・発光体、あるいはみみみがわからない

「みみみ」


 みみみはいつも通りみみみと言う。みみみがなにを言っているのか僕にはわからないままであるし、そもそも、みみみにとってのみみみという発声はみみみ以上の意味を持っているのかすら不明だ。僕はみみみの幼げな顔をじーっと見つめる。


「みみみ」


 みみみはいつも通りみみみと発声したあと、あどけない表情のまま首を捻って、また、みみみ、と口にした。出会った時からそうだったけど、相変わらずみみみの顔には喜怒哀楽があらわれない。みみみの表情の内実を強いて語るならば、不思議そう、といったところにまとめられるのかもしれないけど、僕にはもはやそれはみみみという感情としか言いようがなかった。だから、今日もみみみの発するみみみという音から読みとれるのはただただみみみという意味であって、みみみという感情としか名づけようがないものであるのだ。


「みみみ」


 だから僕もまたみみみの気持ちになろうとみみみと言ってみるんだけど、みみみの意味を知らないで発しているみみみという声なので、みみみ以外の意味や感情がこもるはずもなくて、ただただ意味もないみみみになってしまう。わかっていないのだから、当然、みみみが発しているみみみとはまた違う意味のみみみなんだろうなと思いつつも、みみみが言っているみみみの意味がわからないままなんだからしょうがないだろう、と意味不明の発信ばかりしているみみみとみみみの声に八つ当たりしながら途方に暮れるのだった。みみみ。




 僕がみみみと初めて出会ったのは、会社からの帰り道。半ばぐったりとしながらふらふら歩いているところ、突如として空から光が降りそそいできた。なにかと思って視線を上げると、丸い発光体が空に浮かんでいた。最初こそ、巨大昆虫だとか近付いてきた飛行機だとか疲れすぎて見た幻だとか、自分の常識の及ぶ範囲の解釈で片付けようとしてたけど、発光体が高度を落として近付いてくるにつれてどうにも違うみたいだぞと理解した。


 UFO。よくテレビで見る胡散臭い名称が頭に浮かぶのとほぼ同時に、発光体は僕のすぐ目の前に下りてきた。その時になってようやく湧きあがってきた危機感は、テレビ番組で見た牛がUFOにつれて行かれるやつだとか、謎の金属を体に埋めこまれたりするやつだとか、嘘か本当かもわからない情報によるものだった。同時に急にやってきた非日常に対するわくわく感みたいなものもあって、宇宙人ってほんとにいるのかもしれない、なんて野次馬根性じみた気持ちもわきあがる。とにもかくにも目の前にある発光体の動向を固唾を飲んで見守っていた。


 不意に頭の中になんらかのイメージが浮かびあがる。直感的に発光体からのものだと察した直後、僕の口が開いた。


「みみみ」


 わけもわからずそう言ってすぐ、発光体が人の形をとったかと思うと、年端のいかない少女が姿をあらわす。白い髪をしたあどけない顔をした女の子が白い布を羽織っている。


「みみみ」


 今ではおなじみになったみみみのみみみという声。これがみみみとのファーストコンタクトだった。みみみ。




 その後、立ち尽くすみみみ相手に僕は自分の名前を口にしてみせたあと、君の名前はとか、君は宇宙人なのかとか、何のためにやってきたのかとか、意味のあるなしにかかわらず色々と尋ねてみたけど、みみみはどの問いかけに対してもみみみと口にするのみで、みみみ以外の答えを得ることはかなわなかった。


 そうこうしているうちに夜間巡回をしていたパトカーがやってきて、あれよあれよいう間に職務質問を受けることになった。僕は正直に答えようと思ったけど、そうしたら明らかに頭がおかしいと判断されそうだったので、とっさに徘徊していた女の子をみつけて保護したという設定を作りあげて話した。もちろん、そんな説明をしても怪しいものは怪しいままだったから、交番に連れて行かれてこってり絞られたりもしたけど、僕にそれ以上説明できることなんてなかったし、みみみはみみみとしか言わないままだったから、おまわりさんたちも途方に暮れてしまって、住所や連絡先を伝えたうえでとりあえず解放された。その時、みみみはおまわりさんたちが預かることになり、とりあえず一件落着となった。


 当時みみみにみみみという名前すらつけていなかった僕は、みみみという厄介事から離れられることにほっとしたり、みみみ自身がいったいなんなのかという謎にもやもやしたり、みみみと離れることをちょっとさみしく思っていたり、割と複雑な気持ちを抱いていた。とはいえ、僕らがいる社会的な説明としては迷子の女の子を保護したという本当か嘘かはどうでもいいけどまあそんなような事実が残るばっかりだったから、まあ仕方ないか、とあきらめて早々と帰宅した。みみみ。




 けれど翌日、休み特有のけだるさを抱えたまま目を覚ますと、みみみが大きくこぼれそうな目で僕の方を見下ろしていたんだからたまらない。鍵のかけてあった部屋にどうやって忍びこんだんだとか、そもそもなぜここにいるんだとか、諸々の疑問が浮かびあがったけれども、とりあえず昨日、おまわりさんからなにかあったらということでもらった電話番号をスマホに入力した。またもや誘拐犯扱いされるんじゃないだろうか、なんていう不安を抱えつつどきどきしている中で繋がった電話に出たおまわりさんに、もしかしてあの女の子は隠し子なんですか、なんていう見当違いも甚だしいことを聞かれ、違います僕は童貞です、なんて言わなくてもいいカミングアウトをしてしまったりした。とにもかくにも、みんな混乱していたのだろう。


 その時はまたおまわりさんたちに預かってもらうということで難を逃れたのだけれど、何度試してもみみみは僕の家に戻ってきた。なんでうちにやってくるんだ、と尋ねたところで、答えは決まってみみみ。君は何者なんだと尋ねても答えはみみみ。お腹減ってないか、と尋ねながら買ってきたばかりのミルクレープを差し出せばみみみ、と言ってから端から噛みついていって、立て続けにみみみと口にしようとするものだからこぼれそうになった。とにもかくにも、おまわりさんもそのうちあきらめて、みみみは僕のうちに居つくようになったのだった。みみみ。




 そして今現在、みみみが家に居ついてから数ヶ月。みみみと一緒にいると色んなことがあって飽きなかった。服を着せようとしたらみみみと口にするみみみに嫌がられたり、宇宙人学者と名乗る白衣姿のおじいさんがやってきてみみみを見にきたのだけどみみみに触ろうとして手ひどく噛み付かれたり、黒服姿の屈強な外国人の方々がやってきてみみみを連れて行こうとしたけどやっぱり僕の家に戻ってきたり。とにもかくにもみみみは僕の家を安住の地と定めているみたいだった。理由はわからないけど、とにかくみみみは今もここにいる。


「みみみ」


 みみみは今日も変わらずみみみという声でみみみと伝えてくる。


「みみみ」


 もう僕は意味なんて考えないでただみみみと答える。みみみ以外の意味なんてわからない。たぶん、みみみはみみみなんだろ。もちろん、みみみが口にするみみみもみみみなんだろう。みみみはみみみ。みんなみみみでみみみみみ。


「みみみ」


 みみみのみみみに僕もみみみと頷いてから、さっきまで冷蔵庫で冷やしていた三ツ矢サイダーのプルタブをあげてプシュッとさせると、みみみと言ってみみみの方に差し出してみせた。みみみもみみみと応じてから缶を受けとって、みみみと口に含む。そうして喉を一回二回三回と鳴らして含んだあと、唇を缶から離し、みみみとサイダーを僕に差しだす。


「みみみ」


 お礼、というよりもみみみという意味を込めて僕は缶を受けとりサイダーを飲みこんだ。なんというか、最高にみみみでみみみだった。みみみもいつになくみみみだったからみみみでみみみだ。みみみ。

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