第32話・まっしろなブタ


 今日は『アエーシュマ楽団』の演奏会。サリヴァンの伝手で会場の最前列席を確保してある。リューネは馬車に揺られながら、念入りに化粧を施していた。

 肌には念入りにおしろいを塗り、唇には煌めくような紅を塗り、身体中に香水を付け、アスモデウス家に相応しい姿を見せるため、宝石の輝きで自身を彩る。

 リューネは自分の姿に自信を持っていた。それこそ、セーレ領では考えられないような美しい姿だと自負してる。

 馬車内に設置されてる鏡を見つめ、うっとりと自分を見つめる。

 リューネを知る人間なら、今のリューネと似ても似つかないと思うだろう。

 アローと共に釣りに出かけ、日焼けをした健康的な肌をしたリューネ。

 長い髪を無造作に結び、オシャレの欠片もない髪型のリューネ。

 母が作った庶民の服を着たリューネ。貴族の嫁になるのだからと、父が町で買った安っぽいドレスを着るリューネ。

 ここに居るのはどれにも当たらない、決められた未来ではなく、自身で掴み取った未来のリューネだ。

 決められた未来を歩む事が正しくない。誰かが決めた道を歩むのではない。真の道とは自身で切り開く物だと誰かが言った。



 それは果たして、誰にでも当てはまる事なのだろうか。



 **********************



 アスモデウス領で最も大きな劇場に到着したリューネは、御者に手を預け馬車から降りる。

 劇場は既に混み始めてる。どうやら開演時間が迫っているようだ。だが、最前列の指定席を確保しているリューネには関係が無い。むしろ優越感たっぷりだ。

 馬車から降りるとすぐに劇場の支配人が姿を現す。


 「お待ちしてました、リューネ・アスモデウス様。お席へご案内いたします」

 「ええ。よろしくね」


 一般席を求めて並ぶ人間達も、決して身分が低いと言うワケではない。

 それでも支配人自ら案内されるリューネは優越感に浸り、一般席の受付のために並ぶ列を優雅に通過していった。

 リューネは自慢したかった。アスモデウス家の婦人である自分の姿を見せつけるのが気持ち良かった。 

 微笑を称えながら歩き、貴族として振る舞うのが、何よりも楽しかった。

 だがリューネは気が付いた。自分に向けられる視線が羨望ではなく、些細な悪意や侮蔑だった。そして一般席の列に並ぶ人が、ヒソヒソと噂をしていた。

 

 「アスモデウス本家……財政難」

 「落ちぶれ………」

 「おい見ろ、白い豚……」

 「鉱山の閉鎖……不幸」


 リューネがチラリと列を見ると、慌てたように目を逸らされる。

 サリヴァンは愛人達に、アスモデウス本家の仕事について殆ど説明しなかったので、今のアスモデウス本家がどう言う扱いを受けているかリューネは知らない。

 愛人達はサリヴァンの状況など知らないまま、毎日優雅な暮らしを満喫してる。リューネもレイアも他の愛人達も、毎日が楽しすぎてアスモデウス本家が傾くなど考えた事がなかったのだ。

 そんな事も知らないリューネは、全ての視線を受け止めつつ劇場内へ。

 支配人に案内され最前列の指定席へ座り、さっそくワインを注文する。


 「ふふ、今日はとても楽しみにしていたの」

 

 ワインを注ぐ支配人に微笑みかけ、真っ赤な液体の注がれたグラスを揺らす。

 支配人は一礼し下がると、リューネはワイングラスを傾ける。

 リューネはワインと共に出されたクラッカーをかじりながら、別注でハチミツのタルトを注文してパクパク食べる。

 

 「ふふ、おいしい」


 楽団による演奏が始まるが、リューネの手は止まらない。

 ハチミツの甘さと奏でられる音楽の美しさがマッチし、タルトとワインがよく進む。

 


 醜く肥えていく白豚は、もう決して戻れない。



 **********************



 演奏会が終わりリューネは劇場を後にする。美しい音色の余韻に浸りながら今夜の予定を思い出す。


 「サリー……今日は久し振りに抱いてくれるかしら」


 そう、今日はサリヴァンが愛人の館に来る日だ。

 最近は忙しさのためか会うことすら出来ず、夜の営みも全くと言っていいほど無い。そろそろ愛の結晶が欲しいと考えていたリューネは、サリヴァンに会える喜びに破顔した。

 レイアもきっと楽しみにしてるだろう、順番はどうしようか、などど考えていると、馬車はアスモデウス本家に到着した。

 リューネは馬車から降りると、出迎えのモエに言う。


 「モエ、湯浴みの支度を。それと新品の下着とドレスを用意しなさい。それとアミー、レイアにも同じ支度を」

 「畏まりました、リューネ様」

 「か、畏まりました」

 

 レイアはまだ帰宅していない。リューネは姉として、妹であるレイアを気遣う事は忘れていなかった。

 モエは湯浴みの支度は終わらせていたが、新品の下着は準備していない。なのでアミーに下着を頼み、自身はリューネの湯浴みを手伝うことを優先した。

 浴場に案内し、リューネのドレスを脱がそうとして気が付いた。


 「…………え」

 「モエ、早くなさい」

 「も、申し訳ありません」


 ドレスのファスナーがほつれていた。一番大きなサイズなのに、今日の朝確認したときはほつれていなかったのに……まるで無理矢理引っ張ったような。

 リューネ用の一番大きなドレスの二着目をアミーに用意させ、モエはリューネの湯浴みを手伝う。

 

 「念入りに頼むわよ。今日はサリーが来る日だからね」

 「…………はい」


 たるみ始めた腹、ぷよぷよした二の腕、ずんぐりした太股。リューネの女としての魅力は、この若さで徐々に衰えつつある。どうして気が付かないのかモエは不思議でならなかった。

 風呂から上がり着替えを済ませ部屋へ案内する。そしてモエはリューネにお茶を煎れた。


 「ふふ、サリー……早く来ないかしら」

 

 リューネが帰宅して二時間ほど経過した頃、部屋のドアがノックされる。

 モエがドアを開けると、疲れ切った表情のサリヴァンが現れモエは驚いた。出迎えも護衛もなしにアスモデウス本家の現当主が現れるとは思っていなかったのだ。


 「サリー!!」

 「やぁリューネ……」

 「ああサリー、会いたかったわ」

 「…………あ、ああ」


 サリヴァンが困惑しているのが、モエには直ぐに分かった。

 やつれきったサリヴァンと違い、ふっくらと丸くなったリューネはサリヴァンに抱きつく。その勢いでサリヴァンはふらつき、危うくリューネに押し倒される所だった。


 「レイアにも会ってきたけど、君たち……変わったね」

 「そうかしら? それと、レイアは帰っていたのね。全く、姉の私に挨拶もしないなんて」

 「い、いや、私が屋敷に到着すると同時に出会ったのだ。どうやらレイアの帰宅と私の帰宅が同じタイミングだったようだ」

 「そうなの……それより座って。お茶にしましょう」

 「あ、ああ……」


 どうやらサリヴァンは、リューネの変化に戸惑っている。

 ぽっちゃりとした肉体を上から下までジロジロ見て、何故かモエをじっと見ていた。まるで対比するかのように。

 

 「ねぇサリー、今夜は……」

 「あ、いや……その、仕事が忙しくてね。すぐに行かないと」

 「え……」

 「それと申し訳ないんだが……近々、愛人達を全員集めて、大事な話をする」

 「……大事な話?」

 「ああ。これからのアスモデウス領に関する話だ。私や君たちの生活にも関わる話だから、覚悟してくれ」

 「か、覚悟……?」

 「………ああ」


 お茶を煎れ直すモエは、黙って聞いていた。

 きっと碌な話ではない。アミーから聞いた噂が真実なら、そこでサリヴァンの愛人達が何人か間引かれるはず。そして財政難から生活を改めるなどの話になるはずだ。

 徐々に、徐々に変わっていく。それでもまだこれから。

 ジワジワと締め付けるように、それでいて苦しませず、足下から気付かぬよう、まるで蛇のように。

 サリヴァンが優しいのはリューネにとってまだ救いだ。これからどんどん、サリヴァンも追い詰められていくだろう。その時どうなるかが楽しみだとモエは思う。

 


 サリヴァンの仮面が剥がれる瞬間が、モエにとって何よりの楽しみとなっていた。

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