第10話


 僕らはまた当てもなく歩き出し、カスミ中央公園へと差し掛かる。公園の街灯も、やはりARによって消されていて、木々の緑は本来以上の濃い色をして僕らを拒絶している。

 そんなとき、マリーは一瞬だけ目を光らせ、立ち止まる。そこにはカスミシティでは珍しい、現金投入口しかない自動販売機があった。マリーが硬貨が入れて選んだのは、毒々しい紫色の缶に入った『ドクトルペッパー』なる、デザインからしておいしさを蔑ろにしているような炭酸ジュースだった。

「まさかこんな場所に売っているなんて……!」

 何やらマリーは若干興奮している様子だ。プルタブを開け、一気にごくごくと何口も飲んで、ふう、と満足そうに息を吐く。すぐ飲み干すと、自動販売機の横にあるゴミ箱に空き缶を入れた。

 それから肩にいるユングを鷲掴みして、腕に抱える。

「救世主だとか、ユングは大げさに言っているけれど、違うと思う。正直、私は難しいことはよく分からない。世界を救うとか、あまり実感できない。私はただ、誰かの悪意のせいで悪事に手を染めてしまう人を止めたいだけ。悪人を野放しにできないだけ。私は結局、目の前の出来事を対処することしかできないの」

「いいのです! それで、世界を救うことになるのです!」

 持ち上げる言葉に、マリーは溜息を吐く。

「とにかく私は、目の前の犯罪を止めたい。だから私の目下の敵は、殺人鬼〈グルメ〉」

マリーは、ユングの耳を軽く引っ張りながら言う。

「世界で最も防犯環境が整っていると言われるカスミシティで、三人もの人間を殺している存在。それほどの悪人は、必ず〈パノプティコン〉に招かれているわ。私はこの仮想世界で、彼、あるいは彼女を倒さなければならない。世界を救う云々ではなく、私はこの犯罪を止めたい。これから殺されるかもしれない被害者を助けたい。だからそれが今、私が一番、しなければならないと思っていること」

 マリーはこちらを見る。

「ユウスケ」

 このタイミングで突然また名前を呼ばれ、心臓が跳び上がる。

「〈USW〉になって、〈グルメ〉を倒すのを、手伝って」

 呼吸を整え、咳払いをして、尋ねる。

「どうして、僕なの?」

 客観的に見ても、僕を仲間にする理由はない。時価総額がカスミシティで平均以下であり、倒せる〈CSW〉も少ないからだ。

 けれどマリーは、迷いなく言うのだ。

「私が決断したから」

 絶対的な強い意志で。


「あなたを救うって」


 僕は、理解した。

『特別』である彼女が動く理由には、他人は関係ないのだ。自分の意志のみが、彼女を動かすのだ。

 その、絶望的なまでの、強さ。

 その、絶望的な、隔たり。

 マリーは小さく震えている僕の手を握る。

「私たちは恋人同士なのでしょう? それは、どんな過酷な運命が待ち受けていたとしても受け入れ、一蓮托生になる覚悟を決めたということ」

 僕は弱い。

 自分で死を選びそうになってしまうほど弱い。

 一人なら〈パノプティコン〉には耐えられない。誘惑にだって負けるだろう。大金を手にできるチャンスがあり、自分の価値を高めることができるなんて、無視できるはずもない。途方もない世界のことなんて考えられない。

 あまりにマリーとは違いすぎる人間だ、そんな僕は、近い将来、必ずマリーを失望させるだろう。

 それでもマリーは――もう僕を救うと決断したマリーは、僕が彼女に付いていくことを、揺るぎない信念で望んでいる。

「なるよ、〈USW〉に」

 マリーの手を握り返す。

「僕は、九曜マリーの正義に、ただただ従いたい」

 不思議だ。どんな結果になったとしても、この決断に後悔しない、その自信がある。

「マリーと、一緒にいたい」

 握り返したその力の強さに、マリーは小さく笑ってくれた。

 僕は深く息を吐いて、リリカとカナタを交互に見る。

「二人も、そうしようよ」

 リリカは不安そうに顔をしかめている。

「……でも、相手は『世界の敵』だよ? 増え続ける〈CSW〉に対して、マリーちゃんは一人しかいないんだよ?」

「そうだね」

「しかもだよ。この中に一人、悪人がいるんだよ? なのに大丈夫?」

 僕はそのことについて一旦考えるが、大丈夫だと、リリカを真っ直ぐ見つめる。

「悪人がいても関係ないよ。だって、僕は知ってる。僕たちはみんな、九曜マリーに、どうしようもなく惹かれている。どうしようもなく彼女を信じている。だから、そいつが悪人であっても、裏切ることはできないんじゃないかな? そうは思わない?」

 リリカは少し考えて、言った。

「……うん。そう思う」

「悪人云々関係なく、僕らだったら、彼女の手足になれるって思うんだ。いや、僕らしか、本当の意味で彼女の手足になれないんじゃないかな?」

 そう、そもそも、僕らはそういう集団だ。

 マリーを好きで、マリーに憧れ、マリーを見続けていたい。

 それだけしか繋がりのないとも言える僕らなのに、強い絆を感じていた。それは僕の思い上がりでは絶対なくて、みんなその絆を感じていたはずだ。マリーを通じて、僕らは信頼し合える。深い部分で、僕らの哲学が繋がっている確信が、僕らを絶対的な仲間にしている。

 カナタは、ふふ、と微笑する。

「俺はまったく問題ないよ。ユウスケに促されるまでもなく、そのつもりだったしね。そもそも俺は、先に〈USW〉になっている。それを忘れられては困るな」

「そ、そういえばそうだったね」

「ふふ、でも、正直に言うと羨ましいよ。マリーさんから、直接指名されるなんてね」

 腹の決まった僕とカナタは、リリカを見る。

「あたしは――」

 リリカは一度息を吐く。

「――決まってんじゃん。夢を叶えるためだけに、私はママともパパとも離れて、一人でこの街にやってきたんだよ? それなのに、しかも自分の〈RELC〉が0になるかもしれないのに、増え続ける〈CSW〉を倒し続ける? 世界の敵と戦う? あまりに無謀だよ。ただマリーちゃんと一緒に戦いたい、その気持ちだけを優先して危険を冒すなんて、そんなこと――」

 リリカはニカッと大口を開けて笑う。

「――あるに決まってるよね! だって、こんなにワクワクすること、他にないもん!」

「だよね」

「だよな」

 確信する。

 やっぱり僕らは、根っこの部分で通じ合っている!

 僕ら三人は、いつも通り、拳を突き出し、合わせた。胸の奥がじんわりと熱くなり、合わせている拳が小さく震えた。

 マリーは、そんな僕らを、少しだけ羨ましそうに見ていた。

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