利他的なマリー
御影瑛路/電撃文庫・電撃の新文芸
第1話
Ⅰ
1
本来は校則で禁止されているARデバイス〈
その彼女の瞳が、一瞬こちらを向いたような気がしたが、それはやっぱり思い上がりだった。彼女はいつものように、何にも興味を見せずに、真っ直ぐに自分の席へと向かった。
窓際の一番前の席に座った
断言する。
九曜マリーに興味のない人間は、この街にはいない。
2
埼玉県北部に位置する特定貨幣重点区域、通称『仮想通貨都市』、カスミシティ。この街に住む人間は『特定仮想通貨利用区域の解放に関する法律(VL法)』によって、フィンテックサービス〈
要は〈RELEASE〉とは、他人が付けた自分の評価が、そのままお金になるシステムだ。
だからこの街では、誰もが自らに価値があるとアピールし、自分をプロデュースしている。そうしなければ、正真正銘、無価値な人間となるのだから、みんな必死だ。
他でもない僕――
そんな僕は、将来医者になるという夢を〈RELEASE〉のマイページに公開し、自らの能力をアピールして、僕に割り当てられている〈RELC〉(正確には個々に割り当てられている〈RELC〉を〈RELEASEトークン〉と言うが、日常会話であまりその言葉は使われない)、〈RELC_yusuke-ninomiya33〉を支援者に買ってもらっている。
〈RELC〉を買う支援者の多くはキャピタル・ゲイン(価値の上昇によって得られる利益)を狙っているが、僕の夢はおもしろくもなんともない夢であり、尚且つライバルも多いこともあって注目度が低く、キャピタル・ゲインがあまり期待できない。例えば夢がプロ野球選手で、その実現性も高い人であれば、甲子園での活躍の是非だけで、数日で十倍を超えるほど価値が暴騰することもある。こういった前途有望な人の〈RELC〉は中学生――中には小学生の時点で、億以上の時価総額になることも多々ある。
しかし医者を目指すという僕の夢では、良くて緩やかに上がる程度だ。開業医として儲かりそうになる見込みが出ると、配当金など優良な
僕のような学力が関係する夢だと、学校の成績が〈RELC〉の価格にほぼ直接反映される。毎回の定期テスト、全国テストの点数報告は、必須でこそないが、支援者への義務みたいなものだ。前回の全国テスト(すべての中学生が受けているわけではない)の結果は、参加者数一五四三八一人中一〇五〇位、カスミシティ内の中学二年生、一三二五二人に限っても、三一五位という支援してもらうには目立たない成績だった。カスミシティ内の中学生の学力は他と比べてかなり高いが、それでもこの成績では支援者の気持ちは離れてしまう。前々回とほぼ同じ順位だったのだが、現状維持では大抵売り手の方が多くなり、時価総額は少し下がってしまった。
一応勉強以外の努力としても、独自の医療レポートを公開したり、大学病院の研修に行きその様子の一部を動画公開したり、VRによって仮想手術をし、成功した結果を載せたりもしているのだが、あまり支援者の感触はない。
僕のような凡人が評価を得るには、普通のやり方ではいけないのだろう。もっとギャンブルをしなければいけないのだろう。
……と、まあ、このように、わざわざ中学生でこの街に来たからには、自分の将来性をネット等でアピールしなければならないのだ。
しかし、九曜マリーはそれをしない。
彼女の〈RELEASE〉のマイページに載っているのは、登録する際に必要な必須事項だけだ。公開が必須であるバストアップ写真も、わざわざ映りの悪いものを選んだのではないかと思うほどのもので、本来の彼女より目つきが悪い。当然彼女の〈RELC_marie-kuyo〉の買い手はまるで付かず、時価総額はジャスト0.2万円となっている。発行数は誰でも10000なので、1〈RELC_marie-kuyo〉あたりの値段は0.2円。これは僕の知る限り、最低の時価総額だ。
はっきり言って、不思議でしょうがない。
改めて九曜マリーを見る。今時――特にすべての物の電子化が他の街に比べて格段に進んでいるカスミシティ――では珍しく、紙の本を読んでいる。タイトルは『月は無慈悲な夜の女王』とある。同じ十四歳だというのに、細い指がページをめくるだけで、どこかぞくりとするような色気がある。
そう、九曜マリーは類い希な美しさを持っている。その容姿だけで客観的な価値は十分にあるのだ。いくら自己アピールが苦手とは言っても、例えばモデルを目指しているとでもプロフィールに書き、プロのカメラマンに撮ってもらった写真を上げるだけで、その将来性に期待した〈RELC〉の買い手がそれなりに付くだろう。実際、教師にも似たような指導を散々されている。だが、そのような指導を、彼女は完全に無視している。
その姿を見ていれば、誰だって思う。
何のために九曜マリーは、住民全員に時価総額が付く、このカスミシティに来たのか?
しかしそれを尋ねることもできない。九曜マリーは他者とのコミュニケーションを拒絶している。〈RELEASE〉に適応できない二千円の女と陰口を叩かれても、まったく意に介さず、自己弁護もしない。
そうやって、何があっても表情を変えない彼女への、周囲の反応は二パターンだ。
忌避するか、より興味を持つか。
僕は後者だった。
僕には九曜マリーは、状況に適応できないのではなく、意図を持ってそういう態度をしている。そういうように見えるからだ。
だから、決意した。
――今日の放課後、九曜マリーを誘う。
子供じみた悪評で、時価を下げるわけにはいかないこの街で、教室を汚すような生徒はいない。二年前に立て替えられたショーワ中学の校舎はまだ真新しく、清潔で、断捨離されたみたいに無機質だ。
六月に入り、教室の窓から見える森は、より一層青々としていた。街が近代化され、人工的になったことで癒やしが必要だと、潤沢な税収がある市によって用意された森。そのやけに整備された様が皮肉にも、街の人工的な印象を深める森。
安らぎの森。
何にでも作為、意図を感じる街だ。自然にできたものがない。
そういう意味では九曜マリーは、この街に似合ってはいる。彼女の印象はどこかアンドロイドのように人工的だからだ。
「九曜さん」
部活に所属しない彼女は、毎日いち早く帰宅している。僕はホームルームが終わり、帰宅しようと立ち上がった彼女に、決意通りに声を掛けた。
緊張で、自分の心臓の音が聞こえそうだ……。
無視されるのも覚悟していたが、九曜マリーはその青みがかった目を、僕に向けてくれた。
「あ、あのさ、一緒に帰らない?」
思い返せば彼女を初めて見かけたときから、彼女を誘いたかった。これは一年越しの勇気だ。
「…………」
けれど、九曜マリーは表情を変えずに、僕を見つめたまま黙っている。何を考えているかまったく分からない。
おかげで僕も続く言葉を見つけられず、脂汗を浮かべて、押し黙ってしまう。
「ええ、っと」
膠着状態が続く。
「うお、ユウスケがマリーちゃんをナンパしてる。勇気あるぅ」
周りより一回り大きな声の主が、僕の肩に腕を回す。花束のような香水の匂いが背中からふわりと漂ってくる。
「ナ、ナンパじゃないよ!」
からかわれたことと、背中に当たっている胸の感触、両方に焦って、その腕を払いのける。
振り返ると、ギターケースを担いで、にやついた笑みを見せている、茶髪ポニーテールの女子がいた。
クラスメイトの
ギャルっぽい見た目にもかかわらず、時価総額は僕の221.3万を遙かに超える1654.0万円。彼女の将来の夢はミュージシャンであり、現在は高校生の男三人とバンドを組んで活動をしている。パートはバンドの軸とも言えるギターボーカルだ。インディーズではあるが、全国レコード店でのCD販売、複数の大手ストリーミングサービスでの配信もしていて、売り上げもライブ動員数もなかなからしい。
派手なニーハイソックスに思わず目が行く。
リリカは九曜マリーと違い、カスミシティにいるほとんどの人間と同様、アピールすることを厭わない。自分が容姿端麗なこと、特に脚が魅力的であることを自覚しているため、こうやって目を惹くニーハイソックスを穿いている。鼻筋が整っていて元々美人なのに、つけまつげをしていてケバいのも、ポップさを売りにしているバンドのイメージに合わせてだろう。
カスミシティでは、自分の長所と短所を、はっきり自覚しなければ渡り歩けない。
「えー、ナンパっしょ! 元々仲良しならともかく、二人が話しているの見たことないし! おらおら、下心あって声かけたんだろぉ?」
「そ、そりゃ仲良くはなりたいけど、ナンパとは違うって! ……ほ、ほら、最近物騒でしょ。女子が一人で帰るのは危険だと思って……!」
言ってすぐに、しまった、と思う。我ながら咄嗟の言い訳のために、とんでもない話題を口に出してしまった。
リリカの顔を伺うと、やはり、表情が強ばっているのを隠せていない。
「物騒って、殺人鬼のこと?」
なんて話題をしてくれているんだ、という心の声がヒシヒシと聞こえてくる。リリカは困ったように頭を掻く。
「えーと、殺人鬼ね……。ま、怖いよね実際。なんか殺した人の内臓全部持っていくんでしょ? まるで焼肉をこれから食べるみたいに、きれいに部位を切り分けるから、付いた通り名が〈グルメ〉。超ヤバイ変態だよ」
「……うん」
「しかも、最後に殺された三人目の犠牲者は、九十キロ以上ある大柄な男だってね。無差別殺人なのに、そんなリスクのある人を狙うなんて頭おかしいよ。一人目は小さな男の子で、二人目は成人女性で、被害者がてんでバラバラなのも変だって。ネットによると、普通は連続殺人犯は、似たような被害者を狙うもんなんだって。犯罪心理学的にも被害者に一貫性がないのはおかしいってさ」
「ふうん……そういうもんなんだ」
「しかもそれを、全国でどこよりも防犯が行き届いているカスミシティでやってんだよ。どっかのコメンテーターも言ってたけど、意図的だよね。敢えてチャレンジしてるって感じ。あたしはこれ、国家権力への挑戦だと思うね」
リリカは喋りながら、一刻も早く話題を変えたい、僕の顔色を読み取っている。なので彼女は、茶化すように口元を弛めた。
「でも、〈グルメ〉が出るのは、カメラがないところだけじゃん。帰り道には絶対出ないっしょ。ユウスケ、それ分かってて言ってるよね?」
「まあ……」
「じゃ、やっぱりナンパじゃん! ナンパの言い訳じゃん!」
すごいな、うまいこと軽いノリに持っていくものだ。でも、ナンパ扱いはやっぱり困るのだけど……。
と、僕が困惑していると、
「いいよ」
突然、九曜マリーが口を開いた。
「え?」
状況が呑み込めずに間抜けな声を上げる。そんな僕に無表情のまま、九曜マリーは言う。
「だから、一緒に帰ってもいい」
予想外の言葉に、リリカと顔を見合わせる。
誘っておいてなんだが、許諾してくれるとは思っていなかった。何か声を掛けることで今後の足がかりになれば、その程度の気持ちだったのだ。
そもそも彼女の声を聴くことすら、久しぶりの気がする。
ささやきと言っていいほど小さな声だけど、そうだ、彼女の声は、こういう声だった。透明感のある、小鳥の囀りのような魅力的な声。
「え? 嘘……。あ、ま、待って待って! じゃああたしもマリーちゃんと帰りたい! ずっとマリーちゃんに興味あったんだもん! いいよね!」
「別にいいよ」
表情を変えずに、九曜マリーは即答する。彼女はリュックの中から、〈NEW WORLD〉を取り出し、コンピューターが内蔵しているヘッドホンデバイスを耳に掛け、コンタクト型ディスプレイを目に入れる。
青みがかった瞳が、より青くなる様に、思わず見とれてしまった。本当に、アンドロイドみたいだ。
が、九曜マリーはそんな視線も気にせず、グローブ型コントローラー〈
「あ、ちょっと……ちょっとだけ、待って!」
僕は急いでスマホを取り出し、コミュニケーションアプリ〈
『九曜マリーが一緒に帰ってもいいって!』と送ると、ほぼ同時に既読がつき、『後で合流するよ』と返信があった。
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