
「すまん……」
おじいさんはとっくに山小屋にまで退避して身を小さくしながら破片をやり過ごしていた。
その顔は苦々しく、年輪のように刻まれた皺がより一層深くなり苦渋の選択を窺わせる。
「アオイィィィーー!!」
アレンたちが悲壮な表情を浮かべ、血相を変え慌てて森から飛び出してきた。
この惨状に堪らずといった感じだ。
「まだ仲間がいたか」
おじいさんの疲労の色は濃い。体力的なものというより、人に手を掛けてしまったという精神的なものだろう。
それでも目の奥に光る決意は失われてはいない。ゆっくりと立ち上がり進み出す。
そうまでしてもやらなければならないことがあるのだというのだろうか。
アレンたちが爆心地までやってきて見回しても私の死体が見つからない。
彼らの網膜に映るのは焦げた木片とめくれ返った土、あとは鼻につく匂いぐらい。薄く舞い上げられた土埃では隠れようもないのに、どこかに紛れていてほしいと自分の目が間違っているのだと期待して感情が認めようとせず彼らは動かない。
無常にも風が吹く。
そしてミーシャは、
「うわあああああああああああ!! このっ! このっ!! 洒落にならないことをしてくれたわね!! 一歩でも動いてみなさい、心臓をぶち抜いてやる!!」
彼女は荒ぶる感情のまま絶叫を上げながら、愛用の弓の弦で矢を引き、鬼気迫る勢いで威嚇していた。瞳に涙を浮かべ歯をむき出しにし、悲しみと怒りにごちゃまぜになった表現しようない様相だった。
おじいさんもその間に、まだ残っていた鏑矢を番え終わっている。
もし放たれれば確率になるが、最悪は全員、悪くても一人ぐらいは混乱してしまうだろう。そうなれば数の差は埋められる可能性があった。
「俺はもう一人殺した。これが二人になっても三人になっても変わらないぞ?」
「やってみなさいよ! 狙いは外さない。指が動いた瞬間、あんたがしでかしたことを後悔する暇もなく地獄へ送ってやる!!」
一方、ミーシャの矢が彼の急所に当たってもその時点で行動不能。
お互いに一触即発の雰囲気が流れ、ギシギシと二人の弦を引き絞る音が緊迫感を助長させる。
何か一つキッカケがあれば膠着状態から一気に死闘が始まる予感に、他の誰もが止められないでいた。
――否、私なら止められる。
「そこまで!」
私は隠れていた木から飛び出て、くないを放り投げた。
それは剛速で一直線におじいさんの引く弓に向かい、張られている弦を切り取ることに成功する。
「バカな、なぜ生きているっ!?」
たまげて平静を欠くおじいさんに飛燕のごとく急接近すると、やぶれかぶれの右ストレートがきた。
遅い!
それを屈んで避けて右手で手首を押させる。さらに速やかに腰に付けている矢筒のベルトを左手に持つ忍刀で切ってやった。それから伸びきった右手首を捻り彼の背中に曲げて内側に絞る。最後に左手に持った刀を後ろから首筋に当て、これで王手だ。
少々手こずらせてくれたけどもう動けないだろう。
「びっくりグッズも封じたし、これ以上、悪あがきしないでね」
「ぐうううう」
関節を極めているからかなり痛いはずだけど、それでもどうにか逃れようとおじいさんは粘っていた。
けれど次第に抵抗は弱まり、ついには「分かった」と脱力し、観念した声がぽつりともれる。
そのまま手首を少し弱め、刀は腰の鞘に納め、ふう、と息を吐いた。
まったく、ヒヤヒやさせてくれる。
「あ、アオイ? お化けじゃなくて?」
「足は付いているよ」
あんぐりと口を開けたミーシャが尋ねてくるので、片足を見えるように上げた。
まぁあの爆発で無傷で助かったと言われればどうやってと訊きたくなりそうなもんだけど。
「い、生きてるならさっさと出てきなさいよ。し、心配して損したわっ!」
強引に服の袖で涙を拭いて文句を垂れてくる。
嬉しいねぇ。
あの爆弾から逃れ、瞬時に移動していたからくりは単純だ。『―【木遁】変わり身の術―』を発動させただけ。
この技は自分に触れる攻撃が当たった瞬間に使うことで任意の場所まで瞬間移動できる。
ただタイミングがかなりシビアなので、敵の攻撃でやると失敗したときのリスクが大きく、たいていは自分の攻撃が起点となり緊急回避技として使われる。今回は素早く自分で胸を叩いて始動させた。
そして側面にあった木の近くに瞬間移動し姿を隠したのだ。ちなみに再使用までのクールタイムは丸一日。
まぁ豆太郎が騒いでないんだから私の無事は保証しているんだけどね。
「アオイちゃん、本当に大丈夫?」
「大丈夫大丈夫。すぐに脱出したから砂も被ってないぐらいですから」
足元から頭まで見てもまだ無傷が信じられないオリビアさんの心配にもそうやって平然と返した。
元気そうな姿見せないとね。
対してハイディ姉さんだけは難しい顔をして何か考え事をしているようだった。
まぁこんな奇想天外なことが色々一気に起こったら言葉も出なくなるか。
「ぐ、頼む……もう少しだけ時間をくれ。中の出来事が終わったら、俺は自首でも何でもする」
「一体、中で何やってるの? 聖女はちゃんと生きているんでしょうね?」
「それは……」
言いよどむが、それ以上、口は割れない。
時間経過で一体何が達成されるのだろうか? さすがにそれは読み取れない。
あんまり拷問とかしたくないんだけどねぇ。っていうか、中を見れば済む話か。
「いいわ。アレン、その小屋の扉を開こう。よっぽど見られたら困るものがあるっぽいし」
「やめてくれ、もう少しだけでいいんだっ! ぬ、ぬぐぐぐぐ……」
私の提案に過敏な反応をして暴れるから今度は両手を後ろ手にさせて捻る。
痛みに汗が浮いているのが分かるほどに耐えているが、このまま押し問答していてもにっちもさっちもいかない。
そして俄然、小屋の中が気になってくる。彼がここまで強情を張るものはなんだろうか。思惑はさっぱり読めないが必死さだけは伝わってくる。
できれば煙玉とかについても素直に話して欲しいから、ヘイトを買うような真似はせず要求は聞いてあげたいんだけどね。これだけ敵対していてもう穏便に済みそうにないのが悩みの種だわ。
おじいさんを拘束したままみんなでドアの前まで移動する。
聞き耳を立ててみるが中からは特に何も聴こえない。
「いいんだな?」
「いいよ」
刑事ドラマみたいにドアノブに手を掛け私の返事と全員に目配せをしてからアレンが無言で頷いた。
そして錆びた蝶番の軋んだ音がして扉が開かれる。
露になった山小屋の中では、今まさにローブを着た聖女らしき女性が、ベッドに眠る少年の喉元にナイフを突き立てようとしていた。
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