叔父
旭時彦。
それが、俺の叔父の名前だ。
小規模なIT企業の社長であり、これまた小さな宗教法人の代表役員でもある。名前はそのまま、『旭の会』。
教義は不明。人から聞いた話では、世間に対し広く門戸を開いているとは言い難いらしく、その内容について知っているものも少ないのだとか。
ただ、彼の私物の中に時折見える、六芒星の中に十二足の旭日を囲んだ独特の紋章だけが、彼が何やらよく分からない組織に所属していることを分かりやすく示していた。
まあ、それを抜きにしたところで、俺が彼について知っていることはそう多くない。
なんでも若い頃は
まだ両親が健在であった頃から俺に対しては何くれと世話を焼いてくれた人で、とても社長だとか、宗教家だとか、そんな雰囲気は感じられなかった。幼い頃の俺にとっては、なにやら不思議な表情で、自分の知らない遠い世界の話をしてくれるオジさん、という感じでしかなかった。
『それはバラナシで沐浴をした時の写真だね。知ってるかい、バラナシ? 火葬場のために存在する街でね。死出の街とも呼ばれてる。ああ、死にそうになったよ。最初は腰までのつもりだったんだが、現地のガイドに引きずり込まれてね。ガンジス川の水を飲んでしまったんだ』
あるいは、何処とも知れない外国のナントカいう部族の祭の土産だの、聖ナンタラ教会の司祭と撮った写真だのと、俺からすれば異世界としか思えない場所の話を、叔父は大して面白そうにでもなく語ってくれたものだった。
その不可思議な世界が、彼にとっては、今ここにある世界と地続きなんだということを理解した時、深いショックを受けたのを覚えている。
彼は俗っぽい話や下世話な話もあけすけに話してくれるので、聞いているこちらがハラハラする場面もあったりして――。
『ああ。チョコだのラムネだののフレーバー付きを渡された時はどうしようかと思ったんだが、海外に行くなら日本製のものを持って行ったほうがいい。僕は薄さにこだわりがあるわけではないんだが、0.02㎜であれだけ耐久性があるのは珍しいよ。中国で買ったものは一ダース中半分が途中で破れたからね』
『うん。ああいうのをギャップ萌えというんだろう? 知り合いにゲイバーの店主がいてね。彼は香取慎吾のファンなんだが、ああいう天真爛漫な青年が時折見せる酷薄な表情というのが堪らなくセクシーなんだそうだ。それと同じ……微妙に違う? ふむ。若者言葉は難しいな』
それだけを聞くと、人生経験豊富な上にウィットに富んだ魅力的な大人のようだけれど、俺は昔から、どうにもこの叔父が今一つ好きになれなかった。
その理由が、眼だ。
彼は時折、こちらの顔を覗き込むようにして、じっと見つめながら話しかけてくる。
蟻の行列を意味もなく覗き続ける幼児のように、あるいは、山と積まれたテスト用紙を事務的に採点する教員のように。
それが、こちらに何かの価値を期待しているのか、それとも全く無意味なものをただただ観察しているだけなのか俺には分からなかったが、叔父にその眼で見つめられる度に、俺は何か柔らかいもので心臓をゆっくりと撫でまわされるような、どこか落ち着かない気分にさせられたのだった。
『何かあったら、遠慮なく僕を頼るといい。僕にとっても、君は唯一の親族なんだから』
そう思うなら、その眼をやめてくれ。
俺はそう叫びたい衝動に駆られながら、どうとでも取れるような曖昧な返事をすることしかできなかった。
結局、最後に会ってから今日まで一年半の間、俺が叔父に連絡を取ることはなかった。
だからと言って、当然その存在を忘れていたわけではないし、むしろ今日のこの事態に遭遇して真っ先に思い出したのは彼のことだった。
あの叔父ならば、この死神的な何かを名乗る少女たちにどういう考察をするだろう?
いや、それどころか、彼女らを含めたこの荒唐無稽な事態にも何かしらの答えを持っているのではないか?
しかし。
「いや、あの人には頼れないよ。こんなバカみたいなことに巻き込めない」
それでも、俺の口をついて出たのはそんな言葉だった。
「あら、そうなの」
それを聞いた貞子が、さも意外そうに肩をすくめて見せる。
嘘だ。
俺はただ、あの人に会いたくないだけだ。
あの、こちらの眼から魂の奥底までを透かして覗き見るような視線に晒されるのと、感情の伺えない無機質な視線を縦横から投げかけられるのと、一体どれほどの違いがあるというのだろう。
まあ、かと言って、ではこの後どうするのかと具体的な
たった数分前の、こいつとクーラーの効いた部屋で駄弁ってたあの時間に戻りたい。
そんなことを考えてしまった自分に少しだけ戸惑う。
その時――。
「残念ね。なら、こうするしかないわ」
「え?」
目の前に、とろりとした金髪が翻った。
いつの間にか距離を詰めていた貞子が、咄嗟のことに反応できずにいる俺のシャツの袖を掴み、背中に手を回してきた。
柔らかな感触が二の腕に当る。
それは、一瞬のことだった。
俺の耳元に、甘い香りと共に艶やかな唇が寄せられ。
ふう。
吐息が。
頭の中を通り抜けていった。
「あ」
がくりと、膝の力が抜ける。
いつの間にか、頬に冷たい感触。
目の前には、先程今の自分と同じように地に崩れ落ちた男の腕。
「ちょっと、佳祐!?」
遥か遠くから聞こえる、不二子の声。
それが、徐々に押し寄せる優しい暗闇に飲まれていく。
駄目だ。
落ちる。
いったい、どうして。
深い場所へと落ちていく俺の意識が、かろうじて残った視界に、それを捉えた。
目の前に投げ出された男の腕。
その内側に、隠すようにして彫り込まれたタトゥー。
六芒星の中に十二足の旭日を閉じ込めた、独特の紋章――『旭の会』のシンボルマークを。
……。
…………。
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