第29話 夜の散歩
黄昏時から始まった宴は大盛況。普段ははめを外すことが許されない修道女たちだったが、今夜だけですよとレイラのお墨付きをもらって、歌い歌い、踊りに踊った。
修道院の庭は祭りでも行われているかのよう。海に囲まれ隔離された土地だからこそできることだった。
そうして夜が更けた夜半どき。海が月に染められて、あたりがぼんやりと照らされている。
少女たちは遊び疲れて眠りにつき、客人である船員は、何かを噛みしめるように酒を飲んでいた。パーシヴァルが「逝っちまった奴ら、きっと喜んでいるだろうな」と涙ぐみ、ジョシュアが肩を叩いて慰めている。
宴もたけなわとなったころ、レイラがブラッドに部屋の案内をした。すると、周囲の空気がさざめくのがわかった。
きらきらした目のナタリアに「アンジェラも聖女なんだから一緒にいないと」と、強引に送り出される。ジョシュアを始め、船員たちも「船長を頼みます」と声をかけ、二人が一緒にいるのは当たり前のように思っているようだった。
ブラッドに力を与えてくれると、期待をされているのはわかった。けれど、何をどうすればいいのかわからない。
「れ、レイラさま……? あの、わたしはどうすれば……」
レイラに助言を仰いだけれど、彼女はブラッドをアンジェラを交互に見つめ、
「あなたがたの意志に任せます。フレイアのご加護を」
と言うだけで、どうすればいいのかは教えてくれない。アンジェラは戸惑うばかりだった。
皆の期待に追われるように庭を去り、アンジェラはブラッドについていく。
「少し……散歩でもするか」
ブラッドは言う。
「あの……皆さん、わたしがあなたに力を授けることを期待しているみたいなんですけど……フレイアに降りてきてもらうには、そもそもどうすればいいんでしょうか。院長もご存じない感じですし」
ブラッドはやれやれと言った様子で肩をすくめた。
「それはそうだろうな。俺も女神に会ったのは百五十年前だし、……というか……降りるのか? あいつが? お前に?」
彼はそう言うと、何か思いついたのか難しい顔をする。
「どうかしました?」
「いや――とにかく、お前は何も気にするな」
「でも、フレイアの力が必要なのでしょう」
「大丈夫だ。今ある不老不死の力で十分だし……おれは一人じゃないって、お前が言ったんだろう? そのとおりだったな」
軽い調子で言ったが、その顔には消えきれない憂いがある。きっと様々な葛藤があるからだろうと思えた。
信仰を捨て、自分を忘れたと思っていた民が、未だに自分を待っていてくれたのだ。きっとどれだけの喜びだっただろうと思う。
だが、力を得たとなると夢は叶えなければならなくなってくる。やらない言い訳ができなくなってしまう。
覚悟ができないのも無理はないと思う。国を再興するということは、きっと民に多くの犠牲を問わなければならないから。
皆、覚悟の上だろう。だけど、情に厚いブラッドにはきっと皆の命が、そして彼らの期待が重くて堪らないはずだった。
以降、沈黙を保ったまま、行き先も決めぬまま歩き続ける。
「ここ……は」
ふとブラッドがつぶやき、アンジェラは顔を上げた。
見るとそこは、院長室の前。アンジェラとブラッドが初めて出会った場所だった。
燭台の炎が、おだやかにその場所を照らした。
ブラッドはくっと笑った。
「『わたしが聖女です』、か」
アンジェラはかあっと赤くなる。思い出すと恥ずかしさで身が縮まる。だが、ちらりと見上げると、ブラッドは優しい眼差しでこちらを見下ろしていた。
「おれは、最初、あれを本気で信じてはいなかった」
「そうなんですか?」
「他の修道女が連れて行かれないようにと庇っているのは露骨にわかったが?」
「じゃあなんでナタリアではなくわたしを? あなたを眠らせたから?」
「なんでだろうな」
ブラッドは眩しそうに目を細め、アンジェラを見つめる。しばし考え込み、やがて言った。
「今思うと……最初からお前が聖女だと知っていたような気がする。確かに変な呪い持ちってのはあったが……おれを救ってくれる女だって、そんな気がしていたんだろうな」
ブラッドの眼差しがアンジェラの心に刺さった。救う、その言葉はアンジェラを動揺させた。
確かにアンジェラは聖女だと言われた。レイラは全くそのことを疑っていないし、レイラを信じる皆も、アンジェラを聖女だと言って喜んでいる。
だけど実際のアンジェラは何も変わっていない。迷惑な呪いを持っているだけで、何もできない普通の娘だ。本当に、こうして彼の隣にいていいのか――不安でたまらない。アンジェラは、結局、ブラッドに何もしてあげられない。
だが、それでも。
「聖女だという実感は……まだないし、本当にフレイアがわたしに宿ってくれるのかもわからない。だけど――わたし、わたし、あなたを救いたい。だから、そのために聖女になりたい」
アンジェラは必死だった。ブラッドは目を見開いた。
「今は、あなたのために、あなたが願いを叶えられるように、祈ることだけしかできません。それだけしかできないけれど……役に立たないかもしれないけれど……そばにいてもいいですか?」
そばにいたい。そして彼が望みを叶えられるように、一番近くで支えたい。この感情をなんと言えばいいのだろう。そう思った次の瞬間だった。
「!?」
力強い腕にアンジェラは抱きすくめられていた。
「ブラッド……!?」
眠ってしまう! 構えたアンジェラだったが、いつまで経ってもブラッドの腕は力を失わない。
「…………?」
やがて彼の腕から力が抜ける。しばらくあの歌を歌っていなかったから効き目が弱くなったのかもしれない……そう思ったアンジェラは、ブラッドと目があって愕然とした。
「え」
「……どういう、ことだ? 触れても、眠気が、来ない」
アンジェラよりも愕然とした顔のブラッドは、「眠りの呪いが……解けたのか?」と目を瞬かせた。
「それって……つまり」
問うような目だった。
アンジェラは思い出す。確か、彼は言った。
『俺を、心の底から受け入れろよ。そうしたら、お前の呪いは効かないとあの魔女が言っていた』と。
そして――『俺を、愛せ』と。
呆然と呟く。
「わたし、あなたを、愛して……るの?」
そうだったら、どれだけ嬉しいだろう。だって、眠りの呪いが効かないのなら――彼を救うことが出来るのだ。
思わず涙ぐんだときだった。
直後、ブラッドは痛みに耐えるような顔をしたかと思うと、再びアンジェラを掻き抱いた。
「――えっ、ブラッ――」
混乱したアンジェラの唇をブラッドの唇が塞ぐ。ますます混乱が激しくなる。
(え、え、え)
これは一体何なんだろう――アンジェラは沸騰寸前の頭で考えようとする。だが熱い唇に翻弄され、呼気まで奪われては、まともな思考力が戻ってこない。
(ちがう……今は、他のことを……考えたく、ない……ブラッドの望むままに……してほしい。彼のものに、してほしい)
彼がしようとしていたことがやっと理解できたと同時に、アンジェラ自身もこの時を望んでいたような気がした。
(わたし、ずっとこんなふうに抱きしめられたかった……)
頭で考える前に体が勝手に動く。アンジェラがブラッドの背に手を回し、身を任せると、彼は一瞬体を固めた後、より深く彼女に口付けてきた。
(あ……もしかして、今のが、キス……)
ナタリアとの会話を思い出したのは、ブラッドが呻きに似たため息を吐き、アンジェラを解放したあとのことだった。そうだ。ナタリアは内緒話をするように教えてくれた。その行為は、唇を交わすことをいうのだと。
「だめだ……った――これ以上は」
彼は、飢えた獣のような眼差しをしていたが、もしかしたら、自分も同じような目をしているかもしれないとアンジェラは思う。
離れたくない、ずっと、ああしていたい――そう思っていたのだ。
「い、まの、は」
言葉が漏れるけれど、息が上がってしまい、声はかすれていた。くらくらする頭を支えてアンジェラは問いかけた。
「すまない、
ブラッドは苦しげに目元を覆う。指の隙間から見える顔は赤い。
「もう不老不死の力を失うわけにいかないのに――」
その言葉でアンジェラの頭が急激に働き出す。行き当たった真実に彼女は顔をひきつらせた。
(え、じゃあ今のが『ブラッドのものになる』ってこと!? もしかして、不老不死の祝いが、解けてしまったってこと!?)
アンジェラは慌てる。呪い――祝いが解けてしまったのなら一大事だ。これからの帝国との戦いの中、ブラッドが死んでしまうかもしれない。それは、絶対に嫌だ――
アンジェラははっとする。そうだ。
(祝いを、もう一回、授ければいいんじゃない?)
ナタリアの言うことを信じるならば、キスで力を授けられる可能性はある。
アンジェラは「ブラッド、あなたを死なせはしません!」と言うと、ブラッドの首にしがみつき、唇を彼のそれに押し付ける。
「――――!?」
ブラッドがぎょっとしたように体を固める。けれど、アンジェラは彼の頬を両手で挟んで逃さない。一旦唇を離すと、じっと彼の目を見つめて言った。
「どうか、あなたに女神の祝いが授けられますように――! フレイア……! お願いです!」
アンジェラは新たな神に祈りながら無我夢中でブラッドに口づける。彼にしてもらったのと同じように。そうしながら必死で祈る。
(おねがい、フレイア。わたしにあなたの力を貸してください……!)
そして祈り終えて唇を離す。祝いは授けられただろうか? と、ハラハラしながら覗き込むと、彼はなぜか疲労困憊したような顔をしていた。
「だから……不老不死を失うわけにいかないって、今、言わなかったか」
「え? ええと、先程のキスで……祝いを失ったのでは……? だからわたし、もう一回って……足りませんでしたか?」
急激に自信がなくなってくる。なにか間違ってしまったのかも……と己の行為を恥じて小さくなって赤くなると、
「足りないは足りないんだが……参った……とんだ聖女様だな……」
ブラッドは大きくため息をついて、天井を仰いだ。
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