第26話 懐かしい顔ぶれ


「異教? 異教って──でも、毎日歌っていたんです」


 どの修道院でも当然のように歌うものだと思っていたアンジェラは目を剥く。


「そんな馬鹿な──……いえ、レイラなら。そうね、あの子は昔から誰よりも用心深かった」


 院長はなにか懐かしむような柔らかい笑みを浮かべて黙り込んだけれど、アンジェラは腑に落ちなかった。


「異教ってどういうことです? 教えてください!」

「それはレイラに聞きなさい。これは軽々しく説明できないことなのですよ」

「どうして」

「どこに耳があるかわかりませんからね。掟があるのです。帝国がこの地にやってきたときに決められた、の希望のための古い掟が。私達の計画を誰にも邪魔させないための掟が」

「帝国……この国?」


 なんとなく、違和感のある言い方だ。まるで《帝国》が《この国》とは別の存在であるような。

 アンジェラが首を傾げると、院長は穏やかな微笑みを浮かべ、だが、その穏やかさに似合わない力強い声で言った。


「とにかく、イーストウッドに戻るのです。レイラなら、きっとすでに準備を進めているはず。連絡があり次第、私達も動き始めますから」



 *



 イーストウッドまでの旅の手配は院長が手早く済ませてくれた。

 修道院を出たあと、修道服だと目立つからと、アンジェラは町娘の格好に着替えた。革製のボディス、木綿でできた白いシャツに灰色のスカートは、修道院に寄せられた寄付品だというが、初めて着るので新鮮だった。

 そして──

 商船に揺られながらアンジェラは隣に立つブラットを見上げた。

 潮風に黒髪をなびかせ、陽の光に目を細める彼が先程まで修道女を演じていたなど、誰も信じないと思う。

 彼(彼女)の体格に合うような服など無い、と嘆きながら院長が持ってきたのは、チュニックにズボンという農村の男が着ているような服だった。

 だがそんな服を着てしまうと、どこか違和があるのが不思議だ。修道服のほうがまだ似合っている。


(素性を知ってしまったから、かも)


 ただものではない、というのは感じていたが、それは呪いのせいなのかと思っていた。だけど、まさか王族だったとは思いもしなかった。しかも、失われた王国の生き残りなどとは。

 その彼は今、物憂げな表情で海面を眺めている。

 何か声をかけてあげたいと思う。だが、そのたびに言葉を探しては飲み込む。アンジェラはあれからまだ彼に声をかけることができずにいた。どうやったら彼の苦しみを和らげてあげられるのかわからないのだ。


(いいえ、わかる。「彼がどうやったら救われるのか」は。だけど、それがどうやった叶うのか。それが……どうしてもわからない)


 かなわない夢を追い続ける人。しかも、彼は永遠にその夢から逃れられないのだ。だからこそ、彼は聖女を探している。そうして、呪いを解いて、夢から解き放たれたいのだ。


(そして、その望みさえ、わたしは叶えてあげられない)


 無力さが辛かった。痛む胸をそっと押さえ、アンジェラは海の波を見て、小さくため息を吐いた。



 *


 イーストウッド修道院は孤島だ。港がないので大きな船では立ち寄れない。

 近くの港で商船を下りた二人は、小舟を借りて島へと向かう。

 内海は相変わらず穏やかだ。風を読み、小さな帆船を器用に操るブラッドに見惚れていると、彼がふと沖を見て顔をこわばらせた。


(あ)


 船が一隻、停泊していたのだ。

 一見普通の商船。だが、普通のマストも帆も、見張り台も、砲台も。どこかしこもが懐かしい。


(もしかして。もしかして!)


 アンジェラは高揚する。隣を見上げると、ブラッドは呆然とした顔でその船を見つめている。

 さらに近づくと、小舟が修道院のそばにたくさん停めてあるのがわかった。閉められた門の外には、男たちがずらりと並んでいる。こちらを向いていないから確信は持てないが、きっと、あれは。


「ほら。ほら! わたし言ったじゃないですか!」


 興奮して思わずブラッドの袖を掴んだアンジェラは、


(わ、ねむっちゃう!)


 慌てて手を離す。指が腕にかする寸前だった。ブラッドがとっさにすごい勢いで避けたので大丈夫だったけれど。


(って、ものすごい避け方……)


 こんなささやかな触れ合いさえもできないのだと気づいて、なんだか悲しくなる。


(でも、そんなのいつものことだったし、今まで全然平気だったのに……なんで?)


 気持ちの変化に戸惑い、首を傾げていると、


「あ、悪い……」


 ブラッドは自分でも驚いたかのように目を数回しばたたかせたあと、気まずそうに目をそらす。アンジェラは不思議に思う。なぜ謝られたのだろう。今のは、さわるなと怒鳴られてもおかしくない場面だった。


「いえ、わたしの方こそ……眠っている場合じゃないのに、すみません」


 気を取り直すと、アンジェラは彼から一歩離れたあと、改めて訴えた。


「言ったでしょう? 皆、あなたを探しに来るって」


 賭けに勝った気がして微笑むと、ブラッドは「俺を探しに来たとは限らない」と小さくつぶやいて口元を覆う。だが、口から出た言葉が本心ではないのはすぐに分かる。


「素直じゃないですね」


 くすりと笑うと、視線を厭うたように彼はアンジェラに背を向けた。

 風が小舟を岸へと運ぶ。誰が乗っているのかに気づいたのか、奇声が上がった。


「船長!!!!」


 ドボンと音がしてぎょっとすると、だれが勢い余って飛び込んだらしい。バシャバシャと泳いで舟の縁を掴んだのは……


「ジーン」


 静かな声でブラッドが言う。その声はかすかにかすれている。


「すみませんでした!!!! おれ──おれ! あのとき、どうかしてて!」


 ずぶ濡れの彼は、青い顔で唇をかみしめている。北部なので水はずいぶん冷たいはず。アンジェラは引き上げてあげたかったけれど、眠ってしまうとためらう。そんな彼女をブラッドが手だけで制する。


「いい。お前は、俺のことより船のことを考えただけだ。いいから、乗れ。まだ泳ぐに早い」


 ジーンが嗚咽をあげ始める。アンジェラにはブラッドの声が震えているような気がして、嬉しくてたまらない。

 舟が岸に着くと、笑顔が満開だった。だが皆多くは語らずにブラッドに順にハグをしては、浮かんだ涙を拭っていく。

 そして、最後にやってきたのはジョシュアとパーシヴァル。


「ここ最近じゃあ、最大の危機だったんじゃない?」


 ジョシュアはにやりと笑うと、背を叩く。


「今後、絶対に無茶はやめてください。祖父に呪い殺されますから」


 と、鼻をすするパーシヴァルとジョシュアをまとめて、ブラッドはぎゅっと抱く。


 ブラッドは一言もしゃべらなかったけれど、彼が「ありがとう」と言っている気がして、アンジェラの目はうるみっぱなしだった。

 そして──


(わたしも、あの中に混じりたいな)


 彼らと同じようにブラッドにハグをされたい、と思った瞬間、なんだか顔が急に熱くなる。


(あれ……あれ?)


 ぎゅっと胸が軋む。それは、今まで感じたことのないような、甘い痛みだった。

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