三物語 想い

 ハラリ。ハラリ。

 白い雪は重さが無いのかの様に中を舞う。黒の礼服に身を包んだ私は、白銀の世界を進む。何度も通った道をまるで何かに引き寄せられるかのような足取りで歩く。

 ピタリと立ち止まったのは、どこにでもある様な墓石の一つ。

 この墓石の前に立つと、必ずあの時のことを思い出してしまう。

 そういえばあの時も、今日の様に雪が舞う寒い冬の日だった。




          〜二十二年前〜

            Sid S


 微かにアルコールの臭いが鼻を突く。目を開けると、視界には無機質な天井と申し訳程度につけられた蛍光灯の灯りが映り込んだ。腕を上げようにも鉛のように重く、自分の手では無いかのごとく言う事を聞かない。

真理まり! 気付いたか!」

 叫ぶ様に私の名前を呼んだのは深藤英斗しんどうえいと。彼の姿を見ると思わず微笑んでしまう。彼も私が微笑んだからか、フッと息を吐き出した。そんな彼は、握っていた私の手を放すと、枕元にある。ナースコールを押した。腕が重かったのは、ただ単に彼が手を握って固定していたからの様だ。

 私は名家である遠浅とおあさ家の一人娘。二歳年上の英斗とは親が決めた許嫁である。今の時代には馴染みの無い政略結婚というものだが、別に彼に不満は無い。むしろ出逢って良かったと思っているくらいだ。

「私はどうなったの?」

「六時間位前にいきなり倒れたんだ」

「そう。心配かけたわね」

「そんな事無いさ。すぐ元気になる」

 部屋には私と英斗の二人だけしか居なかった。そのため、少し広く感じてしまう。すると、コンコンとノックすると共に数名の看護師と四十代後半くらいの医師が入ってきた。

「目が覚めたようですね。……主治医の西野透にしのとおるです。これから少し検査をしますので廊下で待っていてください」

 彼はその指示に従い廊下に退室すると同時に検査が始まった。とは言っても、脈を計ったり、質問された事に対して答えていくと言った当たり障りの無いものばかりだったが。十分程で全ての検査が終わり西野先生たちは退出して行った。


   残り 二十四時間



          Sid H


 廊下の窓からは灰色のくすんだ雲が空を満たしている。夕日も沈み、唯一の光源である蛍光灯も弱々しい光しか放てていない。その弱々しさは、まるで今の自分の内面を代弁しているのかのようだった。

 『心筋異常炎症』

 真理の為に付けられた病名。この病名を聞いた時はあまりピンと来なかった。しかし、西野医師からなされた説明は俺の想像を遥かに超えていた。

「元々弱かった心臓の筋肉が過剰な使用により、異常に炎症を起こしている状態です。

 今は何とかその炎症を抑える薬を打って繋ぎ止めていますが、恐らくそれも長くは効かないでしょう。

 次ぎに倒れたら、その時は覚悟して下さい」

その言葉は俺を絶望の底へ落とした。

「英斗さん。まだ、諦めないで下さい。真理さんが助かる方法があります。臓器提供があれば助かる見込みが出てきます。今私たちもドナーを探している最中ですので諦めないで下さい」

 良かった。そう思い肺に入っていた息を大きく吐き出した。それと同時にカツ、カツ、と音を鳴らしながら近づく一組の人影が見えた。真理の両親だ。偶然にも真理が倒れた時に二人は県外へ仕事に出ていた為、病院に到着するのが遅れたのだ。

「英斗君、真理はどういう状況なんだ?」

 父親である孝三こうぞうの問いに答えたのは西野医師だった。俺に語った事を一言一句違わずに告げた。診断結果を聞き終えた孝三さんと母親の海枝うみえさんの二人は、少し考えた素振りを見せると西野医師に向かって口を開く。一瞬、躊躇うように目を伏せたが最後は告げた。

「真理の血液型はA型RhK0《アールエイチケーゼロ》なんです。それでも臓器提供は望めるでしょうか?」

 その一言を聞いた途端、西野医師の表情が一変した。『A型RhK0』その単語には聞き覚えがある。世界的にも貴重な血液型。そんな貴重な臓器が提供されるというのは考えにくい。もしかしたらそんな提供者が現れるかもしれないが、臓器が届くまで理恵の命は持たないだろう。

両親と西野医師の視線が床に落ち、廊下は異様な静けさに包まれる。

「あの、俺なら臓器を提供出来るかもしれません」

 静かな廊下に響いた俺の声に、全員の視線が一斉に自分に向く。

「俺、A型RhK0です。臓器提供出来ると思います」

「しかし英斗君、それは……。まだ可能性が残っているんだ。まだ諦めるには早い」

「無理なのは承知の上です。彼女は元気になると言ったんです。真理が死んでしまって、自分だけがのうのうと生き残ったら、自分が許せないんです。例え俺が――」

「分かりました」

 まるでその言葉を言わせないこのように俺の言葉を遮った西野医師は了解の意を示す。

「先生!」それに対して孝三さんが声を荒げる。

「もちろん、それは最後の手段です。しかし、いつまでも待っている訳にはいきません。タイムミリットは明日の午後十二時です。それがお嬢さんが手術に耐える事のできるギリギリのラインです。

 ご両親は娘さんに会って行って下さい。喜ぶと思いますよ。それから深藤さんはお話があるので少しの間いいですか?」

 それを合図にその場は解散となった。俺は小さな会議室のような部屋へ連れて来られると座る様に促された。

「本当に臓器提供をするつもりですか?」

「はい」

 じっと俺の目を見つめるとフッとその表情を崩した。

「こんなに想ってくれる許嫁がいるなんて、真理さんは幸せ者ですね。

それにしても、いいなづけ同士で同一の希少血液。神の悪戯のようですね」

「彼女と出会ったのは希少血液バンクなんです」

「なるほど、それで……すみませんがサインして欲しい書類が幾つかあるのでお願いします」

 数枚の紙とボールペンを渡され、迷う事無くサインして行く。書類の内容は思っていた通りだった。滞り無く全て書き終わると書類を渡す。

「真理の事、頼みます」

「はい、任せて下さい。必ず助けます」

 そう言うと西野医師は会議室から出て行った。

 一人残された会議室は思ったよりも静かで寂しかった。


   残り 二十一時間


 病室のドアを開けると真理が何やら編み物をしていた。縫い始めたばかりで何を作っているのか見当もつかない。

「私、死ぬのかな」

 唐突に紡がれた言葉は俺に大きな衝撃を与えた。驚いている顔をしている俺を見てクスリと笑うと、隠すのが下手と言う。

「お父さんやお母さんは泣いた後があったし、英斗さんは暗い顔をしてるんだもの。嫌でも気付くよ」

「お父さんたちはなんだかんだ言って何にも教えてくれなかったんだよ。私の事なのにヒドイよね」そう言う彼女は今にもどこか遠くへ言ってしまいそうな表情をしていた。

「心筋異常炎症。これが真理のなっているモノだ」

 ただただ目を瞑って聴く彼女は、覚悟を決めたようだ。真理は強い。自分の運命をしっかり聞き、受け止めようとする。

「もともと弱かった心臓に負担がかかり心臓の筋肉が炎症を起こしている状態らしい。医者によれば、次に倒れた時は覚悟をしろ。だそうだ。

 そして、ここからが本題なんだが、助かる方法がある」

 ハッと目を開けるとその二つの瞳で俺の事を見つめる。

「手術して、臓器を移植すれば助かるそうだ。だから諦めるのはまだ早いぞ」

「じゃあ、これからも英斗さんと一緒にいられるの?」

 ズキリと胸に突き刺されるような鋭い痛みを感じたが、それを目の前の彼女に悟られないように必死に笑顔を作り「ああ」頷く。

「手術は明日の十二時にするらしい」

「そうなんだ。……良かった。また、一緒に居られる」

「あぁ」


   残り 二十時間三十分



          Sid S


   残り 五分


 口には酸素を送り込むマスクを付けられて、麻酔を注射された。英斗さんとお父さんは何か用事が入ったとかで、少し顔を出しただけですぐに何処かへ行ってしまった。手を握って「頑張れ、絶対に帰ってこい」って言われて、「頑張るのは私じゃなくて、執刀医の先生でしょ」って返すと、「それもそうだな」と笑った。

 ふと窓を見ると、小さくて白い雪が降っていた。

 麻酔が効いて来たのか視界が暗くなり、遂には全ての感覚が無くなった。


   残り 0分



         Sid H


   残り 五分


 俺の目の前には一人の男性が立っている。

「どうしたんだい。英斗君」

「お願いがあります。孝三さん」

「何だ。言ってみなさい」

 それを聞くなり懐から一つの封筒を出した。

「これを、手術が終わった後で真理さんに渡して下さい」

 受け取るなり「分かった」と一言だけ言った。

 その時、視界の端に白い結晶が映った。

「時間です」

西野医師に呼ばれハッと我に帰る。

「――と、真理に伝えておいて下さい」

 静かに目を閉じる想い人の父親を背に手術室の扉を潜る。


   残り 0分



          Sid S


   手術後 七時間


 ピッ、ピッ、ピッ。規則的な機械音が聞こえる。薄らと目を開くと、真っ白の光が目を刺した。ここ数日で嗅ぎ慣れた独特のアルコール臭。その全てがここが現実で手術が無事成功したことを示していた。私が目覚めたのに最初に気が付いたのはお母さんだった。もうボロボロと涙を流して、化粧が崩れて大変な事になっていた。お父さんも珍しく目尻が赤くなっていた。

「よく頑張ったな」

 数分するとあの医者が入ってきた。数分の検査を済ますと何事も無かったように病室から出て行った。

「そういえば。英斗さんは?」

 英斗、という名前が出た瞬間、空気が冷たくなり、二人の表情が暗くなった。何か嫌な予感が「何も聞くな」と警笛を鳴らす。が、それに構わずに思い切って訊く。

「ねえ、英斗さんは……英斗さんはどこなの?」

「真理……英斗君からだ」

 手渡された封筒。そっと開けると、中から一枚の手紙が入っていた。

「手紙? これを英斗さんが? 私に?」

「そうだ。……お前にはそれを読む義務と権利がある」

 それだけ言うと、二人は部屋から出て行ってしまった。

 不安にかられながらそっと開く。『親愛なる真理へ』の文言で始まった手紙を読んで行く。少し角張った力強い文字は見慣れた文字でありつつ、彼の内面を良く現していた。

「ううっ……」

 途中で視界がかすみ、頬を大量の涙が伝い、手紙やシーツにたくさんの染みを作る。彼の言葉を噛み締める様にしっかりと、最後の一文字まで余す事無く読む。『許嫁より』で締めくくられたそれを読み終わった時、今まで我慢していたものが堰を切ったように溢れた。

「わぁぁぁ。バカぁ。一人にしないって言ったのに……また一緒に居ようって言ったのに……なんで……なんで……バカぁ。あなたが居なくてどうするのよ。居なくなったら、意味、ないじゃない――」

 広い病室には、涙を零し、声を上げる一人の女性の姿があった。

 そして、それを知るのは外を舞う雪たちだけだった。




          〜現在〜


 過去の事を思い出すと胸の奥がいつも疼く。

「あなたからの伝言だって、『今までありがとう。幸せになれ』ってお父さんに言われた時は、また泣きそうになったのよ。

 いつも無茶ばかりしてたのが懐かしいわね。あ、そうだプレゼントよ」

 そう言うが早いか、鞄から一つの包みを取り出して墓石に供える。

「あの時、渡せなかったマフラー。遅くなっちゃったけど全部手編みよ」

「お母さん。早く行こうよ」小さな少女に駆け寄られながら呼びかけられる。

「転んだら危ないわよ」

「へっちゃらだもん! ねえ、お母さん。これ誰のお墓?」

 少女が訊くと女性はどこか遠い目をした。

「ここに眠ってる人はね。お母さんの命の恩人で大切な人だったわ」

英美えみとどっちが大事?」

「それは英美に決まってるわ。さ、帰りましょう」

「うん!」

 来た時に付いた足跡をなぞる様にその歩みをすすめる。

 きっと、あの頃の想いは朽ち果てる事無く、色褪せる事無く永遠にこの胸の中にあり続けるだろう。

 振り返えると『遠浅英斗』と掘られた墓石と真っ白い雪の様なマフラーが静かに日に照らされていた。



                             Fin























親愛なる真理へ


 この手紙が真理の手に渡っている頃には、俺はもうこの世に居ないでしょう。

 さっきまで一緒に居た人にこんな遺書めいた手紙を書く事になるなんて夢にも思っても無かったよ。

 言いたいことは沢山あるはずなのに、いざペンを握ってみると言いたい事が中々言葉にならなくて困るな。

 一言で言うなら、俺が死んだとしても泣かないで。

 真理は泣いている顔よりも笑っている顔の方が似合ってるから。

 それに真理が泣いてると俺まであの世で泣きたくなっちゃうし。

 それに、真理が俺の事を憶えていてくれれば、俺は真理の中で生き続けられるから。

 今まで色々迷惑かけてゴメンね。

 いきなり、居なくなってゴメンね。

 一緒に居られなくてゴメンね

 約束、守れなくてゴメンね。

 俺の事を想ってくれありがとう。

 今まで、俺と一緒に居てくれてありがとう。

 出逢ってくれてありがとう。


                                                             許嫁より

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