第15話 白い嵐
「早くしろ。追いつかれるぞ。帆を全部張れ! 舵を右に! 風を含ませろ!」
ジーンの隣でパーシヴァルは冷静に指示を出していく。だがその顔には焦燥が張り付いている。それが事態の深刻さをジーンに突きつける。
(くそ……あいつのせいだ)
必死で舵輪を回しながら、ジーンは歯を食いしばる。
気がつくとアンジェラを目で追ってしまっていた。そのせいで、天候の変化に気がつくのが遅れてしまったのだ。
そのアンジェラは船酔いで早々に倒れた。そのおかげで、集中力が戻っているのが皮肉なものだった。
(だから、おとなしく枕をしてればよかったんだよ)
心の中で悪態をつく。わかっている。本当に悪いのが誰なのか。だとしても、誰かのせいにしなければこの重圧に押しつぶされそうでたまらない。
この海域の魔物である《白い嵐》。凶暴な低気圧に飲み込まれて無事だった船はない。
岩礁には古い宝がたくさん眠っているが、船を沈めた犯人は未だ野放し。捕まえることができない。人智を超える力がない限り、不可能だと思えた。
(逃げるしかない)
船に乗ってまだ三年ほど。日が浅いジーンには白い嵐の経験はなかった。だが、過去の被害を聞いただけで絶望するほどの驚異だ。恐怖が足元から登ってきて体を縛っていく。
追い立てるようにすさまじい風が吹く。帆は風を受けて船をものすごい速さで走らせる。だというのに、もう囚われそうになっている。すぐ後ろに嵐の手が迫っているのがわかる。
「船長! ジブが外れた! このままだとマストが折れる! メーンの
誰かが叫ぶ。
「うわああ波が!」
前から、後ろから、右から、左から。波が押し寄せてはグラグラに船が揺れ、翻弄される。大波の上で船が跳ねているかのよう。いつ転覆してもおかしくない。
(舵が、きかな──)
いくら力を入れようともビクリとも動かなくなった時、ふっと腕が軽くなり、舵が僅かに動く。
「ジーン、代われ」
後ろからブラッドが舵輪を掴んでいた。そして甲板の船員に向かって叫ぶ。
「お前ら、波に呑まれないように船内に入れ! 扉を全部閉じろ!」
「でも!」
ジーンは目を見開いた。帆船というのは船員全員で動かしている。皆が仕事を放り出したら、沈没まっしぐらだ。
「あとは俺がやる。とにかく全員、中だ!」
ブラッドはマストと自分をロープで結びつけている。
「だけどっ!」
そんな事をしたら。唇が震えたとき、パーシヴァルが強引にジーンの肩を掴んで舵から引き離した。
そして船室に引きずっていく。
「船長! だめだ、そんな──」
扉を閉めようとするパーシヴァルを押しのけて外を見ると、波で泡立つ甲板の上でブラッドが一人で不敵に笑っていた。
「大丈夫だ。俺は、死なない」
*
「待ってください、ブラッドさんは!?」
アンジェラの目の前で、一人不敵に笑うブラッドを残して船長室の扉が閉められた。
中には他に、ジーンとパーシヴァル、そしてジョシュアの三人。
あまりの揺れに立っていられなくなったアンジェラは今、ブラッドのベッドに縛り付けられている。横になっていても揺れで落ちてしまうからだ。落ちるとそのまま船室の壁に打ち付けられてしまう。そういう揺れだった。
この間空けてもらったばかりの倉庫だが、もろくて危ないからとこちらに回収されてしまったのだった。
吐きすぎてもう胃の中にはなにもない。だが、今、アンジェラは吐き気を忘れた。
力の入らない手でロープをほどこうとするが、ジョシュアが止めた。
「大丈夫だ」
「大丈夫って、何がです!?」
「海に落ちなけりゃなんとかなる」
「どう考えても溺れますよ!?」
「……あいつは、死なない。女神の加護がある」
食いつくように言ったアンジェラに対し、どこか重みのある声でパーシヴァルが言った。
「……死なないって、そんなわけ」
アンジェラが眉を寄せると、ジョシュアはふっと淋しげに笑った。
「アンジェラちゃんさ、この嵐を乗り切ったら、アイツと寝てやってよ」
「は……?」
アンジェラの動揺が現れたかのように船がぐらりと大きく傾く。慌ててベッドの柱にしがみつく。
こんなときに何を言っているのだろう。怒りさえ湧きかけたが、ジョシュアには冗談を言っている様子はなかった。
「俺さ、あの人に俺達と同じ時間を生きてほしいんだ。だから──」
ジョシュアはアンジェラに切実に訴える。そんな様子は初めてだった。
「あ、あの──でも、あの、寝るって言っても」
すでに何度も枕になった身としては、これ以上、どうすればいいのかわからない。戸惑って思わずジーンを見ると、彼は不快そうに顔を背けた。
「……ジョシュア。俺は呪いを解くことには反対だ」
パーシヴァルが首を横に振り遮った。
「あの方には、まだ成し遂げなければならないことがある。今呪いを解けば……あの方は、きっと……」
とたん、ジョシュアがいきり立った。まるでらしくない。
「そんなの押し付けだろ。あの人はそんなこと望んでない。疲れ果てて、すべてを終わらせたいと思ってる。俺たちの望みなんか、重荷でしかない。なんで休ませてやらない?」
「あの方にしか、できないことだからだ」
外の嵐のように激しさを増す口論。一体何について怒っているのか、アンジェラにはわからなかった。だがその時、ひときわ大きく船が傾いた。
「──やばいぞ! 倒れる! 掴まれ──」
アンジェラは慌ててロープにしがみつく。だがベッドごと床を滑り、大きな悲鳴をあげる。
丸窓が割れる。水が流れ込み、波に飲まれたアンジェラは直後、意識を失った。
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