第5話 その黒装束の女、危険につき
私たちは一旦身を隠せる林の中に場所を落ち着かせた。
そこでウィンドウを使い視界の四分の一ほどを豆太郎視点に切り替える。
拡大されたリアルタイム映像は豆太郎の背丈に合わせたものなので自分が小人になったような錯覚を与えてくる。
ほふく前進をすると分かるかもしれない。地面とやけに近くて揺れのひどい独特の視界はなかなか慣れないもので酔いそうになるのを気合で我慢した。
大和伝ではサポート役としてこうした支援用の『お供』の動物キャラを育てることができる。
忍者は【忍術】として呼び出し、他の職業もスキルとして呼び出せるのだ。
戦闘中は一緒に戦ったり敵の弱点なども教えてくれるし、
ただお助けキャラとしての
それでも戦いは無理でも街中やレベル帯の低い場所での移動などでは可愛い容姿も相まって行動を共にする人が多い。
唯一無二の私たちの『相棒』だった。
レベル五十もあればきっと豆太郎だけでもゴブリンぐらいなら全滅は可能だとは思う。ただまだ彼の本気の力を見てないので今回は斥候のみに注力してもらう。
ゲームとは違って少し不安だったけれど、どうやら【夜目】も利いていて、暗闇でもしっかりとした足取りだった。
途中いくつか光る箇所がある。これがスコットさんが言っていた光苔だろう。
普通の人間なら目印にはなっても照明代わりにはならないぐらいの細い輝きだ。【夜目】中は眩しいほどに光っている。
少し進むといきなり枝分かれしていた。
「(豆太郎、左行ってみて)」
ウィンドウ越しに指示する。
そちらは行き止まりで小部屋のようなものになっていた。幾人かのゴブリンたちが寝ていたり座って雑談したりしている。
正直、これといって興味を引くものはない。
「(戻ってさっきの道を奥に行こう)」
声が伝わり
また分かれ道だ。たぶんさっきと同じように本道と枝道っぽい。
「(次は右をお願い)」
頷く豆太郎の前方から足音がした。
緊張が走る。
豆太郎は即座に自分の首に巻いているスカーフを口で咥えて解く。
そしてそれで自分をすっぽりと覆う。
そうするとスカーフは地面と同化し背景に溶け込んだ。
『隠れ身の首巻き』――それが彼に与えている装備だ。
すぐ傍をゴブリンが一体通り過ぎるが全く気付いていない様子。
足音はどんどんと遠ざかりマップを見るとさっきの小部屋に向かっていった。
私は画面の前で小さく息を吐いた。
なかなかに緊張する。ゲームならリトライできるから気楽なもんなのにこの世界ではそれが不可能というのがなかなかに厄介だ。まぁ現実なら当たり前なんだけど。
豆太郎は同化を解き、肉球の手で小器用に首に巻き戻す。
手際の良さにさすが私の忍犬だと感心した。
確認したがこの先も同じように塞がっていて、ゴブリンたちが何匹かいるだけだった。
崖に作られた天然の洞窟だからそんなに広くないはず。
そろそろラストだと思いたい。
豆太郎には再び調査を再開してもらう。
戻って奥に進んでもらうとようやく前二つより大きな部屋に出くわした。
かなりの数のゴブリンと、そしてその中心には彼らを従えている巨大なゴブリンがふんぞり返っていた。
もはや身長は人間の男を越え、太い腕は丸太のよう。やや腹が出て鈍重そうに見受けられるが、その分、腕力は人と比べ物にならないだろう。
一般人では決して敵わないことが容易に想像がつく。
こいつが攻めてきたら村はやばかったかもしれない。
マップで見るとここも塞がっている。
なら他に出口は無いね。
「(戻ってきて)」
帰還を促しウィンドウを閉じる。これで洞窟探索は終了だ。
すぐに洞窟の入り口から豆太郎が姿を現した。
匂いで分かるのかまっしぐらに隠れている私の方向へやってくる。
『あーちゃん、ほめてほめて! ふわぁ~せなかがきもちいい~しふく~』
ご褒美を欲しがっている豆太郎を存分に抱擁してあげた。
自分で手が届かないから背中を掻かれるのがお気に入りらしい。
こんなもので喜んでくれるなら安いもんだ。
「あそこ以外の出口は無いようです」
「犬と意思疎通ができるって……いやもう驚かないよ」
「あとは私がやります。豆太郎は森からやってくるゴブリンとか他のモンスターを警戒して。もし取り逃がしそうになったらお手伝いお願いね。スコットさんも周辺警戒で」
『あーい』
「分かった。任せてくれ」
さぁやりますか。
私は肩をぐるぐる回し気合を入れてウィンドウを力強くタッチした。
□ ■ □
この日、ゴブリンたちは夜半に近くにある人間の村への襲撃を企てていた。
キッカケは仲間の一匹が殺されたことに始まる。
死体の損壊具合で容易に誰がやったことかはすぐに知れ渡った。
遺体が綺麗だったのが証拠だ。
首を刎ね飛ばし肉体をそのままにして残すのは人間ぐらいなもので、他の魔物の仕業ならもっとぐちゃぐちゃになっているし、もし食われたなら骨と血溜まりぐらいしか跡に残らないのもよくあることだ。
けれどもその遺体は切断面があまりにも鋭く、頭を繋げたらまた動き出すのではないかと錯覚するほどの切れ味で、発見した者たちは一様に身震いをした。
もちろんそんなことが無くても近いうちに襲うつもりはあった。
洞窟で暮らすにも数がそろそろ限界で、一度大量の食料を確保して群れを株分けしないといけないとリーダー格のゴブリンは考えていたからだ。だからただ時期が早まっただけ。
憤る手下たちを鎮めるよりも、このまま攻め込む方向に煽る方が良いとそいつは判断した。
本来なら繁殖力が高く雑食のゴブリンは増えやすい。
しかし自然界では強さが重要だった。狩りで獲物からの手痛い反撃を食らったり、自分たちを捕食する上位者たちと遭遇することも多く、よほど環境が整わなければ食物連鎖の底辺を
ひもじくて木の皮をかじり、喉が乾けば泥水をすすり、上位種が食べ尽くしたエサの僅かな食べカスを舐め取る。それがゴブリンの日常だ。
そこに突然変異の種が現れた。
生まれはただのゴブリンだった。なのにそいつはいつの間にか他とは一線を画す存在へとなっていた。
その時のことはおぼろげでそいつ自身ほとんど覚えていない。
しかしそいつは優秀だった。
体格からして通常のゴブリンを軽く上回り、知恵も回る。
無論、ゴブリンの中ではという但し書きが付くが、今まで素手や精々が木の枝を使う程度だった狩猟に、石や簡易の罠、それに連携を使うことを覚えさせた。
そのおかげで普通の群れは二十匹~三十匹がせいぜいのところ、五十匹を越える大所帯を作りあげられた。
『俺がお前たちを守る』
洞窟を拠点とし、数が増えたら別の場所で暮らさせ、いくつもの下部組織の群れを傘下に置く。
漠然とそのような増やし方をすれば、いずれは数百匹、いや千を越えるゴブリンの軍勢を従える王になれるのでは、と野心が芽生えるまでになっていた。
この周辺では誕生したことのない『ゴブリンキング』の誕生に胸を躍らせる充実した毎日。
そのためには人間の持っている食料や武器が要るのだということも理解していた。
村の位置は把握している。何ヶ月も監視をして弱点を探っていたのだから。
人間は――闇に弱い。
自分たちゴブリンは、夜でもささやかな月明かりがあれば昼間と大して変わらないが、夜に家畜や畑の野菜を盗んだりした際に、人間たちはそうもいかないことを掴んだ。
火を用い闇を克服しようとする哀れな抵抗は滑稽にさえ映った。
それに精神は惰弱で報復すらしない。強い者ほど自分の物を盗られるとプライドもあって異常なまでに執着を見せるのが自然界の常識なのだが、人間は大して役にも立たない木の柵に篭るだけの無力な獲物だった。
なのに年老いたゴブリンは「人間には関わるな」と忠告をしてくる。
もう狩りにもいけない無駄飯食らいは未だに子供扱いしてきてそいつの癇に障った。
だからそいつは相談があると老ゴブリンを外に呼び出し、誰にも知られずに葬った。まだ幾ばくかいる自分に忠誠を抱いていないそうした仲間たちを次々と粛清していき、周りがイエスマンのみとなるのにそう時間は掛からなかった。
耳が痛い忠言をしてくれる者こそが本当の味方だということは、そいつには理解ができず、それが彼らの運命へ大きく影響を及ぼすことになる。
『ふんっ! 素直に言うことを聞けばいいものを。逆らう者は不必要だ』
ゴブリンと人間は一対一なら体格差で負けるが、夜に襲撃すればまず間違いなく勝てる。
こちら側も被害が出て最悪半分ほど減るかもしれないが、武器を奪えば再び同じ数の群れにまで戻すのは簡単だ。
そういう計算がそいつには働いていた。
元々は飢餓に喘ぐ家族や友人たちを助けるために導いたはずなのに、もはやそいつにとって仲間は単なる駒に成り下がっていた。
全ては上手くいっている。そう確信していた。
しかし人間にはゴブリンたちを捕食する上位者ですら敵わない超人的な存在がいることを――そいつは知らなかった。
突如、洞窟内に轟音が木霊した。
脳が揺れ思わずバランスを崩して倒れ込みそうになるほどの音と衝撃。
パラパラと頭上から砂や小石が遠慮無しに降ってくる。
埃っぽい渇いた砂を振り払い目を開けると、手下たちはドラゴンの襲来かと言わんばかりに背中を丸め怯えて動こうとしていなかった。
ゴブリンリーダーであるそいつも全身が震えるような悪寒が走り、へたり込みたくなる。
しかし群れのトップとしての矜持がそれを今一歩のところで押し留めた。
腕を強く握り、血が出るんじゃないかというほど肌に爪を立て、自らを叱咤する。
『急いで見てこい! 全員でだ!』
即座にそいつは原因を調べてくるように指示を出した。
命令を聞かないものは蹴り飛ばし、部屋にいた手下が全員慌てて向かうのを見送る。
時折、さっきのよりは小さい破裂音が物理的な振動を伴って響いてくる。
一体何をしているんだと、戻ってきたらどう部下たちを叱責しようとそんなことばかりを考えていた。
そいつにとって実際の時間より百倍長く感じるほどの時を待つ。
ふと、誰も戻って来ないことに苛立ち以上の違和感を覚えた。
ここで自分は失策をしたのではないかという考えがそいつに過ぎった。
無意識的な恐怖のせいで手下をけしかけてしまったが、単純な話、強い魔物が相手なら自分も一緒に戦った方が良い。
生まれも一緒で苦楽を共にしたゴブリンたちを心配するのではなく、あくまで利害だけで思考した。
傍に置いてある愛用の棍棒を手にしてそいつは踏み出した。強い魔物の落とした牙などを磨きそれを嵌めてトゲ付き棍棒として改良したものだ。
そいつにはこれと仲間たちを使って多少上位の相手ぐらいなら今までに倒してきた実績があった。
「ふん!」と鼻息を鳴らしながら自慢の武器を手に進み出す。
洞窟の入り口が見えるところまで来ると――あり得ない光景に足が止まった。
『ば、ばかな……』
手前にはぷすぷすと焼け焦げた焼死体が多数。
そして洞窟の外では足の踏み場もないような仲間の屍たち。
――そいつは絶叫した。
すると、洞窟の外で動きがあった。生き残りかと注視すると、それは夜空のような艶やかな黒い髪、漆黒を含んだ黒い瞳、闇に溶けそうな黒い服、肌以外の全てが闇色の人間の女だった。
夜を司る神というのはいないはずだが、もしいるならそいつは使者に違いないと思わせる容貌をしていた。
そいつの叫び声に気付いたその人間の女が言葉を唱える。
と、思ったらいきなり空中に灼熱の豪火が出現して高速で飛んできた。
それは不幸中の幸いだったのか。
腰が引けた瞬間、仲間の遺体と血に足が滑りそいつは転んでしまった。
紙一重のタイミングで炎は外れ洞窟の奥の壁に当たって霧散する。
避けたにも関わらず鼻先は焦げて使い物にならなくなった。
至近距離でつい吸い込んでしまった炎の息吹は、肺の中までカラカラに乾かせ、呼吸すら上手くいかない。
代わりに全身がぶわっと恐ろしいほど発汗し、蒸し暑い夏のようにけだるさが襲った。
そいつは気力を振り絞り立ち上がると、足元に転がる手下の墨のように代わり果てた姿を持ち上げ、盾のようにして突撃をした。
本能からか、相手はか弱い人間の女の姿をしていても中身は化物だと悟った。もはや形振り構っていられない。
それがどれだけ冒涜的な行為であろうとも――死はすぐそこにあったのだから。
洞窟を出て急に差し込んでくる太陽の光を鬱陶しく感じながら走る。ここで
見た目は
もうあの炎は出してこない。きっと魔力が尽きたのだろうと自分勝手に決め付けた。
『うおおおおおおおおぉぉぉぉ!!!』
力一杯の咆哮を上げ、持っていた死体を投げ付ける。
すぐに緊張で力が余り軌道を失敗したことに気付く。
死体が一瞬、自分と相手との間に入り姿を見失ってしまったのだ。
それでもたかが瞬き一つほどのこと。
その間に棍棒を両手に持ち替え渾身の力で振りかぶると――そこに女はいなかった。
愕然とするとそいつは背中に電撃のような激しい痛みを感じる。
苦痛に身をよじらせ後ろを振り向くと、いつの間に後ろに回ったのかさっきの女がいた。
さながら冥府へ誘う死神に見え、痛みも忘れて息を呑む。
口を開き何か囁かれる。
「ばいばい」
言葉の意味を理解できないままゴブリンリーダーは息絶えた。
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