第68話・アロー、アテナの結婚式②

「…………おかしい」


 リアンは、地図を見ながら険しい顔をしていた。

 現在、調査隊はマリウス領地を馬車二台で進んでいる。護衛の兵士たちは周囲を警戒しているが……魔獣が全く出ない状況に、安堵よりも困惑のが優っていた。

 馬車を岩場に止め、天幕を張り、兵士たちに護衛をさせながらリアンは考える。

 リアンの天幕には、護衛部隊の隊長ロックスと、医師のルーペがいた。


「リアン殿。おかしいとはどういうことでしょうか?」


 護衛部隊の隊長ロックス。

 アーロンがスカウトした元傭兵。妻が病に伏せていたことがあり、無茶な依頼を続け命を失いかけたところを、領主代行アーロンに救われた。その恩義に報いるために傭兵を廃業、妻と娘を連れてセーレに移住し、セーレ兵団の団長を務めている。

 義理堅く、アーロンが信頼する歴戦の英雄である。

 首を傾げるロックスに、リアンは言う。


綺麗すぎる・・・・・

「綺麗、ですか?」

「ああ。おかしいと思わないか? マリウス領地は未開の地。大型、中型魔獣が群れで闊歩し、マリウス領地に入った人間は一日、二日と生きていることができないという……もちろん大げさな話だと思うけど、マリウス領地に入って数日、魔獣に全く遭遇しない」


 リアンは肩をすくめた。

 いいことなのだが、あまりにも奇妙で違和感を感じている。

 医師のルーペも言う。


「あたしとしては、余計な怪我する人間が出ないし嬉しいけどねぇ」


 ルーペ医師。

 年齢七十歳の女医。若い頃は薬学で名を馳せた研究者であり、七十二の領地で最も医学が発展しているアイニー領地で初めて『手術』を行った医師。

 これまでは薬品でしか病を治療するしかなかったのだが、この『手術』が確立されて五十年、アイニー領地では『悪い部分を切り取る』という手術がポピュラーとなった。

 今は医師であるが研究がメイン。アイニー領地の領主であるシャロンから『マリウス領地に調査隊を送る』と聞いて志願したそうだ。年齢のことを聞くと、手にした杖で誰だろうとブッ叩くらしい。

 ルーペは、眼鏡を取り布で拭く。


「まあ、リアンぼっちゃんの言いたいこともわかる。ここに来るまでいくつか森を経由したけど……どうも、使えそうな薬草は採取された痕跡があるね。あたしの知らない薬草もあるし、よく使う薬草もある。ヒトの手が入ってるのは違いないよ」

「やっぱりか……マリウス領地にも集落があるのは確定だね」


 ちなみに、リアンたちはフールフール家が所有する『橋』を架けてマリウス領地に入ってきたが、かつてアローが入った場所からは大きくズレた場所から入っていた……どこからアローが入ったかなど誰も覚えていなかったし、魔獣が『橋』の位置を覚え、『橋』が架かった瞬間に領地に侵入する可能性もゼロではないので、一度『橋』を架けたら位置を変える決まりになっている。


「……ヒトの痕跡はあったんだ。とりあえず、僅かな手がかりを元にして、マリウス領地にある集落を探そう」

「はっ!! ではリアン殿、今日はもうお休みください。警備は我々が交代で行いますので」

「ああ。っと……リューネたちはどうしてる?」

「特に問題はないそうです。若干、疲労の色が見えるそうですが」

「そうか。先はまだ長い。しっかり食べて、よく休むように言っておいて」

「わかりました」


 ロックスは出て行った。

 そして、ルーペにも言う。


「ルーペ医師。彼女たち四人のことだけど、一応診察をお願いしていいかな?」

「別に構わんよ。なんだい、優しいじゃないか」

「ま、倒れられても困るしね。肉体より、精神的にも厳しい調査だし」

「そういう坊やは大丈夫なのかい?」

「ははっ、こう見えて一つの領地を任される領主だ。この程度で根は上げないさ」

「そうかい。じゃ、行こうかね」


 ルーペは出て行った。

 残されたリアンは、折り畳みの椅子に座り、改めて唸る。


「う~ん……マリウス領地、思ったほど危険じゃないのかな?」


 リアンの考えは、大きく外れていた。

 まさか、アテナとお供の狼三匹の縄張りであり、ここを荒らすと『女神』の怒りに触れると魔獣が本能で察し、近づかないのだ……なんて、わかるわけがない。

 ちなみに、リアンたちのいる位置は、カナンから百キロほど離れた場所にある。アテナはこの数年で、自分の『縄張り』をかなり広げていた。

 

「油断はできないけど、少しは気を抜こうかな……ふぁぁ、眠い」


 リアンは考えるのをやめ、休むために簡易ベッドに入るのだった。


 ◇◇◇◇◇◇


 ルーペによる診察を終えたリューネたちは、夕食の野菜スープと肉を挟んだパンを食べ、すぐにテントに入った。

 テントは一つ。狭い中、四人で寄り添って寝る。

 レイアは、ニコニコしながらリューネに言う。


「なんだか、昔を思い出すね。アローお兄ちゃんの部屋で、四人でくっついて寝たよね」

「……そう、ね」

「…………」


 アローが寝ているところにレイアが潜り込み、リューネも混ざり、リューネとレイアがモエを引っ張り込んだ日のことだ。

 リューネ、モエは詳細に思い出せる……全てを失い、二人で暮らしていた日、過去の思い出を振り返ることが唯一の楽しみだった。

 だが、アローがいるかもしれないマリウス領地でその思い出を語るのは、心苦しい。

 リューネはレイアの頭をポンと撫でた。


「寝なさい。明日も早いわよ」

「ん……わかった。お姉ちゃん、おやすみ」

「おやすみ」


 レイアはすぐに寝息を立て始め、リューネも目を閉じ……数分しないうちに、寝息を立てる。

 モエが目を閉じていると、アミーが言う。


「思い出に縋って生きる。辛いわよね」

「…………」

「ね、楽しい思い出の後に辛いことが起きるって、どう思う?」

「…………」


 モエは何も言わず、目と閉じたままだった。

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