第7話


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「簡潔に言うと、〈パノプティコン〉で行われているのは、鬼ごっこなのです」

「MMORPGと言うには、〈パノプティコン〉のシステムは簡素すぎるのです。〈パノプティコン〉にはスキルもスペルもないのです。ここでやることはただ一つ、用意された武器――〈レゾンデートル〉というのですが、それで相手の急所を貫く、それだけなのです」

「〈パノプティコン〉にログインしている人間は、およそ二千人と言われているのです。カスミシティに住民票がある人間が502,203人なので、約5%ですね。でも、〈RELEASE〉をやっている人間ならば〈パノプティコン〉に来る可能性があるので、市外の人間も割といるのです。〈パノプティコン〉のことは絶対口外禁止で、インターネット上に書き込んだりしてしまうことがバレると、問答無用でアカウントを破壊されるのです。……あ、カナタがご友人に尋ねたのは、まだここに来る前だったのでセーフです」

「〈パノプティコン〉に来た人間は、二つの種類のどちらかを選ぶことになるのです。マリーがちらっと言った〈CSW〉と〈USW〉です。〈CSW〉を選ぶと、モンスターの姿になり、〈USW〉を選ぶと、マリーのように人間の見た目のまま、変身して〈レゾンデートル〉を持つことになるのです。どちらになるにも条件があるので、どちらかを選ぶ前に、〈CSW〉に倒されてしまうこともままあるのです」

「〈CSW〉か〈USW〉かではなく、〈RELEASE〉の時価総額の高い方が、鬼ごっこでいう鬼になるのです。時価総額が低い側は、攻撃されないように逃げるしかないのです。急所に〈レゾンデートル〉による攻撃を受けたら、アカウントを破壊されるのです」


 ファミレスデイニーズに場所を移し、マリーとユングと合流した。ギターケースを置いたリリカと僕がソファー席に座り、カナタと後から来たマリーが椅子に座る。時間はもう午後九時になっていた。

 テーブルの上にいるユングは、当然だがAR越しにしか見えないバーチャルな存在なので、僕らは話を聞くためにARモードにした。おかげでファミレスは、鉄鋼が剥き出しになった、外が丸見えの廃墟になっている。人間には灰色のモザイクが掛かったままで、店内を走っている子供にもやはりモザイクが掛かり、尚且つ騒いでいる声がノイズキャンセルされてかき消されている。

 テーブルに載っている食べ物も、ARによって処理されていて、よく分からない物体になっている。そんな見た目では当然食欲は湧かないので、僕はコーヒーだけを頼んだのだが、カナタはビーフステーキを頼んでいた。ARによって見た目が緑の物体になっていたが、平然と食べている。やっぱり天才はどこかおかしい。

 マリーの様子は特に変わっていなかったが、服装はあの機械的なボディスーツではなく、制服姿に戻っていた。グローブ型コントローラー〈Ztopia〉を外し、テーブルの上に置いている。

 そして、どういうわけか、ゲージの数字が『2,000』になっていた。時価総額通りの数字に戻ったということだろうか?

「大体、分かったのです?」

 ユングの説明は、必要な情報を厳選しているのか、意外にも分かりやすかった。さすがは最新鋭AIと言ったところか。

 ユングの自己紹介によると、ユングはWord2Vec、ニューラルネットワークなど、計七つのアルゴリズムが用いられた、学習型AI〈イド〉の先行試作機らしい。

〈イド〉の説明部分は、チンプンカンプンといった様子で聞いていたリリカは、赤錆のような色が混ざった抹茶のソフトクリームを躊躇いながらも食べ、ユングに尋ねる。

「まあ大体は分かったけど……でも肝心なことをまだ聞いてないよ。アカウントを破壊されるとどうなるの?」

 そう、それは僕も聞きたかった。

「うん。アカウントを破壊されると、〈パノプティコン〉に二度とログインできなくなるのです」

「ふーん……それぐらいだったらまあ、別に困らないんだけど」

「残念ながらそうとは言えないと思うのです。実は〈パノプティコン〉と〈RELEASE〉のアカウントは紐付けされているのです。そして、〈パノプティコン〉のアカウントが破壊されると、〈RELEASE〉のアカウントも同時に破壊されてしまうのです」

「え? 待って? それって……」

 リリカは、まだ事態を把握していない表情で言う。

「〈RELC〉が無価値になるってこと? そうなるとつまり、時価総額が0円になるってことじゃ……」

「そういうことなのです」

 ユングの返答に、リリカは徐々に青ざめていく。

 でもきっと、僕の表情は、それ以上に血の気が引いているだろう。

「……大丈夫か、ユウスケ?」

 カナタの言葉に、首を縦に振りたいが、できない。

〈RELEASE〉を放棄する。時価総額を0にする。それは人によっては、死よりもきついことかもしれない。

 僕がそうであるように、カスミシティで人と比べられ続けられる生活がきつい人間は少なくない。であれば、ドロップアウトする人間も一定数は出る。

 しかし、この社会はいつでも、ドロップアウトした人間に厳しい。

 表向きには、〈RELEASE〉を放棄した人間も尊重しなければいけないと、誰もが言う。だが、それが口当たりがいいだけのきれい事だと誰もが知っている。現実では、〈RELEASE〉を放棄、あるいはアカウントを停止し上場廃止(その場合でも時価総額はほぼ0円になり、仮に復帰しても信用されず価値が付くことは少ない)を決めた人間は軽蔑され、しっかり差別される。実際、就職は大きく不利になるし、結婚時にも問題になりやすい。〈RELC〉を無価値にさせたことで、損失を被った人間がいるので、親を含めて責められ続けることもしばしばある。ネット上では『C喪シーモ』という蔑称が生まれ、よく煽りに使われている。

 別にそれが非情だとか、残酷だとか、不条理だとか、そうは思わない。時価総額が0円の人間には、実際価値がない。一生無価値の烙印を押され続けてしかるべきだ。僕はそう思っている。

 ……分かっている。その認識は、尚のこと僕を苦しめている。

 スケルトンに襲われたときの記憶が頭に蘇る。僕は、あと一歩で、あの剣に貫かれていた。あと一歩で、無価値にさせられていた。

 僕は、タワーマンションの屋上に行く前であっても、〈RELEASE〉を放棄することができなかった人間だ。まだ、自分が高額の時価総額を手にすることを、特別な価値のある人間になることを、諦め切れていない。

 僕はきっと、他の誰よりも、無価値になるのが怖いのだ。

 よっぽど僕の顔色は悪いのだろう。リリカに背中を撫でられ、「やっぱり逃げてごめんね」と謝られた。

 黙って首を振る。リリカが悪いなんてことはあるはずがない。あれは僕が勝手にした決断だ。

 カナタはショックを受けている僕をいたわるように見ながら、ユングに尋ねる。

「これまでの話を総合すると、あのスケルトンは、自分より時価総額の低い、つまり俺以外を退場させるために攻撃しようとした、ってわけだね。でも、そんなことをして、彼にメリットがあったのかな?」

「メリットはあるのです。〈CSW〉――モンスターの見た目をした方ですね、それが〈パノプティコン〉にいる人間を倒すと、相手が所有している〈RELC〉の金額を奪えるのです」

「〈RELC〉を奪える? いくらぐらいだ? まさか時価総額全額か?」

「ええと、奪えるのはその人が所有している〈RELC〉すべてになるのです。支援者に買われているものは奪えず、消失するのです」

 発行している10000〈RELC_yusuke-ninomiya33〉のうち、僕が所有しているのは4987〈RELC_yusuke-ninomiya33〉だ。僕の時価総額は221.3万円なので、計算すると1103623.1円が、僕の所有している金額になる。もし僕があのまま倒されていたら、あのスケルトンに約百十万円も奪われていたということだ。

 時価総額が平均以下の僕でもそれだけの額だ。例えばカナタだったら、おそらく数千万円にもなるだろう。一人を倒すだけでそれだけの金が手に入る。それは他人の人生を壊すのに、十分すぎる動機だ。


 つまり、〈パノプティコン〉で行われているのは――

 ――億単位の金が平然と動く、鬼ごっこ。


「説明したとおり、〈パノプティコン〉は時価総額が高い側が、一方的に搾取するシステムなのです。だから、奪ったお金を使い『自分買い』をして、時価総額を上げる人が多いのです」

『自分買い』とは、自分の〈RELC〉を買い戻すことだ。自分の〈RELC〉の価値が割安だと判断したときなど、回収したい理由があったときに、手持ちの資金を使って〈RELC〉を買い戻すのだ。例えば、〈RELC〉が安いときに『自分買い』をし、高くなったときに売り出せば、その差額を儲けることができる。(ただし、明らかに〈RELC〉が高くなるであろう情報を握り、それを公表する前に『自分買い』をした場合、インサイダー取引扱いとなり、犯罪となる)

『自分買い』は支援者にも歓迎される行為だ。まず単純に流通している〈RELC〉の割合が減るので、1〈RELC〉辺りの価値が上がる。また他でもない〈RELC〉発行者本人が、『自分買い』で身銭を切るのは、将来的に〈RELC〉の価値が上がると見込んでいるケースがほとんどだ。つまり支援者にとっては、将来性を期待できる材料でもあり、さらに買いが入る。

 結果、多くの場合、『自分買い』を公表するだけで、〈RELC〉の価値が上がり、時価総額が上がるのだ。

 リリカはうんうん頷く。

「なるほどなるほど。自分の時価総額が上がることで、より値段の高い相手を倒せるようになるってことだね。で、より大金を手にできるチャンスを得る、と」

 カナタが腕を組む。

「それ以上に、倒される可能性が減るのが大きいかもしれないね。だって、この鬼ごっこは、一度倒されたらもう終わりなわけだから」

「ああ、そうだよね! 時価総額が低いままだったら、いつやられてもおかしくないもんね」

 それを聞いて、僕は思わず、自分のゲージの数字と、カナタのゲージの数字を見比べる。

 あり得ないとは思うけれど、もし僕らが対立したら、僕はカナタに一蹴され、すべてを奪われる。……ゴミのように。

〈パノプティコン〉にも言われているようだ。

 ――時価総額が低い人間は、生きている価値がない。

「……どうやって〈パノプティコン〉から出るの?」

 ユングに尋ねる。〈パノプティコン〉は僕には厳しすぎる場所だ。できることなら、もう二度と来たくない。

「あの……ごめんなのです」

 嫌な予感がする。

「……なんで謝るの?」

「〈パノプティコン〉からは出られないのです。アカウントが破壊されるまで続くのです……。ごめんなさいです! ボクのせいではないけれど、全然八つ当たりしてくれても構わないのです! 耳を噛んで千切って、カラっと油で揚げて砂糖をまぶしておいしくいただいてもかまわないのです!」

「出られないって……」

 絶句する。

「それじゃあずっと、金目当てのモンスターに、いつ襲われるか分からないってこと? 確かエリア外には出られないよね?」

 そんなのどう考えたって、心と身体が保たない。

「ああえっと……それは大丈夫なのです。〈CSW〉か〈USW〉になれば、エリア外に出ても問題ないのです。カメラが設置されていない場所――学校、自宅、安らぎの森などに行けば、休むことはできるのです。ただし、ロックオンされているとき――敵に追いかけられているときですね、そのときだけはエリア外には行けないのです」

 けれど、カスミシティのほとんどの場所には、カメラが設置されている。つまり、ほとんどどこに行っても、〈パノプティコン〉のエリア内だ。

 カスミシティに住んでいる限り、この鬼ごっこからは逃れられない。

「あたしの住んでる寮、たぶん部屋とトイレと風呂以外、位置マーカーのためのカメラあるよ……。部屋に引きこもりでもしない限り、ARモードを起動したら、これからは廃墟にゴーってこと?」

「そういうことになるのです」

 リリカは「おおう……」と嘆いて、テーブルに頭を突っ伏す。

「あー、とにかく〈CSW〉か〈USW〉にならなくちゃいけない、ってことね。そうじゃないと部屋にも戻れないもんね。……でも、キモいからモンスターの姿になるのはないなあ。となると、あたしは〈USW〉かな? もしかしたらマリーちゃんみたいに、めっちゃカッコかわいい姿になるかもしれないし!」

 ユングは顔をうつむかせる。

「マリーを贔屓している身としては〈USW〉を選ぶと言ってくれるのはありがたいのです。……けど、実は相手のお金を奪えるのは〈CSW〉だけなのです。〈USW〉は、相手のお金を奪うことはできないのです」

「え? どゆこと? なら〈USW〉には他のメリットが何かあんの? 例えば、〈CSW〉より強いとか」

「ううん、まったくないのです。〈CSW〉と同じく、時価総額が高い相手に倒されれば、アカウントが破壊されて、資金を失うのです」

 リリカは口をマヌケに開ける。

「えー……じゃあ、〈USW〉になるメリットなんて、カッコイイ以外にないじゃん。誰が〈USW〉を選ぶの?」

「だから、〈パノプティコン〉に来た人間のほとんどは、〈CSW〉になるのです……」

「じゃあ、マリーちゃんは何のために?」

 マリーは先ほどからずっと無言で、スマホをスクロールさせていた。リリカが自分を見ていることに気付き、顔を上げると、いつもの無表情で口を開く。

「私はただ、〈パノプティコン〉でおかしくなりつつある、カスミシティをなんとかしたいだけ」

「お金はいらないの?」

 マリーは無表情で言う。

「こんなやり方で奪ったお金なんて、いらない」

 特別なことを言っているわけではない。ごくごく当たり前のことを述べただけ。そんな口調だった。

 だからこそ、僕は圧倒された。

 彼女がアルバイトもしたことがないただの中学生だとしたら、その言葉は金の意味を知らないが故の無垢な発言でしかないだろう。潔癖だな、程度には思っても、心には響かないだろう。

 でも、カスミシティにいて、金に対して無垢であるわけがない。金に支配され、金がなければ人生の価値さえ奪われる街にいて、鈍感でいられるはずもない。

 それでもマリーは、正しくない金ならいらない、こんなことが言えるのだ。

 それは、どれだけの特別だろう?

「ユウスケ」

 僕のことだろうか? いや、僕のことに違いないだろうが、彼女がこんな風に名前を呼び捨てにするのを聞いたことはないので、素直に認識できなかった。

 戸惑っている僕に構わず、マリーは続ける。

「それでもユウスケは、〈USW〉を選んで」

「……え?」

 他人に感心がない、彼女らしくない発言。

 僕がさらに戸惑っていると、マリーは続ける。

「だって」

 顔を赤くして。

「恋人なんでしょう?」

「え? え? ……え?」

 まるで付き合ったばかりの恋人への、甘い態度。

 ……ええと……いや、付き合ったばかりの恋人なのかと言えば、その通りなのだけれど……いやいやいやでも、ほら! 僕らは成り行きでそうなっただけじゃない? だから、こんなリアクションは、その、想定外で……! そ、それとも、ほんのちょっとくらいは、僕へ恋愛感情がある? あるのか?

「って、痛っ!」

 やめてリリカ! マリーの発言に驚いて目をまん丸くしたまま、マリーの死角から僕のお腹をつねるのはやめて!

「ふむ、大体状況は分かったよ」

 マリーの発言にも表情にも、カナタは顔色を変えず、緑の物体と化しているビーフステーキを食べ終えると、ナイフとフォークを置く。

「とにかく俺たちは、カスミシティでの存在意義を失うかもしれない危機に襲われている、それだけは間違いないようだね」

 そして、なぜか立ち上がる。

「まさに今も、ね」

 カナタの表情から、微笑みが消える。

 その視線の先。ファミレスの入り口。

 そこには、緑の肌、イノシシのような鼻をした、ゲームならオークと名が付くであろうモンスターがいた。オークのゲージは『9,712,000』。マリーを除けば、僕だけがオークより数値が低い。

 一瞬で緊張感が走る。カナタに倣い、僕らは全員、立ち上がる。

 オークは、モザイクが掛かっていないであろう僕らに気付くと、鼻をフゴフゴと鳴らしながら、こちらを凝視する。しばらくこちらの様子を窺っていたが、僕らが変身しないことで、〈CSW〉でも〈USW〉でもないことを察したのだろう。いかにもモンスターらしい三白眼の目を細めて笑う。

 ターゲットは、間違いなく僕だ。


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