紹介

「けーすけ。へえ、あんた、けーすけっていうの」


 六畳一間の俺の部屋で、女子が漫画を読んでいる。

 うつ伏せに寝っ転がり、座布団を二つ重ねて枕にし、足をぱたぱたと動かしながら漫画を読んでいる。

 フリルだらけの白のワンピースの上に、女の重たげな黒髪が海藻のように散らばっている様は、どこか外国の絵画のようだ。

 そこが色褪せた畳の上でなければの話だけど。


 ううん。やっぱり違和感がすごいな。

 ていうか、人んちで寛ぎすぎだろ。何だコイツ。

 座布団を二枚使うな。


「サッカー選手のほう?」

「……シンガーソングライターのほう」

「佳祐ね。あっそ」

「はあ……」


 自分で訊ねておいて丸きり興味なさそうに漫画のページをめくる黒髪の女を、俺は溜息と共に見下ろした。


 数分前。

 俺の顔面にリモコンを投げつけた女が二投目に卓上時計を手にしたのを見て、俺は慌てて女の後ろの押入れを指さして「そこに着替えがあるから取り敢えずどいてくれ」と言い、なんだそれならと女が立ち上がろうとした所で、ようやく自分の姿勢の危うさに気づいた女にやはり時計を投げつけられた。


 悲鳴と共に繰り出される女の攻撃を躱し、防ぎ、取り押さえ(ちなみに、女はこちらが心配になる程非力であった)、何とか替えのTシャツと短パンを身に着けることに成功した俺に、息切れを起こした女はぶっきらぼうな声で「喉乾いたんだけど」と宣った。


 俺自身も流石に喉の渇きが限界で、俺は女を六畳間に残したままキッチンスペースに行き、グラス一杯分の水道水を飲み干した。

 雫がこぼれ、着替えたばかりのシャツの襟元が濡れる。 

 冷蔵庫から作り置きの麦茶を取り出し、二つのグラスに注いで運ぶ自分の行動を何故か他人事のように感じながら、俺は女を見下ろした。


「ん」

 既に寛ぎ切っていた女は礼も言わず、起き上がりもせずに俺が差し出したグラスを受け取ると、一口だけ飲んで畳に敷いたカーペットの上に置いた。それきり俺の方を気にする素振りも見せない。

 俺はしばし立ち尽くし、内心で溜息を吐くと、卓袱台にグラスを置いて胡坐をかいた。

 住み慣れた自分の部屋が、まるで異界のようだ。


 この女には、きちんとした体がある。

 俺の部屋のリモコンやら時計やらを掴んでいたし、漫画本も手に取って捲っている。

 俺自身、そのナナフシのように細い腕を掴むことが出来たのだが、少し体温が低いという以外、普通の人間の肌の感触と変わりがないように思えた。


 なら、俺がさっきまで見ていたものは何だ?


 青白く透き通った男。

 死んだはずの男。

 この女が、消し去った男。


 そういえば、この女があの時手にしていた大振りのナイフはどこだろう。

 いや、そもそもこいつはどうやってこの部屋に入った?

 というか、何故出て行かない。


 ……駄目だ。頭が上手く回らない。


 俺は自分の麦茶をグラスの半分程一息に飲むと、どこか捨て鉢な気分で、そういえば、と女に話しかけた。


「あんたは、なんて名前なんだよ」

「え?」

「いや、俺の名前教えただろ。あんたの名前は?」

「……」


 一瞬俺の方に顔を向けた女は、何故か気まずそうな表情で顔を背けた。

 薄い唇が小さく動く。

「…………よ」

「ええ?」


 ぼそり、と何事か呟いたようだったが、全然聞こえない。

「え、何?」

「……こよ」


 だから、聞こえねえって。


「……ふじこよ」

「…………え?」


 硬直した俺の顔を、女が口元を引き結んで睨みつけた。

「だから! ふじこよ! 不能犯の“不”に二死満塁の“二”で『不・二・子』!!」

「えええ」


 俺の脳裏に、スリーサイズが全てゾロ目の女怪盗の姿が思い浮かび、目の前の女と比べてしまう。

 ぎょろりとした大きな黒目とその下の濃い隈、血の気のない肌と蒼い唇で形作られた女の顔は、まさに暗黒そのもののよう。

 棒切れのような手足と、呪いのように延び広がる重たげな黒髪。


 いや、……その。何て言うか……。


「なま――」

「名前負けとか言ったら殺すわよ」


 恐えよ。


 一瞬で能面のように表情を無くした女に、背筋が凍った。

 一気に気まずくなった空気に、俺はしどろもどろになる。

「あー。なんだ、その……不二子……さん? は、ええっと、何者?」

 それを見た黒髪の女――不二子は、ふん、と鼻を鳴らして視線を逸らし、ぶっきら棒な声で答えたのだった。


「私は……あれよ。あの、……死神、的な、あれよ」


 …………うん。『的なあれ』って、何?

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