第8話


 まずい……。狭い店内で、出入り口は一つしかない。向こうが出入り口に近い以上、逃げるのは困難だ。

 オークはその絶対有利の状況でも、すぐに迫っては来なかった。スマホを手に取り、耳に当てた。

「……ああ、カモがいる」

 他の音がノイズキャンセルされている環境では、小声での言葉もよく聞こえた。

 そうだ。何も敵は単独行動をしているとは限らないのだ。協力し合い、獲物を狩る奴らだっているのだ。仲間を呼び出しているとしたら、リリカやカナタより時価総額が高い奴も、その中にはいるかもしれない。

 そうなれば、この後に待ち受けているのは、一方的な搾取。

 頼んだコーヒーを一口も飲んでいないのに、苦い胃液が流れている。僕の価値そのものを奪う危機感は、手足を痺れさせる。

 オークの動向を窺いながら、カナタがマリーに尋ねる。

「マリーさん。先ほどみたいに変身はできる?」

「変身はすぐにできる。けれど、ゲージの数字は『2,000』で、あの〈CSW〉には勝てない。その低い数字を見たら、下手したら勢いづかせてしまうかもしれない。あれに勝つほど数字を上げるには、時間が掛かる」

 ゲージの数字が変わったことには、やはり何かしら種があるようだ。とにかくマリーさえも、今は頼れない。

「ユング、俺が〈USW〉になるにはどうしたらいい?」

 カナタが冷静に尋ねる。

 ユングは、オークの登場に慌てて、「あわわわわ」と、テーブルの上であっちこっちに走り回っていた。まったく頼りない人工知能である。もう一度カナタが「ユング」と呼ぶと、顔を上げる。

「え? えとえと、〈USW〉になる方法ですよね? それはですね、マリーにクラン申請して、承諾してもらえばいいのです」

 クランとは、FPS系オンラインゲームなどでは、同じ目的を持つ集団のことだったはずだ。

「でもカナタ、メリットのない〈USW〉でいいのです?」

「構わないよ。だって」

 そうして強く言い放ったカナタの笑みは、いつもの微笑とは少し違っていた。

「俺は、正義の味方になりたいからね」

 それはどこか、不気味な笑顔だった。

 その印象は、僕だけではなかったのかもしれない。なぜならマリーも、困惑したような顔をしていた。しかし、この状況で他に良い手段をマリーも思い付かなかったのだろう。しぶしぶ頷く。

「分かった」

 マリーは、ホログラムのメニュー画面を操作する。すると、大量の光のエフェクトがマリーを包んだ。まばゆい光の中で、マリーは制服から、機械的なボディスーツへ姿を変えた。

 何も反応しなかった僕らのメニュー画面に、『クラン申請しますか?』との文字が表示された。

 カナタは躊躇いなく『はい』を選ぶ。

 マリーも『承認』を押した。

 カナタが先ほどのマリーと同じように、仰々しい、大量の光のエフェクトに包まれる。

 光が消える。光沢のある、金属製の細身の黒いスーツを着たカナタが現れた。白いシャツに、黒いネクタイ。口を覆う、金属製の黒いフェイスマスク。

「これが……カナタの 〈USW〉の姿……!」

 紳士的であり、同時に不気味な印象を抱かせるその格好の中でも、ひときわ目立つ特徴がある。それは背中に羽のように、あるいは十字架のように装着されているもの。

 真っ白い、二つのライフル銃。

「銃の〈レゾンデートル〉! 初めて見たのです!」

 オークは変身したカナタを見て、わずかに静止した後、背中を向けて逃げ出した。それもそのはずだ。カナタが登場しただけで、優位は変わってしまい、仲間を待っている場合ではなくなった。自分より遙かに上の数値『58,167,000』を持つ〈USW〉が、飛び道具を持って現れたのだから。

 小さい、おそらく子供であろうグレーのモザイクを「どけ!」とはねのけ、オークは急いで出口へと逃げ出す。そのオークへ、カナタは背中から引き抜いたライフル銃を向ける。

 ――カナタは、どうするのだろう? あのオークは人間で、撃ち抜かれれば時価総額をすべて失ってしまう。さすがにそれをするのは――

 そんなことを考えている途中だった。

 ――バァン!

 カナタは抵抗なく、オークの頭を撃った。

「うぎゃ!」

 頭に命中し、オークの頭は半分が吹き飛び、その場に倒れる。

「え! カ、カナタ!」

 身動きしなくなったオークの全身が、ガラスが割れるようなエフェクトの後、一度消えた。それからオークは、スカジャンを着た金髪の男に変わる。当たり前だけれど頭はそのままあった。

 カナタは銃口から上がる煙を一瞥だけすると、メニュー画面を押して、〈USW〉のスーツ姿から元の制服姿に戻る。それからすぐにスマホを取り出して救急車を呼んだ。すでにスカジャンの男には、いくつかのモザイクが集まっている。外音がないので実感が持てないが、突然男が倒れたことで、騒動になっているのだ。

 一連のカナタの行動に、僕はただただ圧倒されていた。

 カナタの動きは淀みなかった。最初の戦闘だというのに、無駄が何一つ無かった。

 ――相手の人生を壊してしまうというのに。

「……カナタ。どうして躊躇いなく、あの人を撃ったの?」

 介抱する振りでもしようとしていたのか、金髪の男の方に行こうとしたカナタを引き留める。むしろカナタの方が戸惑ったような顔をしていた。

「俺たちを狙っていたからだよ」

 まだ僕が眉を寄せたままだったからだろう。カナタはいつもの微笑みを浮かべて、補足する。

「彼は、俺たちが〈CSW〉でも〈USW〉でもない、つまり戦う力がないのを確認してから、攻撃しようとした。無力な人間の全財産を奪おうとした。それって、どう考えても悪人だろう? しかもどうやら、彼には仲間がいたみたいだ。ここで攻撃をせずに見逃せば、ぬるい連中だと目を付けられ、今後も狙われることは確実だった。彼の仲間に警告する意味でも、手加減するわけにはいかなかったんだよ」

「……な、なるほど」

 この一瞬で、そこまで考えていたのかと、素直に感心した。

 でも、それが分かってもやはり、その躊躇いのなさは少し怖い。だって、悪人だったら、簡単に人生を壊してもいいって、カナタは判断したんだ。カナタにとってこの断罪は、考える余地もないことなのだ。

 僕がモヤモヤとしているのを知ってか知らずか、リリカが平手でカナタの背中をパアンと叩き、笑う。

「カナタ、助かったよ、ありがとう」

 リリカの言葉にハッとする。そうだ、僕が最初に言うべき言葉は感謝だった。だって、間違いなく一番危なかったのは僕なのだ。僕のためにカナタは決断したのだ。

「……ありがとう、カナタ」

「ふふ、どうも」

 と、マリーが僕の腕を引っ張っていることに気付いた。

「えと? マリー、何?」

 僕が戸惑いながら頭を寄せると、耳元でこしょこしょとささやく。……ええと、これをカナタに伝えればいいのだろうか?

「……あの、マリーも、ありがとうって」

「うん。どういたしまして」

 カナタが微笑み、マリーが頷く。

 ……いいけど、それぐらい自分で言えない? カナタにだけ妙な人見知りをしてない?

 あとリリカ! 別にマリーとイチャイチャしているつもりはないから、こそっと背中をつねるのやめて!

 カナタは「ふぅ」と息を吐くと、椅子に座る。真剣な顔をし、腕を組む。

「ユング、まだ聞かなければならないことがあったよ」

「なんです?」

「どうして俺たちが、〈パノプティコン〉に招かれたんだい? 理由はあるはずだろう?」

「う……」

テーブルの上にいたユングは、椅子に座ったマリーの肩に乗ると、背中へ降りていって、隠れてしまう。

「どうしたんだい、ユング?」

「あの……怒らないのです? 冷静に聞いてくれるのです? ボクのレンズにピンクの油性マジックでハートマークを描いて、いつも欲情しているキャラみたいにしないのです?」

「もちろん、怒ったりしないよ」

 カナタはニッコリと笑う。

 ユングはマリーの肩から、ちょこんと頭の上半分だけ出す。

「……うう、その言葉を信頼するのです。せめてレンズに描くのは星マークにして、好奇心旺盛キャラに留めてくれると信じているのです」

「いやいや……それもしないよ」さすがのカナタもその自虐に引いている。「……ああ、でもその前にここを出よう。オークだった男の仲間が、駆けつけてくるかもしれないからね」


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