5話 誘拐

 弥一は焦っていた。

 駅から学校まで徒歩15分ほど。一番の問題は、途中にある巨大建造物だ。

 20メートル程度と高くはないのだが、とにかく幅が広い。まるで壁だ。これさえなければ7分は短縮できる。

 遅刻まであと5分。全力で走っても間に合う気はない。


 ならばと、弥一は建物に向かってダッシュした。


 迂回したら数分かかるところを30秒で登り、建物の屋上を横切るまで数秒。飛び降りればこれも数秒。1分もかからず越えることができる。

 建物の向こう側には高い木があるのは事前にわかっている。そこへ飛び移る算段だ。自分の身体能力を考慮すれば、できないことはない。


 敷地内に入り、建物のなかでも凹凸の多いところを選び、弥一は飛ぶ。

 雨どいのパイプを蹴り上の階の突起に手をかけ、体を一気に持ち上げる。片手懸垂で彼は鉄棒を腰の辺りまで一気に持ち上げられるだけの力があるのだから、これくらいわけない。

 そして壁にある出っ張りを蹴り、雨どいのパイプへ飛び移ってよじ登り、上の階の突起に手をかける。それを繰り返しどんどん登っていく。


 屋上まで27秒。今日は調子がいい。この分なら遅刻せずに────。

「えっ?」


 屋上に誰かいる。自分と同じ年ごろの少女だ。突然現れた弥一を驚愕の表情で見ている。

 やばい、見られた。弥一は焦る。住居侵入罪である。

 本来であれば、会社であるこの建物に、自分と同じくらいの少女がいるのはおかしいと気付くはず。しかし気が焦っている彼はそこまで頭が回っていなかった。


 別の学校の制服であるが、着ているということはどこかの生徒だということだ。彼女は大きなバッグを床に置き、何故こんなところにいるのか。

 そんなことよりも、弥一には時間がないのと、犯罪者になってしまうというふたつの焦りがある。少女とは逆のほうへ顔を向け、ダッシュで屋上を駆け抜け、飛び降りた。


(顔、顔さえ見られていなければ……!)

 制服とこれから向かう先を考えれば、天が丘学園高等部の生徒であることは明白。だけど顔がわからなければなんとかなるかもしれない。短絡的だが、精神が不安定なあの状況ではそれを考えるのが精いっぱい。あとはどうにでもなれだ。


 そして少女は全力で学校へ走る弥一をずっと見続けていた。

 弥一はといえば、全力疾走とショートカットのおかげか少し余裕を持って校門をくぐることができた。

 あの一瞬で少女が飛ばした謎の物体が背中に当たったことに気付かぬまま。




 本日は稔がバイトですぐ帰ったため、弥一ひとりで帰ることになった。

 少女怪盗のおっかけをするのは金がかかるのだ。昼食代を削るだけでは足りないため、週2回はバイトをしている。


 歩道のない道路を歩いていたところ、一台のワゴン車が後ろから近付き、弥一の横で幅寄せしてきた。

 危ないなと思いつつ弥一が壁際にへばりつくように寄った瞬間、ワゴン車のスライドドアが開き、なにものかが弥一の頭に袋を被せ車内に引きずり込んだ。

 声を出そうとした瞬間、首が強く締められる。紐を抑えるため両手を使わねばならず、できることは両足を暴れさせ抵抗するくらいだ。


 そうしている間に弥一は大きな袋に入れられる。手は縛られていないため、頭に被せられた袋を取ることはできたが、袋の中で不自由なことには変わらない。

 引き裂こうと思い内側から袋の皺部分を掴む。だが掴んだ瞬間にわかる。これは力づくでどうにかなるものではない。

 ビニールではなく布製なのはわかる。だがこれは通常の生地ではない。ガラス繊維か、はたまたケブラー繊維か、FRPの作成に使われるような生地だ。繊維を織り込んで作られているため通気性はあるが、伸縮性もなければ破断強度は服などとは比べものにならないほど丈夫である。


「おい! 僕を捕まえてどうするつもりだ!」


 叫んでみても返事はない。暴れようにも身動きがとれない。これで騒いで相手を怒らせ、暴行を受けたら今後脱出するにも影響が出ると考え、押し黙る。


「────で、いいのか?」

「────じゃない! だって────」


 男女の話し声が聞こえる。どちらも弥一には聞き覚えのない声だ。


 捕まった原因を探る。実家は貧乏というわけではないが、山奥の田舎だ。金目当てとも思えない。学校も別に金持ちが通う名門というわけでもない。

 自身の周辺でのトラブルを考える。最近でなくとも、特にこれといった問題が発生したわけでもない。

 つまり金目当てでも怨恨でもないわけだ。とはいえどちらにも無差別という可能性もある。誰でもいいからとにかくさらって金を取る。或いは学校自体に恨みがあり、嫌がらせのために生徒であれば構わなかったとか。


「うごっ」

 突然車が曲がり、弥一は転がってぶつかった。袋に入っているせいで身動きが取れず踏ん張ることができない。それに視界がないからどこにぶつかるかもわからない。

 そして酔ってきた。しかしここで吐くことはできない。もし吐いてしまったら袋の中で自分が大変なことになってしまう。


 車はそれ以降も散々左右へ曲がり、ごろんごろんと転がりあちこちへ激突した弥一は、いつの間にか気を失ってしまった。

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