第七章・【マリウス領土首都カナン】

第56話・変わりゆく生活①

 清々しい朝。青い空、白い雲、緑の匂いがする。

 場所はマリウス領土、領主アローとその妻アテナの家の裏手。俺ことアローは、最愛の妻アテナと向かい合っていた。

 俺は上半身裸で、アテナは薄いシャツと短パンのみのラフなスタイル。

 もちろん、卑猥なことをしてるわけではない。流れる空気は真剣そのものだ。


「………ふぅ」

「どうしたの? 来ないのかしら?」

「………」


 そう、俺とアテナは素手での組み手の真っ最中。

 戦いの女神と言われるアテナは剣だけじゃない。素手でも無双の強さを誇っている。

 俺はアテナから武術の指導を受けていた。


「来ないのなら……こっちから行くわ!!」

「ッ!!」


 ほとんど無音での歩法に、動きを読ませないために左右にブレながらの移動。

 俺は手足の力を抜き、全神経を集中させる。

 アテナはどうくるか。打突、投げ、足払い……俺は上半身裸、服を掴んでの投げはない。手足を掴んだとしても、投げられるまで抵抗できる。

 俺は打突が来ると考え、全身の肉を締める。

 迫るアテナの動きを逃すまいとぶれるアテナを見る。

 アテナの右手が拳を握り、打突の構えを取る。

 俺はその拳から目を離さない。拳を掴んで投げ飛ばそうとタイミングを見計らい……。


「甘い」


 あっさりと、投げ飛ばされた。

 ふわりと身体が舞い、いつのまにか青空を眺める。


「あのねー、毎回言ってるけど、あんたは受け身すぎるのよ。あんたが私の動きを読むなんて20年早い。考えるより動いて身体で感じなさい。動いて動いて動きまくって、動きの中で思考するの」

「んー……そうか」

「そうよ。まったく、頭がいいのも考え物ね。もうちょっとバカになりなさい」

「はは、手厳しい……」

「ふふ。ほらほら、朝ご飯にするわよ。身体拭いてあげる」

「おお、ありがとう。じゃあ俺はお前の身体を拭いてやるよ」

「ダーメ。そのままエッチする気でしょ? 夜までお預けよ」

「はいはい。残念だな」


 俺ことアロー・マリウスは、20歳になっていた。

 毎日の訓練で、身体は同世代に比べてかなり引き締まり鍛えられている。

 身長も伸び、アテナと毎日武術訓練を行っているので、素手での戦いでは集落2番の強さだ。もちろん1番はアテナ。


 このマリウス領土に追放され、3年が経過していた。


********************


 朝の組み手は日課で、日が昇ると同時に行われる。なので、あんなに寝ぼすけだったアテナは早起きの名人へと早変わりだ。

 組み手が終わると、ブラックシープたちの食事だ。

 たっぷりの飼い葉と水を与え、厩舎を掃除する。この3年で羊たちもさらに大きくなった。今でも大きな荷物を運ぶときは頼りにしてる。

 ブラックシープたちの次は、ダイアウルフ一家の食事だ。

 俺は厩舎の反対側に増築した、ダイアウルフ一家専用の小屋を開ける。すると、すっかり成長した3匹の子狼が体当たりするように出迎えてくれた。


「おうおう、今メシにするからな」

『ワォン!!』『ワウワウ!!』『ギュゥゥン!!』


 3年前は家の中で飼っていたが、今は外で飼っている。

 小屋と言っても家のような小屋ではなく、大量の干し草に屋根をつけただけの寝室と、その周りを柵で覆ってるだけの広場だ。

 なぜ外で飼ってるかというと………その、デカいからだ。


「ユキ、シロ……はは、お前らもデカくなったな」

『ワォン!!』『グォン!!』


 出会ったころは大型犬よりやや大きいサイズだった親狼のシロとユキだったが、今では馬とほぼ同じ大きさまで成長してる。ダイアウルフは中型魔獣並の大きさまで成長するってことをすっかり忘れていた。

 だが、この狼たちも立派な家族の一員だ。

 俺は干し肉とたっぷりの野菜を与え、家に戻る。

 ここからは俺たちの朝食の支度だ。


「さて、朝ご飯朝ご飯」


 キッチンに立ち、スープを作ろうと鍋を取り出したときだった。


「パパ、おはようございます」

「お、起きたかルナ、おはよう」

「あい!! おてつだいします」

「おお、ありがとうな。じゃあ、この野菜を洗ってくれるか?」

「あい!!」


 可愛らしい娘、ルナだ。

 3歳になり、言葉はもちろん元気に走り回る子供になった。

 最近はゴン爺に勉強を教わり、文字を書いたり絵を描いたりしてる。どうも、外で遊ぶより勉強してるほうが好きみたいなのだ。

 でも、俺をパパと呼んで甘えてくる。一緒のベッドで眠ったり、俺が作った積み木で一緒に遊んだり、ユキの背中に乗って集落を散歩したり……ああもう、とにかく可愛い。

 ルナに手伝ってもらい、朝食を完成させる。

 メニューは野菜サラダとスープ、卵と肉の炒め物とパンだ。

 朝食が完成すると、髪を濡らしたアテナが来た。


「おはよ、ルナ」

「おはよ、あてな」

「もう……なんで私は呼び捨てなのよ」


 ルナは、アテナをずっと呼び捨てにしてる。

 ママと呼んで欲しいらしいけど、女神としては妹分だったルナがママ呼びするのはおかしいと思ってる部分もあるらしく、なんとも複雑らしい。

 とにかく、3人で朝食だ。


「では、いただきます」

「いただきまーす」

「いただきまーす」


 これが、我が家の日課。

 アテナと組み手、ブラックシープ、ダイアウルフ一家の世話、そして俺たちの朝食。

 さて、今日の予定の話だ。


「アテナ、今日は?」

「もちろん狩りに出かけるわ。ブランたち3匹とパーンの狩人たちも連れてね」


 アテナの仕事は専ら狩り。

 なんでも、移動部落だったパーンの人たちが、このカナンに腰を据えることにしたのだ。理由はいくつかある。例えば魔獣の数が豊富で獲物に困らないとか、アテナの狩りの腕が優秀なので、狩人育成にもってこいだとか、族長のウェナティオさんが、ニケの族長ゲンバーさんと再婚して子供ができたからだとか……たぶん、最後のが一番の理由だと思う。

 

「気を付けろよ。それと、獲物を期待してるからな。『銀(しろがね)の白狼姫(はくろうき)』さん」

「まっかせてよ! ってかその名前で呼ばないでよ……ハズい」

「ははは、似合ってるぞ」


 アテナは、この集落で最強の戦士として、『|銀(しろがね)の|白狼姫(はくろうき)』と呼ばれていた。

 狩人たちから、『剣を振れば一騎当千、弓を射れば百発百中。その美しき銀色の髪をなびかせ、3匹の白狼を従える姿はまさに戦姫』とか呼ばれてる。尊敬と憧れの的である。まぁ俺の嫁というのは集落中が知ってるから手を出さないけどな。

 

「ルナは、ゴン爺のところでお勉強か?」

「あい。おじいちゃんからおはなしきくの」

「お話?」

「うん!! あのね、おじいちゃん、おもしろいおはなしいっぱいしてくれるの!! あまいおかしもくれるの。おじいちゃんだいすき!!」

「だ、大好きか……むむ、ゴン爺め」


 ルナは、ゴン爺から文字を教わってる。

 というか……ハッキリ言って孫バカおじいちゃんになってる。

 勉強はいいが、毎回毎回『うちの子にならんか?』ってルナに言うのやめて欲しい。


「アロー、あんたは?」

「俺は集落の見回りと畑の整備、それと、集落の拡張工事の話し合いだ」

「ふーん。なんか領主みたいね」

「いや領主だから」


 実は、集落の拡張がかなりハイペースで進んでいる。

 いろいろと理由があるのだが、とりあえずそろそろ時間だ。


「あ、ファウヌースは?」

「まだ寝てる。ホンットに朝が弱いんだから」

「はは、まぁいいか。メシは用意しておくよ。ミネルバは?」

「あの子は狩りに出てる。私が外に出たらあんたのところに行くでしょ」

「わかった」


 ファウヌースもミネルバも相変わらずだ。

 ミネルバは成長して子供フクロウとは言えないサイズになったが、ファウヌースは相変わらず小さいピンク羊のままだ。

 この3年で、集落はかなり変わった。

 しかも、全ていい方向に変わりつつある。これもルナのおかげだろうか。


「さーて、そろそろ行きますかね。ふっふっふ、アローにルナ、大物を期待してなさいね!!」

「ああ。頼んだぞ」

「がんばれ、あてな」

「じゃ、いってきまーす!!」


 アテナは、剣と弓を持って出ていった。

 狼の鳴き声が聞こえたので、3匹を連れて出て行ったのだろう。


「ぱぱ、わたしもいってきます」

「ああ、気を付けていけよ」

「あい!! ゆきがいっしょだからだいじょうぶ!!」


 ルナは、お出かけ用のカバンを持って出ていった。

 ルナは移動するとき、ユキの背中に乗って移動する。これも集落では当たり前の光景になってる。

 俺は食器を洗い、上着を着て出かける準備をした。


「よし、俺も行くか……行くぞシロ」

『ウォウ!!』


 ダイアウルフのシロは、俺に付いてくることが殆どだ。

 なので、集落を移動するときはいつも連れて行く。


「さて、今日も忙しくなりそうだ」


 カナンの集落は、まだまだ発展する。

 だが、物語は少しずつ動いている。

 俺は幸せだ。だが、俺がここに来る原因となった事件は、未だに俺の中で燃えている。

 

 事の発端まで、もう少し。

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