迫り来る悪意
ここはある酒場、小さくテーブルが六つ、カウンター席がある程度の店だ。
だがテーブルには赤い鮮血が数メートルに及び広がっている。臓器はない、血だけがある。
「それで、最近は被害者に何か異変でも?」
久しぶりにヒゲを剃り、前までのやる気のなさそうなダメ人間さは消えたカナンの師匠【シディ・ティーン】は軽く頭を掻いた。
自分のやっている事は軽い探偵業のようなものだ、色んな所に首をつっこで解決できる、コネもある、これは才ある者の特権であり金には不自由はない。
ただ今回の事件は表の顔じゃ解決は難しい領域に変わっていた。
酒場の親父は青白い顔をしながら俺にこう説明する。
「異変って……人が膨らんで爆発したんだぞ! おかしいに決まってるだろ!」
さっきから人がわざわざ丁寧に説明を求めてるのにこのハゲ野郎、ゆでダコにしてやろうか。
シディはこっちの方が相手も話しやすくなると勝手に予想し、いつも通りの話し方に変える。
「あー……そっち聞いてねえよ。爆発する前、そいつに何か起こってなかったか? 落ち着いて思い出せ、そして小さな異変でも俺に教えろ」
「あんた口悪くなって……」
「いいから言え、敬語とか疲れんだよ」
「そんな事言われても……さっきまで楽しく酒飲んでたのに……顔が赤かったとか」
「酔ってるのと勘違いしてないか?」
「アンタが小さなことでも教えろって言ったんだろ!」
ダメだ、ハゲからは有力な情報は貰える気配はない。
現場にいた人間は、店主のハゲとその嫁と娘、客は開店してすぐ来たそうだから被害者一人、しかも嫁と娘はショックで口を聞ける状態じゃない。
無理もない、非現実に慣れた人間以外は突然人が爆発した事件など正気でいられるはずはない。
「やれやれ、相変わらずだなシディ」
堅物そうな声に丸眼鏡が印象的な男【ヨダ・ダイ】が俺の肩を叩いた。
ヨダは俺と同い年だがどこか幼さが残る顔つきをしている。
「久しぶりだな、酒でも飲むか?」
酒場のL字カウンター席に置かれた酒を一本、コップに注いだ。
「俺は勤務中だ」
「真面目なのはお前も相変わらずだな」
コップを口につけ一気に飲み干したが、シディは顔をしかめた。
「なんだこの味は……」
控えめに言って油を飲まされた気分だ。こんなまずい酒は子供の頃始めて飲んだ時を思い出す。
「それは【ゴブリンの血酒】だな、そんな不味い酒をラルクは上手い上手い飲んでたよ……俺にも勧めてさ……それが最後の一杯になるんだったら高い酒頼めよ……畜生……」
ゴブリンの血酒か、最初はゴブリンの死体を使って悪魔が作り出したとされる酒を人間が飲んだのが誕生の始まりだった。
だが飲んだ人間はかなりの味音痴で嫌がらせとして作ったはずの酒が、男にとっては美酒であったと、そこから男がその味を再現しようとして作り出したのがゴブリンの血酒である。
マスターは白い頭を見る見る青白くさせて行った。
「待てよ、俺も同じ酒飲んだってことは俺もラルクと同じように死ぬのか!?」
「じゃあ飲んだ俺も死ぬな」
するとヨダはフハハハハと笑いを浮かべ。
「それは面白い、だがくだらないな」
「そうだな、少なくとも俺とアンタは死なねえ。アンタは一緒に酒を飲んだって言った。もし毒が入っていたならアンタはもう死んでる」
その前にシーニで確認はした。安全だ。
「つまりここに来る前、毒か何か盛られた被害者の行動を探る必要がある」
「ああ」
話を続けようとしたらバタバタと店の窓から伝書鳩が俺に向かって飛んでくる。
顔が当たる一歩手前で鳩の首を掴んだ。
「口に手紙があるじゃないか」
「こんな時に邪魔するな……あのバカ野郎」
手紙を解くと見慣れた字、やはりカナンか。
『師匠! お金が無くなったんですよ! 助けてください! このままじゃ無銭飲食! 店は繁華街近くの料理店です!』
手紙を破った。
「いいのかい?」
「どうでもいい事だ」
「しかし、君は本当に変わらないな」
ヨダがメガネを外しレンズを服で拭く。
「これでも変わってるんだがな」
「違う、魔法の才能の事だよ」
またか、と俺はため息を吐いた。
「君の才能があれば機関でもやれるはずだ、なのに何故復帰しない?」
「その話にはうんざりだ、次言ったらお前でも舌を引き抜こうか? 本当にやるぞ?」
シディがカナンを迎えに行ったのは夜になった頃だった。
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