第27話 院長の役目

 アンジェラが舟を降りたとたん、修道女たちが門を突き破る勢いで外へ飛び出してきた。先陣を切ってきたのはレイラだった。


「アンジェラ!」

「レイラ様!」

「……よく無事で!」


 再会の喜びのさなか、アンジェラは近況を告げる。だが、レイラはなぜか、アンジェラたちの状況をかなり正確に把握しているようだった。どうやら修道院の間で情報を共有していたらしい。

 そのような密な伝があることを今までまったく知らなかった。


(そういえば……あちらの院長も変なことを言っていたかも)


『掟があるのです。帝国がこの地にやってきたときに決められた、の希望のための古い掟が。私達の計画を誰にも邪魔させないための掟が』


 不思議に思いながら、アンジェラはここに来た一番の目的を遂げることにした。


「……私、聞きたいことがあって。毎朝歌っていたあの歌なのですが」


 アンジェラは異教の歌だと言われたことを話す。レイラは黙って聞いていたけれど、「ここで軽々しく話せる内容ではなさそうですね」と院長室へといざなった。

 後ろからはブラッドがついてきたけれど、レイラは咎めない。それをなぜだろうと思っていると彼は静かに口火を切った。


「あの歌は一体、なんだ?」


 ブラッドが尋ねた。するとレイラは逆に聞き返した。


「その質問にお答えするには、まずの素性を話していただかねばなりません」


 アンジェラはどきりとする。彼の素性はそうやすやすと話して良いものではないからだ。それがたとえ自分を育ててくれた人でも。

 ためらうアンジェラの前で、ブラッドはじっとレイラと見つめあった。


「あなたは、一体、誰なのです?」


 どちらも互いを探り合うような、そんな目をしている。アンジェラはハラハラと見守る。

 膠着状態を壊したのは、ブラッドだった。


「あなたは、アンジェラを育てた人間だ」

「ええ」

「彼女は、惜しみない愛情を注がれて育ったように見える」

「……ええ。そのとおりですわ」


 レイラはひどく優しい表情で笑った。


「だから、俺は、あなたを信じることにする」


 アンジェラはびっくりする。それはアンジェラを信用している、と言ったのと同じだと思えたからだった。どういう心境の変化があったのだろう。アンジェラがブラッドの表情をうかがい見ると、彼は気まずそうに顔をしかめた。


「俺の名は……ブラッドリー・レナルド・アーヴァイン・セヴァール」


 とたん、レイラは涙ぐみ、その場に跪いた。


「ああ、ああ! ずっとお待ちしておりました、


 ブラッドは目を見開く。アンジェラも同じく。


「……どういうことだ?」


 レイラは、聖堂へと足を向けた。アンジェラとブラッドは、顔を見合わせたあと、ついていく。


「私がまだ若かった時でした。前の院長が私にを託してくださったのです」


 静まり返った聖堂に、レイラの声が響いた。祭壇の中央には石像がある。帝国の神である、ウォーデンの像だ。男神の厳つい顔は、幼い頃から恐怖の対象だった。「神は私達のすぐそばで見守ってくださっている」と言われても、この顔を見ていると神が自分を見張っているような気がして、落ち着かない気持ちになったものだった。

 レイラは微笑むと、その石像の土台を回転させた。アンジェラは目を見開いた。

 穏やかな笑みを浮かべた、女神の像が現れたのだ。


「これは、どういうことだ」


 ブラッドはもう一度つぶやいた。とても信じられない、といった様子だった。アンジェラも同じだ。長くこの修道院にいたけれど、こんな秘密が隠されているなど知らなかった。しかも石像はしっかりと磨かれている。表になっていた石像のほうがよっぽど薄汚れている。

 信仰心がどこにあるのかなどこれを見れば一目瞭然だった。


「ご存知でしょう。この女神は、フレイアです」

「フレイア……?」


 アンジェラは絶句した。


「信仰は途絶えていないのですよ。まだ、皆の心の中で女神は生きています」

「女神信仰が生きている?」

「どういうことなんですか」


 アンジェラはたまらず問いかけた。


「殿下。そもそもあなた自身が、女神の存在を肯定していらっしゃるのです。150年前に滅びた国の第二王子が、今、ここに生きていらっしゃる。その事実が女神の奇跡そのものです。私達はずっと、あなたがいつか帰っていらっしゃる、そして国を再興してしてくださる──その言い伝えを信じて、ここまで信仰を守ってきたのです」

「信仰を守ってって……」


 だが、アンジェラが怯えながら祈りを捧げていたのは、一体何だったのだろうか。


「神の名前こそ違えど、セヴァールの民──私達は信仰の形を変えたことはなかったのですよ。信じるものの形は、いくら矯正されようとも、そう簡単に変えられるものではないのです」


 アンジェラは改めて、フレイアの像を見つめた。穏やかな笑み。この顔で見守っていると言われたら、きっと穏やかな気持ちでいられたような気がする。

 数々の説法の印象が塗り替わっていく気がして、混乱し、言葉を失う。


「私も最初は複雑な気持ちでした。ですが、ずっと違和を感じていたのも確かでした。愛に溢れた言葉と、この恐怖しかない偶像は結びつかなかった。だから、納得し、ホッとしたのですよ」


 まるで同じ気持ちだったアンジェラの胸に、レイラの言葉が染み込んでいく。

 レイラは諭すように言った。


「……先ほど言いましたよね。私が大事な役目を受け継いだと。それは、聖女の保護です。女神からの預かりものがとどけられたら、全力でお守りするというものです。代々、修道院の院長に伝えられた、大事な役目でした」


 レイラは女神像をみやった。だが、その目は遠くを見る目をしていた。


「今でも昨日のことのように思い出します。ひどい嵐の夜でした。修道院の門の前に、生まれたばかりの一人の赤子が置かれていました。この立地です。嵐の日にたどり着くことができないのはおわかりでしょう。しかもその赤子は、闇の中でぼんやりと光り、さらには、何かに守られたかのように全く濡れていなかったのです。私にはわかりました。彼女は、私達が待ち望んでいた、《聖女》そのものだと」

「……聖女……え、この修道院に、聖女がいるのですか!?」


 アンジェラが思わず息を呑むと、レイラはうなずいた。


「ええ。そして聖女はセヴァールを復興させる、勇者たる男性を必ず見つけ出すはずでした。私達は、聖女を悪用されることを一番恐れました。万が一、聖女が彼を見出す前に、帝国の者に騙されたり、傷つけられたりすることを。ですが、私達は力を持たないただの修道女。ですから、セヴァールの知恵者の力を借りました。年間という長い年月を経て、古い禁厭まじないを彼女にかけてきたのですよ」

「……なるほど、そういうことか」


 ブラッドが一人納得しているが、アンジェラにはあまり話が見えなかった。


「ええと、十五年間……ですか?」


 つまり、聖女がここにやってきたのは、十五年前だということ。その時分、確か大虐殺が起こり、生き残った女児はほとんどいないと聞いている。

 十五歳──アンジェラより歳が一つ下の少女はおらず、一番歳が近いのは十四歳のナタリアだ。


(一歳の違い……?)


 アンジェラは、ふと思いついた。


(え、じゃあ、もしかしてナタリアが?)


 歳をごまかしたのかもしれないと思う。彼女は、十四歳にしては大人びている。体も、少し大きいといえば、大きいかもしれない。なにより、彼女はこの修道院で一番美しい少女だ。


「なるほどな。、あなたたちは、様々な方法で聖女を隠し、守ってきた」

「ええ。子どもの発達など、個体差が大きいので、どうにでもごまかせますからね」


 ブラッドが感心しながら、アンジェラを見た。


「確かに軍人は男だ。子育てなど女任せでほとんど経験したことなどないだろう。少し発達が遅れている──そう言えば、帝国の軍人など、簡単に騙せる。そして、命を守りながら歌を歌い、誰も彼女に触れられないようにして、貞操も守った」


(え? 発達が、遅れている? それに……歌?)


 アンジェラは、レイラに聞きたかったのが、異教の歌についてだったと思い出す。

 レイラが大きく息を吸う。そして微笑んだ。


「告げられる時を待っていました。アンジェラ。あなたは、女神の魂を宿すことができる、聖女なのですよ」

「え…………、えっ、わ、わたし!?」


 あまりにも意外すぎる事実に、アンジェラは固まった。


「自分で聖女だと言っていたくせに」


 ブラッドが堪らないといった様子で噴き出す。その顔が、まるでその事実を予め知っていたかのようで、アンジェラは口をあわあわと動かした。


「え、驚かないの……!?」

「その眠りの呪いが一体何のためにあるのかを考えたら、答えはほとんど出ていたが」

「でも、わたし、何の力も持っていない……! あなたを眠らせるくらいしかできないでしょう!?」


 そう叫ぶと、ブラッドの顔が陰った。


「……それは」


 レイラがくすりと笑ってブラッドを見る。


「大丈夫ですよ。はあなたを愛しているのですから。必ず、あなたに力を授けてくださいます。皆、あなたが戻られるのを待っていました。どうか、セヴァールの民のために、御旗をあげてくださいませ」


 熱のこもったレイラの視線にも、


「女神はおれを愛している……か」


 ブラッドはどこか憂鬱そうにため息を吐いただけだった。

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