第14話 海賊船の聖女サマ
「聖女サマ、こっち汚れてる」
「はい!」
アンジェラはモップを持って甲板を駆け巡る。最初に比べてだいぶんコツを掴んだおかげで、掃除もスムーズだ。どうやら油を使うのが重要らしい。潮で傷んだ部分を保護するのだ。教えてもらってからずいぶんとモップの滑りが良くなった。
そしてモップがなめらかに動けば、歌が出る。さほど歌える歌はないけれど、聖歌を歌うと皆喜んでくれるのだ。
だから最初遠慮がちに歌っていた歌も、このところはよく歌っている。
「聖女サマ、こっちも」
「次はこっち」
「はーい!」
皆、人使いは荒いけれど、前は声もかけてくれなかった事を考えると、役に立っているのが心地よい。居場所がどこにもないと思っていたからこそ、この小さな変化がとても嬉しくて、力が湧いてくるのだ。
(だけど……)
だんだん打ち解けてきた船員の中にも、一人例外がいる。
甲板の前から、ジーンが風のように駆けていく。彼が通り抜ける寸前にすばやくモップを避けると彼は驚いた顔をした。
(あ……やっぱり)
毎回アンジェラのモップに引っかかっては、邪魔とかぐずとかのろまとか言われるので気になっていたのだ。
「なにか?」
アンジェラが問いかけると、文句を言いそびれた彼は、気まずそうな顔をして言い捨てる。
「なにが聖女だよ。調子に乗んなよ!?」
売られた喧嘩にムッとするが、あえてニッコリ笑う。すると彼はぎょっとしたように目を見開いた。アンジェラを食い入る様に見つめ、みるみる真っ赤になっていくジーンを怪訝に思い、
「どうしたの?」
怒りを忘れ、普通に問いかけてみると、彼は我に返ったように体を震わせる。そしてすぐにスピードを上げて逃げていく。
(あ、なんだか、勝った気分)
ちょっとだけ胸がすいた気分でいると、
「アンジェラ」
名を呼ばれてそろりと振り向く。アンジェラを『聖女サマ』と呼ばず、名で呼ぶ人間は限られている。
(ああよかった。ブラッドじゃなかった)
なんだか意味不明の行動──船員によると求愛活動らしい──をとっていたブラッドは、その後、何か憑き物が落ちたようにピタリと一連の行動をやめた。それ以降目も合わせてくれない例の状態に。まるで海のように波のある男だと思う。
だからこそ気が抜けないのだ。また波がある状態になるかと思うと、気が気でない。
と思いつつも、声をかけてきた人間には驚く。
「パーシヴァルさん?」
ある意味、意外な人物だ。彼は必要最小限の接触しかしてこない。
なんだろうと思って寄っていくと、「倉庫を掃除してくれないか」と言われる。
倉庫はアンジェラが自分一人で眠るときに使っていた場所だ。皆と一緒で良いと思っていたのだけれど、船員たちに拒まれた。彼らの言い分だと「呪いがあるから大丈夫だとは思うが、万が一ブラッドの不興を買うようなことをしたら困る」だそうで。
なんとなく奥歯に物が詰まったような様子は、きっとジーンも教えてくれない《ブラッドのしたいこと》に関わるからだと思う。
見ると倉庫の中に入っていたガラクタが投げ出されている。古い錨や切れたロープなど。何に使うのかと思っていたものだ。
「わかりました。大掃除ですか?」
尋ねると、「ちゃんとした部屋が必要だろうから。バタバタしていて遅くなってすまなかったが」となんだか気まずそうに言う。
「え」
アンジェラが目を見開くと、隣の厨房の扉が開く。酸味のある香りと同時にひょいと顔を出したジョシュアがニッコリ笑う。
「この人怖い顔の割に気がつくからねえ」
「うるさい、引っ込んでろ」
パーシヴァルはどうも立場によって態度を変える人間らしい。だがそれはいやなかんじではなく、訓練されている、というような印象を受けた。
見ると少し顔が赤い。彼は咳払いをすると、ごまかすように言う。
「掃除は自分でしてもらうが」
「もちろんです。ありがとうございます!」
大きな声が出た。
まさか、そんな待遇をしてもらえるとは思いもしなかったのだ。
顔を輝かせたアンジェラはさっそく掃除に取り掛かろうとして、ふとなんだか視線を感じる。
マストの上、
*
その日の夕刻のことだった。
船長室の椅子に腰掛けてくつろいでいたジョシュアは、青い顔をして飛び込んできたパーシヴァルに睨まれる。いるとは思っていなかった顔だ。
「おまえ、そこはブラッドの椅子だ」
パーシヴァルが海図を睨んでいた目で、こちらを睨む。厳しい顔をしかめているから顔がよけいに怖い。
「使ってないじゃーん」
「サボるな」
「もう夕食の準備は済んでます~。今日は北ドネティクの肉団子入りボールシチュ」
ジョシュアが軽く返すと、パーシヴァルはため息を吐いて海図に目を落とす。そしてジョシュアを無視して海図をなぞり始めた。
なにか様子がおかしいと思ったが、この男は自分から率先して話すことはしない。とくにこういう顔をしている時は。
真面目に話してもだめだと、ジョシュアは軽いノリで話し続けることにした。
「それにしても女の子がいると癒やされていいよねえ。アンジェラちゃんがほんとに聖女だったらいいのにね──って聖女だったんだっけ? そうだ。結局この間のブラッドの猛攻は一体何だったの? 俺には何も相談がなかったんだけど、なにか聞いてる?」
「知らん。それどころじゃない、今は」
パーシヴァルが苛立ちと同時に丸窓から外を見る。つられてみたジョシュアの顔から笑顔が消える。水平線際、黒い雲が壁のように北側に立ち上っている。雲からは細い稲光が海に刺さる。
「……! 嵐か!」
外海の天気は変わりやすい。ジョシュアはパーシヴァルの焦りの理由を知り、青くなりながら思わず身を乗り出す。
「どういうこと? 見張りは?」
「…………ジーンだ。風向きに注意しろと言っておいたんだが」
「あの子が? うそ……あぁ、でもこの頃ちょっといろいろ集中力欠いてる感じではあったかあ」
ジョシュアは顔をしかめる。もっとしっかり話をしておくべきだった。
「なんとか退避しないと」
「でもここから南に抜けるっていうと、ちょっと面倒だな」
「ああ。あのへんは岩礁が多い。だがこのまま進むと、ぎりぎりで抜けきれるかどうか」
パーシヴァルがそういった時、
「俺抜きでなんの相談だ?」
船長室の扉が開きブラッドが顔を見せた。
パーシヴァルはため息をつくと、すぐに打ち明ける。
「嵐です。今、この先の航路を考えておりました」
「報告が先だろ。お前らしくないな。なにがあった」
「なんでもありません。少しうっかりしていただけで」
「……そうか」
ブラッドは一瞬眉を上げる。だがそれ以上追及はせず、海図に目を落とす。そして羅針盤を睨み、少し考え込んだあと力強く言った。
「岩礁群を抜けるのは避ける。今すぐ帆を張れ。嵐より先に海域を抜ける!」
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