第一章
第一部 出会い、そして西へ《一》
「お客さん、うちの宿は部屋が広くて綺麗なんですよ。ぜひ泊まってくださいよ」
「お客さん、うちの宿は大きな風呂があって疲れがとれますよ。泊まっててくださいよ」
「うちの宿はとーっても料理が美味しいんですよ。サービスしますから泊まっててくださいな」
街道沿いで西側と北側の山に大きな
そんな中、一際目立つ旅人一行をめぐり、宿屋の客引き達が
「うわぁぁー、大きなワンちゃん!!」
と一軒の宿屋から、七歳くらいの女の子が走り寄ってきて、その場に座っていた一頭の獣に抱きついた。
「ふわぁぁー、モフモフ」
輝く銀色の毛並みに頬を擦り寄せて、ニパッと笑う女の子。
「まぁ、
「おおかみさま?」
宿屋の客引きをしていた鈴麗の母親は、一行が連れる大神に飛び付いた我が娘を見て驚き言った。
その昔、仏神達は神の使いとして大神や天女を下界に送った。人間達は大神や天女を敬い、時に尊んだ。だが今は、大神や天女達が下界に降り立つことはない。その姿を見ることなど、ありえないと言っていい。
そんな中、普通の灰色の毛並みの狼とは違い、体高は
立派な大神様を連れられているのだ、凄い人物に違いない。宿屋に泊まってもらえれば、
「ぴゅ」
そんな白熱した争いの最中に、小さな鳴き声が聞こえた。鈴麗は、鳴き声がした方向、大神の頭の上を見て一瞬固まった。そして
「ふぉぉぉぉ、なにこれ〜!」
と声をあげた。それは、小さな小さな生き物。鼠に似ているようだが丸っとしていて、白色に金色の毛が交ざっている。こんな小さな生き物なのに、何故か右肩から左側に向けて、これまた小さな小さな鞄を斜め掛けしているのだ。
「おっ、ハムスター見るの初めてか」
鈴麗の視線に合わせるように、一行の中で一番若い十四歳くらいの男の子が、しゃがんで話しかけてきた。
見たこともない
「ハムスターはな、都の商人や金持ち達の間で今
「いいの」
「大丈夫だと思うぞ。いいか、
男の子が、ハムちゃんと言われるハムスターに声をかけると
「ぴゅ」
“いいよー”と、可愛く返事をするハムちゃん。
「こうやって両手を出してみ」
男の子の
「ぴゅ」
“行くよー”とハムちゃんが鳴いて、大神の頭から鈴麗の手の上へと飛び降りてきた。
「わぁぁぁ、かわいいー!!」
鈴麗は優しく、ハムちゃんに頬を擦り寄せる。ハムちゃんも小さな短い手を鈴麗の頬に押し当てて、顔をスリスリする。そのとき
「なんだい、誰かと思えば
突然聞こえた女性の声に、一行の中で先頭にいた、二十五歳くらいの
「
声をかけてきたのは、
ここ、
西側の山中にある
「相変わらず、
玄奘の服装は、黒地の唐装長袖の上下。上着の
さて、と丁香は言うと
「玄奘はそっちの宿に泊まりな。あたし達はこっちの宿にしようかね」
と、客引き達の闘いに決着をつけた。えぇー、と選ばれなかった一軒の宿屋の客引きには
「あたし達の後ろに八人程の商人達がいたからね、その商人達を泊めたらいいさ」
と言った。
「玄奘、久しぶりに一瞬に食事でもしようじゃないか。ひとまず、宿で休息でもしようかね。行くよ」
道士の御付きと思われる弟子達を連れて、丁香は宿屋に入っていった。
「おかあさん、ハムちゃんとおおかみさまはうちにとまるの」
道士一行が向かいの宿屋に入ったのを見ていた鈴麗が、母親に声をかける。
「えぇ、そうよ。ハムちゃんも大神様も、うちに泊まって下さるの」
「やったー!」
喜ぶ娘を見ながら、さぁどうぞこちらへと案内されて、玄奘一行は本日の宿屋へと足を踏み入れたのだった。
********
ここからは、聞きなれない言葉の説明です。
道観→道教において出家した道士が集住し、その教義を実践し、なおかつ祭しょうを執行する施設
五尺→約115センチ
双眸→両方のひとみ
道士→道教を信奉し、道教の教義にしたがった活動を職業とするもの
濡羽色→烏の羽のような艶のある黒色
真朱色→少し黒みのある鈍い赤色
道袍→日本語読みでほういとしましたが、道士が着る服
冠巾→こちら読み方が違うかもしれません、道士がかぶる帽子
坤道→女性の道士
乾道→男性の道士
次回の更新は25日か26の日予定です。
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