第54話・雪竜の襲来
雪竜は、冬に現れる魔獣の中で最強と呼ばれる魔獣だ。
純白の体軀に大きな翼、トカゲのような体付きに鋭い爪のある手足。
その生態はよくわかっていない。冬になると現れるということだけで、春~秋はどこで何をしているのか? なぜ冬に現れ人里を襲うのか? 殆どが謎に包まれている。
俺も、セーレ領の屋敷にある書庫の文献でチラッと見た程度だ。
過去、セーレ領で雪竜が現れた記録はない。だが、あの純白の身体を持つ魔獣は雪竜以外にありえない。
グリモリの集落入口で、俺は硬直していた。
雪竜は集落の中央で暴れていた。
住人は遠距離から矢を放つが、純白の身体はあっさりと弾いてしまう。槍を持った屈強な男が突進するが、ギザギザの尻尾で弾かれ鮮血が舞う。
「あ……あ……」
あんなバケモノ、どうすればいいんだ。
俺は集落入口から動けず震えていた。
だが……アテナが、あそこにいる。
「はっはっはーーーーーっ!!」
『シャァァァァーーーーーーッ!!』
アテナがいた。
雪竜に向かって楽しそうに笑ってる。集落にいた戦士たちは、この少女が何者なのかと首を捻っている。だが、アテナは雪竜の尻尾を躱し、爪を紙一重で避け、ほんの僅かな隙を突いて斬りかかる。
だが、ゴン爺の剣でも雪竜にはたいしたダメージにはならない。
「ったく、硬いわねぇ……でも、私の敵じゃない!! アロー、さっさと怪我人運びなさい!!」
突如として呼ばれた名前、アロー。
俺は全身に電気が走り、ようやく集落の中に踏み込んだ。
集落の中は怪我人で溢れ、雪の積もった地面は赤く染まっていた。雪竜が暴れたせいで、建物も破壊されている。
「くそ……アテナ!! さっさとそいつを倒せ!!」
「わかってるわよ!! 楽しんでるんだから邪魔すんなっ!!」
雪竜はアテナに任せ、俺は怪我人を運ぶ。
近くにいた戦士に聞き、怪我人を集落の奥にある天然洞窟に運び込む。
『こいつは誰だ?』みたいな視線を浴びたが、それらを全て無視し、ひたすら怪我人を洞窟内へ運ぶ。
洞窟内には女子供もいて、医者らしき男性が怪我人の治療をしていた。
身体を鍛えていたおかげで、成人男性1人くらいなら楽に担いで走れる。
10人以上を運んだところで、医者らしき男性に引き留められた。
「待て!! 君は誰だ?」
「俺はカナンの集落から来たアローです!! 質問は後、とにかく怪我人を運んできますんで治療を!! 雪竜は俺の嫁が倒すんで心配しないで下さい!!」
「は? カナン? よ、嫁?」
「はい!!」
俺は笑顔で答え、再び洞窟を飛び出した。
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集落の戦士たちは、突如現れた銀髪の少女が雪竜を相手に戦い始めたのを見て驚いていた。
いきなり現れ、自分たちを邪魔者扱いし、雪竜の攻撃を躍るように回避し、少しずつ少しずつ雪竜の身体に傷を付けていく。
いつの間にか、戦士たちは武器を持ったままその戦いを見ていた。
少女は、とても楽しそうに躍っていた。
「あははははっ!! たっのしーーーーーーッ!!」
まるで、戦いを楽しんでいた。
命懸けの状況を笑い、喰らえば間違いなく死ぬ攻撃を躍って躱す。
こんな少女が、大型魔獣の雪竜を相手に笑っている。
「ふふん、アローがやかましいから終わりにするわ。いい汗掻いたし、お腹も減ったし……あんたの肉、美味しく食べてあげる」
少女の雰囲気が変わる。
女神のような微笑みが、戦神のような不敵な笑みに。
まるで少女が熱を持ったかのように、ジワジワと雪が溶ける。
そして、ついに決着の時。
「戦と断罪の女神アテナの一撃。受けなさい!!」
振り下ろされた剣は衝撃波となり、雪竜を容易く両断した。
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アテナが見せたのは、初めて出会ったときに中型魔獣を一刀両断した技だ。
雪竜は討伐された。俺はアテナに近付くと、アテナが俺の胸に飛び込んできた。
「勝ったわアロー!!」
「ああ、お前ってとんでもないヤツだよ。さすが俺の……」
「俺の?」
「その、俺の嫁だ……」
「えへへ……ん」
「ん……」
俺とアテナは口づけを交わす。
素直になれば、こんなにも愛しく思える。アテナは俺の嫁。
「あー……その、いいかね?」
「あっ、しまっ……す、すみません!!」
「わわっ」
いつの間にか近くにいた初老の男性。この人は洞窟で怪我人の治療をしていた医者だ。
すると、医者の男性は頭を下げる。
「キミ達のおかげで被害は最小限に食い止められた。それだけじゃない、まさかあの雪竜を討伐してしまうとは……改めて礼を言う」
「それより、怪我人は?」
「あ、ああ。重傷者はいるが命に別状はない。死者もいない」
「よかった……」
俺たちの功績なんてどうでもいい。この集落で人死にが出なかったのが何よりも嬉しかった。
医者の男性は質問する。
「ワシはこのグリモリの集落の長であるヴァイトじゃ。英雄の名を聞かせてくれんか?」
「俺はカナンの集落から来たアロー、こちらが妻のアテナです」
「えっへへ、つ・ま・の!! アテナでーす」
「あ、ああ。ところで、何か用があって来たんだろう? じゃなきゃ冬に他の集落を訪れるなんてことはしないはずじゃ」
「はい。実は……」
「あ!! ちょっと待ったアロー、私たちの荷車!!」
「あ……」
話の前に、ファウヌースたちを迎えに行くことにした。
********************
ブラックシープやダイアウルフの親子も心配だったが、荷車を迎えに行った俺とアテナは真っ先にルナに駆け寄った。
「ルナ、大丈夫か? おぉよしよし」
「あう〜、ぱ〜ぱ、ぱ〜ぱ」
「ああ、パパだぞ。よ〜し〜よ〜し」
「むー······ルナめ、アローばっかり名前で呼んだりパパとか言ったり······」
「お前もそのうち呼ばれるようになるって。ほら集落に戻るぞ」
「はーい。ファウヌース、よろしくね」
『わかりました。やれやれ、とんだ目に合いましたわ』
ファウヌースに御者を任せ、ブラックシープたちは走り出す。
ダイアウルフのシロとユキも荷車に追従し、荷車の中にいた3匹の小狼はアテナにじゃれ付き始めた。
「まったく。子供だから許してあげるけど、あんな白トカゲ如きにビビっちゃダメよ!!」
「あのな、雪竜は······もういいや」
再び集落へ戻り、戦士の先導で長の家まで来た。
ブラックシープやダイアウルフが警戒されたが、アテナに任せて俺は家の中へ。
さて、交渉の始まりだ。
********************
ヴァイトさんの家に入ると、戦士風の男性と、俺より少し年上の女性が一人いた。
「ささ、座ってくれ。まずは茶でも······と、奥方はどうされた?」
「あー······その、集落を見て回ると」
「なんと······」
アテナは、ルナとダイアウルフの子供3匹を連れて集落の散歩に出掛けた。難しい話はしたくないそうだ。
ブラックシープとシロとユキはファウヌースに任せたし、ここに来たのは俺と······。
「その、そちらは?」
「ええと······友達です」
『ぴゅいーっ!!』
ずっと空を飛んでいたミネルバだ。俺の肩に止まってる。
アテナが「私の代わりね!!」とか言って呼んだが、どこがどう代わりなのか俺が知りたい。
俺は勧められた椅子に座り、ミネルバを気にせず話を始めた。
「この度は不幸な災害でした」
「いいえ、貴方がたのおかげで被害は最小限に食い止めることができました。改めて感謝を申し上げます」
「いいえ。お気になさらず。こちらとしては、お願いがあって来たのですが······このような状況では」
「いいえ。あなた方は集落の恩人です。内容にもよりますが、できる限り協力させていただきます」
ありがたい。集落の危機を救ったという事実が効いてるのか、意外とスムーズに話が進みそうだ。
でも、欲しいのは薬······怪我人があふれる状況では難しいかもな······。
その前に、もう少し聞いておくか。
「こちらの願いの前に、集落の被害状況を聞かせてもらえますか?」
「被害ですか?······ええと、幸いなことに死者は出ませんでしたが、集落の鍛冶屋に手入れを依頼しておいた農具倉庫が壊滅ですな。鉄製の農具や家庭用の鍋など、金属製品は使い物にならない状況です。しばらくは各家庭で貸し借りしなくてはなりませんな」
「·········え」
「金属製品は壊滅状態ですが、薬品庫は無事でした。村の最奥の洞窟は季節を通して一定の温度でしてな、薬品の保存にはもってこいの場所なのです。あそこを守れただけでもよかった」
「··········あー」
なにこのタイミング。
俺が欲しい薬品が無事で、交換のために大量に持ってきた金属製品が不足してるって······これもルナの幸運なのかね。
「して、そちらの頼みとはなんでしょう?」
交渉は、あっけなく成立した。
********************
これほどお互いの利害が一致したのは初めてかもしれない。
ドクトル先生から預かった薬品リストを渡すと、ヴァイトさんは所望数の二倍の薬品を準備しろと言い、遠慮する俺を制して薬を用意してくれた。
こちらも、持ってきた金属製品を全て提供した。
農具に生活用品など、どれも高品質の自慢の一品だ。
すると、ヴァイトさんの家にいた戦士風の男性が言った。
「あの雪竜の肉や素材はどうする? おっと、オレはダイアー、この集落の狩人だ」
「初めまして、俺はアローです。と······素材ですか」
「ああ。あれは討伐したあんたの奥さんのモンだ」
「ええと、肉を食べたがってたんで少し肉を分けて貰えれば。あとは集落の皆さんでどうぞ」
「あぁ!? せ、雪竜の素材だぞ!?」
「はい。荷物になるし、アテナも肉が食べたいとしか言ってないですし」
「·········はは」
ということで、雪竜はこの集落に譲った。
ダイアーさんは集落の狩人に命令し、雪竜の解体を始めた。さらに動ける人たちか協力して荷車に薬の木箱を積み込んでいる。
アテナはというと、ルナを背負ったまま集落の子供たちと一緒に、ダイアウルフの子供たち3匹を追い回して遊んでいた。
途中からユキとシロも混ざり、ついさっきまで雪竜と死闘を繰り広げていたとは思えないほど元気に走り回っている。
その様子に苦笑し、俺は再びヴァイトさんの家へ。
「失礼ですが、カナンの集落に医者は何人おられるのですか?」
「ふた······いえ、一人です」
ミシュアはまだ半人前だしな。医者というかドクトル先生の助手と言った方が正しい。
すると、ヴァイトさんはずっと部屋にいた一人の女性を見て言った。
「こちらは私の娘のカミラと申します。年は20になったばかりですが、7つの頃から医者として育て上げ、そろそろ一人前と呼べる腕前になります。よろしければ、経験を積ませるためにカナンの集落へお連れいただけないでしょうか?」
「え」
「お、お父さん!?」
俺も驚いたが、カミラと呼ばれた女性はもっと驚いていた。
「カミラ、聞いての通りだ」
「で、でも······」
「いいか、この集落にはワシを含めて医者が6人もいる。お前を含めても7人、はっきり言ってこれ以上はいらん。それに、この集落の住人は病気になっても、なりたての医者であるお前に掛かろうとする者はいないだろう。経験を積むにはカナンのような医者の少ない集落で診療を行え。それに、カナンの医師から習うことも多かろう」
「·········」
「アローさん、どうか娘をよろしくお願いします」
ここまで言われたら断れない。
それに、医師が増えるのはいいことだ。ドクトル先生みたいな凄腕と一緒にいれば、カミラさんもいい経験になる。
「カミラさん、俺は貴女に来て欲しいと思っています。カナンの集落のために、その腕を奮っていただけないでしょうか」
「·········わかりました。カナンの集落のため、できる限りのことをさせていただきます」
俺はカミラさんと握手する。
こうして、グリモリの集落での交渉は終了した。
所望数二倍の薬品と医師一人という、とんでもない結果になった。
さぁて、カナンに帰って報告だ。
*********************
宴会を開くと言われたが丁重にお断りした。
怪我人もいるし、どんちゃん騒ぎするのは不謹慎だ。
なので、ヴァイトさんの家で食事をいただき、なんのイベントもなく翌日になった。
本格的な冬の前に集落へ帰りたいので、すぐに出発する。
荷車は薬の木箱でかなり狭い。しかも三人と赤ちゃん一人、ダイアウルフの子供3匹となるとパンク寸前だ。
ヴァイトさん、ダイアーさんに別れを告げ、荷車は出発した。
ブラックシープ3匹は、重さが倍になった荷車を軽々と引いてるし、ユキとシロも荷車を守るように追従してる。
荷車の中で小狼を抱いて暖を取りながら話していた。
「あの、アロー様、カナンとはどのような集落ですか?」
「うーん難しいですね······」
「いいところよー? みんな優しい楽しいし、カミラも気に入ると思うわ」
「うふふ、楽しみです」
「ぱ〜ぱ、ぱ〜ぱ」
「お〜かわいいかわいい、ルナかわいい」
抱いていた小狼をカミラさんに渡し、俺はルナを抱っこする。
俺をパパと呼ぶようになったルナ。
この子の笑顔は俺を癒やしてくれる。
「アロー、帰ったらいっぱい抱いてね!!」
「ぶっ!? こ、このバカ!! カミラさんの前でなに言ってんだ!!」
「あ、はは·······お、お気になさらず」
「ぱ〜ぱ、ぱ〜ぱ」
「おぉぉ、はいはい。よ〜しよ〜し」
間もなく、本格的な冬が始まる。
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