第20話 聖女の証明
「待て!」
ぐいと腕を掴まれてアンジェラはぞっとした。兵が全く眠る気配を見せなかったのだ。
(え、なんで!? あ……鎧のせい!?)
驚愕した直後、がきん、という音とともにその腕が外れる。
「アンジェラ、逃げろ! さすがに分が悪い。今はブラッドと行け!」
ジョシュアが短剣を構えていた。他の船員たちも各々武器を構えている。鬼気迫る様子はいつもの穏やかな彼らと全く違う。場数を積んだ人間だと思わせるに十分だった。
「みんな、どうぞ無事で!」
ブラッドについて船を降りると、はちみつ色の街をひたすら走る。だが足の長さがまるで違うのと、体力がまるで違うせいで、次第にブラッドとの距離が開いていく。代わりに、重そうな鎧のおかげで最初は開いていた帝国兵との距離が縮まっていく。
ぜいぜいと息が上がり、喉が焼けるようだった。足がもつれ思うように動かない。石畳の凹凸につま先が何度も引っかかり、今にも転びそうだ。
ふいに眼裏にジーンの顔が浮かび、そしてやるせなさに膝が折れそうになる。
打ち解けたと思っていた。だって、あんなふうに助けてくれたのだから。
(どうして)
と、考えかけたアンジェラははたと我に返る。重要なことに気がついたのだ。
(どうしてもこうしてもないじゃない。なに悲劇のヒロインみたいな顔してるの、わたし!)
兵の目的は《聖女》。アンジェラが狙われたのは、アンジェラが《聖女》だと嘘を吐き続けていたから。
たとえ最初があんな出会いであったとしても。今、アンジェラは自分のせいで彼らが傷つくのは見たくない。
(だめだ。私、今言わないでどうするの!)
「ブラッド。待って。あなたは、逃げなくてもいいでしょ!」
喉に貼りつく声を必死で絞り出す。
「馬鹿言うな。まだ呪いを解いてもらっていない。なのに手放すわけがないだろうが」
「いいえ。だって、私は……聖女じゃない! あなたに守ってもらう理由がない!」
皆を今まで騙していた。そのせいでこのようなことに巻き込んでしまったのだ。
一世一代の告白だった。
「だ、騙していて……ごめんなさい! だから──私のことはいいから、逃げて!」
ブラッドはなぜか笑った。こんなときなのに、ひどく愉快そうに。
「聖女とかいうのは、今は関係ない。俺の船に乗ったやつを、俺は簡単に手放したりしない。それだけのこと」
そして彼は再び走り出す。
「とにかく、もうちょっと粘れ! ここで暴れたら目立つ」
ブラッドはぐいとアンジェラの服の袖を引っ張った。
つんのめりそうになりながらもアンジェラは引きずられるように走る。人気のない場所へ。
だがあと少しというところで、ヒュン、と何かが風を切る音が耳に届いた。ギョッとする。今のは。
「矢!?」
アンジェラはゾッとする。今まで命の危険にさらされたことがなかったが、本能的にまずいと思ったのだ。アンジェラの呪いは飛び道具には効かないはず。
恐怖で思わず体が固まった。足を止めそうになると、ブラッドが叫ぶ。
「バカ、止まるな! 走れ!」
矢が足元に突き刺さる。影を縫いとめられ体から凍った。
さらに矢が飛んでくるのが見える。もうだめだ、と思って目を閉じた時、ブラッドがアンジェラを引っ張り、胸の中にかばった。
固い胸に包まれたとたん、どすん、と彼の体ごと衝撃を感じる。
一瞬呻いたブラッドは、アンジェラの呪いで、みるみるうちに瞳の力を失っていく。
「……逃げ、ろ。俺だけなら、なんとか、切り抜け、られ……」
言ったきり彼は崩れ落ち、固く目を閉じた。
「ブラッド!!!!」
アンジェラが叫ぶと人垣を割って男が現れた。
一人だけ赤いマントをまとっている。恐らくは一番地位の高い人物だと思われた。
彼が銀の兜を脱ぐと、金の髪と酷薄そうな笑みが零れ出た。
「逃げれば、ここで男を嬲り殺す。どうする? 聖女とやら?」
彼の呪いを知らないのだ、と気づいた。だからアンジェラの呪いではなく、矢傷を受けて倒れたように見えているのだろう。
落ち着こうと、アンジェラは深く息を吸い、そして吐いた。必死で考える。
ブラッドの背には矢が刺さっている。だが、出血はない。不自然なほどに。
アンジェラも彼の力は知っている。彼を置いて逃げることは可能かもしれない。だけど、できない。
この間刺されたとき、彼が「痛いな」と言ったのを覚えている。今だって、一瞬だけれどひどいうめき声を上げた。
たとえ死ななくても、生命があったとしても、痛いのだ。そして──苦しいのだ。
そういう人間を置いていく。それはものすごく残酷なことに思えた。
(じゃあ、どうする!?)
今、聖女ではないと言っても通用しないだろう。誤解を解いて解放してもらうにはどうしたらいいのだろう。
(聖女じゃないことをどうやって証明すればいいの?)
そもそもそれが可能ならば、ブラッドたちだって、さっさと聖女の判定を行なって、アンジェラを解放していたはず。
『女神フレイアは民の中から娘を選んで転生すると言われている』
女神を体の中によみがえらせることができる──そういう器が聖女なのだけれど、逆に考えると、女神が蘇るまではただの人。
蘇るまでは完全に違うと証明できないのだと愕然としたときだった。なにかに引っ張られたかと思うと、鋭い刺激とともに体が拘束された。息が詰まる。
「え」
いつの間にか後ろに回っていた兵に、荒縄をかけられていたのだ。
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