見知らぬ世界にくの一'葵’見参!

第2話 くの一「葵」参上! ……あれ?

 私は反射的に立ち上がった。

 大和伝ではこのような突発的なお助けイベントがある。

 たいてい被害者は村人や旅の途中の人々で、相手は獰猛な動物や妖怪のような魔物、もしくは盗賊のような浪人たちが敵キャラだ。

 

 声のした方に走ると、深いやぶみが邪魔をする。

 思わずいつも通りにジャンプをしてみると軽々と三メートルは跳び上がり、太い木の枝に手を掛けられた。

 そのままの反動でお猿のように木々を渡っていく。


 ――あれ? 何か違う。


 やっていることは同じでも木の皮に擦れる手の感触が、浮遊感が、風を切る心地良さが段違いだった。

 違和感だらけ。

 それに体と精神が追いついていないようなふわふわとした感覚。



「きゃっ!」



 不自然さに意識が取られていると、いきなりか細い枝葉が眼前に迫っていた。

 注意散漫が災いを招いた形だ。

 それに驚きバランスが崩れ手が枝から滑って離れてしまい、顔から葉っぱに突撃してしまう。



「きゃぁぁぁぁぁ!!」



 チクチクとする木々の痛みと、内臓が裏返るような無重力からの引っ張られる不快感の二重責めに、思わず悲鳴がもれてしまった。

 視界が開けて飛来する先にはと十歳ぐらいの小さな女の子がいた。

 


「ちょっとそこどいてぇぇぇぇ!!」



 懇願するように叫んだが、どちらもぎょっとしてこちらを見て動かない。

 ついには地面に不時着陸のヒップドロップをかましてしまう。



「痛たた……」



 とお尻を擦りながら呟いたが、実はそれほど痛みを感じていない。条件反射のようなものだ。

 振り返ると少女がいた。

 くすんだ栗毛にあまり上等ではない布の服とスカート。いかにも村娘風の少女は目の端に涙を浮かべながらぽかんとしていた。

 醜態を晒してしまったこともあり、その恥ずかしさを隠すように惚けてみることにする。

 

 

「ハオ!」



 和ませるように指を開いて、ぎこちないものの笑顔を作り挨拶してみた。

 しかし彼女はわなわなと口を震わせながら、私の背後を指差す。



「ん? げげっ!」



 どうやら少女と緑の化物の間に落ちてしまったらしく、そいつは手を振り上げ爪でこちらを攻撃しようとしていた。



「なんとぉ!」



 地面を転がり避ける。少々大げさだがご愛嬌。

 少女の反応が無ければ気持ち悪い手が当たっていたことを考えるとぞっとした。

 

 それにしてもこの生物なんだろう、すごくよく見たことがある気がする。

 小さくて全身緑色で小さいけど牙と角があって――って、もうこれゴブリンじゃん!


 大和伝でも『餓鬼がき』という妖怪が魔物として登場する。それも角があって牙があって多少お腹にでっぱりがある。

 しかしこれとは多少似ていても、やはり別物だ。一体いつから和風ゲームの大和伝に、西洋の代表的のようなモンスターが実装されたのだろうか。


 いつアップデートされた? それともバグ?

 頭の中はパニックでいつの間にか違うゲームへ来てしまったかのような錯覚を覚えた。 


 それはともかく、



「ねぇ、こいつ倒して平気?」



 私が訊くと少女は思いっきり首を縦に振った。


 ならば良し!


 腰の後ろにある忍刀『夜鴉よがらす』に手を掛ける。

 長さは一尺二寸約三十六センチ、まっすぐな直刃で脇差の中でもとりわけ短いこれは『夜に攻撃力が増す』という特殊能力があるのが特徴だ。

 太陽がこれでもかと主張している今は決してガチ武器じゃない。ただし相手がゴブリン程度ならばきっと問題ない。



『ギギギゲェェ!』



 奇声を上げて襲い掛かってくるゴブリン。

 それに向かって私は僅かに腰を落とし一瞬だけ溜めを作る。

 全身に力を入れてはいけない。二割ほどでじゅうぶん。でないと動きが固くなる。

 

 ただし足だけは引き絞られた弓の弦をイメージして――勢いよく走り抜けた。

 体は羽のように軽く逆手持ちにした夜鴉を首筋に一閃し振り抜く。

 

 チン、と忍刀を鞘に納めると鯉口が鳴り、遅れて風が追いついてくる。

 勝負は残像すら出るほどの一瞬だった。雑魚に時間は掛けていられない。


 斬られたことをまだ知らないゴブリンはこちらに振り返り攻撃を続けようとするが、滑稽なことにその動きで傷口が開いた。

 ぱっと紫の血の花が咲き頭が胴から転がり落ちて、すぐに背中から草むらに倒れ伏す。

 流れる血はどんどんと草と地面を染めていき――



「って、あれ? 血? 血が出てんの? いつもみたいにぱーっと光の粒子みたいになって消えないの!?」



 テンパった。正直、グロい。

 この断末魔の顔とかグラフィック懲り過ぎでしょ。

 完全に十八禁じゃん。スタッフ何してんのよ。


 そのリアルさにふと、さっき感じた予感を思い出した。

 まさかな……と思いながらウィンドウを開く。

 うん、ウィンドウが開けるし大丈……ばない……。


 最悪だった。


 ――【ログアウト】の項目が反応しない。

 

 いやまだだ。

 まだ結論付けてはいけない。そんなことあり得ない。

 心臓をぎゅっと掴まれるような苦しい焦燥感が全身を支配してくる。息がうまく吸えない。

 それでもだ。それでもまずはこの少女から話を訊かないと。



「ね、ねぇ、お嬢ちゃん大丈夫?」


「う……」


「う?」


「うぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇん!」



 余裕が無く顔面蒼白になりながら引きつった笑顔で私が首を回すと、堰を切ったかのように号泣し始めた。

 そりゃこんな惨状を目の当たりにしたら仕方ない。けど、マジか。

 最悪の予想がまた一歩確信に変わる。

 なぜなら、


 ――NPCならこんな反応しない。


 演出であったとしてもこんなプレイヤーとストーリーを妨げるようなぎゃん泣きをさせるわけがない。

 

 どうする? どうしたらいい? いや、そもそもなぜこうなった?

 なんでにいる?


 そりゃ現実世界はゲーム以外面白いこともないし、頭が良いとか容姿が良いとかそういうこともなく、お先真っ暗な未来しかない。

 でも母や父もついでに手の掛かる妹も居れば、わずかながら気の合う友人だっている。

 せめて両親と話し合って納得してもらえた上でなら『異世界生活』も悪くないと思う。

 だけどわけも分からないまま別れるのは親不孝が過ぎる。

 

 第一、ゲーム中であるはずの私の体がどうなるのかも不明だ。

 いつか突然ぷつんと死ぬことだってあり得る。

 いやもう死んでいるのか? こんなことならいっそのこと交通事故で死んだとかの展開の方がよっぽどマシだ。

 まだ確定ではないものの、言いようのない怖さに背筋がぶるりと震えた。

 

 まとまらない思考を繰り返していると、溜めていた恐怖を全部吐き出したのか、少女の鳴き声がやんで嗚咽に変わっていた。


 とりあえず、冷静にならなければ。

 自分の状況を確認して、それから考えるのも遅くない。

 まずはこの少女とコミュニケーションを取るべきだ。

 ぱんぱん、と自分の頬を叩き無理やり鼓舞するように納得させる。


 

「大丈夫、敵じゃないよ? ほら」



 私はウィンドウの【荷物】一覧から素材の「かすみ草」を取り出した。

 アイテムの説明欄フレーバーテキストに「沈静化作用がある」と書かれていたのを覚えていたからだ。

 純白の花びらの花が手品みたいに急に手に現れたことに少女は驚いたようで、ようやく目を合わせてくれた。

 「今はこれが精一杯」って言っても通じないだろうなぁ、と思いながら微笑むとそれで安心したのか、おずおずと口を開き始めてくれた。

 かすみ草の香りの効果もあったと信じたい。


 その前に唐草文様の手ぬぐいを出し目元を拭ってあげる。

 なんとなく妹が小さかった頃を思い出す。



「あの、お姉ちゃん。助けてくれて、ありがとう」


「どういたしまして」



 言葉が通じているようでほっとした。

 まだ多少ぐずっているけれど、そんな中でもお礼をちゃんと言えるのは偉い子だ。どこかの妹とは違う。 



「あのね、お姉ちゃん、私『リズ』って言うの」


「そうなの、私は『アオイ』よ」


「私、お母さんが病気で薬草を摘みにきたの。最近ゴブリンの巣ができて外に出ちゃ駄目って言われてたんだけど、ちょっとだけって思ったの。でも見つかっちゃって……」



 ゴブリンと言えばたいていのゲームで登場する一般人でも大人なら一対一で勝てるぐらいのポピュラーな魔物だ。

 それでもこんな小さな子ではひとたまりもないだろう。間に合って良かった。

 

 リズは説明しながらも、俯くように失敗を噛みしめているようだった。

 恐怖を思い出してきたのかまた眉が歪んできた。

 これはまずい、とすかさずフォローする。



「ねぇリズ? お姉ちゃんが手伝ってあげようか?」


「え?」


「すぐに終わるんでしょ? なら薬草集めの手助けをしてあげる」


「本当に?」


「もちろん! 嘘は吐かないよ」



 さすがにここでこの子を見捨てるのは何か違う気がした。

  


「ありがとう!」



 それでようやく信頼してもらえたようだ。

 唇が弧を描き笑うと乳歯が取れたばかりなのか、前歯の一つ隣の歯が抜け落ちているのが覗けた。



「ちなみにさ、大和伝って知ってる?」


「ううん、知らない」



 ですよねー。



□ ■ □



 肝心の薬草自体はすぐに見つかった。

 元々群生地を知っているようで、そこに向かう途中にゴブリンと出くわしてしまったらしい。


 見たことも無い、と言ってもそもそも草とか花にそんなに知識があるわけじゃないのだけど、知らない草だった。

 試しに一房、ウィンドウの【荷物】に突っ込んでみた。

 すると、【不明】というタグが付いた。

 さらに低レアにしか効果がないが永久に使える『鑑定眼鏡』を取り出し使ってみると、


 名称:『アグモニー草』

 説明:主に薬草として知られており、煮詰めて灰汁を取り、濾すことにより僅かな疲労回復などが見込まれる。


 という説明が書き足され、【アイテム】【消費】というタグも付いた。

 

 こうなってくると困るのは私だ。

 ひょっとして、万が一、いや億が一にも『異世界転移』のような事態が起こったのかと思ったが、どうにも中途半端にゲーム要素が残っている。

 つまり判断がつきにくい。

 無茶苦茶な話だけど、例えば大和伝の運営会社が新しいゲームを作っていてそっちのサーバーにゲームキャラごと巻き込まれた、なんてケースも微レ存……。



「ねぇったら、ねぇ、お姉ちゃん!」

 


 リズが袖を引っ張ってきて、そこではっと意識が引き戻された。

 考え込んでいたみたいだ。



「ごめんごめん、何?」


「さっきから指を動かしているの何?」


「ん? えーと、魔法、みたいなものかな」


「わぁ! このお花を出したものね?」



 泣いたカラスがもう笑ったとばかりに笑顔を浮かべて、リズは腕で抱えている木で編まれたようなバスケットに視線をやった。

 さっき私が出したかすみ草と、薬草が半々ぐらいに入っている。


 

「そうそう。そんな感じ」


「お姉ちゃんは魔法使いだったの?」


「え? そ、そうね。そうよ。ところで薬草はもう集まった?」


「うん、これだけあれば大丈夫」


「じゃあそろそろ村に帰らないといけないんじゃない? 送っていくわ」


「ホント? ありがとう。こっちよ」



 リズに案内されるがままに来た道を戻る。


 結局、薬草の群生地から森を抜けるまで片道一時間も掛かっていない。

 ただデコボコとした地面に木の根に足を取られそうになったり、藪の枝に服を引っ掛けそうになったりとなかなかに森の中の移動はすぐに慣れたけど最初は大変だった。

 おそらくこのアバターではなく現実の私であったら途中で休憩三回は挟んでいる。 

 幼い少女は意外に健脚のようだ。



「あそこよ」



 森の境目から出ると木で作られた家々が見えた。

 腰ぐらいまでの高さの簡単な柵がぐるりと覆っていて、確かに村だ。


 入り口近くに行くと「おおーい」と口髭を生やしたお爺さんが手を振ってきたが、すぐに訝しげな視線を向けてくる。

 


「タガットさん!」


「おう、リズ。今ゴブリンが湧いてるから外に出るなと言ったろう。で……お前さんは何者だ?」



 リズを自分の後ろにやり、一段下がったトーンで尋ねてくる。

 


「私は葵と言います。旅の途中でして。気が付いたらあの森にいたんです。リズちゃんがゴブリンに襲われているところを助けました」


「何!?」


「本当よ、タガットさん! お姉ちゃんが助けてくれたの!」


「お前な……」



 お爺さんは複雑そうな表情をした。


 勝手に出歩いて怒った方がいいのか、助かって良かったと喜ぶべきか、毒か薬かも分からない厄介者を連れてきて呆れているのか、推し量ることは難しい。

 

 まぁ素性が明らかじゃないよそ者は怪しんで当然だと思うけれど。



「その、荷物とかもほとんど失くしちゃって。できればどこかで手荷物を換金して宿に泊まりたいんですが」 



 少し脚色した。さすがにくノ一やっててお城に忍び込んだらここにいました、と言っても通じないだろうから仕方無い。

 それに荷物を持たない旅人というのもおかしいので失くしたということにした。

 

 それでもジロジロと見られた。

 やっぱり気になるのは腰に提げた『忍刀』だろうか。

 刃物を持ち歩いていたらさすがに警戒されるか。

 ウィンドウに仕舞ってもいいけど、咄嗟の際に対応できなくなるのは困る。



「お姉ちゃんは大丈夫よ! 良い魔法使いなの! ほらこの白い綺麗なお花も出してくれたわ」



 リズがかすみ草の入ったバスケットを持ち上げ助け船を出してくれた。



「あぁ……ん~そうか。まぁリズを助けてくれたみたいだし。村ではもめ事は起こさないでくれよ。俺は一応村長とかにも伝えておくから」



 子供に純真そうな目で見つめられると、どこの世界でも大人は弱いみたいだ。

 まだ納得しきれていないものの受け入れてはくれるらしい。

 


「分かってます」


「道具屋はあるから、換金したいならそっちに行くといい」


「私が案内するわ! あっ、そう言えばゴブリンの魔石を取るの忘れてたね」


「魔石?」


「うん、魔物には魔石っていうのが必ず体にあるの。お金になるからお姉ちゃん忘れずに取っておいた方がいいわよ」


「分かったわ。今度から注意する」


 

 と肯定したものの、あんな死体の体を漁る勇気は無い。

 生き物を倒した忌避感は相手が魔物だからかかなり薄いけど、解体となると別だった。

 それでもこの世界を生き抜くためには必要なことなんだろうと考えていると、



「あー、言いにくかったら言わなくてもいんだが」


「何でしょう?」



 まだ遠慮がちな目で見てくるお爺さんが訊いてくる。



「お前さん、何でそんなおかしな格好をしてるんだ?」



 あー、そっちか!

 そりゃこの風景に忍者服は合わないね。



「いやー、なんででしょうね。格好良くないですか?」


「「全然」」



 ハモられた。

 おかしいなぁ、格好良いはずなんだけど。



 とりあえず、その場は適当に言って村の中を案内される。

 でも道具屋より先にリズの家だ。

 荷物も置かせたいし、本当にお母さんが病気で薬草に効果があるならそっちを優先してもらいたい。

 そう広い村じゃないから方角だけ教えてもらえばお店は大体分かるはずだし。


 歩くと注視されているような村人たちの視線が痛かった。

 今は頭巾を取っているからまだマシだけど、これで頭まで被って顔を隠していたらもっとひどかったに違いない。

 もしかしたらリズも、最初怯えていたのはこの忍者衣装のせいだったのかも。

 確かに全身黒ずくめだったら怖いよねぇ。



「ここよ」



 考えているとあっという間に着いていた。

 途中で見かけた他の木造の家となんら変わりない。

 ドアを引くと古い蝶つがいからはぎぃと軋む音がした。

 中も大体予想通りな感じで、年季の入った色合いの木製の机や椅子などの家具が使われていて壁には大きな毛皮もあった。


 そこに椅子に座って編み物をしている二十台半ばぐらいの女性がいる。

 年頃から言ってリズの母親だろう。



「お母さん! 寝てなきゃだめじゃない」


「平気よ、今日は調子が良いの……ゴホッ」



 言いながら咳をしている。

 少し頬がやつれていてあまり元気なようには見えない。

 


「やっぱり!」


「いいから。ところで、そちらの方は?」


「すみません、さっきリズちゃんと森で出会って村まで案内してもらいました」



 ゴブリンに襲われていた、というのはあえて伝えない方が賢明だろう。

 この状態で心労を増やしたくない。



「そうよ、薬草摘みを手伝ってもらったの!」


「今は危ないからあれだけ行くなと言ったのにこの子は……」


「痛ひ……」



 リズが頬っぺをつねられた。

 そりゃあんな命の危険がある場所に危険を顧みず娘が単身で向かったら心配にもなるだろう。

 特にこの子はちょっとやそっとじゃ耳を貸さなさそうだし。



「あ、あの私はこれでお暇します。お母さんに薬草を作ってあげて」


「お姉ちゃん、私が村の中を案内するって言ったよ?」


「いいから。早く作ってあげて。あとその白い花、見てるだけで落ち着く作用があるみたいだから適当に飾ってあげて。じゃあね」



 私は逃げるように扉を閉じた。

 やましいことはない。けれど今は不審者にしか見えない私が彼女に近付くと、やはりお母さんの心配を助長させてしまう気がする。

 だから早いとこ別れた。


 適当に歩くと知らない文字と絵が描かれた看板の建物を発見した。

 風雨でだいぶ掠れていて、元から読めない文字がさらに読めなくなっていたが、絵の方は何となくカンテラのように見えなくもない。

 『鑑定眼鏡』を使うと『道×屋テレサ』と表示された。

 道具屋で正解のようだ。しかし読めないところまで再現するとは。


 ともかく扉を開けて入る。

 上部に鈴が付けてあってカランと小気味良い音がした。


 中はハンカチのようなものに始まり、塩のような調味料から看板にあったランタンまで雑多に置いてある。

 変な民族っぽい木のお面まであって、どこかの修学旅行のお土産屋の雰囲気を思い出した。

 そして薄っすらと鼻孔をくすぐるのはお香のような匂い。色々と興味をそそるものが多そうな雰囲気がしている。


 正面のカウンターに視線を戻すとお婆さんが一人で船を漕いでいた。

 なんで無用心な、というのが最初の印象。

 知り合いしかいない村だから警戒心も薄いのかも?



「あのー、すみません」


「んあ……」


「お休み中のところ申し訳ないんですけど、買い取りってできますか?」


 苦笑しながら耳元で声を掛け、それでようやく覚醒してくれた。 

 鈴の音に気付かないなら付けてる意味ないよねぇ。

 


「あ~……。儂ゃ寝とらんよ」


「いや、それは構いませんけど、買い取りをお願いします」


「買い取り? しなくもないが……変な格好の娘じゃな」



 お婆さんは眠たそうな目をこすり、私を認識するとぎょっと驚いた目で見てくる。



「知らないんですか? 最近街じゃ流行ってるんですよ?」


「はぁーん、奇妙なのが流行っとるんじゃな。それで、何があるんじゃ?」



 意外とすんなり流行りという理由で押し通せた。

 他の装備もあるけど、いつ何があるか分からないしできる限り防御力の高い忍者服は脱ぎたくない。しばらく見た目の言い訳はこれでいこう。



「えーと、これです」



 私はジャケットのポケットに予め入れていた『小判』を取り出しカウンターに置いた。

 大和伝の貨幣だ。



 色々悩んだけど、村に来る前にリズからこの世界の貨幣は銅貨、銀貨、金貨があるということを訊いていた。

 だから同じ金ならそれなりに価値が付きやすいはずだと思う。それになんたって小判なら数十万両あるから一枚や二枚どころか百枚売ることになったってどうってことない。



「なんじゃこりゃ?」



 初めて見た代物なのだろう。目をパチクリさせた後に顔を近づけてじっくりと見つめてくる。

 このリアクションは予想通り。用意していたストーリーもある。



「かなり遠い国の昔のお金だそうです。父の形見で引き継いだんですが、今荷物を失くしてしまって背に腹はかえられず、売り払ってしまおうかと思いまして」


「ふーむ」


 

 手に取り、爪で弾きその音を聞く素振りをする。

 ちょっと焦る。深く考えもしなかったけどこれ実は金メッキだったらどうしよう。

 詐欺で警察呼ばれるかな?



「あ、あのどうでしょうか?」


「その発掘された国はどこじゃ?」


「いや、それは詳しくは知らないんです。どこかの骨董屋で買ったんだと思うんですけど」



 これ以上突っ込まれたら答えようがないので遺品ということにして、もし何か問い質されても知らぬ存ぜぬで通すつもりだ。

 お婆さんは首を捻り目を閉じ黙り込む。



「ぐぅ……」


「ちょっと! 寝ないで!」


「寝とらん寝とらん」



 嘘だ、今絶対いびきかいてた。

 


「それでどうなんでしょうか?」


「まぁ金の含有量は多そうじゃし、大昔の金貨の可能性はある。ただ学術的や趣味人に価値があってもこんな田舎の村じゃ売りさばけん。だから安くなるぞ?」


「構いません」


「なら、金貨二枚じゃ。もっと大きな街ならうまくすればこの十倍はいくかもしれんが。すまないね」


「二枚か。それでお願いします」


 

 取引き的に良かったのか悪かったのか、どうなんだろう。

 とにかく今は現金が欲しかった。

 これなら一枚じゃなく三枚ぐらい出せば良かったかな。今更遅いけど。


 私が頷くとお婆さんは五百円玉くらいの金貨二枚と交換してくれる。

 価値基準が気になるところだ。



「あの、この村って宿ってありますか?」


「あるよ、空き家に手を入れた宿というか村営の借家みたいなもんだけどね。たまにやってくる行商人たちに使ってもらってる」


「そこの宿賃ていくらぐらいですか?」


「あぁ銀貨五枚さ。その金貨二枚で四日分。長くなるようだったら多少割り引いてくれるかもね」



 ということは、銀貨十枚で金貨一枚分か。

 日本だと素泊まり四千円~六千円ぐらいだから、大体銀貨一枚が千円。金貨一枚が一万円ぐらいでいいのかな?

 なら今の手持ちは二万円。二十kか。

 思ったよりもカツカツかもしれない。



「今から借りられます?」


「今は誰も来とらんから村長に言えばむしろ歓迎されるじゃろ。村長の家は出て右手にある少し大きめの家だよ」


「ありがとうございます」



 そのまま踵を返し外に出る。

 空はもう薄く茜色に染まってきていた。

 

 村長の家はすぐに分かった。なにせ他と違って二階建てだ。

 行くと入り口にいたお爺さんが話を通してくれたらしく、宿を借りたいという話はすんなり通る。

 部屋の奥でじっとうさんくさそうにこちらを見つめる二十代前半の若者がいた。村長と顔立ちが似ているので息子っぽい。

 金貨一枚でとりあえず今日と明日の分を支払うと、鍵をもらえる。


 宿となる建物は他の家とほとんど変わりなかった。

 雰囲気は小さなコテージに泊まりにきたようなものだ。

 鍵を開け中を拝見すると元々の民家をそのまま使っていると言っていた通り、机や椅子など最低限の家具がある。


 机の上に置いてあるのは鉄の受け皿に蝋燭が三本。

 まさかの夜の照明は蝋燭だけらしい。


 奥に部屋があってそこにシングルベッドが三つあった。

 とりあえず寝られたらいいって感じで無理やり突っ込んだ感じがする。


 私はベッドに腰掛け深く息を吐き、仰向けに倒れた。



「はぁ……」



 人が見ている前では考えないようにしてたけど、もう駄目だ。これは決定的だ。

 さすがに認めざるを得ない。 


 ――異世界だ。


 触れると冷たい白い掛け布団に体を預けながら力が湧いてこない。

 無気力で空しさだけが胸にわだかまる。


 憧れたことはあったけど、だって突然だもんなぁ。

 身内が誰もいなくて死んで転生とかならまだしも、このままいきなり行方不明ではさすがに家族に申し訳が無さ過ぎる。

 それに目的もなく放り出されてやる気が出るって方がおかしい話だ。


 数十分ほどそうしてたそがれていただろうか。急にお腹が、ぐーと鳴る。

 その音に自嘲気味に笑いがもれた。

 こんなときでもお腹は減るんだね。

 

 閃くと、試しにウィンドウを開き【荷物】から『おにぎり』と『お茶』を出す。

 どちらも大和伝の回復アイテムだ。

 あっちでは使用ボタンを押すと、パッと消えたけど、ここではあえてそうはしない。

 

 もしかしたら食べられるんじゃない?

 これが成功するなら当面の食料問題は解決だ。

 

 『おにぎり』は竹の笹に包まれていて三つ海苔のりに巻かれたおにぎりが入っている。

 『お茶』は焼き物のコップに薄っすらと湯気が立ち上っていた。

 コップの側面はちゃんと温度があって熱い。


 左手にお茶を持ったまま、ベッドに笹を置き一つずつ口に入れた。

 パリっと乾燥した味付け海苔の小気味良い音がして、もちもちっとした米粒を噛みしめる。


 ――美味しい! これは鮭。こっちは梅。最後は鰹か。


 塩加減も良い塩梅に降りかかっていて大満足の検証結果が得られた。

 【荷物】に入っている食材が普通に食べられるなら有限だけどこれは嬉しい。

 自分でも驚くほど空腹だったのか、完食するまで1分と掛からなかった。

 ベタつき少し塩味がする指を舌で舐め全てを胃におさめて、ずずずとお茶をすする。

 


「はぁ……」



 今度はさっきと違って至福のため息だ。

 日本人って良いね。


 ただ問題は数だ。

 もちろん所持数限界の九十九個まで購入している。でも、裏を返せばあと九十八個で終わりでずっとこれに頼ってばかりいられない。


 気持ちも一旦落ち着いたし、とりあえず使える物の確認をしようと思う。

 きっとこれからの生命線になる。

 私はまたウィンドウを操作する。


 【忍術】はOK。SP精神力を消費して魔法みたいな現象を起こせるものだが、エフェクトが派手なものが多いので明日本当に使えるか実験しよう。

 【荷物】は今もできたから大丈夫。いわゆるアイテムボックスだね。

 【スキル】これは簡単に説明すると壁を歩いたりできるパッシブ系の忍術だ。指先一つで【暗視】をONにすると視界が様変わりしたので問題無い。

 【装備】武器を変更すると直ちに腰の忍刀が変更された。頭装備については頭巾は目立つし明日からは耳飾に変更しよう。


 ほぼ大和伝の時の通りだ。


 次に調べるのは身体能力。

 一度立ち上がり人指し指と中指、親指の三本だけでベッドに力を入れると、体が浮く。

 自分の体重が全く感じられない感覚で逆立ちまでもっていけて腕立てならぬ指立てまで可能だった。


 指だけでの倒立もぷるぷると震えることなくスムーズに行える驚異的な身体能力だ。

 元の女子校生の体のままなら普通の腕立てだって十回が限界だったってのに。 


 どうやらこの体には‘くノ一葵’としてのアバターのステータスがきちんと反映されているようだった。

 そう考えると、本当の肉体であんなゴブリンのような魔物がいるこの世界に放り出されなかっただけマシというものかな、と他人事のように思う。

 


「あれ? これって……」



 私は最後にウィンドウの端にあるメール欄を開くと、新着で一通届いているのに気が付いた。

 日付は――私が城の任務をしていた‘その次の日’になっていた。



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