第2話/社会人ゾンビ

「松木君、大丈夫? 顔色、悪いけど」

 俺の顔を覗き込みながら、上司は言った。嫌いな上司だったが、最近はやけに優しい。身内に不幸があった俺を気遣っているのだろう。

 大丈夫ですと答えたが、本当は全く大丈夫じゃなかった。だけど、俺はパソコンのへと顔を向ける。

 黒い画面に浮かんだ色鮮やかなプログラムのコードを見ながら、俺は妹のことを考えていた。

 千織は一年以上前から大きな病気に犯されていたらしい。何でそんな重大なことを知らなかったのかというと、どうやら千織が俺にだけは知られないよう徹底していたようだ。やはり、嫌われていたのだろうか。

 それに妹が二人いたという謎だ。

 俺は千織が出て行って少しした後、母から電話を受けた。そして、亡くなったことを知らされた。だがそれは母の勘違いだった。息をしていない千織を見て動揺した母が早とちりして、俺に電話をかけてきたのだ。実際はその日の朝まで千織は生きていたらしかった。俺が到着する少し前まで。

 だとしても一人の人間が同じ時間、二つの場所にいたのは確かだ。

 実家と俺の住むアパートは車でも二時間はかかる距離があり、部屋を出て数分も経たずに戻るのは物理的に無理だ。それに千織は、俺と話していた時間も家にいたらしい。母がベッドで眠っている千織の姿を確認している。となるとやはり、二人存在していたということだ。この謎が解決しない限り、いつまでも妹の影を追うことになるだろう。

 まとまらない思考のせいで、手をキーボードの上に乗せて俺は動けないでいた。そんな様子を見かねたのか、上司がまた近づいてくる。

「今日はもう帰っていいよ。体調悪そうだし」

 俺は上司の言葉に従うことにした。確かにこのままここにいても無意味だ。何もできる気がしない。謝罪した後、フラフラと立ち上がる。他人の同情なのか好奇なのかよく分からない視線を感じたがあまり気にならなかった。

 会社から出ると、外の日差しがやけに眩しかった。千織が死んでまだ一週間しか経っていないのに季節は春に近づいていた。ちょうど昼休憩の時間だからか、社員証をぶら下げた会社員の姿がちらほら見られた。

 俯きながら歩いていたせいで、俺は前から歩いてきた人と軽く肩をぶつけてしまった。

「すみません」

 謝って顔を上げると、相手と目が合った。つるりとした白い肌。人の顔をしているが、どこか違和感がある。

「こちらこそ申し訳ありません」

 淡々とした特徴のある口調で謝ると、それは俺の横を通って歩いていった。

「……」

 ぶつかった相手の後ろ姿をぼんやりと眺める。よどみのない、お手本のような歩き方。あれは、アンドロイドだ。

 今やアンドロイドは社会の一部で、人間の生活に溶け込んでいた。主に工場の工員や会社の受付、お店の店員にアンドロイドを見ることが多い。

 安定しない職種に就いている大多数の人間は、彼らに対して快く思っていない。現に俺の両親はそうだったし、俺自身も否定的だった。人間嫌いだからアンドロイドが好きではなく、人間嫌いだからこそ人間に似たアンドロイドが嫌いなのだ。

 ため息をつくと、俺は家路へと向かって歩いた。いつもより早く仕事から帰れたといっても、息抜きしようとは思わない。それは会社に申し訳ないからというわけではなく、ただ何も思いつかないというだけだ。

 ずっと、暗い穴の底にいる気分だ。こんな時、薬を飲むことができればどれだけ楽になれるだろうか。だけどそれは駄目なのだ。最後に会った妹が、止めてほしいと言っていた薬を誰が使えようか。

 我ここにあらずと言った調子だったが、何とか自宅のアパートには着いた。ドアに鍵を差し込み、開いていることに気づく。朝、鍵をかけ忘れたのだろう。

 ほんと追い詰められているなと苦笑して、中に入る。玄関にはまた、妹の靴があった。

「どうして……」

 頭が理解に追いつかない。俺は慌てて、部屋の中に入った。

「おかえりなさい」

 一週間前と同じ状態、同じ格好で千織はそこにいた。ちゃんと、マフラーもしている。ベッドの上に座って、こちらを見ている。

「お前、死んだはずじゃ……」

「生きていたらマズい人間に対して言うセリフ止めてよ」そう言って、千織は肩を竦めた。

 混乱する俺に対して、彼女は落ち着いた様子だった。

「偽物って思ってる?」

「いや……」

 千織の言葉にドキリとする。

「半分正解で、半分外れ。私は、千織の姿をしたアンドロイドだから」

 さらりと千織は言った。

 あまりに突拍子もない発言に俺の口は勝手に動いていた。

「馬鹿馬鹿しい」

「でも、本当だから。証拠は見せられるけど、千織の身体は傷つけたくない」

 そう言うと、千織は悲しそうに目を伏せた。

 確かにあの日、俺は亡くなった千織の姿を見た。記憶が何よりの証拠だ。

「……分かった。事実として考えてやる。つまりお前は、千織の顔をしているけど中身は完全に機械ってことなんだな?」

「そうだよ」

「気持ち悪い」

 そう吐き捨てると、千織アンドロイドの顔色が曇った。機械のくせに傷つくわけないと思っていると、彼女の目が意地悪なことを思いついたかのように光った。

「ああ、そういえばさ。言っておくけど私、この家に来たのは二度目だよ。あの日、千織が死んだ日も来たから」

「……」

 俺は絶句した。

 つまり結局、俺は本物の千織と話せず仕舞いだったということか。酷く憂鬱な気分になった。

「私は、千織だよ。千織そのものだ。中身が機械だからって突き放すの?」

 千織アンドロイドの言葉に俺の心は揺らいだ。だが……そんな簡単に受け入れられるわけがない。

「そ、そもそも、このことを父さんや母さんは知ってるのか?」

「ううん、まだ。理解できないだろうしさ」

 死んだはずの自分の娘がいきなり現れたら卒倒しかねない。

 だというのに、兄である俺に対しては現れるやいなや、受け入れろと言ってきている。あまりにも強引である。

 そういえば、この千織アンドロイドはどこで生活しているのだろうか。実家に住んでいないのは確かだろうし。

「お前、いまは何処に住んでいるんだ?」

「友達の家だよ。けど、さすがにこれ以上お世話になるわけにはいかないし」

 アンドロイドの友達とは。気にはなったが、俺は口にしなかった。それよりも、嫌な予感がした。

「ねえ、ここに住みたいんだけど。父さんと母さんが落ち着くまででいいから」

 案の定である。

「無理に決まってるだろ。亡くなった妹のアンドロイドと同棲してるなんて誰かに知られたら頭がおかしくなったって思われる」

「じゃあ、一泊だけでいいから」意外にも千織アンドロイドはすぐ妥協した。

「まあ……それくらいなら」

 正直、一泊だけでも不承不承ではあった。

「ありがとう」

 まるで、妹に言われたかのような錯覚に陥った。それが、俺にはとても辛かった。ベッドの上で、目を瞑った千織の白い顔が目に浮かぶ。まるで、作り物みたいに動かなかった。

 本当に作り物の千織アンドロイドはいま、目の前にいる。

「辛そうだね、兄さん。私を見ると、千織のことを思いだすから?」

「あぁ、そうだな……」力なく、俺は答える。

「千織が亡くなって悲しい?」

「当たり前だろ」

「よかった。千織は、自分が死んじゃってもあなたは何とも思わないんじゃないかって心配してた。だから安心したよ」

「……」 

 そこまで薄情な人間だと思われていたのか。まあ、無理もない。

 俺はあの日からずっと、千織アンドロイドとしか話しておらず、本物の千織とは話していないのだから。

 いったい、いつから千織と話をしていなかったのだろうか。そんなことも思いだせないことに俺は酷く後悔した。

 鏡はなかったが、今の俺は青い顔をしていることだろう。目の前の千織アンドロイドはそんな俺を見て心配している様子だった。

「千織は家族のことばっかり気にかけてた。だって、あなたって日々生きることに必死で、あまりに余裕がなさそうだもの」

「社会人ゾンビってか。そういえば、前にも言っていたよな」

「何の話?」

 訝しげな顔の千織アンドロイドに俺は説明する。

「前に言っただろ。千織作の造語だって。まあ、実際は千織アンドロイド作だったわけだがな」

「……ああっ、その話ね。そうだった!」

 どこか慌てた様子で千織アンドロイドは自分の左耳を触りながら言った。俺はその仕草が気になった。そういえば妹は嘘が下手というか、すぐ動揺する人間だった。嘘をつくと、左耳を触る癖があった。

 千織アンドロイドが本当に千織そのものだとしたら、嘘をついていることになる。

「じゃあ、社会人ゾンビってのはどういう意味だ?」

「えっと、それは……」

 その質問に千織アンドロイドは言い淀んだ。

「お前、何を隠しているんだ?」

「……」

 千織アンドロイドはため息をついた後、ごめんね、千織と小さく呟いた。

「約束だけど、仕方ない。それに知るべきだと思う———あの日の夜、死んだのは私で、千織はまだ生きていたの」

 千織アンドロイドは俺の妹について語りはじめた。

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