第4話


     3


 たぶん九曜マリーは、僕の幸福を願って、告白を受け入れたのだ。

 頑なに自分の考えを受け入れない、不幸な考え方をしている僕を、何とかして改めようとしているのだ。僕を正しい方向に導こうとしているのだ。

 だとしたら、なんて利他的なのだろう。


 彼女が住んでいるという、狭そうなアパートまで送る。別れ際に〈LILIN〉の連絡先を教えてもらい、記念すべき初メッセージを送る。

『これからマリーって呼んでいい?』

『別にいいよ』

 まだ恋愛感情はマリーにはないだろうけれど――きっとこの関係は正常ではないだろうけれど――とりあえず僕は喜ぼう。

 だって、あの特別なマリーと、彼氏彼女になれたのだから!

「さて」

 ゆっくり喜びを噛み締めたいけれど、リリカから呼び出しが掛かっている。僕はママチャリで中心街に戻る。

 視界の右上にあるホロスクリーンに表示されている時間を見ると、『18:57』とある。ファーストフード店の前に自転車を止め、中に入る。ファーストフード店のアプリからコーラの注文をし、店の決済端末に触れると、ウォレットアプリ内の〈KCC〉が減って、注文と支払いが同時に終わる。待ち受けカウンターにアームロボットがコーラを置くと受け取り、二階に上がる。

 学生ばかりの店内で、二人の姿を捜す。笑い声がそこらかしこから聞こえる店内で、みんな不安定そうなテーブルの上でスマホを触っている。二人の場所は、ギターケースが側に置いてあるのですぐに分かった。

〈Ymo〉を付けた手を空中で動かし、パズルゲームをしているリリカと、目頭を押さえて考え込んでいる様子のカナタがいた。カナタはこちらに気付くと手を上げると、リリカもゲームをしたまま手を振る。

 それにしても、不思議な関係だな、と改めて思う。

 時価総額は三人とも離れている。カスミシティでは、時価総額が離れている相手とは深く付き合わないのが普通だ。金銭感覚の違いが、価値観のズレとなって、関係に溝が生まれることが多いからだ。しかも僕らはファッションの傾向も、性格のタイプも似ていない。本来なら全然別々のグループに所属して、ほとんど話す機会がないのが自然だろう。

 じゃあ、なぜ僕らは連んでいるのか?

 それは僕らに、共通していることがあるからだ。

「はあ……今日もマリーちゃん、かわいかったなあ。ねえ見た、あのきめ細かい肌? 陶器かっつーの。近くで見られて幸せ……」

「彼女のあのバッティング、興味深いよね。いくらセンスがあると言っても、反復練習をしなければ、フォームに再現性を持たせられないはずなんだけど、彼女はできているんだ。しかも一見滅茶苦茶なフォームで、だよ。まったく、どういう仕組みなんだろう?」

 そう、それはみんな、九曜マリーに尋常ならざる興味を持っているということ。

 恍惚とした表情で語っていたリリカが、思い出したかのように態度を変え、カナタの隣に座った僕を冷たく睨み付ける。

「で、ユウスケ。聖母たるマリー様と付き合うとか何を考えているの? 死にたいの? 死ぬの?」

「い、いや……僕もまさか、ああいう展開になるとは……」

「言っておくけど、マリー様に不埒な行為をしたら、我ら〈NineSKナインエスケー〉の鉄の規律を破ることになるからね! 極刑だからね!」

「そもそも〈NineSK〉なる組織名が初耳なんですが……」

「は? 『九(Nine)曜マリー・好き好き・クラブ』の略称だろうが!」

 やっぱり初耳なんですが。

「まあまあリリカ、それくらいにしよう。俺たちがユウスケを呼び戻したのは、別件じゃないか」

「そうなの?」

 てっきり僕の暴走を責めるものとばかり思っていた。

「ユウスケ。もしかしてユウスケのスマホに」カナタは僕の方へと身を乗り出して、言う。「〈パノプティコン〉というアプリがインストールされていないかな?」

 すぐに先ほど見た、怪しげなアプリを思い出した。

「ああ、知ってるよ。なんか勝手にインストールされていて、さっき消し――え?」

 スマホのホーム画面を見た僕は、思わず声を上げる。

 なぜなら、確かに消したはずの不気味な赤いアイコンが、また表示されていたからだ。

「あれ? おかしいな? 確かに消したと思ったんだけど……」

 カナタはまた目頭を押さえ込む。

「やっぱりユウスケにもインストールされていたか……」

「カナタ、このアプリについて何か知ってるの?」

 リリカが口を挟む。

「ユウスケだけじゃなく、あたしとカナタのスマホにもいつの間にかインストールされてた。しかも何度消しても、復活してくる。つうか、このアプリ、めっちゃ容量食ってて、写真がこれ以上保存できなくなって、マジ困るんだけど」

 カナタは顔をしかめて、腕を組む。

「パノプティコン。邦訳すると、全展望監視システムって意味だね。主に刑務所に使われた円形の設計構想のことだ。収容者の個室が看守棟に面することで、少ない看守で収容者を監視下に置けるシステムだったはずだよ」

「……なんか不穏だね」

 どう考えても、まともなアプリではない。

「ネットで検索してもアプリのことは出てこないんだ。ウイルス対策ソフトでスキャンしても引っかからない。この辺りでだけ流行っているアプリなのかと思って、〈LILIN〉のグループトークでクラスメイトに聞いてみても、誰も知らなかった。どうやら〈パノプティコン〉が強制インストールされたのは、俺たちだけみたいだね」

「僕らだけ?」

 それはおかしい。

 だってさっき考えたとおり、僕らの共通点なんて、マリーに強い興味を持っていることくらいなんだ。

「つまり、そういうことじゃないか?」

 カナタは僕の考えていることを読んで、言う。

「このアプリは、九曜マリーさんと関係がある」

 眉をひそめる。

「俺とリリカが〈パノプティコン〉に気付いたのは、〈リアルスタジアム〉をみんなでやっていた辺りなんだ」

「あ、僕も」

 カナタは頷き、続ける。

「二人は九曜マリーさんをずっと興味を持って、見続けていたけれど、まともに接したのは今日が初めてだよね?」

「……彼女が僕らのスマホにインストールしたって言いたいの?」

「いや、そこまではどうだろう? 少なくとも俺のスマホに触る機会は彼女にはなかったし、連絡先も交換していない。とはいえ、これがただの偶然とも考えにくい。彼女に関係する可能性は高いと思う」

 少し強引な気もするが、否定もできないので頷く。

「そして、彼女に関係するなら、俺たちは無視できない。……そうだろう?」

「そう、あたしたち〈NineSK〉は無視できない」

 そんな組織は知らないが、マリーと関係するかもしれない以上、無視できないのはその通りだ。

「なら、どうするの?」

「へへ。ユウスケが来る前にカナタと話し合ったんだけどね、恨みっこなしで三人同時にアプリを起動するのはどう?」

「危なくない? だって、消しても復活する、怪しすぎるアプリだよ? トロイの木馬が仕掛けられてあって、スマホが使用不能になるかもよ?」

「それすら甘い見通しかもしれないね。バックアップデータを破壊したり、登録してある連絡先にウイルスを送ったりすることもあり得るよ」

 しかしカナタは言うのだ。

「でも、やるだろう?」

「やるよね?」

 僕が肯定することが分かっているかのような、そんな口調だった。

 そして、それは間違いじゃない。

 だって、僕らは以前からみんな、こう思っていた。

 ――九曜マリーには、秘密がある。

「やるよ」

 僕たちは、彼女の秘密を知りたい。そして今回、それを知ることができるかもしれない。だったら拒否なんて、できやしないのだ。

 僕の返答にリリカはニカッと笑って、猫のキャラクターのキーチェーンマスコットを持って、拳を突き出す。

 このキーチェーンマスコットは、初めて僕らが集まったときに、友情を深めようとみんなで買ったものだ。そっぽを向いた猫のキャラクターの雰囲気が、なんとなくだがマリーに似ている気がして、思わず購入した。

 僕とカナタもキーチェーンマスコットを取り出し、指から垂らして、拳を作る。

 そして、みんなで微笑み合うと、拳を合わせた。

 いつからだろう? いつの間にかこれが、僕らの友情を確かめ合うときの慣習になっていた。

「心の準備はできたね?」

 カナタの言葉に、僕とリリカは頷く。

 最低限の対策として、クラウドにデータをバックアップして、勝手に通信をしないよう機内モードにした。気休め程度の対策かもしれないが、やらないよりはマシだ。

 リリカが咳払いをする。

「さて、泣いても笑っても一蓮托生だよ! じゃ、カウントダウンを始めるよ。……5、4、3……」

 覚悟を決めるために心の中で唱える。

『いつでも死んでやる』。

「……2、1……せーの――!」

 僕らは同時に、〈パノプティコン〉を起動した。



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