第3話


 リリカがスティックでドラムコントローラーを叩くと、VRによって目の前にライブハウスの映像が広がる。様々な色に照らされたステージ上には、派手な格好をしたメンバー三人のCGが映し出され、すし詰め状態の観客がジャンプして拳を突き上げている。リリカが慣れた手つきで、跳ねるようにスティックを叩くと、連続して『Perfect』の文字が表示される。途切れないコンボ。そのドラムテクニックに、九曜マリーとカナタだけでなく、周りの客もVRエリアに入り、何人か足を止め、リリカのプレイに見入っていた。

 リリカからは〈LILIN〉で、「マリーちゃんにいかにあたしのドラムテクがすごいか、アピールしといて!」とメッセージが来ていた。

 もちろんそれは無視することに決めていたが、しかし、僕はそれどころではなかった。そもそもその見事なプレイも、上の空でしか見ていられなかった。

「特別」

 ぼそりと呟く。

 僕は打ちのめされていた。

 リリカのプレイにではない。リリカのドラムテクも才能を感じさせるけれど、でも彼女の領域であるバンド活動の一部ではある。

 僕をこうまで打ちのめしているのは、先ほど見た、カナタのホームランだ。

 胸の奥から、じわりと、生の臓器に触れているような気味の悪い熱が溢れる。

 その熱を感じるといつも、僕は連れて行かれる。

 ―ータワーマンションの屋上。

 それは〈NEW WORLD〉による仮想現実ではなく、僕の心象風景だ。

 緑色のヘリポートのある、屋上の柵の上。バランスを崩せば落下し、死亡する場所に、僕は立っている。吹きすさぶ風に、前のボタンを留めていないネルシャツが暴れている。夜の初めだ。所狭しと埋められている新しい建物の灯りがつき始めている。

 御苑カナタ。

 時価総額5816.7万円。

 天は二物を与えず、という言葉がいかに空虚かと思わせる、完璧超人だ。高身長、イケメン、ご覧の通り運動神経は抜群、しまいには僕の得意分野である勉学でも、前回の全国テストの結果、一三二五二人中四位という抜群の成績だ。その時価総額も、カナタが夢を公開していないという特殊な事情がなければ、もっと上がっているだろう。億を超えてもおかしくない。中学生にして、ミリオネアになれる。僕が叶うところが何一つない逸材。

 なあに、悲観することはない。

 カナタは特別だ。

 比較してもしょうがない存在だ。

 ――と、本来なら思えばいいのだろう。

 しかし、カスミシティではそうはいかない。

カスミシティで僕らは一様に並べられる。比較される。リサイクルセンターに買取に出すように、査定され、価値を付けられる。はい、あなたは五〇万円。はい、あなたは九七〇〇万円。はい、あなたは七八〇円。はい、僕は――?


〈RELEASE〉プロジェクトは、株式会社RELEASE(設立当時はライフフラット)創業者、真田サナダキョウジの『人間にとっての幸福は平等』という理念に基づいて実施されたプロジェクトだ。

 高齢者が資産の多くを保有しているのに若者の経済的負担が大きい状況、経済的に裕福な家庭でないと成功するのが難しい環境など、社会にある不平等を改善するために〈RELEASE〉は作られたとされている。人間の価値そのものに値段を付けることで、才能のある人間に富が分配される、平等な社会を目指したのだ。

 仮想通貨の過度な流通を恐れた政府によって、〈RELEASE〉利用者はカスミシティにまとめられることになったが、抑制できたとは言いがたい。〈RELEASE〉を始める人数こそ制御できたが、〈RELC〉を買うことができる取引所は世界中に作られ、取引額も増え続けている。上場している人間の能力、将来性を分析するために、学校の成績だけでなく、家系やIQ、GFP(性格の善し悪しを一次元の数字で表したもの)をまとめたサイト、容姿を点数化したサイトまである。

 一人の人間に投資する行為は、株式会社に投資するよりリスクが高いのに、どうしてここまで支援者は増えたか? その理由は専門家なりが色々分析しているが、僕はこうだと思う。

 楽しいから。

 人間が最も興味を持つのは、なんだかんだで人間のことだ。マンガでもドラマでも人間ドラマがなければ受け入れてもらえない。

〈RELEASE〉は言わば、人間を競走馬にして楽しむギャンブルだ。そう、単純に娯楽性がとても高いのだ。

〈RELEASE〉が拡大した理由はともかくとして、平等を目指す〈RELEASE〉プロジェクトは概ね成功している。多くの人に評価された者が金を手にし、チャンスを与えられるというのは、とてもフェアなシステムだ。カスミシティはその唯一性から、世界中で脚光を浴び、原色の鮮やかな街は活気に溢れ、そこに住む若者の目はギラギラと野心で輝いている。カスミシティのパワーが、日本の好景気を支えている。

 人類史上、最も公平な文化的都市。理想郷。

 けれど、そこに住む僕は知ってしまった。

 本当の平等の中で、幸せになれる人間は、ごく一部だということに。


 僕が親元を離れ、カスミシティにやってきたのは、親の方針だった。両親とも非正規雇用の、我が家の経済状況は決して裕福ではない。両親は成績優秀だった僕を、どうしてもいい大学に行かせたかったらしく、そのためには〈RELEASE〉を利用するしかないと考えた。親バカなのだろう、当時神童と呼ばれていた僕なら、すごい価値が付くとも思っていたようだ。僕ごときの才覚なんて、才能とも呼べない塵芥に過ぎないと言うのに。

 親のアテは外れたが、いい大学に行くというだけなら、カスミシティに僕を送った選択は間違いではなかったかもしれない。このまま高校卒業まで、レベルの高いカスミシティで揉まれ、努力をし続ければ、親の言ういい大学にはいける可能性が高い。現状の成績をキープすれば、国公立の医学部にもいけそうではある。

 しかし、そううまくはいかないだろう。

 だって、僕はもう限界だった。

 あと四年以上この街にいる?

 考えただけで、目の前が真っ暗になる。吐き気が止まらなくなる。

 ……僕だって、初めから自分が凡人だと自覚していたわけじゃない。きっと、他の誰にもない価値があるのだと、そう信じていた。

 しかしこの街は、その自惚れを、根こそぎから奪い去る。

 だってすぐ側に天才、秀才、奇才がゴロゴロいるのだ。僕との差を、時価総額で突き付けてくるのだ。その価格差は、僕の存在価値を根こそぎ奪っていくのだ。

人は誰しも等価値という戯れ言は、〈RELEASE〉の前にはまるで説得力が無い。花屋の店先に並んだ花が、どれもきれいだなんて有名なアイドルが言っても、現実はその花一つ一つに値段が付けられている。買われなければ枯れて捨てられる。

 ああ、今や絶滅した、ヤンキーという人たちの気持ちが、僕はよく分かるのだ。自分を誰かに認めさせたくて、悪目立ちでもいいから、目に留めてもらいたい。でも現在は、それがただの痛い行為だと知れ渡ってしまっている。バイクで仲間と爆音を立てる行為は、陳腐なクソださい迷惑行為。万引きは若気の至りで許されない犯罪。ケンカの強さは、狭い世界でしか通用しない、お金にならない役立たずの価値。どれもこれも、〈RELC〉の価値を著しく下げる愚かしい行為。中途半端な逸脱はクソかっこ悪いものでしかなく、自尊心を満たせてはくれない。

 悲鳴の上げ方さえ、正しくなければ、ネットでうるさいと叩かれる時代だ。

 僕らは〈RELEASE〉によって、監視され、管理され、隷属させられている。

 道を真っ直ぐ進むのも、逸れるのも地獄。救われない。逃げたいが、一度価値を付けられた以上はもう、逃げられもしない。

 追いつめられた僕には、ごく自然に、ある考えに取り憑かれた。

 ――僕はもう、死にたい。


 そうして四月の夜に、本気で飛び降りようと、タワーマンションの屋上に行き、ヘリポートに侵入した。地上から高さ189.22メートルの柵の上から、地面を見下ろした。ドローンもこの高さまでは飛ぶことはなく、カメラはない。確実に死を陥れるであろう位置エネルギーを、ご飯粒程度の大きさになった人々を見ることで感じて、重力の存在に感謝した。自分でも驚いたが、これだけ不安定な場所から地面を見下ろしても、恐怖心はほとんど無かった。それどころか目の前に迫り、極彩色に可視化された死は、ただただ魅力的だった。

 自殺はこの街で、最も唾棄すべき愚行とされている。自殺をすれば〈RELC〉の価値は0になり、投資してくれた支援者を損させ、裏切ることになる。死んだ後は僕だけではなく、保護者や関係者まで責められ続ける。

 だが、このときの僕は、そんなことは構うものか、死んだ後のことなど知るか、それぐらい投げやりだった。他に、無理矢理未練らしい未練を考えてみても、何も思い浮かばなかった。

 自殺を止めるものは何もないと思った。

 だが、ぐらついた柵の上で強風に煽られているうちに、不意に胸に違和感を憶えた。これまで感じたことのない、謎の生温かい熱が宿っていた。マグマのようにグツグツ溢れ、漏れ出すように体中に染みこんでいくのだ。その熱は脳にまで渡ると、頭の中でバチバチとスパークして、曇っていた僕の思考をクリアにした。それまで味わったことのない経験だった。僕は柵の上で戸惑って、危うく落ちそうになった。慌てて柵の上から降りて、この熱と向き合った。

 これは、何だ?

 分からない。

 分からないけれど、待ち望んでいたものの、気がする。

 だったら、肯定的な名前を付けよう。

『勇気』

 僕はこの感情を『勇気』と名付けた。

『勇気』は、僕に飛び降りるのをやめさせた。

 苦しさが消えたわけではない。生きにくさは変わらない。自殺願望が消えたわけではない。

 でも、『勇気』はこう言うのだ。いざとなればいつでも死ねるその覚悟があるのなら、何だってやれるんじゃないか? 何だってしてもいいんじゃないか?

 それからだ。

 それから僕の心は、いつでもこの屋上に行ける。

 僕は、死を身体に飼っている。

「…………いつでも死んでやる」

『勇気』の出る呪文を唱える。

 ――ぐにぃ。

「んぁ!」

 リリカのドラムゲームを見ていたはずの九曜マリーが、いつの間にか僕の側にいて、なぜか僕の頬をつねっていた。

「…………」

 じっと無表情で、僕の顔を覗き込んでいる。

「え? 何?」

「…………」

 ……もしかして、僕の呟きを聞いて、励ましてくれている?

「……あなたは」

 驚いた。九曜マリーが自主的に口を開いている。

「自分が凡人だとか、思っている?」

 思考を読まれていたようなその言葉に、驚く。

 けれど、よくよく考えてみれば、それは一目瞭然の、ただただ分かりやすい事実だ。

「それはそうだよ。僕は凡人だよ。時価総額を見ても分かるだろ?」

 だが、九曜マリーは懸命に首を振る。

「〈RELC〉による時価総額なんて、一面的な価値に過ぎない。あなたのことを見たこともない人が付けた、偏った評価に過ぎない」

 九曜マリーは、さらに顔を近づける。

「私のあなたの評価を教えてあげる」

 彼女の青い目が至近距離にあり、僕はその美しさに、思わず唾を呑み込む。

 九曜マリーは、小さい口を開く。

「あなたほど、理性的な人間はいない」

「あなたほど、空気を読める人間はいない」

「あなたほど、決断できる人間はいない」

「あなたほど、一途な人間はいない」

「あなたほど、恐ろしい人間はいない」

 九曜マリーがこれほど連続で喋るのを初めて見て、僕は目を見開いて驚いた。ドラムゲームを終えたリリカとカナタも、僕に詰め寄る彼女を見て驚いている。

 どうして、僕なんかにこんな言葉を掛けてくれるんだ?

 優しいから? 慈悲?

 そう、九曜マリーは、無口だけれど優しい。花壇の花に自主的に水をあげているのを見たことがある。車に轢かれた猫の墓を作っていたという話も聞いたことがある。きっとこれも優しさなのだろう。「いつでも死んでやる」と呟いた僕を、不器用ながらも精一杯励まそうとしているのだ。

 もちろん、僕はこの優しさがとてもうれしかった。

 しかし、その先の言葉を聞いた僕は、緩んだ口元が瞬時に元に戻った。

「あなたは、特別」

 特別。

 僕が憧れ続けている、特別。

「……励ましてくれてありがとう。でも、それはないよ」

 それは、やめて欲しい。励ましでも、善意でもやめて欲しい。

 僕がどれだけ特別に憧れているか知らずに――特別を憎んでいるか知らずに――特別を求めているか知らずに――気軽に言って欲しくない。

 なのに、九曜マリーは諦めず、そんなことはないと首を振る。

 おそらく彼女はきれい事を言っているつもりではないのだろう。人は、それぞれに価値があると純粋に信じているのだろう。昔の僕のように。

 だけど、それは違うのだ。絶対に違うのだ!

「悪いけど……九曜さんは、〈RELEASE〉と向き合っていないから、そんなことを言えるんだ!」

 僕が叫ぶと、彼女は口をきつく結び、一歩僕から離れる。

「僕が本当に、特別だというなら――」

 待て? 僕は何を言おうとしている?

 しかし、湧き上がる彼女への怒りが――そうか、僕は怒っているのか――その先を言うのを止めない。


「僕が特別だと言うなら――付き合ってくれよ!」


 どうしても特別だと言う発言を撤回して欲しかった。

 だからこんな、拒絶されるための言葉を口にしてしまった。

 そして、口にしてからそれが、僕が心の底から望んでいたことだと気付いた。

 ……そうだ、リリカにナンパと言われても仕方が無い。そうだよ、僕はこれまでずっと九曜マリーを見ていて、彼女のことを知りたくて、そして付き合いたかった。

 でも――あーあ、こんなタイミングを言ってしまえば、もう台無しだ。気持ちが届くはずもない。リリカとカナタにも、後で酷くなじられることだろう。九曜マリーは僕を軽蔑し、きっともう二度と口を利いてくれないだろう。

 うなだれた僕に、彼女は言った。

「別にいいよ」

「え?」

 だから聞き違いかと思った。

 しかし、九曜マリーはいつもの無表情で、繰り返すのだ。

「別にいいよ」


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