第19話 黄金の島、銀の鎧

 船は先日寄港したパールフェロールよりも少し大きめの港、バレットへと向かっていた。

 こっそり読んでいた新聞でよく見かけた地名だ。黄金の島と呼ばれる島にある港町。交易が盛んで、そこに行くと何でも揃うという、アンジェラが密かに憧れていた土地。


「そろそろ速度を落とすぞ。帆を半分たたんで風を逃がせ」


 低い声が甲板に響く。アンジェラは、声の主、ブラッドを目で追う。


(呪い……かぁ)


「右から船が接近。何をやってる。気を抜くな」


 快活に指示を出すブラッドには、呪いを憂いている様子は微塵もない。

 だけど、アンジェラは気になった。

 彼が《祝い》であろう不老不死という力を、《呪い》と呼ぶその理由を。

 アンジェラは不老不死の薬を求めて秘境を探索したという物語を読んだことがある。また、永遠の美しさを求めて、若い娘の生き血を浴びたという物語も。

 誰もが欲しがる力なのだろう。

 それを彼は聖女を探してわざわざ解こうとしているのだ。

 解きたいのは眠れないという呪いだけなのかと思っていたけれど、彼のこれまでの言動を考えると、違う気がした。

 眠りたいだけならば、アンジェラを傍に置いておけばいいだけの話なのだ。なのに彼はそれで満足しない。呪いをときたがっている。

 呪いを解いたら、どうなるか。

 普通の人間に戻る。

 普通に老いて、普通に死ぬ、人間に。


 同じ呪い持ちとして、《普通》に憧れる気持ちはわかる気がした。だけど、アンジェラがもし彼と同じ力を持っていたら、手放すのは惜しいと感じるかもしれない。

 だって、死を恐れるのが人間だ。アンジェラだって死にたくないと思うし、死が近づいたことを教える老いを怖いと思うから。


(あなたは……死ぬのが怖くないの?)


 彼を見つめながら心の中で問いかける。

 だけどブラッドは忙しくてアンジェラにかまけている暇がなさそうだ。

 その様子に陰が見えないことにホッとしつつも、だんだん鬱屈してきたアンジェラはため息をつく。死について考えるのは、底のない沼に溺れていくようで、どうしても疲れるのだ。


 気晴らしにと歌を口ずさむ。よく考えるとこのところいろいろあったせいで歌う余裕がなかった。

 船員たちが動きを止めてこちらを見て、嬉しそうに頬を緩める。歌を聞いてくれるのが嬉しかった。

 ふと鋭い視線を感じ、あたりを見回す。予想通りジーンだった。

 アンジェラは思わず歌うのをやめて、彼に駆け寄る。


「あのっ」

「な、なんだ、よ、いきなり」


 勢いが付きすぎた。触れられるとでも思ったのか、ジーンは後ろに飛び退いた。


「この間は……ありがとう。助けようとして、くれたんだよね?」


 間違っているかもしれない。けれど、どうしても一言お礼を言っておきたかった。死と隣り合わせのあの瞬間に、呪いを物ともせずにアンジェラのことを気にかけてくれたのなら。それは、アンジェラにとって、とても嬉しいことだった。


「────!?」


 ジーンはぎょっとしたように目を見開いたあと、みるみるうちに顔を赤くした。その変化があまりに目まぐるしくて、アンジェラのほうが驚いてしまう。

 いつもすぐに睨まれてしまうので、あまりじっくり見ることはなかったのだけれど、ジーンの頬にはうっすらとそばかすが浮いている。だけど、今、肌が赤く染まったせいで目立たなくなってしまっていた。

 まじまじと見つめていると、彼は「んなわけ、あるかよ」と小さな声でつぶやき、苦しげに目をそらした。その様子がいつもの彼となんだか違う気がしてアンジェラは首をかしげる。


(あ、怒らなかった? 睨まれなかった……?)


 いつもは悪態の一つくらいは吐くし、痛いくらいに睨んでくるのに。

 彼はぷいと踵を返すと、いつもどおりに風のように駆けていく。


(なんだか……変?)


 どうしたのだろうと思いつつも、アンジェラはモップを握り直す。床の掃除に精を出すことにした。



 *



 早朝、夜明け前の紫色の空気が漂う中、船はバレット港へついた。

 内海にぽつんと浮かぶ大きな島は交易が盛んらしく、商人の町となっているらしい。

 朝日がじわじわと昇る。光が街に当たると黄金のように見えて、アンジェラはあまりの美しさに目をしばたたかせた。

 観察すると、街全体が黄色い。どうしてだろうと思いながら目を凝らすと、ほとんどの建物がすべて同じはちみつ色の石を積み上げて造られているようだった。黄金の島と呼ばれるだけある。


「きれい」


 アンジェラが船べりからうっとり見つめていると、


「相変わらず、要塞のようだな」


 隣にいたブラッドは笑った。


「昔は要所だったからな」


 ジョシュアもやってきて船べりに寄りかかった。だが、彼はすぐに岸を見て目を見開いた。


「──ん? おい、あれ、帝国兵!? しかもたくさん! なんであんなに──」


 ジョシュアの声に、アンジェラは身を乗り出す。波止場には銀色の鎧を身に着けた兵がいた。二十人はいる。黄金の町のなかで、銀色の集団だけが妙に浮いていた。

 ブラッドが険しい声で叫ぶ。


「ジーン、岸に付けるな!」


 だが舵輪を任されていたジーンは聞こえなかったかのようにそのまま船を岸に寄せた。


「お、い……!?」


 波止場の兵たちが、掛け声とともに船に橋を渡してくる。ブラッドはジーンを突き飛ばすと、一気に舵を海に向けて切った。だが一瞬遅かった。銀の帝国兵は次々に乗り込んで甲板を占領した。


「どういう、ことだ?」


 ブラッドが痛みを堪えるような顔で船員たちを見渡し、そして最後にジーンを見つめた。ジーンは歯を食いしばると、言った。


「お探しの聖女はこの女です!」

「ジーン!?」


 皆が信じられないという顔で彼を見つめていた。


「触れたら眠るという、異能を持つとか」

「はい。そんな呪い、普通の人間が持つはずがありません──この女が、聖女──」


 ジーンが最後まで言う前に、ジョシュアが彼に飛びつき、殴り倒した。


「……どうして、ジーンが」


 目の前の光景が信じられない。アンジェラは呆然とつぶやいた。

 すると顔に嫌な笑みを張り付かせたジーンは叫んだ。


「目障りなんだよ! この女のせいで稼ぎは減るし、嵐にも遭うし、船長だっておかしくなるし……散々だ! みんな、聖女サマ聖女サマって言ってただろ。じゃあ《お宝》はさっさと売っちまえばいいんだ! そうするのが一番船のためになる!」

「おまえ、……ほんとうにそう思ってんのか?」


 ブラッドが静かに問いかける。不思議なほどに怒りはない。ジーンの顔から貼り付けた笑みが剥がれ落ちる。


「いいか。覚えていないやつはいないな? 《海賊の掟》を。俺たちは、どんなときでも最小の犠牲を払う」

「……!」

「俺はの体だが、お前らは絶対に無事では済まない。だから──あとは頼んだ」


 皆の顔が一気にこわばった。ジーンはあからさまに青くなり、「そんな、俺は、この女がいると目障りでしょうがなくて、だからどうにかして視界から消したかっただけで──」とわなないた。


「……自分の気持ちには、案外気づかないもんなんだな」


 ブラッドはつぶやくと、かばうようにアンジェラの前に立って刀を腰から抜く。三日月型の刀は陽の光を受けて輝いた。


「目的はこいつだろ?」


 ブラッドは挑発するように兵を見渡すと、背のアンジェラに命じた。


「──アンジェラ、誰を眠らせてもいい。全力でついてこい!」

 

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