秋葉原←→アキハバラ
まただ。
また、私は何かに追い掛けられている。
何だろう。
これは、何なのだろうか。
分からない。
でも怖い。
言い知れぬ恐怖が私を支配している。
逃げなくちゃ。
必死に夜のアキハバラの街を駆け抜ける。
誰もいない。
空には綺麗な星がいくつも輝いている。
嘘みたいな、作り物みたいな空。
「…っ」
突然息が苦しくなる。
上手く呼吸が出来ない。
逃げなきゃいけないのに、段々と自分の走るスピードが落ちていくのを感じる。
ああ、だめだ…捕まってしまう。
そして遂に、私は走るのを辞めてしまった。
それと同時に私は真っ黒い靄に包まれ、暗黒の中、私は意識を手放した。
思考する事を、放棄した。
────────────────────
どれくらいそうしていたのだろう。
気がついた私は自室のベッドの上。
黒い靄も、アキハバラの街も、もうどこにもなかった。
見えたのは自分の部屋の天井。
もう一度毛布を被り直すと、部屋のドアをノックされた。
「今日はどうするの?」と、母らしき人物の声。
その声は私を攻め立てるように止まない。
何を言ってるのか、分からない。
聞こえない。
聞こえない、フリをする。
そうして私はまた今日も、学校を休んだ。
毛布は私を暖めてはくれない。
寒い。
寒いよ…。
────────────────────
寒い。
私はまたあの、アキハバラの街にいた。
今度は走ってない。
いや、走らなければならないのに、私はそれをしていない。
もう、どうでも良くなってしまった。
今もあの何かは私に向かって猛突進してくる。
真っ黒い靄……じゃない…?
あれは……龍…。
そう、あれは龍だ。
真っ黒い、漆黒の鱗を身にまとっている。
龍は私に向かって真っ直ぐに向かってきている。
もう何も感じない。
怖くもない。
私は唯々、その龍の事を凝視していた。
石のように静止している私の目の前まで来ると、龍は大きく口を開いた。
そして私を食べる…のではなく、心に響くとても心地よい声で私に語りかけてきた。
─お主は何から逃げている?─
「……………」
─答えられぬか─
「……………」
─…そうか。では、わたしが何なのかも分からないのだな─
「……………貴方を生んだのは、私」
そう。
この龍を…幸福の印でもある龍を真っ黒にしてしまったのは私自身。
私は、私が生み出したものに追い掛けられていた。
「走らなくちゃ…逃げなくちゃ…」
─何故だ?─
「だって!!………だって…?」
………何故?
何故私は、逃げなくちゃいけないの…?
─わたしはもう、追い掛けてはいない─
「…そう…そうよ…私はもう、追い掛けられてない…」
どうして?
じゃあ私は、何から逃げていたの?
何から、逃げたかったの?
どうして、この龍を創ってしまったの…?
「…………あぁ…私は…逃げたかった……意味の無い人生から……この、窮屈な世界から……」
そっか…私が…私が………
「私が、創り上げてしまった…」
私が逃げたかったもの。
だからこんなに…こんなに、真っ黒になってしまったんだ。
「私が、貴方の美しかった筈の鱗を、漆黒に染めてしまったの……」
─染まってしまった訳では無い。お主の目には黒く映っているのかもしれないがね─
「…どういうこと?」
─よく見てみればいい。ほら、その眼を覆っている靄を取り除けば、見える筈さ─
私は、ゆっくりと目を開けた。
今迄私の目の前に広がっていたアキハバラの街は、いつの間にか夜が明け、澄んだ青空が広がる明るい街に変わっていた。
「あ……」
─お主の閉じられた瞳には、わたしは逃げたかったものの象徴に映っていたのかもしれぬ。だから今迄お主を追い掛けておった。だが、実際はそれらはお主を追い掛けたりはせぬ─
「………」
─お主がそれに気づき始めたから、わたしはお主を呑み込まなかった。追いついても、今度は呑み込まなかったのだよ─
龍は、真っ黒なんかじゃなかった。
私には真っ黒に見えてしまっていたけれど、ちゃんと美しい鱗を持っている。
七色に輝く鱗は、太陽の陽を浴びてまるでオーロラのような輝きを放っている。
「…私は…目を閉じていただけなんだね…」
先が見えないから、それなら目を閉じていても同じだろうって。
どうせ何も見えないなら、目を開けていたって何も見えないだろうって…。
「違ったのね。目は開けていなきゃ駄目だった。しっかり見なくちゃいけなかった」
─だが、目を閉じてみて見えた事もあっただろう─
「…え?」
─目を閉じる事だって無駄じゃなかった。目を閉じなくては見えてこない事だってある─
「貴方に会えなかった」
─ふ…それもあるやもしれぬな─
「……私は、またしっかり前を見れるかな?」
─見れるさ。お主が創ってくれたわたしは、こんなにも美しい鱗を持っているのだから─
…そうよ、そう。
私はちゃんと見る事が出来る。
私が創り上げた、美しき鱗を持つ私の龍の事を。
私が進む道を。
晴れ渡った空の下では全てが輝いて見える。
「私は、大丈夫」
だって、追い掛けてくる何かを創り出してしまっているのはいつだって、自分自身なのだから。
目の前の龍が、私の顔を見て優しく笑ったような気がした。
────────────────────
雨が降っている。
秋葉原の街は傘でカラフルに彩られている。
皆この雨で少し不機嫌そうな顔。
でも私は平気。
寒くなんてないよ。
だって私にはこのペンダントがあるんだもん。
美しい鱗の形をしたペンダントは今日も胸元で七色に輝いている。
制服のスカートもローファーも、雨で少し濡れてしまっているけれど、私の足取りは晴れの日と同じくらい軽い。
雨が傘を叩く音が段々と小さくなっていくのを感じた。
傘を下ろして空を見ると、黒い雲の合間を縫って私達の世界に降り注ぐ、幾筋もの黄金の光が目に映る。
「目を開けていて、良かった…」
思わず口から零れた言葉は風と共に空へ舞った。
「………え?」
目の端で捉えたあれは…龍?
空で龍が踊っているように見えた。
気のせいかな?
でも、気のせいでもいい。
私には、あの龍が素敵な七色に見えたのだから。
それで充分。
「…ありがとう」
届いていると信じて、私は空へ向かってとびきりの笑顔で言った。
空は泣き止み、もうすっかり鮮やかな青色をしていた。
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