第2話


 ショーワ中学の生徒は全員、カスミシティ内に住んでいるので通学で電車は使わない。僕とリリカは寮生だが、僕が住む男子寮とリリカの住む女子寮は学校から反対方向にあり、誰も帰る方角は一緒ではなかった。

 けれど、校門前で九曜マリーと別れたのでは、せっかく誘った意味が無い。僕は彼女に中心街に行こうと頼み込んで誘った。九曜マリーは意外にもまた「別にいいよ」と無表情で承諾した。

 本当に今日の彼女はどうしたのだろう? それとも実は、これまでだって、誘えば来てくれたのだろうか? そういえばだいぶ前に聞いた噂だが、入学してすぐは、普通にクラスメイトと話していて、友達もいたという話があった。もしかしてこうやって付き合ってくれたことを考えると、その噂は本当だったりするのだろうか?

 カナタはいつ来られるか分からないので、先に学校を出る。梅雨入り前で、空には雲一つなく、気温もちょうどいい。三人の中で唯一、自転車通学の僕だけ、ママチャリを引きずりながら、整備された駅前の中心街を歩く。中心街はアメリカ東海岸の都市をイメージして開発したと、カスミシティの広報誌で読んだことがあるが、外国に行ったことが無い僕にはピンと来ず、郊外のアウトレットモールに似たイメージだ。元々は長い間放置された倉庫などが溢れた寂れた土地だったせいか、地価が十倍以上になった今となっては贅沢な土地の使い方をしていて、高い建物は駅前にいくつかあるタワーマンション程度しかない。

〈RELC〉は社会人でも職業によっては高い価値が付くが、これからの見通しができてしまうため、時価総額は安定し、おかしな高値は期待できなくなる。未来が見えない学生の方が不安定で、将来性がありそうだと妙な高値が付いたりする。

 そのせいで、カスミシティは他の街に比べて極端に、若者が大金を持つ街だ。当然そうなれば、カスミシティは他の街に比べて、圧倒的に学生の割合が多くなる。そこら中にある茶色のしゃれたベンチに座っているのも、まだ午後四時という時間帯のせいもあって、制服姿の学生ばかりだ。

 その特性上、娯楽施設が非常に多く、カロリー過多な甘そうなデザートを売る店や、キャラクターグッズ専門店など、派手な色の店構えをしている店が多い。人口はそれほど多くないが、若者がお金を持っている特性は、企業もマーケティングや広告のしがいがあるようで、新商品のサンプルが飛び交い、派手なユニフォームを着た仮想美少女キャラクターがプロモーションに歩き回り、平日でも何らかのイベントが行われている。アパレルショップのフラッグシップ店も多く、色んな種類のアーティストが集まり、毎日マスコミのカメラが回っている。歴史的建造物はないが、唯一無二の雰囲気を味わおうと、外国人観光客も多い。

 しかし活気がある代わりに、目を開けているだけで疲弊するほど、猥雑な情報に溢れている。おかげですっかり、見ようとするもの以外、意識から遮断してしまう癖がついた。

 街ゆく人のほとんどの耳に、ヘッドホン型のデバイスが付けられている。国内では、まだ第二世代と言われる眼鏡タイプのARディスプレイが主流だそうだが、ARデバイスが必須なこの街では、住民の八割以上がアメリカ企業のGGmicroジージーマイクロ社が開発、販売している、コンタクト型ディスプレイを搭載した独立稼働型最新ARデバイス〈NEW WORLD〉を使用している。

「あ! ウォレットの〈KCCカスミシティコイン〉が少ないみたいだから、ちょっとそこの仮想通貨ATMで換金してくるね」

「うん」

 リリカを待っている間、九曜マリーのきれいな横顔を見ながら、耳に流れているJ-POPを聴く。コンタクト型ディスプレイを付けている僕の視線の右下には、ホロスクリーン上に曲名と歌手名が表示されている。春本ハルモトヤスシがプロデュースをしている人気アイドルグループ、桜坂46の二人エピローグという曲のようだ。街の一定の場所に差し掛かると、ヘッドホン型デバイスに受信し、流れる仕様になっている。流す曲は、カスミシティが発行しているトークンコイン〈KCC〉で、五百円分の〈KCC〉、500〈KCC〉を払えば、三曲分流せる曲を選べる。

〈KCC〉は〈RELC〉と違い、円と連動し価値が一定なので、日常に使用しそうなお金は、ATMなどで〈KCC〉に一旦換金するのが普通だ。〈RELC〉の取引所は二十四時間年中無休の営業なので、夜中に価値が変動することもある〈RELC〉は、日常使用にはあまり向いていないのだ。僕も、1000〈KCC〉を切ると、10000〈KCC〉を自動で〈RELC〉から換金し、ウォレットアプリにチャージする設定にしている。スマホで決算をするときも、高額でなければ〈KCC〉からだ。

「ごめんごめん、お待たせ。お、あそこレイドバトルで集まってるね」

 ファストフード店の前には、宙に指を向けて、上下に動かしている人たちが溜まっている。その人たちの前腕――僕ら三人もしているが――には〈Ymoワイエムオー〉という、アームバンド型のジェスチャーコントローラーが付いている。筋肉から発生する筋電位を読み取り、手の動きを認識する汎用コントローラーだ。

 あの人たちの指の動き……たぶんARゲームの〈モンスターキャッチ〉の、ボスモンスターが出現しているのだろう。モンキチ(モンスターキャッチの略称)のアプリを起動させてみると、竜のモンスター〈ドラモス〉を集団で倒そうと、各々の持ちモンスターから派手なエフェクトが飛び交っていた。

 ――ピピ。警告音と共に、視界の中心に、四角で囲まれた『!』の記号が表示が出る。振り返ると、自動運転の路線バスが近づいてきていた。

 カスミシティには――仮想通貨都市、若者の街、金の街、最先端の街、実験都市――など、様々な呼び名があり、それだけたくさんの特徴があるが、僕が一番しっくりくるのは、やはりこの名前だ。

『拡張現実都市』。

 カスミシティはほぼ全域にわたり、ARによって、現実世界と現実でない世界が融合している。特定のアプリを起動すれば、二次元のアニメキャラが街中を闊歩するし、別のアプリでは目の前の九曜マリーの服装も設定一つで仮想の服装に変えられる(複合現実不適切コンテンツ禁止法によって、公序良俗に反する衣装は禁止されている)。

 ARデバイスユーザーは常に起動しているARマップブラウザは、店を見ると店名と店の解説とレビューをデジタルで表示してくれる。アパレルショップを見ると、『SALE開催中! 最終値下げ! 最大80%引き!』とカラフルな文字で書かれたPOP広告が目に入った。ブラウザ運営企業(〈NEW WORLD〉の開発元と同じGGmicro社)に広告費を支払えば、こうやってARデバイスユーザーの誰もが目に入る広告を打つことができる。直接目に入る情報のため、倫理基準の審査は厳しいと聞くが、個人的にはそれ以上にカラフルな目に疲れる広告を出すことを勘弁して欲しい。

 三つ先のビルでは、すでに工事が終わっているのに、『工事中』の文字と、ヘルメットをかぶり頭を下げたおじさんのイラストが表示されている。GGmicro社に取り下げ申請をしていないのだろう。

 ARの位置情報には、補助的にGPSも利用はしているが、それだけでは正確に位置合わせをできない。街中に配置された固定カメラと、年中飛び回るドローンによるカメラで、複数の角度から撮った風景を位置マーカーとして処理し、位置合わせをしている。端末のバッテリー消費が課題で、カスミシティでは大容量のモバイルバッテリーは持ち歩き必須だ。

 また、大量のカメラが設置されている副産物として、カスミシティは最も防犯が行き届いている街とも言われている。

 だからこそ、リリカが言っていたように、殺人鬼の出現は異常事態なわけだ。

 リリカは「SNS映えする」などと言って、フルーツが上にたっぷり乗ったスムージーを飲みながら、言う。

「よし! マリーちゃんの好きな場所に行こう! どこでもいい、どこも行きたくないってのは無しでね!」



 大観衆のスタジアム。炎天下のグラウンドで、外野は陽炎で揺れている。応援団の太鼓とトランペットの音の中に、ビールの売り子の声が混じっている。

 ポーカーフェイスの投手に対峙するのは、バットをものすごく重そうに構えた、ぶかぶかのヘルメットをかぶり、サングラスをしている九曜マリー。似合わないところが正直かわいい。

 投手が投げるとほぼ同時に、九曜マリーは滅茶苦茶なフォームでスイングする。

「おお、すごっ!」

 なぜ当たるのか不思議なスイングなのに、打球はきれいに逆方向に飛び、二塁手の頭を飛び越える。クリーンヒットだ。

 九曜マリーが提案したのは、ゲームセンターの二階にある、VRバッティングセンター〈リアルスタジアム〉だった。

〈リアルスタジアム〉の外観は、バットを振るスペースだけある、バッティングセンターだ。

 VRデバイスであるヘルメットとサングラスをかぶると、本物そっくりのドームパークに風景が変わる。バッターボックスに入ると、その臨場感に、実際にプロ野球の打席に立っているような錯覚に陥る。

 九曜マリーが設定したのは、一四〇キロのストレートだ。〈リアルスタジアム〉は、実在するプロ野球選手がそこにいるかのように、ボールを投げてくる。そのせいで、普通のバッティングセンターよりタイミングを掴むのが遙かに難しいのだが……彼女はまた一四〇キロのストレートを見事に流し打ちした。先ほどの再現かと思うほど同じように、打球は二塁手の頭を越える。何度やっても、同じところに打球が飛ぶ。

 ……どういうこと? この機械的な正確さ、やっぱりこの子、アンドロイドなんじゃ……。

 マウンドにいる投手のグラフィックが消え、『二百円分の金額を入れてください』という文字が空中に表示されると、九曜マリーはのそのそとバットコントローラーを充電ボックスに戻す。

「う、うまいね。びっくりしたよ」

 こちらを向いた彼女は、ぶかぶかのヘルメットで目が隠れたままだ。

「別に」

 でも、心なしか口元が得意気に見える。彼女はヘルメットを脱いで、ヘッドホンを付けた。

「なんだ。〈リアルスタジアム〉って、マリーちゃんが楽々打てるなら簡単なんじゃん? あたしも一四〇キロでやろうっと」

 言って決済端末にスマホを押し当て、一四〇キロを選択肢、ヘルメットをかぶる。

「やめといた方がいいって……僕が一〇〇キロでほとんど当たらないところ見てたでしょ」

「そりゃ、ユウスケが下手くそで貧弱なだけっしょ! ギターを毎日担いでマッチョなあたしには楽勝」

 と、言ったリリカは――


「びゃあああああああ!」

「あーあ」

 案の定、へっぴり腰になり、バットさえ振れないでいた。

「ていうか、打てる打てないじゃない! 怖い! 一四〇キロめっちゃ速い怖い! ああああ、きたきたきたびゃあああああ!」

「いや、仮にボールが体に当たってもバーチャルだから、恐がる必要ないんだけど」

「ぴゃ?」

「ぴゃ? って何?」

「ってまた来たああああああああびゃああああああ!」

 学習しない。

 ……あれ? というか九曜さん、ちょっとだけ笑ってない? 表情を隠すために顔を逸らしてない? ていうかさりげにさっき、リリカのポンコツスイングを撮影していたよね?

 僕もカメラで彼女のこの表情を取ったら怒るかな? と思いつつスマホを取り出す。

「ん?」

 画面を開くと、アプリ〈Invisibleインビシブル〉の横に、まったく見覚えのない赤い丸のアイコンがホーム画面にあった。アイコンは、よく見ると人型の記号が散りばめられているデザインで、かなり不気味だ。

 アプリの名前を読む。

「――パノプティコン……?」

 聞いたこともないアプリだ。こんなものを、いつインストールしただろうか?

トロイの木馬かもしれない。触らぬ神に祟りなし。僕は長押しし、アイコンの左上に表示された『×』をタップして、アプリを消す。

「ふふ、リリカの楽しそうな声がしてるね」

 スマホから目を上げる。

 扉を開け、バッティングケージに入ってきたのは、パーマが掛かった黒髪で長身の優男だ。僕を見ると、爽やかに手を上げる。

 パノプティコンについては、後で調べればいいか。

「カナタ、来たね」

 御苑ミソノカナタ。

 自分たちの中に勝手に入ってきたとでも思ったのか、九曜マリーはあからさまに顔をしかめる。

「ああ、この人は隣のクラスの御苑カナタ。僕が呼んだんだ。びっくりするほどいい人だから、安心していいよ」

「よろしく、九曜さん」

 カナタは、女子の誰もが頬を染める魅力的な笑顔を、九曜マリーに見せる。

「……よろしく」

 しかし、その笑顔を前にしても、九曜マリーは小さく呟くだけで、顔を合わせなかった。

 どうもカナタに対して、僕らより態度が頑なな気がする。……気のせいだろうか?

「カナタ、部活は大丈夫だったの?」

 カナタはバスケ部に所属している。NBA志望の部員もいる全国区の部で、体力作りのためというふざけた理由で入部したカナタは、二年生にしてレギュラーになっている。

「適当にごまかして切り上げてきたよ。九曜さんと話せる機会なんて、今日を逃したらないかもしれないからね」

「よ、カナタ」

 バットコントローラーを持ったままのリリカが、やつれた顔で、こちらに来る。

「やあ、リリカ。大声を上げてストレス発散できたようだね」

「皮肉かな? ……いや、あんたはそういう性格じゃなかった。まー騒いで気持ちよかったけど、打てた方が気持ちいいに決まってるよね。……いやいや、そもそもあたしにはストレスはないの!」

「羨ましいことだね」

 微笑むカナタに、リリカがバットを突き出す。

「カナタも一四〇キロでやってよ」

「はは、無理だよ。俺は……そうだな、一二〇キロでやらせてもらおうかな?」

 カナタがはっきりと無理と言ったことで、平然と一四〇キロを打ち返していた九曜マリーを、リリカは目をまん丸くして見る。

 ……いや、そうなんだよ? 彼女はおかしいんだよ?

 ところで、〈リアルスタジアム〉は距離を飛ばすにも、現実と同じ技術と身体能力が必要になる。首都ドームと同じ広さの仮想スタジアムでホームランを打つことは、野球経験者の一部しか体験できないようなシビア過ぎる仕様なのだ。(その代わりに、歓声や花火などの演出で、爽快感を出すようには工夫してある)。僕は以前、意地でもホームランを打ってやりたくなり、近年医療分野で爆発的に広がっているパワーアシストスーツ〈HAOハオ〉を持ち込んでゲームに挑んだことがある。全身の筋力はプロ野球選手以上になったはずなのだが、技術不足は補えず、それでもホームランは打てなかった。

 素人のくせにホームランを打てるとしたら、それは天才だけだろう。

 だから僕は思わず、歓声を上げるよりも先に、「ぐえ」と奇声を上げた。

「……〈リアルスタジアム〉でホームランを打つ人、初めて見た」

 御苑カナタは、その天才だった。


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