第4話 忍犬『豆太郎』推参!

 村から歩いて三時間ほどの鬱蒼うっそうと生い茂った森の中を私とリズの父親――スコットさんが進んでいた。彼は仕事でも使う弓と矢筒を背負っている。

 飛び出してくる枝葉や小石、木の根などが邪魔をして早歩き程度の速さがやっと。

 それでも村を出てからずっとこのペースで、スコットさんの方は息も荒く玉のような汗を袖で拭きながらの二人きりの行軍だった。

 私の方はこのアバターのおかげで全く疲れもない。


 頭上を覆う濃い緑は太陽の光を塞ぎ昼間だというのに薄暗く、全方位から虫や何かしらの生き物の這いずる音や威嚇がして気が休まることもないのは鬱陶しい。

 それにずっと鼻につく匂いは泥臭く、これはぬるっと湿り気を含んだ腐葉土の香りだろう。木々が頭上を覆うせいで陰湿な湿り気が取れずお世辞にも快適とは言えない。

 ここは人を拒むかのような森、それが私の印象だ。



「これでも獣道を通っているんだけどね」



 わだちにも似た他より心持ち雑草が薄くなっている箇所を踏みながらスコットさんが自嘲気味に呟いた。

 人や獣が行き交うことで枝が打ち払われ草が折れ、獣道となるのだとか。これでも比較的なマシな道のりらしい。

 しかし少しでも気を抜くと植物に浸食され道が道でなくなる。そんなあやふやなルートだ。

 これが最短距離。

 

 あのパフォーマンスの後、恐怖で崇めるかのように納得してくれた村人たちは、私をゴブリンの巣に案内する手はずを即座に整えてくれた。

 まごまごしていては襲われるかもしれないからだ。

 

 そしてその水先案内人は狩人として森に詳しいスコットさんである。

 狩人の仕事をしているという彼だけが目的地への道筋を熟知しているし、それに他の村人たちには知られていないけど、リズが昨日薬草を採りに行こうとしたのが今回の要因の一つだと彼は察しているようだった。

 だからその負い目もあって買って出たようだ。そのせいか表情は晴れない。



「君には申し訳ないと思っている。元々ゴブリンたちを発見したのはもっと前だったんだ。そのときに戦える村人だけで襲うかすぐに冒険者を雇えば良かった。お金に余裕も無く、どうするか対処を決めかねている間に数が膨れ上がってしまったんだ。町に助けを求めることが決まったのは直接村に被害が出たつい一月前でね。皆から少しずつお金をかき集めてようやく冒険者を呼びに町に送り出したのが数日前なんだ」



 急ぐ道すがらでの端的な会話でスコットさんがそう教えてくれた。   

 だが途中の小休憩のときに後ろめたい気持ちがあったのか、付け足すように続きを口にする。 



「これは本当は言ってはいけないことなんだけど、仮に君が失敗しても数が減れば時間が稼げるし、最悪、村人だけでも排除可能だという打算が村にはある。もちろん被害を考えると村人は戦えないが、本当に全滅させる気なら俺だけじゃなく、もっと人数を出すはずだからね。だから俺は――」


「お目付け役?」


「っ、そうだ。君が逃げ出さないよう見張っていろと言われている」


 

 言いにくそうにしているスコットさんの代わりに私が先に言葉を出すと苦々しそうな顔をして視線を落とした。

 目と顎のラインがリズに似ているおかげか彼女がしゅんとなった顔を連想させ、年上の男性に失礼だが可愛さを覚えた。



「まぁそんなところかな、と思わなくもなかったから」



 彼らにとっては生き死にが掛かっている。

 だからやらかしてしまった私を使うのは良しとしても野放しにして逃げられたらたまったもんじゃないのだろう。安心できずに道案内と称した見張りを用意するのは分かる。

 もちろん村人全員の意思というよりかは、何人か偉い人だけの意見だろうけどさ。



「すまない、失望しただろう。あれだけ大人がいて十代半ばの女の子一人に押し付けるなんて」


「いえ、嬉しいです」


「嬉しい?」



 私の発言が予想の斜め上だったのか意外そうにして顔色を窺ってくる。

 


「だってそんな秘密を話すってことはスコットさんは私のことを心配してくれてるってことでしょ? 他の人は知らないけど、味方が一人でもいるなら心強いですし」



 図星を突かれたかのようにスコットさんの足が止まった。

 その顔にはようやく恥ずかしそうに笑みが現れる。



「……君は人たらしの才能があるね。もちろんできる協力はするつもりだ。それと言い遅れたが、リズを助けてくれてありがとう」


「そんな重く考えないでいいですよ。私が解決すれば済むことだし」



 と応じれば「すまない、本当にありがとう」と深く感謝された。

 この分だと謝礼は期待できないけど、やれる人助けならしておきたい。


 そこからさらにしばらく進むと、スコットさんが歩みを緩め音を消しながら囁くような声で伝えてくる。

  


「(そろそろだ)」


 

 雑木林が途切れる手前で止まると、ハンドサインが送られ努めて息遣いを殺しながら茂みの中から奥を見通す。


 サインと言ってもそんな難しいものじゃない。止まれとあそこだ、という誰でも分かるぐらいのものだ。

 葉っぱと枝の隙間から見えたのは洞窟と十数匹のゴブリンたちだった。


 こうした潜入任務はお手の物、と言いたいところだったが所詮はゲームの話で実際にどこまで通用するかはまだまだ不安が残る。

 なので油断なく観察を続ける。

 


「(洞窟の中に残りはいるんですか?)」


「(分からない。まだ昼だから食料調達に出ているのもいると思う)」



 真昼間から全員が揃っている方がおかしいか。

 となると、殲滅した後もここで待たないといけないね。厄介そうだ。

 


「(とりあえず入り口近くのは倒してそれから考えますか)」


「(あまり大きな音は立てない方がいい。それに群れを作るってことはリーダー格もいるはず。弓で援護はするけど大勢で掛かられたら逃げるしかなくなるし、申し訳ないけどあまり僕はあてにならないかもしれない)」



 音について言及するってことはたぶんまたあの火遁をするつもりだと思ったのだろうか。

 さすがにあれを使う気はない。

 というか、今の私なら体術だけで苦も無いはず。

 


「(援護はたぶん要りませんよ)」


「(え?)」



 私はウィンドウから『煙玉』を出すとゴブリンたちの中心にぶん投げた。

 弧を描き地面に落ちると、何匹かは気付くが行動を開始する前にそれから大量の白煙が発生する。



『ギギッ!?』



 すぐさまうろたえるゴブリンたちが全員煙に飲み込まれた。

 それを見計らってから、藪を飛び越え一気に夜鴉を抜いて突入する。


 昨日の真夜中に匹敵するほどの濃密な白の闇。ここではマップも使えず頼れるのは己の五感のみ。自分の手足すら見えない愕然とするほどの視界不良の中、私は一直線に呆然とするゴブリンに一撃を与える。

 刃が骨と骨の間を透き通り肉を食い破って心臓まで達すると、


 ――一つ目!



『ギァッ!』



 という絶命する悲鳴が一つ。

 さらにスピードを落とさず走り抜けるとすれ違いざまに別の固体の細い首筋を薙ぐように斬る。

 私の強化された五感では小さな物音も聞き逃さない。


 ――二つ目!



『ギギィッ!!』



 後ろを向いて隙を晒した不運なものには背後からのバックスタブ致命の一撃を洗礼する。


 ――三つ目!



『ギァッギァッギァッ!!』



 纏わり付く煙を追い払うように上半身いっぱいに手を振り回して飛び跳ねている迂闊うかつなやつには、足払いを掛け後頭部から転倒させ上から胸を一突き。

 私の存在に気付いたゴブリンには下から上に切り裂き、返す刀で横に腕を振り十字の傷を刻んであげた。

 背を丸めて静かにしていれば逃れられたかもしれない。

 だが彼らにそこまでの知恵は無く、無駄に騒いで自分の居場所を教えてくれる。


 ――四つ、五つ! まだまだいくよ!!



『ギィ!?』



 次々と巻き起こる仲間の断末魔の声に呼応して、事態が飲み込めないものの緊迫した緊張感が波及していく。

 それは私が倒せば倒すほどに高まっていった。

 けれど、たかがゴブリンたちにそれを打破できる力を持ち合わせているはずもない。

 白煙の檻に唯一見え隠れするのは私の持つ忍刀『闇鴉やみがらす』の銀閃の軌跡のみ。  


 都合十六度、時間にして一分ぐらいか。

 煙玉の効力が切れ、風に吹かれて煙が無くなる頃には全てが終わっていた。

 刀を地面に振り降ろし血振るいをして血糊を落とす。それからゆっくりと腰の鞘に納める。


 そこに残るのは死屍累々だ。

 ほぼ全てを一刀の下に切り伏せた。


 ただの女子校生であれば不可能な所業の光景がそこかしらに転がった。

 不思議なのは技もそうだけど、この凄惨さを頭で理解できているのに精神にも体にも戸惑いが無い。

 アバターのせいだろうか。自分自身が本当に‘アオイ’かどうかの確信が持てない。自己矛盾が頭を過ぎる。

 

 ――いやそれは今考えることじゃないよね。


 頭を振り口から息を吐くと、唖然とした表情のスコットさんが弓を落としそうになっているのが見えた。

 私が手招きをしても反応が無い。

 心ここにあらずといったようで仕方なく彼の元に戻る。



「君は一体……」


「ただの旅人ですよ」



 あまりそれ以上追及しないでね、という意味を込めた。

 スコットさんの喉がごくりと鳴ったのでそれは伝わったみたいだ。



「……分かった。分かったよ。本当に驚くようなことばかりだけど今は後回しだ。援護が要らない理由もよく理解できた。ただ洞窟の中はほとんど照明も無いと思う。ゴブリンたちは夜目が利くから少量の光苔ひかりごけでも中で生活できるみたいだけど、さすがに中で戦うのはやめておいた方がいい」


おびきき出して今のをやればいいんじゃ?」


「それが理想なんだけど、この洞窟が行き止まりかどうか分からないだろ。もし奥にも出口があって最悪そっちに逃げられたら全滅は難しくなる。ゴブリンっていう種族は弱いから散り散りになった時点で詰みだけど、万が一逃げ延びて復讐心を溜め込まれても困るんだ。後々に禍根を残したくない」

 


 それは考えていなかった。

 どうもこの体になって脳筋になりかけているっぽい。反省しないと。



「じゃあちょっと試してみたいことが二つほどあるんでやってみます」



 まず近くに倒れているゴブリンを足で触りながらウィンドウを開く。

 すると『回収 はい/いいえ』という表示が出現した。

 はい、を押すとゴブリンの死体が消えた。



「はぁ!?」



 後ろで良い感じのリアクションをしているスコットさんを尻目に操作を続ける。

 やはり【荷物】に『ゴブリンの死体×1』という項目が増えていた。


 昨日、薬草は素材化することができたので死体ならどうかと思ったけど予想が当たった。これは嬉しい。

 この回収機能があれば死体を放置するという失敗の同じてつを踏まないし、何かと便利だろう。

 ちなみに死体や自然の物は収納することに成功したけど、椅子や机のような所有者がいる物は昨日借りている家で試して駄目だった。

 盗もうとしたんじゃなくて、単なる実験だから許してね。


 そのまま全ての死体を納めると不自然に血の跡だけが残った。

 名探偵もびっくりな完全犯罪ができるねこれは。



「一つは終わりました。次です」



 今確かめたいことは洞窟が行き止まりとなっているかどうか。

 それを私が調べても良かったんだけどその間に残りのゴブリンが帰ってきてスコットさんと鉢合わせする可能性もある。

 だから頭数を増やしたい。そう思案すると閃くものがあった。


 ウィンドウの【忍術】欄をタップする。

 SPが消費され瞬時に出た巻物を掴み地面に広げる。意味の分からない凡字のような文字が書かれていた。



「『忍法 口寄せ』」  



 私の声と同時にその巻物がぼわんと一メートル四方ぐらいの白い煙になった。

 そしてそこに、ぬっと黒い影が映る。

 それは私を見つけると脇目も振らず体当たりしてきた。軽い衝撃にたたらを踏んでしまう。



「こら、落ち着きなさい『豆太郎』」



 それのサイズはかなり小さめで三十センチ台といったところ。

 体の七割が狐色の毛並みをしていて、口元と頬、そして眉と胸元と手足にかけて白いのが特徴で、柴犬の中でも最小の小豆柴種あずきしばの犬だ。忍犬っぽく緑の唐草文様のスカーフを首に巻いていた。

 『豆太郎』それが私が付けてあげた彼の名前。


 尻尾をこれでもかというぐらいバタつかせ前足で私の膝を引っかいてくる。

 それが愛おしかったので麻呂みたいにちょんちょんと白くなっている眉毛が可愛くて親しみを込めて指でなぞってあげる。

 


『あーちゃん! あーちゃん!』



 屈んで頭や背中を撫で回してあげていると目の前の豆太郎が言葉を発してきた。



「うそ、しゃべれるの!?」



 大和伝では、わんとかくーん、とかそういう効果音はあったけど話せるという設定は無かった。

 まさかの展開に絶句する。

 


『わかんなーい! なでてなでて!』



 こてんとお腹を向けて私の手を待つ豆太郎。

 ぷにぷにとした生暖かいお腹を見せ付けられ愛らしい瞳でお願いされると思わず警戒は解けて撫でてしまう。

 お腹の上を指で上下させてあげると満足したのか今度は手をぺろぺろと舐めてくる。

 

 見た感じ訊いてもまともな答えが返ってきそうにないなこれ。

 少しお馬鹿っぽいけど、こんな可愛らしい容姿で「拙者は豆太郎でござる!」とか言われても困るしこれはこれでいい。

 というか、あれだけAIが発達した世の中なのにお供が定型文でしか反応しないのが気に食わなかったし、こういうふうにリアルな反応をしてくれるのをずっと夢見てたからむしろ感激だ。


 ちょっと豆太郎に構っていたら影が差した。

 スコットさんがおっかなびっくり近づいてきたみたいで後ろから混乱した様子で尋ねてくる。


「アオイ、君は本当に何者だい? いや質問じゃない。ただの疑問だ。答えなくていい。でも高位の魔術使いかと思ったら凄まじい剣士でもあるし、魔物じゃなくて犬だけど、何も無い場所に召喚できる。俺は頭が痛くなってきたよ」


「世の中、知らないことの方が多いんですよ」



 この質問にはさすがに適当に誤魔化すしかない。

 というか、ゴブリンがいつ洞窟から出てくるかも分からないし、そんなにぼやぼやしている時間もないよね。


 豆太郎を呼び出したのはもちろん目的があってのことだ。

 私の視界の隅には周辺を描いたミニマップが投影されている。

 ただこれは私から見える範囲しか表示されない。だから木が邪魔している場所や洞窟の奥は不明のまま。


 そこで探索に特化したこの豆太郎を斥候として出す!

 私の喚び出した忍犬が見た光景は、私も見ることができるし、さらに私のマップに登録されるからだ。



「ねぇ、豆太郎、この洞窟の中を探索してきて欲しいの」 


『いーよー!』



 家の手伝いをする子供のような気軽さで前足を上げて応じてくる。

 ちょっぴり不安な気もしたけど、幾度もゲームでは同じようなことをしているし、ここはぐっと信頼するべきだろう。



「気を付けてね」


『いってくるー』



 小さな尻尾をふりふりさせながら相棒がすぐに闇の中へ消えて行くのを見送った。

 初めてのお使いを見守る母親の気分だわ。



「私たちは一旦、森に隠れましょう」


「あ、あぁ。分かった」


「ちなみに、豆太郎の言葉って分かりました?」


「いや、わんとかきゃんとかしか言ってなかったけど」



 やっぱりかー。



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