過去の幸せ

 三年と一月前。


 私は師匠が課題として渡した魔道書をパラパラと読みながら暇つぶしとして談話でも始めた。


「最近、黒い男ってのが夜出歩いてるらしいですよ、性別不明、種族不明、そもそも生きてるのかもわからないとかなんとか。一説によると悪人成敗してるからか昔死んだ英雄の霊、キューザって話も」


 キューザというのは数百年前に一度、王家を滅ぼした平民の革命家。英雄よりは犯罪者なのだがあまりにも功績が凄まじく彼の信者からは英雄として讃えられている。

 だが、聞く話によると王家を滅ぼす事に意識を取られすぎて滅ぼした後、彼の考えた理想は計画性がなく数年で崩れ去って暗殺されたそうだ。

 だが今となっては昔の話、彼の脅威など皆忘れ去って行き、彼が変えようとした弱い人間が許される世界はまた強者により塗り替えられて行ってるのが現状だ。

 フィクションの世界の人間では? とも思われてもいる、時の流れは残酷である。

 私も実際いたかはイマイチ信用してないが、師匠が彼の事を心酔してる節があるので地雷を踏まないよう言葉を選んでいる。


「だから夜に女漁りするのは控えた方がいいんじゃないんですか」


「俺が女漁りしてるんじゃない、向こうから来てるだけだ」


 私の師匠は控えめに言ってダメ人間のクズだ。15になった今だがまともな子育てをしてくれた印象はない。

 魔法の訓練は「体で覚えろ。死ぬほど痛いだけだ」と言って食らわせてくるし、ご飯なんて「俺は料理はしない、教えるから作れ」で、勉強など「わかんねえなら飛ばせ、バカなりに考えろ」とたまに間違った部分を指摘すると「バカ、ここはこれで合ってんだよ」と無理矢理押し通す。

 なのに顔立ちは整ってるせいか寄ってくる女は多い、その彼女達、今のうちにやめた方が良い。


 そんなダメ人間だが、感謝の気持ちは微かに存在する。ちゃんと私を見ていてくれてくれる。見捨てず、一人の弟子として接してくれた。それだけで嬉しかった。


「動物に変える魔法」


 師匠の突然の抜き打ち問題が来た。

 咄嗟に油断してるうちに出してくるから困る。失敗すると叱られるし。


「クリール」


「犬」


「クリール・アル」


「氷の魔法」


「サノー」


「髪を増やす魔法」


「…………カチーナ?」


「カチーナは髪を減らす魔法だ。十分後またやる、魔道書を読んでろ」


「えっ……パディと約束してるんですけど」


「知るか、お前がバカじゃなければ早く終わるだけの話だ」


 やっぱり嫌な人ではっきり言って嫌いだ。


「へーだから遅れたんだ」


 やっと問題を答えれたのは1時間後だった。待ち合わせの30分はオーバーしてしまった。

 いつもはふんわりとした笑みを浮かべる金髪少女パディだが、今日は目が笑ってない。


「そう、だから私は悪くない……ごめん、なんかご馳走するから許して」


「冗談だよ冗談、カナンは魔法使いになるんだから仕方ないよ」


 魔法使いだから仕方ない、その言葉を聞くと少し重い気持ちになった。


「ありがとう……でも今日は私がなんか奢るよ。流石に待ち合わせに遅れるの三回目だし」


 この後、パディの胃袋に恐怖を覚えたカナンだった。

 あれ、パディってこんなに食べる人だっけ、料理店のテーブルに並べなれた香ばしい香りのスープやサンドイッチがものすごい勢いで消化されていく。

 少食で食が細い事に文句を言ってた彼女だが、あれは嘘なのか。

 

「せいひょうきかはぁ《成長期かなぁ》」


「そ、そう……」


 私は後の代金をなるべく考えないようにしてぶどうの果汁を絞ったジュースを飲んだ。

 そっから数分後、綺麗さっぱり料理を平らげたパディは「八分目かな……」と恐ろしい事を言い出した。

 

「もしかして……あんまり食べないのは嘘?」


 そう言うとパディは首を傾げた。


「うーん……前は本当に何も食べなかったんだけどね、最近になって料理が美味しくなってなって」


 私は苦笑いしながら皮肉を言った。


「太らないといいね」


「んーもう、そんな事言わないでよ」


「まあ……全部身長と胸に言ってそうだけど」


 私はパディの見る女性全てが羨むような肉体にため息をついた。

 私は結構小さい。いろんな意味で。


「でも、私は小さいカナンの方が好きかなーー」


「そう? 高い所に届かなかったり苦労するよ。うん、お互い知らないから言える事だね」


「そうそう、やっぱり自分が一番って事に落ち着くよねーーあっ、そろそろ帰らなくっちゃ」


「もう?」


 会って1時間程しか会話してないのに。


「ごめんね、もうそろそろ先生が家に来るの」


「先生? ああ最近えーと確か……偉いところの……」


「グリース家から来たヘイデン先生、貴族の家系なんだけど魔法を使えない私にも優しく接してくれて本当に良い先生よ」


 そう言いながらパディは頬を赤くさせ頬に手を置いた。


「そうそう」


 熱に浮かされるパディを呆れながら返事をする、恋か、私も一度くらいはしてみたいものだ。

 モテる身近な男が最低男のせいか、あまり男に良い印象は持ってない。差別してるわけではない。


「前だって失敗したクッキーも全部美味しいって食べてくれて……」


 彼女の恋愛話が始まりそうだ、その話は五回目。


「あーうん、待たせてるんじゃなかったっけ」


「あ、急がなくっちゃ!」


 そう言って彼女は席を立つ。


「カナンがもうちょっと早く来てくれたら長く遊べるのにね」


 笑顔で皮肉を言われた私はすみませんと返すしかなかった。

 そんな熱にのぼせた彼女を苦笑いしながら私は見送った。

 パディは笑う娘だけど他人を気遣った乾いた笑いが多かった、友人の私の前でも。笑顔で明るく振舞っていても、魔法を使えない劣等感や焦りで何度か友情にヒビが入らないか恐怖したものだ。

 それでも今は違った、乾いた笑顔より心の底から笑うようになっている。

 恋ってそんなに人を変えるものなのかな。


「お客さん、代金はルーゼンル銀貨3枚ネ」


「ハイ……」


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