キリトル場面100物語

千文色夜

〇物語 それは本当に素晴らしいことなのだ (序)

 僕の対面に一人の女性が腰かけた。ワイシャツにパンツスーツを身にまとったその姿はいかにもキャリアウーマンといった風貌であった。しかし、僕と彼女がいる空間がその考えを否定する。本が木のように積まれたこの部屋は、まるで本の樹海であった。そこに優雅に腰掛ける彼女はまるで魔法使いのようで、きっとこの樹海に迷い込んだ者を逃さないのだろう。

 彼女とは出会って数年は経つが、好きなものはおろか、住んでいるところや交友関係、どんな仕事をしているのかなどのプライベートなことは全く知らない。そう、名前すらも知らないのだ。仕方なく、僕は便宜上彼女のことはと呼んでいる。

 しかし、彼女曰く先生というのはどうも性に合ってないらしく、いつも眉をひそめるのだ。

「先生、紅茶がはいりましたよ」

「ええ、ありがとう。それにしてもあなたも暇なのね。昨日、一昨日と頻繁に足を運ぶじゃない」

「暇じゃないですけどね。どうも、ここは心地いいのでつい足が自然と向いてしまうのです。先生こそ、僕がいつ訪れても、この図書館にいるじゃないですか」

「だって私のものだもの」

「初めて聞きました」

「だって初めて言ったもの」

「そうですか……」

 先生は言う。


 私たちはただの観測者であり、記録者だ。そこには摩訶不思議な理論など存在せず、奇想天外な結末などない。だがもし、その一部でも見ることだできて、書き残すことができたのなら、それはとても素敵なことなのかもしれない。


 と。



                             Fin

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