一物語 喧嘩のち愛固まる

「最低」

 こぼれた言葉に応えてくれる声は無い。いつもなら顔を出す夕日も、今日は雲に遮られて出て来ない。

「最低」

 一体どうしてしまったのがろうか。

 違う。答えなら分かりきっている。私があそこで少しでも我慢出来ていれば、こんな事にはならなかった。

 憧れ、恋い焦がれた彼。人生で初めて、心から好きになった人。

 そんな彼は今、どうしているだろうか?

 私の事なんか、もう気にして無いのかもしれない。あれだけモテる彼の事だ。他の彼女をつくってるかもしれない。

 原因は些細な事だった。

 彼が他の女の子と楽しげに話していた。

 それだけのことだ。

 しかし、それがただの女の子だったらよかった。けど彼女はクラスのマドンナ。容姿端麗で頭脳明晰おまけに気だても良く、私には無い色々な物を持っている。そして、私は彼女が彼の事を好いているのを知っている。

 嫉妬という感情が「彼が女の子と楽しげに話していた」という日常に溢れる小さな事柄をヒートアップさせ、大ゲンカにまで発展してしまった。

 落ち着いてみると、私がただ一方的に怒鳴り散らしていただけだったが……。

 考えれば考える程、私の気持ちは樹上の雲のように暗く、重くなっていく。

「最低」

 何度目になるか数えるのも億劫になった言葉。無意識に出てきてしまうそれに、応えたかのようにポツリ、ポツリ、と降る雲の涙。

「泣きたいのはコッチよ」

 自然現象に何を言ってもムダだ。そんな当たり前な事でさえ、今のこの気持ちには関係無い。

 とうとう雨が本降りとなる。それは私の制服を濡らし、容赦なく体温を奪っていく。俯けていた視線を上げると、目の前を一組のカップルが通り過ぎた。

 互いの手の平を重ね、絡め合い、一つの傘に入り、幸せが溢れんばかりの眩しい笑顔をしていた。

 その姿が今朝の私たちの姿とダブって見えた。鼻の奥がツンとする。

「本当、最低」

「誰が、どう、最低だって?」

 傘と共に私に向けられた言葉。独り言に応えた声音は、ずっと聞きたかった彼の物だった。それは、不機嫌だったが、決して険悪なものではなかった。

「ど……どうして……」

「どうしてもこうしても無いだろ。今にも泣き崩れそうな顔しやがって」

 なんで? どうして?

 私の中で色んな思いが泡の様に浮かんでは弾けて消える。

「でも、私はあなたを傷つけたのよ」

 すると彼は呆れた表情になって、ため息を一つ吐く。

「確かに傷つけられたけど、恋人同士なんだからケンカの一つや二つ、当たり前だろ」

 やめろ。やめてくれ。

 今の私にそんな言葉をかけるな。お前の事なんか知らない。もう関わらないでくれ。そう冷たくあしらわれる方が今の私にはお似合いだ。

 だから、そんな優しい言葉なんてかけるな。

 無様な姿を晒してしまうから。

 そして、また私の事を受け入れてくれると期待してしまうから。

「それに、あの時は俺も悪かったしさ。本当にゴメ――」

「やめて」

 私の悲痛な叫びは、コンクリートを打つ雨音のみの路地に響き渡った。必死に出した声は掠れて弱々しかった。

「やめて。お願いだから、私に優しい言葉をかけないで」

「嫌だ」

 間を開けずに返された拒絶の意思に、思わず口を噤む。

「嫌だ。だって俺はお前の事を愛してるから……」

 愛してる。

 好きでも、恋してるでもなく、

『愛してる』

 そう告げた彼の姿はとても格好良く、眩しく映った。

「重いと思われるかもしれない、引かれるかもしれない。けど、これが俺の本心だから」

 そう続ける彼の目は、冗談やからかったり、まして嘘を吐いているとは思えない真剣な光を帯びていた。

 視界がぼやける。霞んだ世界で慌ててる彼。格好良かったさっきとのギャップに思わず笑いがこぼれる。

 頬に伝わる水滴はきっと雨だ。

 もしそれが涙なら、笑いを噛み殺しているから流れているのだ。

「あのな、こっちは本気なんだぞ」

「だって……さっきとのギャップが凄くて……プッ、ククク」

 堪えきれなくなり遂には声を上げて笑った。

「俺だって必死だったんだよ。それを笑うとか……」

 徐々に小さくなる彼の言葉は最終的にはゴニョゴニョとしか聞こえなくなってしまったが、恥ずかしい事を言ったのを今更ながら自覚したのか、その顔は熟れたリンゴのように真っ赤になっていた。

 私は、そんな彼の隣まで行くとその手を取った。さっきのカップルのように同じ傘に入り、指を絡めた。喧嘩をしても決して離れない様にしっかりと絡み付けて、ギュッと握った。一瞬、驚いた表情を見せたが、彼も握り返してくれた。

「さて、散々泣かされたお詫びに、駅前のカフェでビッグチョコレートパフェを奢ってもらうわよ」

「やだよ。一体いくら奢らせるつもりだよ。せめて、その隣のマックでホットチョコレートパイなら考えないでもないぞ」

「誠意が無いわよ」

「あんだけ心配させたんだ。こっちが奢ってもらいたいくらいだよ」

「あら、女の子に奢らせるなんて、サイテーよ」

 やり取りをする彼は眩しい笑顔だった。そして、きっと私も似た様な顔をしているのだろう。

 雨に濡れたからだろうか、触れて、繋いだ手はとても暖かかった。


 私は今日、人生で何度目かの好きを知った。

 私は今日、人生で二度目の恋をした。

 私は今日、人生で初めて


『彼に愛をする』


                                                           Fin

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