懐疑

 とりあえず、分かったことが一つある。


「知らない知らない! そんなのマニュアルに書いてないし! 職掌範囲外だし! この女が出しゃばりすぎなだけよ!」

「不二子、あなた……」


 不二子こいつの口から出た情報は、金輪際当てにしないようにしよう。


 ぎゃんぎゃんと喚く不二子を俺がひたすら白い目で見続けていると、それを呆れ顔で宥めていた貞子が、くてん、と首を傾けてこちらに視線を寄越してきた。

「それで、佳祐くん?」

「え?」

「ようやく本題に入れるのだけど、そんな木偶人形に追いかけられていたあなたは、一体何をしでかしたのかしら?」

「あ」


 あ。じゃねえよ、と自分でも思った。

 まあ、そうなるよな。

 虚ろな顔の連中の目的を探っていた貞子にしてみれば、俺はどう考えても重要参考人だ。

 そこですかさず、「いや、俺にも事情が全然わからなくて……」などと言えればよかったのかも知れないが(そして本当に事情なんて全然分からないのだけど)、今の俺には後ろ暗いことがないわけじゃあない。


 俺の事情を説明しようと思えば、必然不二子との接触から話さなければならないだろうし、それを話せば、俺が何故幽霊に遭ったのかを説明しなければならない。

 今となってははるか昔のことのように思える、あの金縛りの体験と、幽霊男と俺の関りについても。

 そんなことを咄嗟に考えてしまったのが、もろに顔に出たのだろう。貞子の口の端が持ち上がり、ヘーゼルカラーの瞳が妖しく細められた。


 今更「知らない」も通じまい。むしろ隠そうとすればするほど、印象が悪くなるばかりだろう。

 だが、考えようによってはチャンスなのかもしれない。

 彼女たちはどうやら人間社会のルールとは無関係の場所で仕事とやらをしているのだろう。ならば、ここはむしろ正直に全ての事情を伝えて、その上でこの状況に対する助言をもらったほうがいいのではないか?

 話を聞いたかぎり、少なくとも貞子は『虚ろな顔』を快く思っていないようだし。


「俺は……」


 けれど。


「うん?」


 なんだろう。

 この悪寒は。

 まるでグラビア雑誌の中から抜け出てきたような肢体を、ファッション性皆無の紫ジャージに押し込めた、美貌の女。

 その細められた瞳が、斜めにこちらを見つめている。


「俺、は」


 何故だろう。

 頭の奥に警鐘が鳴り響いている。

 この女に従ってはいけない、と。

 俺は内心で戸惑いと混乱を覚えた。

 何故だ?

 不二子と比べて見るからに頼りになりそうな相手じゃないか。

 今も俺を助けてくれた。

 何を警戒する必要がある?


 分からない。

 ……いや。

 いや。

 分かる。

 そうだ。

 その眼に、見覚えがあるのだ。

 こちらを見据えるヘーゼルカラーの瞳。

 慈しむような、蔑むような、測るような、棄てるような。

 矛盾を孕んだ視線。


 そう、これは――。



「ああ、ダメよ。そいつに聞いたって」



 その時、空気が粘性を持ったように引き延ばされた時間を断って、不二子が貞子の脇から顔を出した。

「え?」

「そいつ、全然心当たりないみたいだし」

 ぎょろりとした暗黒の眼で見上げるように覗き込まれた貞子が、きょとんとした顔で俺と不二子を交互に見遣る。

「そうなの?」

「ええっと……そう、なんだ。何が何だか、さっぱり事情がわからなくて」


 曖昧な返答をする俺は、内心で新たな戸惑いを覚えていた。

 

 今、助け舟を出されたのか?


 不二子にはもう、俺の事情は話してしまっている。

 途中から適当に聞き流してはいたのだろうが、もしも今日のこの異常事態があの幽霊男との遭遇から始まっていたのだとしたら、不二子がそれを隠す理由がない。

 俺が貞子に対して話を打ち明けるのを躊躇っていることを、察してくれたのだろうか。


「まったくホント役に立たないのよ、そいつは。泣きべそかいて右往左往してばっかりで、男のくせにてんで頼りにならないんだから」


 ……いや、どうだろう。判断が難しいな。

 ここぞとばかりに俺を攻め立てて矛先を逸らしてるようにも見えるな。

 て、いうかさぁ――。


「役に立つか立たないかでお前にどうこう言われる筋合いはないんだよ、不二子(笑)サン」

「は、はあ!? あんた私がスタンガンから助けてやったの忘れたの!?」

「その一点な! その一点限りな!」

「一点あれば十分でしょ! 決勝点でしょ! 佳祐のくせに!」

「だから俺のケイスケはサッカー選手の方じゃねえんだよ!」

「あーこらこら、喧嘩しないの」


 額をかち合わせそうなほどに火花を散らして睨み合っていた俺と不二子の間に、貞子が割って入った。細くしなやかな指先が顔に触れ、そこから底知れぬ冷気を感じ取った俺は、頭の熱が一気に下がるのを感じた。

 思わず一歩後ずさってしまい、それを見た貞子が両手を摩って苦笑する。


「ごめんなさい、冷え性なの」

「いや、別に……」

「まあ、心当たりがないならいいわ。けど、佳祐くん。あなたこれからどうするの? まさか、ここにこのままってわけにもいかないでしょう。誰か、頼れる先はないの?」


 その問いに、俺は再び、痛いところを突かれたように胸が疼くのを感じた。

 頼れる先。

 そりゃ、いなくはない。だけど……。


「無駄よ、無駄無駄。こいつ友だちも恋人もいないボッチオブボッチなんだから」

「お前マジでなんなの? そんなにブーメラン投げるのが好きなの?」


 ていうか、こいつホントに人の話聞いてなかったんだな。

 確かに俺は両親とは死別してるけど、親類縁者まで皆無なわけじゃない。

 叔父がいるのだ。俺が現在住んでるアパートの名義人であり、ついでに同じ区内に在住している、母方の叔父が。


「あら、そうなの。なら、とりあえずその叔父さまのところに行ってみればいいじゃない。まあ、時間が時間だから、遠慮する気持ちも分かるけど、緊急事態ならしょうがないでしょ?」

「ううん……」

「??」

 

 言葉を濁し出した俺に、貞子が再び覗き込むような視線を寄越してきた。

 そうだ。

 先ほど、俺が貞子に話を打ち明けるのを躊躇ったのは、その視線が否応なく俺が苦手なものを思い起こさせたからだった。


 慈しむような、蔑むような、測るような、棄てるような、矛盾を孕んだ視線。

 それは、あの叔父の眼にそっくりなのだった。

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