第28話 祝宴の準備
黄昏時、修道院はにわかに騒がしくなる。というのも、ブラッドリー王子の帰還と聖女の再来を祝うためのささやかな宴が催されることとなったからだった。
料理に掃除に飾り付け。ちなみに年長者であるアンジェラとナタリアは料理担当だ。
「アンジェラちゃ〜ん!」
船員たちが手を振った。彼らは準備を手伝ってくれているのだ。客人だから休んでくれと言ったけれど、性に合わないと働き出した。ジョシュアなど料理を取り仕切っている。彼らのための祝宴だというのに。らしいと言えばらしいけれど、なんだか可笑しい。
くすりと笑ったアンジェラは視線を彷徨わせ、ある一点で止める。黒髪に赤い瞳を持つ一人の男性が高いところの飾り付けをしていた。
赤い瞳が夕日を映して輝きを増している気がした。眩しいのか、僅かに目を細めているが、その表情が妙にせつなそうに見えて、アンジェラの胸が軋む。
「アンジェラったら、また、ぼーっとしてる」
ナタリアが笑っている。何か見透かされているような気がして、慌ててじゃがいもの皮剥きに戻ろうとしたアンジェラは、おや? と顔を上げた。いつのまにか修道女たちが興味深そうにアンジェラを囲んでいたのだ。
「あのね、わたし、アンジェラがなんだかきれいになった気がする」
「うん、私も思う!」
「やっぱり聖女だからかな?」
苦笑いをすると、彼女たちは一歩、また一歩とアンジェラに近づいた。
以前と同じように距離は保っているものの、警戒心は緩んでいるように思えた。アンジェラの呪いに理由があったことを知ったからだろう。
だが、今までが今までだったので、不思議な気分だった。アンジェラ自身は何一つ変わっていないというのに。世界が一変してしまった。
──だが変わらないものもあった。
「聖女とか、関係ないわよ。アンジェラは前からきれいだったじゃない」
幼い修道女たちにナタリアは言う。
アンジェラがここに戻ってきたとき、彼女は感極まって抱きつこうとしたくらいだった。相変わらずの怖いもの知らず。懐かしく、なんだかひどくホッとする。
「ナタリアは……私のこと、知っていたの?」
思えば、二つ歳下と思っていた彼女は実際は一つ歳下だったらしい。しっかり者の彼女を見ていると、そうはとても思えないけれど。
「いいえ。レイラ様にはすっかり騙されちゃったわ。アンジェラのことだけじゃなくって、女神信仰のことだって」
「あれにはびっくりだったわ!」
同意の声があちこちから上がる中、
「だけど、わたしね、ホッとしたのよ。今まではヴォーデン神に罰せられるのが怖くてたまらなかったのに、石像がフレイア神に変わってから、見守ってもらえてる気持ちになった。わたしたちの信じる神は、この方だったんだって、びっくりするくらいすんなり受け入れられたのよね」
ナタリアは大人びた顔で言う。アンジェラと同じく、信仰の対象が代わることに対する違和感はあったらしい。
祈りを捧げていたあの時間は、あの信仰心は一体どこに行ったのだろう? レイラの告げた真実で、一瞬、そんな虚無に襲われたのだ。
ただ、アンジェラは思った。祈りというのは、説経というのは、アンジェラに生き方を教えてくれるものだった。たとえ祈りを捧げる石像が変わろうとも、アンジェラは身に染み付いた生き方を変えられない。国と女神を奪われたセヴァールの民が、違う神の石像を前に信仰を貫いたのも、同じだったのではないだろうか。
他の幼い娘たちは、よくわからない、といった顔だったが、突如入れ替わった神に拒絶心を抱えているような者はいないようだった。彼女たちはいい意味で幼く、疑うことを知らない。親のように信頼するレイラが信じる神ならばと受け入れている。素直で、それは美徳だと思った。
「ほら、あなたたち! さぼっていたらいつまでも始まりませんよ!」
塔の上からレイラの声が落ちてきて、少女たちは蜘蛛の子を散らすように作業に戻っていく。
にわかに静かになると、
「……ところで」
アンジェラの隣に一人残ったナタリアがニヤリと笑った。アンジェラが戻ってきてからというものの、彼女はこういう顔をよくする気がする。先程もそうだ。
「王子とは、何があったの?」
「……王子?」
「ブラッドリー王子殿下!」
と言われても、ブラッドはブラッドなのだ。王子というより、船長の方がどうしてもしっくりくる。
「ブラッド? な、なにがって?」
「実はわたしもね、あなたがきれいになったって思ったの。外見は前からきれいだったと思ってたけど、なんていうか……雰囲気が、すごく華やかになったなって。だから……──恋をしたのかなって」
「えっ、こ、恋?」
アンジェラは目を見開く。自分よりも年下の少女にそのようなことを問われるとは思いもしなかった。しかも修道女がそういったことに興味を持つなんて。――意外過ぎる!
「図書室に恋愛小説が一冊だけあるのよ」
ナタリアが訳知り顔で言う。
「あとは新聞の相談欄ね! あっちは下衆な話も多いけれど、いろいろなところに、恋をするときれいになるって書いてあったわ」
「新聞!?」
外の世界に興味を持つ者は自分だけではなかったのだ。アンジェラは目を丸くしたまま、後ずさりをする。
ナタリアの目が爛々と輝いている。逃さないといった様子で迫ってくる。
(ちょ、ちょっと、顔が、怖い!)
「ナタリア! 眠っちゃうわよ!?」
「眠らせたくなかったら、話して!」
逆手に取られた! アンジェラは追い詰められて口を開く。
「こ、恋って言われても」
しどろもどろになる。アンジェラには恋というものがよくわからなかった。人間の抱く特別な感情という概念はわかる。だけど、実感としてはピンとこない。
「大事に、は思っているけれど」
「それは異性として?」
「異性として?」
「ほら、レイラ様とかわたしとかとは別のことを感じないかってこと。他の人とは違って、特別な感情がないかってことよ!」
ナタリアは自分で言ったあと、顔を赤らめてきゃあっと黄色い声を上げる。
「他の人とは、違う……特別な?」
アンジェラは呆然とする。思い当たることはあった。レイラやナタリアたちを大事に思う気持ちとは別の感情。そして、パーシヴァルやジョシュア、ジーン……他の船員には抱かない感情。
アンジェラはブラッドにしか、ドキドキしない。知らず目で姿を追ってしまうのも、彼だけだ。それに──、船員たちが彼とハグをしている時。
(私も抱きしめられたいって、そう思ったわ)
この呪いを忘れるほどに……そう願ったのも彼が初めてだった。
「それで、聖女の力はもう授けたの?」
ナタリアの問いに、アンジェラははっと我に返った。慌てて頭に浮かんだ諸々を隅に追いやる。
「い、いいえ。彼と国のことを考えたらなんとかしないとって思うのだけれど……どうやって授けるのかも全くわからないのよ」
「レイラ様はなんて?」
「なんにも。だけど……」
アンジェラはふと思い出す。
「彼は、俺のものになれって、よく言っていたかも。そうしたら呪いが解けるっていうの」
話しているうちに、彼が言った言葉、そして彼女に触れたときのことを思い出して真っ赤になった。だが、ふとある考えが浮かび上がった。
(あれ? でも、ブラッドが言う呪いって、不老不死の《祝い》だったはずよね? 今、解いていいものなのかしら……?)
「俺のもの!? ……あ、それって!」
ナタリアがアンジェラの色が移ったように赤くなって口を両手で覆った。そして、辺りを見回すと、声を潜めて耳打ちした。
「そ――それって、キスのことじゃないかしら!?」
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