第23話 木は森に隠せ


 小舟を降ろすと陸へと漕ぎ出す。内海なのが幸いしたのか波は低く、ブラッドが古ぼけた櫂でひとかきすると舟はグイと進んだ。舟の扱いは一級品だ。手慣れた様子に、さすがだとアンジェラは感心する。

 しばらくすると、ブラッドは暑くなったのか、シャツを脱いだ。上半身が露わになり、アンジェラは目を見開いた。

 シャツ越しでは何度も触れた身体だったけれど、明るい場所で見るのは初めてだった。

 健康的に焼けた肌の上にはうっすらと汗が滲んでいる。なんだか目が離せない。


「どうか、したか?」


 声をかけられハッとする。


「なんでもありません!」


 妙にドキマギしてきて、アンジェラは慌てて彼から目を逸らした。


(な、なんだか、すごく綺麗……だった。男の人に対して、変かもしれないけど……!)


 頬が熱くて、そっと抑えて水面を見つめる。


「これから、どうするかな」


 ブラッドがどこか気まずそうに言う。顔を戻すと、彼もアンジェラから目をそらして遠くを見ていた。


「行くあてはないし、彼奴等が起きたら、おそらくすぐに手配書が回る。身を隠す場所が必要だ」


 あてなど、自分にだってない──と思いかけたアンジェラだったが、ふと思い出した。


「あ、──修道院! 修道院で匿ってもらいましょう!」


 アンジェラは叫んだ。

 レイラの言葉を思い出したのだ。困ったらどこでもいいから修道院を頼れと言っていた。


「修道院……?」


 胡散臭そうな顔だ。


「匿うも何も、そもそも俺は、入れないんだが……」


 そうだった。修道院は基本的に男子禁制だ。アンジェラは目の前の筋肉質な体を前に、たしかに、とうなずいた。


「でも、木は森に隠せって言うか」


 ブラッドは小さくつぶやくと顎に手を当てて考え込む。




 数時間後。

 アンジェラは引きつった顔で、修道院の戸口を叩いていた。門の上には、リバーエンド修道院と書かれている。


「あの、私、イーストウッド修道院から参りました、アンジェラと申します。レイラ院長が、ここを頼れと申しまして」


 おどおどと口を開く。レイラに言われたままに頼ってみたけれど、よく考えると、面識もなく、こちらが修道女だと証明するものは修道服以外になにもない。修道服にしても、どこにでもある簡単な作りなので入手などたやすいのだ。


(だ、だいじょうぶかしら)


 怪しいことこの上ないと思ったが、


「あぁ、レイラから連絡を頂いております。さあ、こちらへ」


 修道院はアンジェラたちをあっさり受け入れた。話を通してくれていたらしいとホッとする。

 アンジェラは後ろをちらりと見る。


「あら……ずいぶんと……大きな方、ですね」


 先程まで天使のほほえみを浮かべていた修道女の頬が少し引きつった。


(そ、それはそうよね……)


 アンジェラは大丈夫でも、は無理がありすぎるのだ。


 あの後二人は港から少し離れた岩場に小舟をつけ、舟を隠すと、海岸沿いの小さな森を抜け、港町へ向かった。

 売っていた黒布を買い、アンジェラがそれらを縫い合わせた。首周りだけを開けた貫頭衣というやつを作ったのだ。ブラッドがそれを頭から被り、腰紐を締めると、一見すると一応修道服に見えた。アンジェラの着ているものも、それに袖を付けたくらいのもので、だいたい同じ作りなのだ。

 だが。


「む、無理があるでしょう? それ」


 出来上がった姿を見てアンジェラは顔をひきつらせた。

 背が。肩が。胸が。男性を主張しすぎていた。

 しかし、ブラッドはすましたものだ。


「これに頭巾をかぶれば、なんとかなるだろう」とアンジェラの危惧を笑って町中を歩き始める。

「全然だめだと思うんですけれど」


 歩き方も堂々としすぎているせいで、男性にしか見えない。このままではどうがんばっても修道士だ。


「そんなに心配するな。ちゃんとうまくやる」


 ──と、全く取り合わないままに、修道院まで来てしまったのだ。


 ハラハラするアンジェラの前で、だが、ブラッドは黙って微笑み……アンジェラは一瞬呆けた。

 白い布で首を隠し、黒い布を頭から被ったブラッドは、今、大柄なにしか見えなかった。

 軽く背を丸めているのか、肩や胸からにじみ出ていたたくましさが消えている。

 トレードマークである眼帯は外しているが、目を伏せて頭巾を深くかぶっているせいで目立たない。長いまつげが作る陰がなんだか艶めかしいくらい。

 薄い唇は、かすかに微笑みを浮かべているせいか、上品で、彼の醸し出している野性味を封じ込めている。

 もともと端正な顔だ。雰囲気がたおやかに変わっただけで、こんなにも違うのかと愕然とした。

 修道女はかすかに頬を赤らめて「お美しい方ですね。どうぞ」と背を向ける。


「え、え? 何をしたの今」


 我に返って小声で尋ねると、彼は一瞬だけ背筋を伸ばす。とたん筋肉質な肩と胸が性別を主張した。ギョッとすると、すぐに背を丸めながら、彼は答える。


「昔、女装して潜り込んだことがあって、その時と同じようにしただけだが」

「じょ、女装?」


 それにしても、もっと適任がいるのではないかと思う。ジョシュアとか、ジーンとか。細身の、中性的な──


「こういうのは、仕草で決まる」


 彼がぐい、と唇を拭うとわずかに紅が手の甲につく。そしていつものように不敵に笑うと彼らしさがあっという間に顔を出した。


(なんだか、負けた……気がする……)


 服と化粧(しかも口紅一つ)でこれだけの色気を醸し出すというのに。女性だというのに、いまいちぱっとしない自分と比べてしまった。


(それにしても……どうして)


 敗北感を心の隅に追いやると、アンジェラは前を行くブラッドを見つめて首をかしげる。

 彼にはどこか品がある。だからこそ、がさつに見えない。


(海賊なのに、なぜ?)


 疑問が頭の中を占めかけたとき、修道院から年老いた女性が現れる。そしてアンジェラとブラッドを見ると、聖母のように微笑んだ。

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