暴露

「うぅん。何て言えばいいのかしら。私も、魂のエネルギーを固めて作った存在みたいなとこあるから、一応人間よりは幽霊に近い、のかな。どうだろう……。まあ、でも元になってるのは人間の魂なんだから、蒸し暑い夜に冷えた麦茶があったら、そりゃ飲みたいとは思うわよ」

「はあ……」


 やはり今一つ要領を得ない説明を垂れる不二子は、再び座布団を二枚重ね、その上にぺたりと腰を下ろしていた。

 ゆったりと広がるフリル付きのワンピースの裾が座布団を包み隠している。


「ただ、実際に肉体があるわけじゃないから、飛ぼうと思えば飛べるし、すり抜けようと思えばすり抜けられるわ。でも、それって逆に言うと、飛ぼうと思わなきゃ飛べないし、すり抜けようと思わなきゃすり抜けられないわけ。つまり、自分がなんであるかじゃなくて、自分が何者だと思っているかが重要なわけ」

「さっぱり分からん……」

 なんで最後だけ安っぽい自己啓発みたいな感じになってんだよ。

 ていうか、さっきからお前のアイデンティティ結構あやふやだからな?


「なんで分かんないのよ。あんたひょっとして頭悪い?」

「いやいや。じゃあさ、さっき飲んだ麦茶は何処行ったんだ?」

「はあ?」

 俺の問いに対する、心底こちらを馬鹿にしたその表情に、自分の血圧が上がるのが分かった気がした。


「だから。麦茶だよ、麦茶。お前、結局人間みたいな肉体があるわけじゃないんだろ? じゃあ、お前がさっきから飲んでる麦茶は何処に消えたんだよ。まさかそこどいたら座布団びしゃびしゃとかじゃないだろうな?」

 あ、普通に『お前』って言っちゃった。無意識だった。


「はあ!? んなわけないでしょ! 人のこと自分が死んだのに気づいてない地縛霊みたいに言わないでくれる!?」

「じゃあ麦茶が何処行ったのか説明してくれよ」

「知らないわよ!」

「何で知らないんだよ!?」

 そこはちゃんと解説してくれよ。


 しかし、そこで不二子は声を低くし、唇を尖らせて逆に問い返してきた。

「じゃああんた、自分が飲んだ麦茶が今どうなってるか知ってんの?」

「はあ? んなもん、胃袋の中に決まってるだろ」

「自分の胃袋見たことあるわけ?」

「あるか!」

「なによ。じゃあ自分だって分かんないんじゃない」

「ああ? いや、いやいや。それは違うだろ。だって、俺はちゃんと体があって……」

「違わないわよ。自分で見たわけじゃないんでしょ? 人からそうなってるって教えられてそうだと思ってるだけじゃない」

「違うって」

「違わないってば」

「いや。ちが、……ちがう、ちがうよな。え? だって、普通、口から食道通って、胃に入って……」


 まずい。段々不安になってきた。

 え、俺の腹の中どうなってんだっけ?

 なんだこれ。怖い怖い。


 無意味に自分の喉と腹をまさぐる俺の様子に満足したように、不二子は口調を緩めて言った。

「まあ、真面目に答えると、私が飲み食いしたものがどうなってるのか分からないってのはホントよ。なんだったかなぁー。なんか、どうして分からないかを説明する長々しい話も聞いたことあるんだけど、忘れちゃった。相手が自分の知らないことを知ってるからって、何でも知ってるとは思わないことね!」

「…………」

 腰に手を当てて、不二子がこちらを指さしてくる。

 人の常識をぐらつかせといて最後に言うことがそれか。


 もやもやが溜まる一方の俺を尻目に、不二子は言いたいことは言ってやったとばかりに満足げな顔をして、再び座布団を枕にしてうつ伏せに寝っ転がった。

 そのまま漫画本を手繰り寄せると、何故か奥付けのページをめくりながら、そういえば、と気のない声でこんなことを聞いてきた。


「佳祐はさ。昔から幽霊とか『見える』人?」

「……いや。全然」


 これは本当だ。

 生まれてこの方、心霊現象なんてものに行き合った経験は一度もないし、なんならそんなものはあり得ないとすら思っていた。

 今日、この日までは。

 そっか。

 この女のせいで何だか忘れかけていたけど、俺がさっき見たのは、やっぱり幽霊だったんだな……。


 青白い光。

 肩に伸びる透けた腕。

 表情を失った顔。

 死にたくないと、そんな呪詛を零した薄い唇。


「ふぅん」

「何だよ」

 ちらりとこちらを見遣る視線に、何か含みがあるような気がした。


「別に。謎が解けたと思っただけよ」

「謎?」

 俺の背中を、冷たい汗が伝う。

 

「ま、どうでもいいんだけどさ」

 それは、本当にどうでもよさそうな声で。


「私は、普通の人間には見えないわ。そういう風に出来てるの。でも、あんたには見えてる。それは多分、『縁』が結ばれたからね」

「縁……」

「あんた、あの幽霊のことも見えてたんでしょ? で、私があれを刺して分解したころした。目の前の人間がナイフで殺されたなら、殺した誰かがいなきゃいけない。それが『縁』。じゃあ、そもそもどうしてあの幽霊はあんたに見えてたのか。答えは簡単――」


 その先の言葉を、聞いてはいけない。

 そんな気がした。

 けど、俺は心のどこかで、それを聞くことを望んでいたのかもしれない。

 黙り込んだ俺の方を見もせずに、不二子はその言葉を紡いだ。



「あんた、あの男殺したでしょ」



 ……。

 …………。 

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